第167話 変わっていけ! 安定志向!

「バカ者がああああああああッ!」


 その時、のどを自ら引き裂くような絶叫が、決戦の場を二つに割って入ってきた。


「バカ者、バカ者、バカ者が!!」


 声をかすれさせながら何度も何度も叫び、肩を怒らせながら、くずおれた〈アークエネミー〉に歩み寄ったのはマユラだった。


「汝……は……」


 その姿を見て、〈アークエネミー〉の石柱のような歯の隙間から漏れていた怪光が、音もなく霧散していく。


「ここで死ぬつもりか〈アークエネミー〉! それでは我らは何も変わらないぞ。何も変われないぞ!」


 少女の目には涙が浮いていた。


「汝は魔王ではない。私が聞き入れる言葉など持たない」


〈アークエネミー〉は再び、そんな少女を拒絶する。しかし、彼女はもう二度と退かなかった。


「ああそうだ! 我は魔王ではない! 魔王の殻でもない! よく聞け〈アークエネミー〉! 我はッ――!」


 全身を震わせて叫んだ。 


「我はマユラ、魔王の先をゆく者だ!」

「――――!」


〈アークエネミー〉の巨体が確かに、揺さぶられた。


「見よ、この小さくか弱い体を! 脆弱な精神を! 誰かの助けなしには生きてゆけぬ、哀れな姿を! しかし生きている! 命だ! 命を持っている!」

「命――」

「そうだ〈アークエネミー〉。命だ! 我と共に来い。そして命を得よ! 命を得て、変わっていけ! 戦うことしかできなかった殻を破り、真の己を見出すのだ! だからこんなところで死ぬな! 我と共に生きろおおおおおおお!!!」


 聞く者の魂まで揺さぶるような絶叫の余韻は、少女のしゃくり上げる音の中にゆっくりと消えていった。

 誰も動かない。

 この場でもっとも弱いはずの少女の言葉に、全員が心を震わされていた。


 その中で最初に動きだしたのは、巨大な悪魔の手。


「マユラ――」


 慌てて飛び出そうとしたグリフォンリースを、俺は引き留める。

〈アークエネミー〉には、もはや何の獰猛さも感じなかった。彼は目の前にいるマユラに、花にふれるような優しさで、そっと手を近づけた。


 語りかけるように、言う。


「影なる私のうつし身よ。何と、美しくなった……」

「〈アークエネミー〉……」


 マユラの方からその手にふれる。


「温かい。命か。それが、汝を変えていったものか」

「おまえもこうなるのだ。〝黄金の律〟との戦いをやめ、我らは命を得る。生きるために考え、生きるために変わっていくのだ。それはとても楽しいことだぞ。毎日が輝くようなのだ。我が保証する」

「そうか――」


〈アークエネミー〉が身を起こした。

 体中にあった傷は、猛烈な速度で修復されていっている。

 戦う力は、すでに取り戻されていた。

 だが、その悪魔は。


「〈導きの人〉よ。私の負けだ。汝の言うとおりにしよう」


 こうべを垂れるように、穏やかに、そして恭しく告げたのだった。


「その言葉を待ってた。今この瞬間から、おまえは俺たちの仲間だ」


〈アークエネミー〉が仲間に加わった!


 この瞬間をもって、すべての準備は整った。

 レベルは最大。仲間は最強。装備は最良。バグも最凶だ。

 ならば時を置かずして、最終決戦に入る!


 しかし、その前に入念な作戦会議が必要である。

 俺たちは、何となく玉座のある場所を中心として集まった。


「ダインスレーニャには大まかなことを話したが、肝心の核心部分についてはまだ伝えていない。それは、こいつが知られたら女神が助走をつけて俺をぶん殴りに来る可能性があるからだ」


 俺は仲間たちを見渡しながら言う。


「世界を平和にする分には、女神様も怒らないんじゃないでしょうか?」


 グリフォンリースがたずねてくる。


「最終的にはな。ただ、その過程においてブチ切れることが予想される」

「私を仲間に加えることか?」


 と、〈アークエネミー〉。彼は手のひらの上に大事そうにマユラを載せて話を聞いていた。


「それについては、まだ真意不明として様子見されているはずだ。現状がそうだ。しかし、これからそのけしからん作戦の全容について話す。もし女神の妨害があった場合、俺は前置きなしで作戦を実行に移す。以降は、俺の指示に従ってほしい」

「や、やめてくださいよう。この中で一番逃げられないの誰だと思ってるんですかあ?」


 神妙にうなずく一同の中、あぐらをかいた俺の膝の上にいるパニシードだけが未練がましく反論してきたが、無視して俺は論じ始める。

 女神も内容が気になるだろう。多分、まだ邪魔はしてこないはず……。


「〝黄金の律〟に魔王たちの存在を認めさせる、ということについては、以前話した通りで変更はない。ここで説明するのはその具体的なアクションだ」


 みなが食い入るように俺を見つめる。


「超回復ってのを知ってるか?」


 こちらの問いかけに、みな首を横に振る。まあ地球の言葉だ。知らなくても無理はない。


「訓練とかで体を鍛えた場合、筋肉はダメージを受ける。で、それが回復していく過程で訓練前よりも少し強くなる。これが超回復。鍛えると強くなる内部的な仕組みだ」

「???」


 この中で一番肉体派のグリフォンリースでも、よくわかっていないようだった。まあ、彼女はスポーツ理論なんてそっちのけの根性論なので、詳しく説明しても、「休息など不要であります!」と反発してきそうだが。


