死ねよ採用担当

@acab1312

ヒーロー


 自分はヒーローになりたかった。

 だがこのままではヒーローになれない。


 だからヒーローになることにした。

 皆とは少し違う方法で。



 非日常。それは人を喰らい続ける魔物だ。

 現実はあまりにも退屈である。奇跡も、魔術も、神も宇宙人さえも見放した僕らの現実には面白みが足りない。

 子供の頃そこにあった空想とも妄想ともつかないそれは、生きる時間と反比例して小さくなっていく。小さくなった分、そこには隙間ができる。

 手に取る小説や漫画やアニメはこの穴を埋める存在であって、ある種夢の代替品であると言えよう。

 雑誌や画面の向こうで笑う存在は、そこにあった、あったら良いなと作られた想像の産物。

 我々は手に入らないそんな希望を、あたかも対岸の向こうに見える灯りのようにただ遠くから恋こがれる他ないのである。

 そうして手を伸ばした先には行き止まりの闇⏤なにもない虚無。我々が有史より恐怖し続けた化け物の胃の腑が待っているのである。


 話が逸れてしまった。つまり自分が言いたかったのは、我々は常に非現実を追い求めているということだ。

「無題.mp4」

 この例がちょうどそれに当てはまるだろう。

 時間にして13分12秒。通常は長過ぎて最後まで見る気も失せる。画質もそれほど良くない上に編集も褒められたものではない。

 だが、このファイルは人々に見つかったその時から瞬く間に広がった。

 要は内容だった。

 舞台はどこかの草原。いやらしいまでに緑色が強調された画面に一人の若者が現れる。

 動画の再生開始から10秒。若者が何かを話し始めるがうまく聞こえない。まるで水の中にいるかのように音が輪郭を得ていないのだ。

 再生開始から1分。ようやく音声が鮮明となる。

 腕を後ろに組み威勢よく話すその若者をようやく視聴者は理解できる。

「これは処刑である」

 最後に聞こえて画面は暗転する。


 動画開始から3分。画面は暗転したままだ。

 動画開始から3分12秒。画面が再び何かを写す。

 ぼやけた輪郭が黒い塊を映し出す。

 カメラのピントが合うまで少し時間がかかる。

 するとどうか。その塊は無数の人の集まりであることに気づく。


 数ピクセルで形作られた顔からではそれが誰であるのか判別はつかない。だが、塊から発せられる抗議の声や体つきからどうもそこにいる人々は初老から老人に属する人々であると思われる。


 動画開始から4分。

 一人の老人が蹴り倒される。どよめく塊。

 蹴り倒された老人に若者が覆い被さる。暴れる老人。しばらくして若者が立ち上がると、そこにはぐったりとして動かない身体が地面に残された。

 はっとする。老人は今し方刺されたのだ。

 今となっては生気のない人型が横たわるだけ。

 そこから先10分間の間。視聴者はこの塊が若者たちに蹂躙されていく様子を見ることになる。

 罵倒。殴打。刺突。

 緑色の草に赤い血が飛び散る。その場で首を刎ねられるもの、倒れて痙攣するもの、抵抗するもの、泣いて助けを乞うもの。

 狂気の中で起立した人間がたちまち数を減らしていく。

 視聴者はここで気づく。その規模を。

 黒い塊はその全容を有耶無耶にしていた。せいぜい十数人が集められたのだろうと概算するのは容易だ。

 だが事実は違った。数十、数百。

 豪雨の後の蟻の死骸のように積み重なるそれがこの映像の異様さを物語っていた。


 動画開始から13分10秒。画面が暗転する。

 動画開始から13分11秒。赤い手形が映されて再生が終わる。


 突然現れた映像はネット上を様々にざわめかせた。

 憶測と推理が飛び交う過程で拡散された。

 映像の真贋。撮影場所の特定。撮影機材。若者の正体。塊を構成する人々の出自。

 映画の撮影や、単なるドッキリである可能性が指摘された。一方でテロリストや陰謀論を信じる者も多数存在したことを覚えている。


 公的機関の発表で数百人の老人が失踪した形跡がない事がわかるとこうした信者(当時はこう呼ばれていた)の勢いは和らいだ。だが一方で、若者の特定も、場所や日  時、誰が撮影したのかも不明であることが謎を深めた。

