第162話 彼方より? 安定志向!?

「大山、3DDSと『モンハンD』貸してくれない?」

「は? 何だよ朝からいきなり……。ていうか昨日はどうして休んだんだよ。なんか、授業で出欠取るときに、葉山さんが異様におまえのこと擁護してたんだけど……」


 葉山さんはそんなことをしてたのか、と思いつつも、「それはいいとして貸してくれ」と無辜な大山に再度要求を向ける。


 朝。ホームルーム前の教室は、平和な無秩序の状態にある。

 俺は少し早めに登校し、大山が来るのを待ちかまえていて、今キャッチした。


「いやだよ。まだやってるしさ」


 大山は鞄の中身を机に押し込みながら拒んだ。


「ハマリのピークは過ぎたって言ってただろ?」


 図々しい物言いに、大山が「余計なこと言ったわ」みたいな顔になる。


 俺の行為は、いわゆるマナー違反である。

 いかに理屈があっても、ゲームソフトはまだしも、ゲーム機の貸与はハードルが高い。しかも、相手は一日会っただけの元ひきこもりだ。

 相手の善意に付け込んだ越権行為と言っても過言ではない。


 ただし……相手が俺ならば、だ。


「ごめんね大山君、明日だけでいいから、貸してくれないかな……?」


 俺の陰から顔を出し、両手を合わせて拝んできた葉山さんに、彼の表情は一変した。


「へっ……? 葉山さん? 何で?」


 混乱する大山に説明する。


「実は明日の祝日に、俺と葉山さんの弟が狩猟大会をすることになってな。葉山さんも急遽参加することになったんだ。けど、葉山さんの分のゲーム機がないんだ」

「……!? 葉山さんが使うのか? 俺の3DDSを……!?」

「うん。無理なお願いしてごめんね。わたしの友達はそのモンハンっていうの持ってなくて……。でも、どうしても弟と一緒にやりたいの」

「は、はうあっ……」


 大山は光の速さで鞄に手を突っ込むと、3DDSを眼鏡拭きでピッカピカに磨き、寿司屋の大将のようななめらかな動作で差し出してきた。


「セーブデータは大山の使っていいか?」

「煮るなり焼くなりコロ助ナリ好きにしてくれ」


 ゲームデータよりも女子を優先する大山には、いずれ異端審問官かモテ期のどちらかがやって来るだろう。願わくば、幸多い方であらんことを。


「ありがとう、大山君。大事に使うね」


 にっこり笑った葉山さんに、大山の顔が煮溶けていくのが見えた。


 俺と葉山さんの突発的な交遊には、ちょっとした延長戦があった。


 昨日、智樹の部屋でゲームを再開したときに、葉山さんが、俺たちがやっているゲームに興味を示したのだ。俺の分を貸そうとしたら、智樹と一緒にやっていてほしかったらしく、断られてしまった。


 しかし、知らないゲームに興味を持つというのは非常にいいことだ。葉山さんの好奇心の火を消してはならないと考えた俺は、誰かのを借りて、みんなでゲームをしようと画策。そして大山がターゲッティングされた。まあ、こいつなら清潔感あるオタクだし、ゲーム機も綺麗に使ってるだろうと見積もったのだが、正解。


 こうして、明日への準備は整った。

 すでに、智樹の中学への連絡は済ませている。三人でのモンハン大会が終われば、俺もお役御免だろう。

 後は流れですべて解決する。

 引きこもりの先輩としては破格の仕事ぶりだった。よな?


