間違いを正すには、力が必要だ。

 机の上には、先週秘書に渡された週刊誌が、投げっぱなしで、埃を被っている。


 水道水の「毒」問題の指摘。

 その過程で支持者を集め、私は地方議会へ進出することができた。

 そして議会でも熱心にこの問題を取り上げ続け、とうとうあの地域の水道水の無毒化を達成できたのだった。

 理解して、協力してくれる周囲のみんな。

 地方議員としての権力。

 これらが揃って初めて、あの地域を救うことが可能となった。

 ――あの頃は、楽しかった。

 椅子の背もたれに身体を預けると、目を閉じて過去に思いを馳せる。

 ――この国全体を、救いたいんです。

 地元の勢いそのままに、数ヶ月後、地方議員職を辞し国政選挙に出馬。無事、初当選を果たす。

 その二年後、文科大臣として初入閣を決めたのだった。

 そして現在――。


「はあぁ~」

 溜息をつき、頬杖をつくと、電話の音が鳴り響いた。

「……もしもし?」

「もしもし、スイ先生ですか?」

 聞き慣れた懐かしい声に、少し気持ちが明るくなる。

「スイ先生って…もう、やだなぁヨーコさん」

「先生は先生よ、私たちの救世主なんだから。……それで、こんなタイミングで悪いんだけど…」

 少しヨーコが言い淀む。恐らくヨーコもあの記事を目にしたのだろう。


 机の上に目をやる。

 乱雑に広げられた週刊誌には、でかでかと「スイ似非科学大臣」と煽動的な見出しが鎮座していた。

 記事の内容としては、ムロ・アラタ教授が私の科学的な活動を「エセ科学」だと糾弾する内容。

 一応世界的に有名な教授らしく、証拠として小難しい数式をこねくり回して机上のデータを載せている。

 ――けど、みんな信じちゃうんだろうなぁ。

 結局、権威のある人物が発言すれば、みんなそれを信じてしまう。


「今度、新型発電所の設置に向けた地域住民説明会が開かれるのだけれど、スイ先生も来て下さらないかしら」

「えっ、あそこに新型発電所が建設予定なんですか!?」

「ええ、そうよ…。どうしたの、そんな声を荒らげて……」

 新型発電所、元居た世界で言うところの原子力発電所だ。そろそろ実用化するという話は聞いていたが、まさかあそこに建設するなんて……。

「それは、断固として阻止しなければなりませんね」

「そうなの?そこら辺も含めて、スイ先生に相談したくて。ただ……」

「ただ?」

「その説明会に、政府のお偉いさんが来るみたいなの。その……『科学技術審議会』のトップも」

 科学技術審議会、この国の科学に関する戦略について提言する、内閣府直属の諮問しもん機関だ。

 そしてそこの現在のトップは――、世界的権威でもあるムロアラタ教授。

「なるほど……それで。分かりました、私も出席します」

「本当!?大丈夫?」

「ええ、もちろん。そのために、私は居るんですから」

 あのまちを、この世界を、守るために私は議会へ進出したんだから。

 週刊誌の記事一つで、くよくよしてちゃダメだ。

 否定してくる連中が出てくる。それはある一定以上の立場になれば、仕方のないこと。

 そんなんで、やるべきことをやらなくなっていては、大臣失格である。

 電話を切ると、ビシッと自らの頬を叩いた。



 そして一ヶ月後、私は「新型発電所建設に係る地域住民説明会」に参加していた。

 大臣という政府側の人間が、住民側として出席したことは、マスコミを含めた人々の注目を大きく集めたが、売名が目的ではないのだからそんなことはどうでも良かった。

 目的はただ一つ。このまちを、守る。

「――以上で説明は終わりですが、何かご質問はございますか」

 戦いが、始まった。

「廃棄物に関して、『直ちに問題はない』という話でしたが」

「はい、先ほど資料でもお示しした通り……」

「99%大丈夫ということですよね、それじゃあ残りの1%は」

「それは、誤差と言いますか、統計学上のゆらぎでして」

「1%って、百人居たら一人ですよ?99.9%でも千人中一人。一人の命を、あなたは『統計学上仕方ない』で済ませるんですか!?」

「ですから、バックグラウンドとして自然に落ちうる命もある訳で、それを統計上区別することができないために……」

 また言葉遊び、こういう政治家にはもうウンザリだ。

「ハッキリさせてください。100%大丈夫なんですか?」

「科学的に、100%大丈夫だとは断言できません。しかし……」

 これだ。言質を取った。

「住民の皆さん!聞きましたか!?100%大丈夫とは言えないものを、危険が残るものを、このまちに作ろうとしているのですよ!?」

 集まった住民たちがざわつく。

 勝敗は決した。

 建設反対の意見を述べる住民が後を絶たず、予定時間を超過し逃げるように政府側の人間は撤退。説明会は幕を閉じた。

 そう、我々の勝利。このまちは守られたのである。



 ――数字は正直だ。

 数字がそう言っているのだから、百か否かで議論すべきである。

 統計がどうだとか、数字の解釈だとか、そんなのはまやかしだ。惑わされてはいけない。

 そんな中、私の信じる正しい科学が勝利した。

 この事実は、大臣としての私の背中を、強く押してくれた。



 そしてその半年後、懸念していた事件が起こる。

 感染症の予防接種の研究で、重篤な副作用により死者が出てしまったのだ。

 ――だから、100%安全でないと、ダメなんだ。1%の命を無視して、良い訳がない。

 この事業を推進していた総理は責任を取って辞任。同じくその諮問機関たる審議会も、解散となった。

 そして政府内でただ一人、「1%の危険」を主張していた大臣に、次期首相の白羽の矢が立ったのである。

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