第161話 少年の主張!? 安定志向!?
「小太郎、電話よ。女の子から!」
若干興奮気味のカーチャンに呼ばれ、久々に握る家電の大きな受話器を耳に当てると、聞こえてきたのは葉山さんの声だった。
「あっ、小山君? 葉山です。ごめんね。ケータイの電話番号知らなかったから、家の方にかけちゃったんだけど……」
むしろ我が家の電話番号をゲットする方がハードル高そうな気がするのだが、学校側が作っていると噂の緊急連絡網でも手に入れたんだろうか。この個人情報保護のご時世に。
いや、それよりも――
「どうしたの葉山さん。そんなに慌てて」
俺が葉山さんの家から帰ってきたのは、ほんの数十分前。
弟の智樹と一狩り出かけるともう日が暮れていた。だから、軽いコミュニケーションは取れたと葉山さんに報告し、続きは明日ということにしたのだが……。
「弟が……智樹がね……」
よほど慌てているのか、葉山さんはつっかえつっかえ言った。
「わたしにね、返事してくれたの。今日のこと〝どうだった?〟って聞いたら、〝別に。なんか変な人だった〟って……!」
声には喜びが溢れていた。聞いている人が素直に、
「そっか。よかったね」
と言えてしまうくらいに。
「うん……! あ、ご、ごめんね。小山君が変な人だなんて。わ、悪い意味じゃないはずだから、多分……」
「いい意味で変な人ね。俺も前からそうじゃないかと思ってた」
俺と葉山さんの笑い声が重なった。
「あ、それで智樹が、明日、朝から小山君が来るから家の鍵開けといてって言ってるんだけど……本当なの?」
葉山さんの声に戸惑ったような響きが混じる。
「ああ、本当。朝から行くことになってる。今日は狩りが一回で終わっちゃったから、明日はがっつりやるつもりだよ」
「でも……。それって、小山君が学校に来れないってことになっちゃうよ……?」
「今さら今さら」
俺は軽く笑い飛ばした。
「一応課題も持っていくから、やれる時間があったらやるよ」
息を呑むような沈黙が返ってきた。再び聞こえた彼女の声はか細かった。
「…………。小山君、わたし、どうしたらいいかな……。わたしの家のことで、小山君にすごく迷惑かけようとしてる。本当はこんなこと頼むべきじゃないって、わかってる。親とか先生とか、大人の人たちに任せるべきだって。でも……小山君に助けてほしい……」
「ああ。それでいいと思う。大人とか子供とか、そういう区別はいいんだよ。やれそうなヤツがやればいいんだ。そもそも、自分で約束したことだしね。それを守らないのは据わりが悪い」
「……ありがとう。わたしも明日、学校休むから」
「え、それはちょっと」
「どうして? 小山君が学校休んでまで来てくれるのに、わたしだけ行くのはおかしいよ」
葉山さんはちょっとムッとした口調になった。
「まあまあ。そう焦らないで。今はまだそういうタイミングじゃないってだけ。そのうち頼むかもしれないから、今は俺と智樹だけにしてほしい。男同士さ、わかりあわないと」
「……わかった。邪魔になっちゃったらイヤだしね。でも、学校終わったらすぐ帰ってくるから。それならいい?」
「うん。よろしく」
俺たちはケータイの番号を交換して、通話を終えた。
葉山さんの電話番号をゲットしてしまった。LINEですらなく、直通の番号だ。
単なるクラスメイトなら羽が生えたように喜ぶ場面なんだろう。
今朝、起きたときは、こんな展開になるなんて思ってもいなかった。
でも、不思議なくらい何とかなってる。
だんだん、それが心地よくなってきた。
※
翌日、俺は朝からしれっと通学コースをはずれ、葉山さんちに遊びに行った。
登校復帰二日目にして堂々のサボタージュ。しかし胸にあるのは罪悪感ではなく、ワクワク感である。
「お、おはよう……」
葉山さんは何やらしゃちほこばった様子で俺を出迎えた。
「何で緊張してんの?」
「……わかんない。考えてみたら、クラスの男子がうちに遊びにくるのって初めてだったの」
「そういえば、俺も女子の家に行ったのは昨日が初めてだったな」
遊びに行ったわけではないので、うれしはずかしもヘッタクレもなかったけど。
登校時間が迫っていたので、短い連絡事項を交わしただけで、葉山さんは出ていった。
さーて、狩りのジカンダ!
モンスターどもめ。よくも今までさんざんぼっちの俺をいたぶってくれたな。ポータブル系は仲間がいればヌルゲーだからよ、バランス的によお!