 ※


「小山君、ちょっといいかな」


 昼休みになって、また葉山さんに廊下につれ出される。

 昨日、俺が学校を休んだことに対し、彼女は教師に対してかなり強硬な行動に出ていたそうで、クラスに渦巻く当惑の空気は、今日もまた非常に濃い。


 しかしそれも、俺たちの関係が終わればすぐに過去のことになるだろう。

 安定しているのはいいことだ。とても。


 一昨日と同じ、ひとけのない階段踊り場に到着するや否や、葉山さんは深々と頭を下げた。


「まだちゃんとお礼を言ってなかったよね。小山君、本当にありがとう。弟を助けてくれて」


 そう言う彼女はまるで顔を上げる気配がない。俺は少し慌てて、


「大げさだな。智樹は元々そんなに深刻な状態じゃなかったんだ。ちょっと再スタートするタイミングを探してただけ。俺はそれをリラックスさせただけ。それに、俺なんかより葉山さんの方がずっと頑張ったよ」

「そんな。わたしは……何もできなかったよ」


 頭を下げたまま、彼女の声に寂しさが滲んだ。

 確かに、智樹と話をすることはできなかった。部屋の外に出すことはできなかった。客観的な成果で言えば、彼女は何もできていない。

 それでも――。


「でも、智樹のためにずっと悩んでただろ? いっぱい悩んで、苦しくて、つらかったよな?」


 葉山さんは虚をつかれたように顔を上げた。

 そんなことを言われるとは思ってもいなかった、驚愕。

 しかし。


「ち、違うよ。つらかったのは、わたしじゃなくて、智……」


 言おうとして、語尾がかすれた。

 唇が震え、綺麗な目から水滴がこぼれるまで、間はなかった。


「…………っ」


 よろけそうになった葉山さんに、咄嗟に両腕を伸ばす。しがみつくようにして掴まってきた彼女の重みが腕に加わった。


「つら……かったっ……」


 嗚咽に交じって、これまで抑え込んでいたものがこぼれ出ていく。


「苦しくて……怖かった。どうしたらいいかわからなくて、心配で、胸が苦しくて、それがいつ終わるのかわからなくて……」

「わかるよ。つらい時間だったよな。家族があんなことになってたら、つらい。自分のことじゃないのに心が揺れるのは、葉山さんがいい人だからだ。いい人はみんなそう」


「わたし、いい人なんかじゃない……。自分でわかっちゃった、から……」


 葉山さんは自嘲気味に言った。俺は薄く笑う。


「智樹のことが重すぎたんだろ? 智樹がこんなことにならなければ、自分まで苦しまずに済んだのにって、ちょっと考えちゃうよな」

「……っ!」


 俺の腕を掴む細い指が震えた。

 葉山さんは上擦った声を絞り出す。


「小山君には……わかっ……ちゃうんだ?」

「わかるよ。同じ人間だから。でも、それで自分を責めることなんかない。人って、何かに直面したとき、ようやく自分のことがわかるんだ。いい人にだって、すべての感情がある。それは隠してるんじゃなくて、見えてないだけ。葉山さんは俺のところに来た。元引きこもりってだけの得体の知れないヤツのところに、ワラにもすがる思いで。そっちが葉山さんの本質。弟を助けるために行動する、いい人ってこと」


 俺が一息に言い切ると、葉山さんは少し笑った。


「……小山君って、優しいね……」

「自分に優しいからな。他人にも優しいかもしれない」


「ねえ、小山君?」

「なに?」

「腕、もう少し借りていい……?」

「どうぞ」

「ありが――」


 言いかけた彼女の言葉は、のどの奥からせり上がった嗚咽に押しのけられて最後まで続かなかった。


 それから葉山さんは、堰を切ったように、声を上げて泣き続けた。

 泣き声を聞きつけて人が集まってきてしまったが、腕に顔を埋めている葉山さんは気づかなかったし、俺も動けなかった。


 泣きやませる必要なんてない。

 彼女は泣いているけど、それは安心したから。つらかったのを、乗り越えたから。弟をほんのちょっとだけ恨んでしまった自分を許せたから。


 だったら、感情の一滴まで絞り出してしまえばいい。全部過去にしてしまえばいい。

 それが唯一にして最良の選択。


 そして、彼女の泣き声を聞きながら、なぜか。

 俺は、ここにいてもいい、という不思議な気持ちになっていた。


 ※


 昼休みの大騒動の影響は全校に波及し、数々の噂や憶測を生んだ。


 引きこもり男子が学年一の美少女を振ったとか。

 実は生き別れの双子で、今日ようやく再会したとか。

 スキャンダラスな男女関係の末に新たな命が誕生したとか。


 まあ、あの状況じゃトンデモな噂が飛び交うのも無理はないな。

 結局、葉山さんは昼休みが終わっても泣きやまず、保健の先生が見守る形で残り、野次馬たちを解散させることになった。


 無理矢理にでも葉山さんを俺から引っぺがさなかったのは、彼女の号泣があまりにも激しかったからだろう。守らなくてはならないルールの多い大人たちにしては、柔軟で的確な判断だったと思う。