 そうして何もわかならないままどれくらい時間が過ぎただろうか。

 迷宮入り。

 誰もがそう思った。


 だがある日、この映像の作成者が名乗り出た。

 初めは疑われた。これまでにも蛮行の首謀者らしきものは現れた。だがどれもチンケなインチキであることが分かると途端に姿を消していた。

 この作成者の声明が他と一線を画すのはかの若者がそれに携わっていることだった。背格好、声質、声明動画の編集、全てが一致するそれは、まさにかの動画ファイルの延長に在するものだった。


 作成者がその声明で残したのは以下の通り。


「諸君が見たこれは処刑である。戦後の世代に甘んじて生き、社会に貢献するどころかこれを害し、次世代の芽を摘みながらその心血を浴びて生きながらえる。手始めにこの日本に生活する50歳以上の全ての人命。その存在を穢れとし浄化する。罪としてこれを誅すことを目的とする」


「来たる満月の夜。我々は東京都日本橋にてこれを繰り返す。仲間は集え。共に血を持って制裁を行われたし」

 まるでヒーロー映画に出てくる悪役だ。

 来る満月の夜とは10月31日。

 その存在は、前代未聞の大規模テロを呼びかけたのだった。


 地下鉄日比谷線。

 乱雑。この路線を自分が表現するとあいなる。

 都内主要箇所をなぞりながらそのまま郊外へと伸びる列車は調子に乗った都会人と ⏤こういうのも悪いが⏤あまり身なりの良くない人々をも乗せて走る。降りる場所も目的も異なるのが当たり前の列車だが日比谷線はその様子をかくも表している気がする。


 かねてよりそんなことを思っていた路線であったが、「その時」ほど異様だったことはないだろう。

 高齢化社会と悪名高いこの国の人口の一角を形成する老人はほとんど見かけず、そこには全身を黒く着込んだ若者が多く見えた。

 髪の毛を染めた者、男女で連れ添う者、独りで何か小言を囁く者など様々である。年齢はまちまちであり、職についていそうな者もいれば未だに義務教育も終えていないだろう背丈の者もいる。

 来る日の満月の日。順当に行くなら10月31日と判明した。

 その日が近づくにつれ、徐々にこうした若者の集会が目立つようになっていたのだ。

 ある専門家が彼らをこう評した。「害虫、蜘蛛のようである」と。

 こうした集まりは人知れず広がり、数を増やし、気づけばあちこちに点在するようになる。ちょうど古家の蜘蛛の巣のように。

 巣を崩したところで蜘蛛の子は散るばかり。

 この脅威を根本的に解決するには母蜘蛛たる首魁「若者」を捕らえる他よりない。

 こうして対策もしない現政権はあれがいかんこれがいかんと議論を着地していた。


 蜘蛛のイメージとは裏腹にその内情は物々しい雰囲気ではなく、むしろ和気藹々としていた。

 「巣」を構成する人々としては⏤少なくとも大多数は⏤血みどろの抗争など鼻から参加する気はないのだろう。彼らはその大義名分を理由に社交の場を気づいていたのだ。

 微かな音楽が聞こえてくる中で各々が簡単な自己紹介をし、日々の鬱憤を吐き出す。そうして共感を得、宴を開く場としてこうした巣はコミュニティ構築の性格を強めていた。


 一方でこのコミュニティに属さぬ人々ー初老、老老の怨方々はこれが気に入らない。水を引っ掛け杖で突け警察に突き出せと巣に対し抵抗を試みているようだった。

だが特に違法性を持たぬためにそのほとんどは注意で済まされる。これは当然不満を生んだ。

 こうして東京都は緩やかな緊張状態に置かれることになった。


 電車から降りるとなによりも暑さに驚かされた。

 夏もとうに終わったというのに気温は30度近い。息苦しささえ覚える生温い空気が自分とそれ以外との境界を曖昧にする感覚に襲われる。

 にも関わらず駅を含む街は変わらず活気付いているようだった。先述の「巣」も至る所に築かれているのが見える。


 場所は秋葉原。


 一応蜘蛛に数えられるのだろうか。

 自分は所謂「オフ会」に参加しにきた。

 蜘蛛の巣に乗じてコミュニティが生まれたと述べたが、それはSNS上にても同じことであった。

もとより社会に不満を持つ者同士がこうしたプラットフォームで連帯することは珍しくない。蜘蛛の巣騒ぎでは一層こうした性格が強まり人々が繋がるきっかけとなった。

 自分も似たようなクチの一人なのだが、そうしているうちに趣味が似通い打ち解けることも度々あった。

 今日はそうした仲間で集まって少しばかり憂さ晴らしをしてやろうということなのだ。


 仲間との出会いは割と淡白なものであった。

 もとより感涙を呼ぶような奇跡は期待していない。本来は4人程度が集まる約束であったが、都合により3人だけが集合した。手早く挨拶をした後さっさととカラオケボックスに入ってしまうことになった。