「おはよ」
「おはよう……ございます」
唯一閉じた扉からは、昨日とは違って、最初から声があった。
やや元気のなさを装ってはいるが、部屋に不健康な気配はない。
変人が扉の前でモンスターにボコられているので、ほんの少しだけ戸を開けて助けてやった。そのわずかな一動作が、急速に彼を覆った氷を溶かしていっている。
凝り固まった心というやつは、ほんのわずかな緩みで、存外すんなりときほぐれたりするのだ。
しかし、その進展について、俺からあれこれ指摘する必要はない。俺はただ、クラスメイトの弟と遊びに来ているだけなんだから。
「さあ早速始めよう。まずはD級で通用する装備を作らないと、ぼろ雑巾から卒業できない。デュオトカゲスのクエいいか?」
「いいけど……」
「あと、あまってたらハチミツくれない?」
「ゆうたやめろ」
コミュ力の高さをうかがわせる、素早い返しだった。
学校をサボってやるゲームは、引きこもってやるゲームとはまた別の趣がある。受験勉強中に漫画を読む、テーブルに並ぶ前の料理をつまみ食いする、人間、何かしらの制限下でそれを破る状況の方が燃えるのだ。めんどくせえ遺伝子を持った生物である。
智樹のおかげで、クエストは拍子抜けするほどひょいひょい進んだ。
ズルしてるわけでもないのに、大したもんだ。
俺ときたら、いつもいつも#$%&頼みで~=|{}*+迷惑――。
またか。
昨日からずっと続く、謎の混濁。
何かと今を重ね合わせてる。
そうなると、決まって何かに追われているような気になる。
待てよ。
思い当たる節が。
「…………!」
ああっ、課題か。クソッ。ありゃあすぐには終わらないだろうなあ。
「ねえ」
ふと、智樹が話しかけてきた。彼からというのは、そういえばこれが初めてだ。
「何だ?」
「俺、学校行った方がいいのかな」
声は、いくぶんかすれていた。
俺はすぐに答えた。
「どっちでもいいよ。イヤなこととか、できないことから逃げるのは悪いことじゃない。危ないことから逃げるのなら、むしろ正しい判断だ。世間じゃ、他のヤツに置いてかれるとか、成長できないとかお決まりのことを言うけど、実際はただの回り道みたいなもんだ。あとからいくらでも取り返しがつく」
「…………」
不思議な言葉だった。まるで物事から逃げるヤツの言い訳のようなのに、俺は絶対的な確信を持っていた。何と反論されても、言い返せる気がした。根拠は……根拠は――?
けれど一番不思議だったのは、次に口から出た言葉。
「でも、好きなことからは逃げるな」
その一言。
「え……」
「好きなこととか、大事に思ってることから逃げると、なんて言うか……足が止まるんだよ。次にどっちに進めばいいのか、わかんなくなる。それはやめた方がいい」
自分の中でいつこんな言葉が生まれたのか、俺は知らない。
学校から逃げて、人間関係から逃げて、自室一人でだらだら過ごしていたはずなのに、何がこんな言葉を作ったんだろう。
「……まあ、できるだけ、な」
押しつけがましく言い過ぎたと反省し、俺は苦笑を添えた。
ゲーム画面の中で、智樹のキャラはぴくりとも動かずにいた。しかし――
「サッカー部、だったんだ。俺」
扉の奥の少年がぽつりと言った。
「そっか」
「小さい頃からサッカー好きで、部活でも三年の先輩以外には負けたことなかった」
「やるなあ」
智樹はクスリと笑って、小さく「ありがと」と言ってきた。
「だけど、二年の先輩が変に絡んできてさ。ボール磨きとか、練習の準備とか、ホントは一年全員でやるのに、俺だけにやらせてきたんだ」
「嫉妬だな、間違いなく。みっともない」
「知らないけど……」
一緒になって悪口を言ってこないあたり、智樹もお姉さんと同じく人ができているらしい。彼の不登校を放置しているのは両親のミスかもしれないが、やはりこういう人格の基礎部分は家庭教育の賜物だ。偉い。
「休み時間もちょっかいかけてくるし、そのうち一年の何人かも調子に乗って似たようなことしてくるようになったし……。すげーイヤな気分になってさ。腹痛いってウソ言って学校サボったら、すごく楽になったんだ。それからずるずる休んじゃって、でも……」
「それだけ好きなら、やめたくないよな。サッカー」
「うん……。大会も出たいし……」
智樹は消え入りそうな声で言った。
「なら、学校復帰も手だな」
俺はそっけなく返した。智樹からの相づちは、何かに詰まるように、来なかった。
「でも、まあ、そう慌てることはないさ。まずは、学校環境よくしとかないとな。とりあえずその陰湿な連中のことを学校に連絡しておく」
「そんなことしたら、よけいひどくなるよ……」