 その後、どうにか落ち着いた葉山さんは保健室に退避。俺は職員室に連行され、事情聴取を受けた。


「なに……? おまえが引きこもりを立ち直らせたのか?」


 事情を知った生活指導の教師の目には、便利な生徒を見つけた、と書かれていた。

 やめてくれ。こんな奇跡は二度と起こらねえ。


「死ぬほど恥ずかしいよ……」


 放課後、保健室から戻ってきた葉山さんは、彼女の帰りを待っていた女友達に心配させたことを詫び、一方で俺に対してはそんなことを言ってきた。


 まあ、噂のほぼ百パーセントが、男女間の何らかのトラブルということになっていては、根も葉もない立場としては、困惑するしかないだろう。


 しかしその表情には、くすんだ色の薄皮が剥がれ落ちた後のような、純粋な輝きがある。

 単なる顔の造作ではない。心の内側からのぼってきた光が、彼女を彩っていた。

 一昨日見たときも美人だと思ったが、本来はさらに上だったらしい。


 これは校内一位ある。


 傷ついていたのは、智樹だけじゃない。彼を助けられなかった葉山さんも、傷ついて苦しんでいたんだ。

 さっきの号泣で、それが元通りになった。

 これで本当に、何もかもが元通りだ。


 俺と葉山さんは、なぜか当然のように一緒に帰ることになり、クラスメイトからも納得した顔で送り出された。何が公認されたんだ、これは。


「今日は寄っていく?」


 下校中、まるで仲良しこよしの男女間のみで許される爆発すべきような質問を向けてくる葉山さん。俺は、


「今日は家に帰って真面目に課題やるよ。明日たっぷりお邪魔するから」

「……そっか。わからないところがあったら何でも教えるから、明日でも遠慮せず聞いてね」

「うん。お願いします」


 自転車で併走する俺たちに、ねっとりとした視線と囁きが周囲からからみつく。露骨に指を差してくるヤツさえいる。

 これは……完全に有名人になりましたね。


「悪いね。なんか、迷惑な噂に巻き込んじゃって」


 すると葉山さんは慌てて片手を振って、


「わ、わたしはいいよ。それより、小山君が悪い人になってるっぽい噂もあって……。ごめんね。本当は全然逆で、小山君がわたしを助けてくれたのに……」

「いいよ。気にしない。どうせみんなすぐ忘れる」

「そうだね。わたしも……それ以外についてはそんなに迷惑じゃないし……ゴニョゴニョ」

「…………」

「…………」

「どういう意味?」

「あっ!? き、聞こえてた?」


 俺、難聴系じゃなくて震え声系なんで。


「な、何でもないよ。わたしも気にしないってこと……っ!」

「怪しいな」

「怪しくないっ。納得しよっ。ねっ。納得!」


 葉山さんはまくし立てると、何やら真っ赤になって逆方向を向いてしまった。

 まあ、気にしないなら、それが一番だ。こういうのは誰かが悪ノリしない限り、俺たちが心配するよりもあっさりと霧散していく。事情を知っている学校側も、葉山さんちのプライバシーを保護しつつ、適当に諫めてくれるだろう。


 今後の学校生活に不安の影はない。きっと、ずっとうまくいく。

 いや、違う。うまくいかなくても、今の俺はそれが怖くないのだ。なぜか。


 なぜ?