 そこそこ窮屈な個室で名名の自己紹介がはじまる。

 「ミドリ」と「モスキート」、他の2人が名乗った。

 当然本名ではない。普段ネット上で使用している偽名、ハンドルネームである。

 自分も二人にならうとオフ会が始まった。


 集会は和やかなものであった。はじめこそぎこちなかったものの、一度話せば簡単に打ち解けられた。

 ミドリと名乗った男は自分と同じ学生で、同じ学年だと言う。痩せた体型でぎょろ  ぎょろとした目玉が印象に強い。

 モスキートと名乗るもう片方はその名に反して恰幅の良い大男であった。太い四肢は濃い毛で覆われておりちょうど大型の哺乳類ークマを連想させる。

 二人で並ぶと屈強なヒーローとしなやかなサイドキックのような組み合わせとなる。


 彼らもまた自らの現状に対し不満を持つ個人だった。彼らの愚痴はありきたりだが、確かにそこに存在しているものだ。

 自分にコンプレックスを持っていて、人に気を遣う余裕もなくまた気遣われることにも抵抗を感じる。

 だからこそ人と関わりたくても関わらない。

 そうするうちに孤立が進み、困っても他人を頼れない。それを言ったところで甘えだ、怠惰なのだと言われるばかり。

 それは個人よりも世間を優先してきた「文化」の弊害であり、弾かれ者の居場所を置いてきた現代社会の呪われた遺物だ。

 僕らはただ僕らの居場所を探したいだけなのに、そもそも馴染めず人を避ける発端となった「みんな」の概念に迎合させようとする人々がいる。これもまた既得権益を持つ先人達が多くを占める。

 そうして存在を認められない存在は居場所を求めて蜘蛛の巣を作るのだった。


 歌の合間に話すのは採用面接で笑われて傷ついたこと、退けものにされたこと、知らぬうちに「友達」がいなくなったこと。

 ただここに居ること自体が苦しい。みんな同じと言うが、ならばみんなただ喘いでいるのかと、みんな救われないのかと嘆いたこと。

 そうしているうちに終いの時間となった。それぞれ自分の人生に戻るべく支度を始める。

 辛気臭さから逃れられないがらも、少し気分が晴れたのは事実だ。仲間が得られただけで十分だった。


 建物から外に出ると、違和感は確かに存在していた。何故か駅に近づくにつれ人が多くなっている。それもただ人が多いというだけではない。なにか緊張した様子で立ち尽くしているようだった。

 電光掲示板が運行停止を知らせている。人身事故だろうか。しかしそれらしき告知はない。

「おかしいな」遠くから探っていると、ミドリが立ち止まった。

「どうかしました?」

 野太い声でモっさん⏤誰も彼をモスキートとは呼ばない⏤が問いかける。

「いや、なんかヤバいらしいっす」

 ミドリは携帯の画面を見たまま落ち着かない様子だった。

 自分も携帯電話を引っ張り出して調べてみる。情報が多く飛び交っているようで概要を掴むのに苦労した。渋谷方面で何かの混乱が起こったとだけ分かった。

 3人で顔を見合わせた。これからどうするか。いずれにせよ電車はしばらく動かないだろう。どこかで暇つぶしをするにも満席が目立つ。

 誰が言いだしたのか、やがて渋谷に向かうことになったのだった。


 渋谷に行くまでの道のりはなかなか遠かった。距離的には一時間もかからないはずだが、迂回を繰り返した結果到着するまでに2時間近くかけた。

 野次馬、報道者、交通規制。道中地理に詳しいモっさんがいなければもっとかかっただろう。


 渋谷交差点まで目指すつもりだったがそれは叶わなかった。目前で一層厳しい交通規制が敷かれ、皆ここで足止めに遭っているようであった。

 爆発があったらしい。

 交差点を挟んだビルで起きたらしく、怪我人も出たそうだ。

 ちょうど今日はスクランブル交差点でパレードが行われており、人出も多かったことが災いした。

 今日は10月31日。

 誰しもが思っただろう。

 爆発が単なる偶然なのか、あるいは「はじまり」なのか。

 非日常に少し浮き足立つ自分がいたのは隠した。



 渋谷に到着してから1時間ほどが経った。思考ばかりが先立って身体が追いついていかない。電車は相変わらず止まったままだ。交通規制も解かれる見込みはない。皆ただ行き場を失くしているだけに感じる。我々3人も疲れて縁石に腰掛けていた。

