第147話 地獄にもっとも近い島! 安定志向!

〈ファイアラグーン〉。

 大陸最北端から少しはみ出た位置にぽつんと浮かぶ、小さな島だ。


 ラグーンというと、何となく珊瑚礁でできた南海の絶景を思い浮かべてしまうが、ここはリゾートなどとは無縁の、ひたすらに荒涼としたこの世のあの世みたいな場所である。


 生息する動物はごくわずか、植物もまばらな島で、ただ大地だけは元気よく火柱を上げている。

 つまり火山島だ。


 大昔に火口から流れ出たマグマが周囲の海へと流れ込み、蜘蛛の足のように細長い陸地を形成した。海水を閉じこめるように伸びたそれらは、やがて湖を作りだす。

 それが〈ファイアラグーン〉という名前の由来である。


 以上、勉強好きなクーデリア皇女の豆知識より。


 ここに『ジャイサガ』フリークの俺の知識をたすと、〈巨人集落〉〈天魔試練〉に次ぐ武器取得イベント〈落冥〉の舞台であることが明記される。

 二度のテストに失敗し、いよいよ後がなくなった〈導きの人〉が、ワラにもすがる思いで訪れる場所だ。


 しくじればしくじるほど、得られる成果も小さくなっていく世知辛い社会の風潮にのっとり、〈落冥〉で手に入る武器もまた、他二つと比べると見劣り気味。

 が、『ジャイサガ』的には他二つよりもより重要な世界観を担う武器であり、このゲームを愛する者なら、たとえそこに眠るのがヒノキのスティック級のゴミであっても〈ファイアラグーン〉を訪れずにはいられないだろう。


「そんな場所に俺は来た……」

「いきなり何を言い出すんですか、あなた様……」


 襟元から顔だけを出しているパニシードに呆れられつつ、俺は〈ファイアラグーン〉の景色を見つめる。

 ゲームでは何度も訪れた場所が、今、現実のものとして広がっていた。

 思いはただ一つ。


 ……ひっでえとこだな、マジで!!


 クーデリア皇女曰く、地獄にもっとも近い島だそうで、その表現より的確なものを今現場に立つ俺ですらまるで思い浮かばない。


 母なる地球ではハワイとかも火山島らしいので、別にこの島に植物が生えていても全然問題ないのだが……見渡す限り不毛!


 島の中央から立ち上る白煙が空すら濁したか、上空は天を塞ぐような分厚い黒雲に覆われ、目線を足下に落とすと、同じ色の地面が雨上がりの砂場のような様相で広がっている。


 灰が積もったものなんだろうか? さわってみると、さらさらして案外心地よい。濡れたように黒ずんでいるのは元々の色のようだ。


 島はこの黒い砂と、冷えた溶岩が固まってできた奇岩の情景がすべてだった。


 舞台がもし南国のビーチならば、水着姿のグリフォンリースやキーニちゃんを拝めたのだろうが、もし安全な場所なら、他の仲間の水着も拝めたのだろうが、あわよくば、他のキャラの水着も拝めたのだろうが……いや、アワレなたらればを語るのはやめよう。そんなものはこの黒い地獄に必要ない。


「生暖かい風がちょっと気持ち悪いであります」


 グリフォンリースが俺の隣でつぶやきを落とした。


《同意》《しかも》《なんかくさい》《腐ったごんたまのにおい》


 キーニはお国言葉なのか、たまごをごんたまと言うことがある。どうでもいい謎。

 とにかく、俺たちのこの島に対する感想は、「やなところ」で一致していた。


「ま、とにかく行くか」

「あなた様、場所はわかってるんですか?」

「だいたいな」


 先頭に立ち、ざくざくと砂地を踏み歩いていく。


 バターナイフで均されたような地面に足跡をつけるのは、砂場に盛られたものすげー力作を破壊しているようで少し気が咎めた。

 が、俺が去れば再び自然がその痕跡を奪い去っていくだろう……とネイチャー番組のナレーションのようにつぶやき、開き直る。


「あっ。あの湖、湯気が立ってるであります」

「温泉かな」


 俺の何気ない返事に、グリフォンリースは首を傾げた。


「オンセンでありますか?」

「火山の熱で温まった地下水がわき出てるんだよ。ちょうどいい温度なら風呂に使えるが、死ぬほど熱いのもあるから、迂闊に近づかないようにな」

「はあいであります」


 …………。


 あれ、俺、今、温泉イベントのフラグ潰した?