 そろそろ、俺と葉山さんの帰宅路が分岐する位置に来る。


「ねえ、小山君」


 分岐点を視線の先に置きながら、葉山さんはおずおずと切り出してきた。


「小山君は、高校辞めたりしないよね?」

「はい?」


 突拍子もない質問に反応が遅れる。


「いきなり何の話? 学校を辞める?」

「ごめん……。あの、でも、智樹とも少し話してたんだけど、小山君、ちょっとわたしたちと違うと思って……。わ、悪い意味じゃなくてね!」

「俺が、違う? 変な人って話じゃなくて?」

「うん……。何だかすごく落ち着いてて……学校とか、部活とか、そういうのじゃなくて、もっと大きなものと向かい合ってるみたいな感じ」

「…………」


 何か……変だ。

 俺は普通の男子高校生で。

 彼女の言っていることは正しくないはずなのに。

 それを否定しようとすると、しっくりこない。

 これは、何だ?


「だから、卒業とかにも固執しないで、いきなり遠いどこかに行っちゃう気がして……」


 遠い……?

 そうだ。遠い……。とても……。とても遠い、どこだ?

 海外? いや、もっと遠くの……。


 だとしたらもう宇宙しかないぞ? アホかな?


「わたし、小山君と三年間、一緒に学校ですごしたいよ。大丈夫だよね? どこかに行ったりしないよね?」


 葉山さんは不安を押し殺すような、頼りない笑みを向けてきた。

 俺は。さすがに。


「うん。むしろ、俺だけ四年目に突入しないか心配」

「そ、そうならないよう、わたしが面倒見てあぎゅるから大丈夫!」


 …………。

 …………。

 葉山さんは時間差で真っ赤になった。


「すみません。噛みました」

「ドンマイ。ツイてなかっただけさ……」


 葉山さんと笑って別れると、俺は自宅へと自転車を飛ばして帰る。


 不思議な気持ちだった。

 色んなことが上手くいっている。

 俺と葉山さんの関係はこれからも続くのかもしれない。


 いきなり彼女の家にお邪魔してしまったので、棒高跳び級の大きなハードルはすでに背後。恵まれた環境から、あとは普通に姉弟共々仲良くなっていくだけの安定チャート。

 それだけで俺は、今まで持ったこともない、色々なものを得られる気がする。


「いやー、参ったな」


 部屋に戻った俺は、アホみたいにひとりごちて鞄を床に投げ出した。


「何か、びっくりするほど順調だ」


 学校に行き始めた日から、普通に考えれば波瀾万丈もいいところなのに、不思議とどうにかなってる。

 かつて感じていた不安や恐怖がない。


 ……いや、ない、わけじゃない。

 あるにはあるんだ。だけど、何というか、不安と戦うすべを知っている。

 今まで怖がって、嫌っていたものを、正面から見据える方法。


 どこで習った?

 どこで身につけた?


 わからない。何も。

 けれど、それのおかげで、きっとこれから楽しい毎日が送れる予感がする。

 予感というより、もはや確信――。


 …………。


 なのに。


 何かが引っかかる。何かが定着せずに、浮ついている。しっくり来ない。

 葉山さんの言うように、俺は他と違う人……? 違う? 異なる? 異……? ???


「うーむ。こりゃ、集中の兆しも見えないな。こんなんじゃ勉強なんて無理だ」


 落ち着かないのは、大方、明日の狩猟大会が楽しみで仕方ないんだろう。頼もしい仲間、可憐な同級生。きっと完璧なパーティーになるぞ。ダブルミーニングで。


 鞄から課題を取り出そうとした手を早々に引っ込め、俺は部屋を見回した。

 課題をやらないと決めたなら、気持ちを切り替えて有効な時間にしていこう。明日に向けてリラックスしておく必要がある。漫画、ゲーム、小説、楽しく時をすごすツールはいっぱいあった。


「んー。ゲームだな。たまには古いヤツでもやるか」


 テレビの前に座り、日焼けした、二世代は前のゲーム機を棚から引っ張り出す。極彩色の最新ゲームより、今は手あかですり切れた懐かしのゲームがやりたい。心が落ち着く。


 ソフト棚の奥を掘り返す。


「お、これは……」


 見つかったのは、小学生時代にのめり込んだ『ジャイアント・サーガ』というソフトだった。

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