 そこで、揉め事が起きていることに気がついた。自分たちから少し離れたところで怒鳴りあっているのが聞こえてくる。

 ごたついているのは2人らしく、1人は杖をついた老人、もう1人が背の高い青年だった。

 老人はどうやら封鎖されている道を通りたかったらしく、警官に突っかかったところを青年が取り押さえたらしい。

 道を通せ。通れない。話し合いが進展しないところを周りがなだめている最中だった。

「俺に近づくな!」

 取り囲まれていた老人が叫んだ。


 空気が変わったことに気がつく。

 なにか様子がおかしい。

 老人の周りにいた人が散ると、その手に長い刃物が握られているのが見えた。足元には先程の杖の一部らしきものが地面に転がっている。

「な、なに持ってんだよ!お巡りさん?お巡りさん!」

 青年がテンパりながら言う。

「おじいちゃん!それ離して!捨てて!今すぐ捨てなさい!!」

 囲いの中から警官が複数人駆け寄ってきた。

「ち、近づくな!ほ、ほほ…本物だぞ!!」

 老人が刃物を振り回す。

 警官達はそれを見るやピストルを抜いた。

「今すぐ刃物を捨てなさい!!ほら!捨てて!!捨て…ウワッ捨てろって!捨てろっつってんだろ!!」

 1人の警官が勢い余って近づいていくと、老人が得物を振り下ろした。

 周囲に戦慄が走る。

 誰もが凍りついた瞬間だ。

 近づいていった警官は、よろよろと後ずさるとそのまま倒れた。限られた明かりの中で段々と制服が赤黒く染まっていくのをそこにいた皆が押し黙って見ていた。


 永遠かのように思われた静寂を老人が破った。

「く…来るなぁ!!来るなヨォ!!」

 刃先についた血を撒き散らしながら叫んでいる。

 警官達が再び拳銃を構えた。

「おじいちゃん!もう終わりだって!ねぇ!聞いて!」

 説得の声は届いていないようだ。

「お…お、お前らが悪いんだ!せ、せ、正当防衛だ!」

 膠着が続くと思われた時だった。

 鋭い音が響いた。

 老人が喘ぎ始める。

 拳銃を撃ったのは先程の口喧嘩をしていた青年だった。

 倒れた警官から奪ったらしい。変に構えながら口をパクパクしている。

「お前ぇ!!何やってんだ!」

 警官の一人が怒鳴る。

「銃を下ろせ!下ろせぇ!うわっ」

 青年と警官の間に老人が割り込んだ。

 そこから全てが下り坂となった。

 