 い、いや、この島にそんなイベントないし。動揺とかしてない。

 

《それにしても》《コタローは本当にやるのかな》《魔王の部下と手を組むの》《大丈夫なのかな》《騙されたりしないかな》《裏切られたら怖いな》《そもそも魔王倒さなくていいのかな》


 ななめ後方を歩くキーニのウインドウには、彼女の率直な意見が流れている。

 グリフォンリースも口には出さないが、同じような疑問を持っていることだろう。


 ダインスレーニャとの話の後で、みんなにはもう一度きっちり説明しておいた。

〝黄金の律〟のこと。それに相反するマユラたちのこと。俺が目指すべきもののこと。


 恐らく、ほとんどが理解できなかったと思う。

 魔王は世界を滅ぼす悪いヤツ。だから倒すべき――そのシンプルな位置づけに比べて、摂理だの何だのという話はややこしくて、何が悪者なのかも、何をすれば解決なのかもわからない。


 けれどもみんな、俺の意志に理解を示し、賛同してくれた。


 してくれたはずなんだけども。


 それでも、いざこんな地獄めいた場所まで来れば、疑念を抱き直してしまうのが人間というものだ。それはもうしょうがない。


 迷ったり悩んだりするのは、心の安定上ははなはだ迷惑な行為だが、そうして慎重になるからこそ、ミスも少なくなる。

 迷うは恥だが役に立つ、というわけだ。


 だから、俺にできることは、こっちに気を遣って口には出せない仲間の迷いを、逐一晴らしてやることなんだろう。


「これは単なる独り言で、誰かに言ってるわけじゃないんだが」


 我ながら馬鹿みたいな前置きをしつつ、言う。


「俺たちがこれからすることに、心配はいらない。一見、ちょっとややこしいことになってるが、最終的に目指す場所は今までの〈導きの人〉と同じ世界平和だ。道筋はもうできてる。たどり着いてみれば、これしかないってほどいい形になってるさ」


 グリフォンリースとキーニがきょとんとして顔を見合わせる。

 それから、二人して笑顔になった。


「自分のこれも独り言でありますが、コタロー殿を信じてついていくであります」


《これも独り言だけど》《コタローは優しい》《コタローはおおむねわたしに優しくしてくれる》《そんなコタローが大丈夫って言うのなら》《きっと、それが大丈夫な形なんだと思う》《信じる》《でももしまた不安になったら》《また同じこと言ってほしい》


