第148話 死神! 安定志向!

 テュルフィの背中は、鎧に覆われてはいてもひどく華奢だった。

 身長は俺より低く、肩幅は少年や少女のそれを思わせる。

 これまで対峙した〈源天の騎士〉がいずれも屈強だったことと比較すると、ことさらにか弱く見えた。


 その背中を、知らず視界の中心に置きながら、ふと思う。


 ゲームにおけるテュルフィは、何というか、ほとんど出番がない。

 中ボスでありながら驚異の台詞ゼロは、不遇でならしたうちのグリフォンリースとキーニに勝る扱いの悪さだろう。


 ドット絵になるとボスクラスはみんなでかくなるし、イベントでの台詞もないしで、正直会うまではどんなヤツなのかさっぱりわからなかったが……。


 こいつが女の子なのか、男の娘なのか、正解いかんによっては、再び『ジャイサガ』掲示板界隈は、その価値観を大きく揺さぶられることになるだろう!


 そんな騎士の後ろに続き、進む洞窟内はすぐに暗くなったが、明かりの必要はなかった。


 一定距離を進むたび、テュルフィが手をかざし、空中に水の玉を浮かせる。それが不思議な光を放ち、洞窟の内側を照らすのだ。


「水の屈折率をいじって、外から光を持ってきているんだよ」


 だそうだ。

 悪名高き魔王の騎士が使うにしては、あまりにも実用的というか、オシャレな魔法だった。


 これは俺の勘だが、恐らくティルフィはこんな光がなくとも洞窟の闇を見通せている。

 つまりこの明かりは、俺たちのためだけに用意してくれているのだ。

 テュルフィは、案外、ダインスレーニャよりも親しみやすい人物なのかもしれなかった。


 洞窟内は、外と同じように、溶けたアスファルトみたいな岩でできていた。しかも、外よりもさらに暖かい。


 こういう場所は、本来ヤバいガスとかが発生していて危険なのかもしれないが、ゲームでそういった描写がない以上、安全なのだろう。


 ひたすら前進する。

 中ボスが先頭にいるので、ザコモンスターとのエンカウントはまったく心配していない。

 ふと、前方を見てパニシードが叫んだ。


「あなた様、洞窟の奥が明るくなってます。何か潜んでいるんですよ帰りましょう!」

「落ち着け。あれはきっと――」


 ある一歩を境に、洞窟内の温度が一気に上昇していくのがわかった。

 もう「あったか~い」とかじゃない。「あつい!?」と表示されるレベル。

 洞窟を左に折れ曲がったとき、狭苦しかった視界が一気に広がった。


 大空洞だ。


「うわあ」


 誰かがそう言って、それきり黙る。黙るしかない。

 そこは炎の世界だった。 


 通り道のはるか下方で、燃える川が流れている。


 溶岩。


 どろどろに溶けた黒い岩が、赤い輝きを放ちながらのろのろと流動している。ごっぱごっぱと泡立って弾けた飛沫の一つでさえ、ふれれば大やけど間違いなしという、生命を拒絶するような、しかし息を呑むほど力強い光景だった。


 地獄にもっとも近い場所は、地下でもその呼び名を裏切らない。

 ただし、もう一段階、真の姿を隠している。


「見とれて落ちないでくれよ。僕は〈乾きの水だ〉。治癒魔法はできないからね」


 テュルフィが冗談っぽく言って、細い通路を歩き出す。


 通路とはいっても、観光地のように整備された道じゃない。いつ崩れ落ちても、どこにも苦情を出せそうにない細い岩場を、塀の上を歩くようにして進んでいるだけだ。


 しかもかなり入り組んでいる。初見では、一人で帰れる気がしない。

 ゲームの2Dと現実の3Dでは勝手が違うため、このダンジョンに慣れた俺でも、迂闊な道に入れば迷子になりそうだ。


「洞窟の外では、君の仲間になるようなことを言ったけれど」


 不意にテュルフィが話しかけてきた。


「僕を、そこにいる二人の人間と同じだとは思わないところから始めてほしい。あくまで、ここでの目的を達成するためだけの乾いた関係。実現できなければ、何の価値もない繋がりだ」

「それでいい。実現すれば、外見上は本物の信頼関係と同じだ」


 俺は気負いなく答えた。ここでするのは全然難しいことじゃない。ほんの小さなバグを起こして、それでおしまいだから。


「頼もしいな。この先にいる者のことを考えると」


 テュルフィは小さく笑う。


「〈実らぬ土〉の部下を通して君にこの場所を教えられたとき、僕は罠か嫌みだとしか思わなかった」

「どういうことだ?」

「僕にとって、世界で一番の忌み地だからさ」

「……そういえば、〈乾きの水〉は一応水属性だもんな。火のあるところは苦手か」

「いや、そうじゃない」


 洞窟内の温度がまた上がった気がする。溶岩の通り道が近くにあるのだろうか。


「僕は水であって水でない。〈源天の騎士〉はみな、それであってそれでないものだ」


 ややこしいな。けどまあ、こいつら自身が壮絶な矛盾の存在だから、そういうことなのだろう。


「水は命の象徴。だが僕は〝死〟の象徴だ」

「…………」


 何気なく言われた一言に、体の芯だけがヒヤリと冷えた。


「通常の死は流転だ。誰かの死が、誰かの生へと変ずる。しかし乾きはそれを阻害する。何ものも生まない完全なる死。循環の途絶。運命の断絶。繋いでいくものを断つ。それが僕」