 最悪だった。

 青年が再び発砲、警官の1人に命中すると、彼らは報復した。

 数発が青年を外して跳弾し、観衆に当たる。

 挟まれた老人がよろけながら警官に覆い被さると最後の力を振り絞って制服の胸を突き刺した。

 最後には警官1人を残してその場に立っている者はいなくなった。

 周囲は困惑しているようだった。

 急に起きたことに理解が追いつかなかったのだ。

 皆ただ唖然として立ち尽くしている他になかった。

 誰かが声を上げた。時が動き出す。

「警察が人を撃ってるぞ!逃げろ!!」

 悲鳴と拡声器の音が聞こえる。規制の前にいた群衆が散り始めた。中には一人となった警官に挑む者もいたが、拳銃の前に倒れた。

 柵の向こうから警官の応援が駆けつけるが、余計に混乱を招くだけだった。

 残念ながら、こんなとき颯爽と駆けつける存在はいなかった。


 逃げ惑う人々の中に我々も加わった。

 互いに言葉を交わす暇もなく走り始める。

 度々転びそうになりながら夜の街に飛び出す。道路だろうが誰かの土地だろうが関係ない。ただただ遠くへ。それしか考えられなかった。



 しばらく逃げていると、すぐに息が上がった。我々は住宅街に紛れて様子を窺うことにした。

 拡声器と悲鳴の声はかすかながらまだ聞こえる。時折大きな破裂音もしたが、これは拳銃の音だろうか。

 住宅街の住民も気になるのか、窓を開けて遠くの騒ぎを見ているようだった。

向き直るとミドリが携帯と睨めっこしていた。ぎょろっとした目が光を捉えて目立つ。

 彼曰く暴動が始まったらしい。渋谷だけではない。

 東京の至る所で人々の衝突が起きていた。


 はじまったのだ。

 予告されていなかったわけではない。

 警察との衝突は飛び火して一般人同士の乱闘に発展した。はっきりとは分かれていなかったが、おおよそは同じ様相を呈していた。

 いわゆる若い世代とそれ以外の争い。

 救急車を含む緊急車両も混乱により道を通れなかった。それどころか標的にされた挙句、搬送途中だった老人は公の場に引きずり出され担架に乗せられたまま殴り殺された。

 声明は現実になった。

 テロは始まったのだ。

「おい!お前ら何のつもりだ!」

 見上げると、窓から遠くを見ていた住民がこちらを向いていた。

「警察を呼ぶぞ!」

 我々はすぐそこを立ち去った。



 住宅街をさっさと脱出すると、次の行き先が問題となった。今の東京に「若者」3人の居場所は無かったのだ。

主要な都市圏は混乱が続いている。その影響で電車も全て止まっていた。帰り道を探そうにもいつ襲われるか分からなかった。


 ミドリは優しい性格をしていた。こんな状況でありながら他人の身を案じていたのだ。

 ともかく足を止めずに進んでいると、横断歩道でうずくまる老婆を見つけた。

 場所は渋谷方面に程近く、逃げる際に転びでもしたのだろうと考えられた。

ミドリはすぐさま行動した。

 彼女の元へ走り寄り、怪我はないかと呼びかけた。ところが老婆はこれに恐怖して助けを呼び始めた。

 振り回される杖から身を庇いながらミドリはなんとか老婆を道路からどかそうとしていた。

 誰かに見られたらという不安は的中した。

「おいお前!何してんだ!」

 少し離れた場所から声がした。

 暗がりの中で目を凝らすと、その中から制服の警官飛び出してきた。

「その人を離せ!」

「あ、いや!これは!」

「うるさい!クソしょうもないガキどもが!!テメェらにはもう未来なんてないんだよ!!大人しくしろ!」

 

 ミドリは優しい性格だった。彼は心ない言葉に言い返せなかった。

 口をつぐんでただ老婆を立たせようとしていた。

 それが仇となった。

 破裂音が響く。

 直後、ミドリが倒れた。


「お、お前らが悪いんだからな…」

 見ると、先程の警官が銃を構えて震えていた。

「つ、次は…どっちだ…かかか、ってこいよ…」

 そう言うと、彼が震える手で銃口をこちらに向けた。

「いや、僕らはそんなつもりじゃ…」

「ううるさい!黙れ!」

 モっさんが飛び出した。

 2発目の銃声がする。それでも大男の躯体は臆せず突進した。

 一瞬屈んだかと思うと、鋭いパンチが繰り出される。制服は身構えたが、拳はそのまま彼の右脇へと流れた。

 モっさんが残った腕で警官の足を刈り上げると、豪快なタックルで相手は倒されたのだった。

 それはまさにヒーロー漫画に出てくるような勇姿だった。

 自分はそれを見届けるや否や、喘ぐ警官から拳銃を取り上げた。

 今の異常な彼に持たせては危険だと判断したためだった。

「ミドリさん!大丈夫ですか!?」

 二人で駆け寄るとミドリはうつ伏せに倒れていた。彼が助けようとした老婆は見当たらなかった。どさくさに紛れて逃げてしまったのだろう。

 弾は右肩に命中したようで、緑色だったはずのシャツが赤黒く染まり始めていた。

「聞いて…」

 痛みに堪えながらミドリが言う。

「今から、言う場所に向かって…ください。一旦、そこに…逃げましょう」

 ミドリはか細い声で一通り目的地まで説明した。ところどころ情報は抜けていたが、流石地理に詳しいモっさんだけあって大まかな道順は掴めた。

 ぐったりするミドリ。息はしているものの、意識は朦朧としているようだった。

 彼とその荷物を担ぐと、我々はミドリの指し示す場所へと出発した。

 時計の針がちょうど午前2時を回ったところだった。



 ミドリの指し示した場所は少し奥まった場所にある民家であった。安息の地と言っていいだろう。

 中央通りに程近くて若者がうろついていても何か言われることもない。一方で騒ぎ になるには道は狭すぎる。

 インターホンを鳴らすと、婦人の声が聞こえた。怪訝そうな雰囲気だ。

 苦い記憶がちらつく。

「お婆ちゃん、ぼくだよ」ミドリが言うと、「ケンちゃん!」と一気に態度が変わった。


 家主はミドリの祖母であった。快くとはまで行かぬものの上がらせてもらうことにした。

 外から見る以上に古い建物らしく、今日び木造の箇所が多い。室内は石鹸に似た匂い がした。

 ミドリの祖母にはこれまでの経緯を話すことにした。もちろん詳細は省く。

 自分たちが(広義の意味で)友人であること、町で遊んでいたら突如騒ぎが起きたこと、巻き込まれて“ケンちゃん”が撃たれてしまったこと、そして外には出ないほうが良いこと。