「わかってる。だから表立ってはやらない。教師側には主犯格を密告した上で、復帰した智樹の様子を見るっていうていで、周辺を見張っといてもらう。犯人糾弾なんてせず、こっちが穏便な決着を求めてるって言えば、学校側はヨダレ垂らして飛びついてくるはずだ。なあに、こっちには一度不登校になったって実績がある。学校側は次ヘマると後がないから、神経質にやってくれんだろ。智樹も、次の不登校はストライキだ、ってつもりでいれば気が楽になるぞ」
「えぇ……マジかよ。それに不登校の実績って……。誇れるようなことじゃないだろ」
「それも一つの経験値だ。あるものはどんどん使っていこう。こっちは遊びじゃないんだ」
「わっる……」
智樹は苦笑じみた笑いを返してきた。
「でも、いいな。それ」
※
葉山さんの気配に気づいたのは、狩りを再開してしばらくたってからだった。
ふと振り向くと、トレイにお菓子と二人分のジュースを載せた彼女が、足音を忍ばせたまま階段を上りきったところで、嬉しそうな笑顔と一緒に、挨拶するみたいに肩を小さく持ち上げてきた。
俺と智樹がうまく会話できていることを、すでに階下で聞いていたのだろう。
さっきの再登校の話が終わってから、俺たちのコミュニケーションはより円滑になっていた。もう、平素と大差ないんじゃないかってくらい。
変に自分が割り込んで今の空気を壊したくないと思ったのか、葉山さんは俺にトレイを渡すと、そのまま退場しようとする。
そのとき、二つの悪いことが起きた。
ぎしっ、と床が軋んだ。
「あ」
それに対し、葉山さんが思わず声を上げてしまった。
閉じたままの扉が一瞬、ピタリと押し黙り――。
声が弾けた。
「姉ちゃんか!? 小太郎先輩にちょっと言ってくれよ! 課題は自分でやれって!」
泣き言のような、あるいは愚痴のような、そんな智樹の叫びが、葉山さんの肩をビクリと跳ね上げさせた。
「何だよ。ちょっとググってくれって言ってるだけだろ。スマホの電池切れてるから検索できないんだよ」
「教科書見ろよ! 自分で調べるから身につくんだろ? だいたい高校生が中一に答え聞いてどうすんだよ!」
「モンハンで頭がいっぱいだったから、教科書持ってくるの忘れたわ」
「もう家帰ってやれよ!」
智樹が容赦なく叫ぶ。俺は抵抗する。
「……そうだね――っ」
のどに絡むような声が聞こえて、俺は床に広げた課題から、葉山さんの方へ目を移した。
「課題は自力でやんなきゃだね、小山君……!」
葉山さんが、制服の袖で目元を擦りながら笑っていた。
心からの安堵が、全身からにじみ出ていた。
今までろくに口もきけなかった家族と、智樹は普通に話をした。
それが、つい、でもできたのなら。その一歩が前に出たのなら。
もう大丈夫。きっと大丈夫。
「わかった。課題は自力でやることにする。そういうわけで今は狩りの続きを――」
がちゃり、と、何の前触れもなく、智樹の部屋のドアが開いた。
中から出てきたのは、全国平均にやや劣る俺と同じくらいの背格好の――しかし中一でそれなら将来は有望だろう――、ちょっとふて腐れたような表情の少年。なかなかのハンサム顔だ。
「な、何で泣いてんだよ」
赤い目をしたまま呆然とする葉山さんにぎょっとなった彼は、ぷいと顔を背け、
「ちょっとトイレ。朝から一度も行ってないし。それに腹減ったから、何か下から持ってくる。――二人とも、部屋入って待っててよ」
そう言って扉を開けたまま、照れ隠しみたいに足早にトイレに行ってしまった。
トイレの扉が閉まる音に、葉山さんが我に返った。
「わ、わたしが何か用意するから! 智樹は小山君とゲームしてて!」
俺に一瞥すると、弾かれるように階段を駆け下りていく。
昨日、廊下に立ちこめていた重苦しい空気は、開いた部屋の扉からどこかへ抜けていってしまったようだ。
こういうこともあるんだ。人の心ってやつは。砕けるのをぎりぎりまでこらえることがあるように、その反対に、ぎりぎりまで元に戻れないこともある。
その一線を無事に超えられた智樹は家族との関係を修復し、もう以前と同じように誰とでも会話ができるだろう。俺があれこれ世話を焼く必要もなく急速に回復し、学校への復帰もきっとすぐのはずだ。この家は、何事もなかったかのように、平和だった頃に戻れる。
頼まれた役目は、完了ということにしていいだろう。
何とかなった。何とかできた。
でも、まあ、これで、学年一の美少女との関係フィーバーも終了かな。
少し残念なようで、大して残念でもない気がする。元々俺たちはアンバランスだった。
これでいいんだろう。きっと。
ひとまず、一仕事終えたため息をつき――
課題プリントの空欄に適当な答えを書き込んで、鞄に押し込んだ。
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