「知っての通り〝黄金の律〟には修復機能がある。しかも、この超回復のように、前より強い形で戻ってくる。これは確定的だ」


 ここまでは〝黄金の律〟に魔王たちへの耐性がついてきているという話のおさらい。

 ここからが本題だ。


「よって、俺は〝黄金の律〟にかつてないほどの強い負荷をかけ、魔王たちの存在がもはや脅威にならないくらいまで一気に強化させようと考えている」

「そんなことが可能なのか?」


 マユラがすかさず聞いてくる。


「わからん。完全に俺の仮説だ。ただ、鍛錬においては、強い負荷を一気にかけることで、短時間でも大きな成果が得られるということになってる。〝黄金の律〟にこの説が通用するかは確約できないが、可能性としてはあると思う」

「……確かに、窮地に陥った者は、はるかに強くなって戻ってくるであります。肉体的にも精神的にも」


《理屈じゃないけど》《感覚ではわかる》《だらだらやるより》《集中した方が勉強も身につく》


 グリフォンリースとキーニも、完全に飲み込めてはいないようだが、肯定するようにうなずいてくれた。


「いいだろう。仮定の上に仮定を重ねた不安定なものだが、今まで誰も発想すらしなかったことゆえ、それは当然だ。私は是非は問わない。問題は――」

「そう。その大きな負荷をどう手に入れるかだ」


〈アークエネミー〉の言葉尻を先取りして、俺はうなずいた。


〈アークエネミー〉は、〝黄金の律〟にとって〈源天の騎士〉の状態よりも大きな負荷になるかもしれない。しかし、こいつは〈ガラスの民〉の時代にも現れており、さらにそこから不条理世界の突入まで成し遂げている。

 すでに一度体験したダメージ。かつてないほどの負荷にはほど遠い。


「考えがあるというのか?」


〈アークエネミー〉が疑わしげに聞いてくる。そりゃあ、この世界最大の歪みそのものであるこいつからしたら、自分以上のそれがあるのは信じられないのも無理はない。

 しかし。


「もちろん、ある」


 俺は当然、肯定する。

 またみんなを見回し、言う。


「みんなは、この世界に魔王は一人だけだと思っているだろうが――実はもっといる」

『!!!???』


 たまげた、という言葉がピッタリなみんなの反応に、思わずほくそ笑んでしまう。


「ど、どういうことだ? ディゼス・アトラは我の中にいるだけではないのか? これは、魔王のひとかけらにすぎないとか、それとも別の魔王が存在するということなのか?」


 まるで『ジャイサガ』の続編をほのめかすような鋭いマユラの指摘だが、惜しい。


「魔王はディゼス・アトラだけだ。だが、一人じゃない」

『???』


 俺の不親切な物言いに、みんな困惑するばかりだ。

 そろそろもったいぶるのはやめよう。


「俺が魔王そのものを増やす。それも一人や二人ではない。三人だ!」

『なっ……!?』


 唖然とする仲間たち。その表情には、これまでの人生で一番の不可能を聞いたと書かれている。そりゃそうだ。こんな絵空事、ウソにもならない。

 しかしそれをどうにかできるのだ。そう、バグならね。


 さて、そのバグについてだが……。


 マユラを今の姿にした元凶〈グラフィックチェンジバグ〉は、今回は使えない。

〈グラフィックチェンジバグ〉の場合、何か適当なものを魔王の前身にしなければいけない。その生け贄が可哀想――とかではなく、そいつが魔王の核になった場合、いかに見てくれが魔王でも、中身に若干の違いが現れる可能性がある。マユラや三姉妹がグラの元になった少女の性格に引っ張られたように。


 そうなると、〝黄金の律〟に期待通りの負荷をかけてくれるかが不安なのだ。

 だから、増えた魔王は正真正銘の本物でなければならない。

 それを叶えるためのバグは、アレがもっともふさわしい。


「魔王三体、〈アークエネミー〉、そしてマユラで〝黄金の律〟に最強の負荷をかける。みんな、決戦の準備はいいか?」


 俺は仲間を見据えた。迷う者はいなかった。

 そのとき、聞き覚えのある異音が耳に届く。


 ジッ、ジジッ、ジジジ……!

 放電のようなノイズ音。

 やはり来たか……。ちゃんと服は着てるだろうな!?


 正負の頂点が集う。

 世界の形を占う決戦のバトルフィールドに、これほど相応しい展開はない。

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