 我々の話に耳を傾けながら彼女はミドリの手当てに奮闘していた。ミドリはというと出血はしていたが、到着した時よりは悪化していないようだ。


 包帯で巻かれたミドリは少し落ち着いたようだった。

 先ほどまで死にそうだった顔色も心なしか戻りつつある。口数も徐々に増え始めた。

 

 救急車を呼びにモっさんとミドリの祖母が席を立つと、私たちは2人で残された。暇だったので、ミドリに語りかけてみた。

「へっ、さっきまで死にかけだったのにもうハーゲンダッツかよ」

「ほっとけ」

 楽になるからと彼はアイスクリームを頭に乗せられていた。そのうちの一つを食べようとしていたのだ。

「でも良かったよ。本当に」

 深いため息をミドリがつくと、彼は少し考えてから、「そうかな」と言った。

「あの横断歩道のお婆さん、あのあと無事に帰れたかな」

「何言ってんだよ。バアさんあのあと逃げたんだぜ?そんな奴のことなんか気にしてどうするんだ」

 するとミドリはうん、と頷いたあと続けた。

「まぁね。ただ、ありきたりなんだけどウチの婆ちゃんと重なっちゃってさ、ほっとけなくて」

 奥の居間で電話口に話し込む2人を見る。道案内に難儀しているようだった。

「ウチのばあちゃんもさ、何年か前に爺ちゃんが死んで以来ずっと一人で頑張ってるんだ」

 ミドリの上に乗っかっているアイスクリームを少し積みなおした。

「きっとあのお婆ちゃんも一緒でさ、誰かのお婆ちゃんか、誰かのお母さんか、誰かの娘さんなんだよね」

 ミドリがあまりに神妙な顔をしながらいうものだから思わず「大丈夫か」と聞き返してしまった。

「つまりさ、俺が言いたかったのはみんなそれぞれ背負うものがあって、必死に生きていて、本当は他の人のことなんか構う余裕もないのに構わなきゃいけなくて。だから勘違いしたり喧嘩したりしてさ」

 気づけば、彼の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「それを単純に理解しようとした結果今みたいにみんな争い始めたんじゃないかなって」

 彼が今にも泣きそうな顔したところで二人が電話から戻ってきた。

「あと30分ほどでつくそうです」モっさんが言う。

 ミドリは慌てて顔を隠した。


 ミドリは祖母の家に残すとして、残る2人の今後の行き先が考えられた。どうしたものか、と首を捻る。

 時間は午前4時に差し掛かる。

 電車も飯屋も当てにはならない。

 外の騒動はまだ続いていた。


 ミドリの祖母は家にいて良いと言ってくれたが、無理をしているのは明白だった。いくら「友人」とはいえ見知らぬ男二人(しかも片方は相撲取り級の大男)は怖いだろう。状況も状況だった。