 淡々と単語を重ねていくテュルフィに、感情はない。よいものであるとも、悪いものであるとも言ってはいない。ただ自分を表す言葉を、落ち着いた声音で伝えてくる。


 騎士は不意に立ち止まった。


「ここは世界の死が守られる場所。命が正しく流転する聖域。だから、僕とは特に相性が悪い。あれともね」


 火山洞窟の奥地に到達したのだ。

 壁に隠れるようにしながら、テュルフィはそっと奥に指先を向ける。

 テュルフィの立ち位置から前に出ないよう気を遣いつつ、そっと様子をうかがう。


 この洞窟の最奥。


 これまでの道のりからすると広々とした空間でありながら、奥行きはなく、すぐに壁につきあたる。と思いきや、その壁にはテトリスの棒待ちかと錯覚するほど綺麗な隙間が空いて、奥への通路となっていた。


 その壁の前に。


 …………いる!


 息を呑んで。

 吐き方を忘れた。


 この洞窟の奥に何がいるのか、当然俺は知っていた。

 そいつに会いに来たということも、もちろん理解していた。


 しかし。


 長く直視するのは、無理だった。

 そっと後退。後続のグリフォンリースとキーニにタッチ。

 怪訝そうな二人もそろそろと奥をのぞき込み、そっ退してくる。

 俺たちは無言で、その場にしゃがみ込んだ。


「厄介なんだよ。あれが」


 テュルフィがつぶやいた。


 奥にいるモノを一言で表すなら――死神だ。


 死神と聞いてどんなものをイメージするだろうか。

 フード付きローブを着込んだ骸骨が、大きな鎌を持っている姿というのが、つまらないが一般的ではないだろうか。


 …………。


 つまるよ。

 すっごくつまる。

 つまらないとか、ない。


 めちゃくちゃつまる。息も、言葉も。


 ゲームで見たら陳腐なデザインだと鼻で笑うとこだろう。

 しかし現実では、変な笑いすら浮かんでこない。顔面の筋肉が死後硬直を始めてしまったみたいに。


 奥に陣取った死神は、身長三メートルくらいはある巨体。

 両手で提げるように構えた大鎌も、同等の長さの刃を持つ凶悪なデザインだ。

 黒いローブは、布というよりは何層にもなった液体のようで、風もないのにぬらぬらと揺れ、しかも足は地に着いていない。完全に浮いている状態である。


 それが、溶岩の明かりに照らされ、周囲から赤く浮き出て見えている。

 アンデッドとは違う、死そのもの。生物が本能的に恐れる死という現象がそこにいるような、そんな感覚。


 見てはいけない、会ってはいけない、話してはいけない、捕まってはいけないと、命が俺に訴えかけている。


 逃げろ、と。


「僕が探すものは、あれの奥にある。さあ、どうするコタロー」

「…………す、少し待て」


 俺は心臓の上に手を置く。鼓動がわからないくらい、手のひらは凍えていた。


 これが地獄にもっとも近い場所の、本当の姿。

 死神の後ろには、比喩ではなく、現実の意味でのあの世の入口があるのだ。

 この世界で死んだ者の魂は、みな、あの死神の横を通って奥の〈冥道〉へと消えていく。

 地獄か、あるいは天国なのかもしれないが、ともかく、生者が近づいてよい場所ではない。


「コ、コタロー殿。あれは……」


《あれ》《やばい》《絶対に》《近づいちゃダメ》《ダメなやつ》《このままそっと帰るのがよい》《すみやかに》《撤収!》


「帰りましょう。帰るというまで、あなた様の服の中から出ません」


 仲間たちは完全に帰る気だ。


 だろうな。これは今までと違う。

 戦うとか、そういう次元のものじゃない。そもそも敵じゃない。

 病人が死に向かってナイフを振り回したとしても、健康にはなれない。死は結果であり、敵は病の方。結果はただ受け入れるしかないものだ。


 だが……落ち着け。

 落ち着くんだコタロー。

 あれは死神じゃない。


『ジャイサガ』を知る俺は、その事実も知っている。

 あれは〈グレイブキーパー〉。つまり、墓守なのだ。

 きちんとHPやステータスが設定されていて、ぶっ叩けば倒せるモンスターなのだ(殺せるとは言ってない)。抗いようのない、死の神ではないのだ。


 それに、今回は倒すことはおろか、まともに戦う必要すらない。ほんの小細工で切り抜けられる。

 しかも。しかもだ。

 あんなナリをしているが、あいつは、いや、あの方は紳士なのだ。死者の魂が安らかに眠れるよう、ここで入り口を守ってくれているのだ。『ジャイサガ』でもっとも優しい人物と言っても過言ではない。


 大丈夫。大丈夫……。

 これからとある事情により怒らせに行くわけだが、きっと大丈夫……!


「よし、行く。おまえたちはここに残ってていいぞ」


 震える仲間にそう伝えるが、


「そ、それはダメであります」


《一緒には行く》《コタロー一人は行かせられない》《死ぬほど怖いけど》《コタローと離れるよりは怖くない》


 二人とも同行すると言って譲らなかった。

 まあ、危険はないので、ついてこられるならそれでいいのだが。


「じゃあ、行ってくる。そっちはそっちで上手くやってくれ」

「健闘を祈るよ」


 テュルフィのささやかな応援に背中を押され、俺は緊張気味に岩陰から踏み出した。

 やるべきことはわかっている。そしてそれは、何の労力も要さない。

 ひどく簡単。

 選ぶべきコマンドはたった一つだ。


 このとき俺は、そんな大きな思い違いをしていた。

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