 俺も笑い返す。よし。落ち着いたみたいで、よかった。


 足下の砂地は、次第に黒々とした岩場へと変わっていった。

 単なる岩石地帯じゃない。黒い砂と同様、ここもなかなか異様だ。その様子を一言で表すなら、一度完全に溶けて固まったアスファルト、である。


 表面は丸みを帯び、岩のくせにシワみたいなものすらある。どろどろに溶けた岩が、冷えて固まっていったという過程がよくわかる姿だった。


 そっとさわってみると、明らかに温かい。

 それが地熱なのか、あるいは、この岩の下でまだ冷え切っていない部分があるからなのかは、世間知らずな俺にはわからない。


 さらに進む。

 足の下にあった岩は、いつの間にか周囲を取り囲む壁のような高さにまで成長していた。

 まっすぐ歩ける場所を探すのも一苦労だ。


 しかし、目指すものが近いのを、俺はなんとなく予感していた。


 そして。


 俺は足を止め、目の前の闇に目をやった。

 洞窟の入り口だった。


 鋭利な牙のような縁を持つその入り口は、白骨化した怪物が開ける大きなアギトにも似ている。

 しかしその先に待つのは、巨大生物の胃袋なんて生き生きしたものじゃない。

 本物の地獄。


 これより、〈ファイアラグーン〉地下、〈冥道〉へと進入する。


 だが、その前に。

 俺たちの視線を集める存在がいた。


「本当に来るとは思わなかったよ」


 洞窟の前の岩場に、青みを帯びた灰色の鎧騎士が座り込んでいる。

 彼? が話しかけてきた。


 断定を避けたのは、その声がまるで子供のように高かったからだ。

 変声期前の少年のようにも、あるいは少年っぽい少女のようにも聞こえる。しかし、こんな場所にいる以上、この人物が単なるそれであることはありえない。


 グリフォンリースと同じくらいの小柄な身であるとはいえ、着込んだ鎧には、装飾というよりも生命すべてに対する敵意が意匠されているように思える。


 魔王の守護者〈源天の騎士〉。

 グリフォンリースたちが身構えるのも無理はない。

 事前の心構えがどうとか、そういう問題ではないのだ。

 こいつらには、生命と敵対する何かがある。

 言葉を知らない赤ん坊でさえ、こいつからは這って逃げようとするだろう。


 摂理に背く者たち。〝黄金の律〟の内側と外側の戦い。その当事者の一人。

〈乾きの水〉テュルフィ。


「〈閉ざされぬ闇〉が自分の名前を明かしてまで僕に提案してきた。君に乗れとね。〈導きの人〉コタロー、で間違いないね?」


 テュルフィは若々しい声とは裏腹に、老獪とも思える居住まいで語りかけてくる。


「間違いない。俺がコタローだ。お互い、人の言うことは素直に聞くタイプらしい」

「そうだったね。最初に、ここに僕の探し物があると教えてくれたのは君だった」


 苦笑ともとれるような空気を兜の中に吐き、テュルフィは糸に引かれるみたいにふわりと立ち上がった。

 天魔の兄ちゃんもこんな動きをしていたが、正直何度見てもキモいムーブだ。


「じゃ、行くか」


 俺は洞窟の入り口へ歩き出す。つまり、〈乾きの水〉へと向かって。


「ちょ、あなた様……」


 服の中のパニシードが小さく抗議の声を上げる。

 さっきまですぐ後ろを歩いていたグリフォンリースとキーニが、わずかに遅れる。


 わかってる。

 俺は、最悪の敵に向かって、無防備に歩いている。

 怖くないわけじゃない。


 テュルフィが俺をだまし討ちするつもりなら、ひとたまりもない。

『ジャイサガ』はレベル99でも余裕で死ねるゲーム。

 仲間を一切加入させない一人旅プレイでは、何千人という自分の分身が天国へと昇っていくのが当たり前。


 しかし、内心ビビっていようが、骨格的に腰が退けていようが、やるしかない。こっちが敵意を持っていたら、まとまる話もまとまらない。

 あえて背中を晒しつつ、このダンジョンを攻めるのだ。


 グリフォンリースとキーニが、少し早足に俺に追いついた。

 背中越しに、二人の覚悟が伝わってくる。


「待って、やめましょう……ねえ……」


 一人覚悟が決まらないヤツが俺の懐で囁いてくる。

 静かにせよ俺の弱い心よ!


 テュルフィの前を通過する。

 兜のスリットの奥に、ヤツの眼差しは見えない。

 そもそも、こいつらに中身があるのかすら、俺は知らない。

 しかし、じっとこちらを見つめている気がする。


「待て」


 テュルフィが小さく声を発した。


「何だ?」

「その手に持っているものを見せてくれないか」


 テュルフィは俺から見て左側にいる。そして、ヤツが指し示したのは、俺が体に隠すようにして握っていた右手。


 …………。仕方ないよな。

 俺は静かに右手を開き、テュルフィに差し出す。


「〈力の石〉だね」

「そうだ」


 ここで声が震えなかったことを、俺は一生誇っていいと思った。


 ヒーラーのいない俺のパーティーで、不動の回復役を務めるアイテム。いつでも使えるよう、右手に握り込んでいたのだ。

 これはつまり、テュルフィが奇襲してくるかもしれないことを、俺が懸念していた証拠だ。


 信頼か不信かでいえば、不信。


「フフッ……」


 テュルフィは小さな笑みをもらした。何となく、女の子みたいな笑い方だった。

 俺からは何も言えない。言葉を待ち、じっとヤツを見つめる。


「いや、失敬。君が聖人でなくてよかった」

「?」


 テュルフィの言葉の真意を掴みかねる。それがはっきり顔に出ていたのだろう。ティルフィは続けた。


「君が何の備えもなく僕の横を通過するようなら、僕は不安になっただろう。聖人ならきっとそうしていた。連中は自分の正しさを信じて、平然と危険に身を晒す。だが、それでは困る。この先、もし似たような場面がって君があっさり殺されたら、僕らはどうなる。ベットした分はすべてパアだ。それは面白くない」


 軽やかな仕草で手を振るテュルフィ。こいつは、他の〈源天の騎士〉に比べて、何というか、俗っぽい。人間味があるとでも言うべきか。


「僕らと手を組もうだなんて、よほどの聖人か、さもなければ莫迦でないと思いつかない。聖人は清すぎるから信用ならない。けれど、君はちゃんと自分の身を守っていた。奇襲するならまず〈導きの人〉から狙われる、との予測も立てて」

「……まあな」


 ワンパン即死が起こらないかどうかは賭けだったが……。


「よって君は聖人じゃない。しかし莫迦でもなかった。疑り深く、慎重で、適度に臆病な人物だ。そんな人物が、敵である僕らと手を組もうとする。そうする理由は一つしか考えられない。〝そうするしかないから〟だ」


 俺はうなずいた。


「本気なんだな。ダインスレーニャに言ったことを、本気でやるつもりなんだな」

「ああ」

「君は僕らを騙すつもりなんじゃないかと少し危惧していたけれど、どうやら違うらしい」


 テュルフィはそう言って、笑った。


「気に入った。特に、握っているのが〈力の石〉というのがいいね」

「え? 何で?」

「それは反撃するための道具じゃないからさ。騙すことと信頼させることは同じだけど、一つだけ違う点がある。本当のことがわかったとき、信頼は仲間を増やす」


 なぜか、鎧の中でこいつがニコッと笑った気がした。


「行こう。僕が先頭に立って案内する」

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