 とりあえずお暇させていただくことにした。

 が、それは不完全に終わることになる。


 モっさんが崩れ落ちた。見ると、足から血を流しているようだった。

 警官にタックルしたときに当たっていたのだろう。ふくらはぎ付近にある傷口が生々しい。体重をかけると痛むらしかった。

「大丈夫、まだ歩けます」という彼だったが、ミドリと一緒に病院で診てもらうことにした。

「俺はほら、警官から預かってるものがあるからさ。とりあえず返してくるよ」

リュックを持ち上げながら言うと自分はさっさと出ていった。

 ミドリには英雄が付いている。サイドキックのピンチを救うのもまたヒーローだ。



 空が白み始めていた。待ち望んだ朝である。

 遠くでは黒煙がまだ上がっていた。耳を澄ましてみると、叫び声が微かに聞こえてきた。

 まだ続いている。さながら治安最悪のゴッサムシティか。

 腹が鳴った。そういえば夕飯も食べていないままだった。

 帰りにラーメンでも食べるつもりだったのに、とか思い出す。

 開いていないものだろうかと考えていたら何やらいい香りがした。道の向こうから食べ物の匂いが漂ってきている。

 肉の焼ける匂いだろうか。香ばしい感じがする。

 てくてくと歩を進めると匂いの元に辿り着いた。場所は少し開けた公園のようだった。

 いるのは若者だった。数人が集まって幾つか火を焚いていた。

 近づいてみる。いつ襲われるかも分からないので逃げ出す方向を確認しながら進んだ。

 リュックの底を持ち上げる。

 ずしりと拳銃の重みが感じられた。

「おはようございます」

 声をかけられた。

 挨拶を返すと、相手は微笑んだ。と、思いたい。

 声をかけてきたのはドラム缶で焼ける肉をつつく若者の一人だった。染めたと思われる赤みが買った髪をしている他、全身を真っ黒に固めている。顔も黒いマスクで覆われていて表情が分からなかった。

「炊き出しですか?」

 恐る恐る訪ねると、若い女性は手を止めた。

「そう見えます?」

「え、ええ…」

「中、見てみてください」

 合図されるままドラム缶の中を覗き込んだ。轟々と火が燃えている。思わず顔を背けた。

 だが、背けたのにはもう一つ理由があった。

 ドラム缶の中には肉があった。それは間違いない。

 火にくべられているのは人の腕であった。指輪のついた手が見えた。

「びっくりしました?」

 火の守りに戻った彼女が言う。

「普段から嫌なおばあさんだったんですよ。誰からも好かれない人でした。誰彼構わず通報したり、お金をせびったりして」

 周囲をよく見ると似たような様子で遺体に火をつけて数人がそれぞれ囲んでいた。

 その足元には人間の解体された痕跡が残っている。

「燃やしてるんですか…」

「火葬ですよ火葬!お葬式!」

 赤髪の少女が飛び跳ねて言った。

 そして、それが彼女の最後の言葉となった。


 一瞬のことで何が起きたか分からなかった。だが、身の危険であることだけは理解した。

 咄嗟にドラム缶の影へ隠れる。

 しゃがんだすぐ先に少女は倒れていた。

 見開いた表情のまま、彼女は顎の下から胴体を繋ぐ首がなくなっている。

 まるで内側から破裂したかのようだ。最後の一息が血で泡を作っていた。

 甲高い音がした。腹の底から揺らす音だ。

 ドラム缶に穴が空いている。何者かに狙撃されているようだった。

 他に隠れている人々の視線を追うと道路に立つ人影に行き着いた。


 男性のようだった。こちらに近づいてきている。

 中肉中背、年齢は50後半ほどだろうか。狩人の格好に身を包んで何かを構えている。よく見ると競技用のショットガンらしかった。

「君たち、出てきなさい」

 男性が呼びかけてくる。

「喧嘩なんかよそうじゃないか」

 その声質は丸くも圧力のある響きがあった。

 自分から少し離れた場所で一人立ち上がった。両手を上げ、震える足で上体を押し上げている。

 発砲音がすると、彼は倒れた。腹を庇って苦しんでいる様子が見える。

「おっとすまない、手が滑ってしまった。どれ手伝ってやろう」

 そう言うと、老人はもう一発地面に転がる人物に弾丸を放った。喘ぐ声はもう聞こえず、彼は動かなくなった。

「ほらほら、残りもさっさと出てきなさい。どうせ今まで下らないことしかしてこなかったんだろう?君らみたいなのがいても困るからさ、さっさと死んだほうが世にためにもなるんだ」

 銃に弾を込め直すと、彼は銃を構えて言い放った。

「これは君たちの責任でしょ?」

 はっとした。その言葉には聞き覚えがある。

 それはほんの数ヶ月前のこと、就職面接で言われた記憶だった。忘れもしない。

 

 全ての言葉が蘇る。

「内定ひとつも貰えてないの?」

「不運とか就職難とか言ってる場合じゃないでしょ」

「チャンスは掴みにいく物でしょ?」

「どうせ君が今まで何もしてこなかったせいでしょ」

「下らない人生に下らない人間、就職さえできないのもお似合いだね」

「どうせどこも君をとらないよ。私が保証するよ。とらないとらない」

「全部君の責任だよ君の責任」

 こちらも見ずに言われた言葉の数々。

 その面接のあと、本当に全ての求人に落ちた。

 思い出すたびに吐き続けた。自殺未遂も3回やった。味覚は減退し、何も感じられなくなった。

 空腹を満たすだけのために毎日ただ咀嚼を繰り返す日々。

 面接官。そこにいたのは間違いなくその当人だった。

 途端に、自分の中から力が抜けていった。恐怖も怒りも、全てが抜け落ちる感覚だった。


 選択肢は二つあった。正反対の二つだ。

 「善」を貫き戦わず皆殺しとなるか。

 「悪」であってもピストルを抜き、応戦して助かるか。

 思考は極めて冷静であった。人生で一二を争うくらいに落ち着いていた。

 どちらを選ぶかは至極簡単であった。





“善”が存在しない世界で、どうして“悪”がありうるだろうか?






 自分はヒーローになりたかった。

 だがこのままではヒーローになれない。


 だからヒーローになることにした。

 皆とは少し違う方法で。


 人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄であるという。

 じゃあ殺してやろうじゃないか。



 幸いにして機会はすぐに訪れた。

 死体に耐えられず、ドラム缶の裏から一人が逃げ出した。

 老人が銃を構える。数発撃たれると闘争者は倒れた。

 それに気を取られていることを見計らって、隠れていたドラム缶を蹴飛ばした。

 大きな音ともにそれが倒れる。

 反射的に老人がそれを撃つ。火の粉が撒き散らされた。

 瞬間、灰が降る視界に銃口と老人を並べた。

 引き金を引いた。


 衝撃が腕を蹴る。落としそうになる拳銃を持ち直しながら標的を確認した。

当たった。相手は腕から血を流していた。

 痛みに顔を歪ませながら散弾銃を構え直している。

 もう一回撃つ。気持ちとは裏腹に二発銃弾が放たれた。

 胴体に二発当たったのが見えた。

 息が浅く、必死に堪えているようだった。

 銃を構え直す。胸に向けて引き金を引いた。

 跳ねる拳銃。打身となった手を引っ込めると、老人は肩を庇いながら崩れ落ちたのが見えた。

 走り寄って散弾銃を奪い取った。抵抗は少なかった。

 老人は唸りながらこちらを睨みつけている。まるで痴呆だ。

 散弾銃の銃口をその肩に当てた。引き金を引く。唸り声が酷くなる。

 煙立つ銃身で両膝をミンチにするとそれも止んだ。機械的な動作で老人を無力化していく。

 もう動くことのできない老人の顔は鼻汁やら涙やらで醜く汚れていた。これを蹴飛ばす。

 意識を取り戻したようで激しい息遣いが戻った。

どうやらまだ話す気力が残っているようで、「クソガキが…後悔するぞ…」と消え入る声が聞こえた。

 枝で片目を潰してやった。

 叫ぶ気力はないようだ。

 ひゅう、ひゅうと血の鼻ちょうちんをつくっているのを黙って眺めていると、その顔を見るのも飽きてきた。

 老人の襟首を掴む。汗で手が汚れた。

 抵抗もなく、声も出せないソレはされるがまま引き摺られた。

 倒れても未だ燃え続けるドラム缶の前まで来るとか細い声が聞こえた。

「満足か?」

 無造作に頭からドラム缶に放り入れた。

 火がつく髪の毛。ズタズタの顔は傷口から炙られやがては肺が焼かれるだろう。

 唾を吐きかける。

「さっさと死ねよ採用担当」

 しばらく火の弾ける音が響いた。


 物音がして振り返る。ドラム缶で老人たちを焼いていた若者たちだった。

 早朝に見た時よりも数が大幅に減っていた。最初はこちらを見ているものだと思っていたが、どうも様子が違う。向き直ると、彼らの見ているものがわかった。


 何百人の群衆。全て黒い服装に身を包み、シャベル、パイプ、バットで各々武装している。年齢は十代から二十台で構成されていた。

 その先頭にいたのがあの若者だった。動画で見たのと全く同じ、服装も髪型も、あの若者そのものだった。

 テロは存在していたのだ。

 動けない自分に、青年が手を伸ばした。


 差し伸べられた手に自分は縋った。




 大規模テロから一年が経過した。街は復興の最中である。

 この騒動により実害を被った人間は約5000人に登る。うち死者は1500人であり、この中には全ての出版社の上役を含む経済界の重鎮の名前が含まれる。

 鎮圧後の捜査ではこれが他国の戦略により仕組まれたた内乱であるとも、連鎖的に起こった偶然の末に起きた災害であるとも説明された。

 真実は誰も知らない。

 桟橋の向こうに見える灯りは消えた。

 赤いハンチングもこの先被ることはない。

 運動場の金網から見える空はどこまでも、どこまでも青かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死ねよ採用担当 @acab1312

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