第146話 英雄と悪魔の会談! 安定志向!
何か、壮絶に無駄な話で時間を浪費したぞ。ちょうど一話分くらい。
現在、真夜中。
〈閉ざされぬ闇〉ダインスレーニャが現れると周囲の一切が闇に包まれるため、そのショックを相対的に軽減するために俺が指定した時間帯だ。
なぜか始まってしまったヤンデレ講座も終了し、これから起こることの内容を俺が説明しても、部屋から出て行く者は誰一人としていなかった。
まあ、危険なら帝都に彼女を呼び出すこと自体しないので、強制的にみんなを退去させることは俺も考えていない。
むしろ、知らせておく方が仲間として誠実なのかもしれなかった。
問題は、マユラの正体を知らないクルート。
「コタロー様がなさることなら、どんなことであろうとわたしは拒否しませんし、たとえ陛下にもお伝えいたしません」
帝国メイドに勤務時間という概念はない。いや、契約上はあるのだが、彼女たちは立ち振る舞いそのものが職務規程とかぶっているので、いつでもどこでも帝国と皇帝に仕えるメイドだ。しかし、今回、彼女はそれを曲げて部屋に残ると宣言する。
「わたしとコタロー様の秘密ができましたね」
……にっこり笑って言うのやめて。さっきみんなが体得したヤン見が四方から飛んできてるの。
「それで……〈閉ざされぬ闇〉を呼び出せということだが……すまないが、わたしにそんな力はない」
ベッドに腰掛けたマユラが、申し訳なさそうに言ってくる。
ここでがっかりするほど俺も考えなしじゃない。
「ただ出てこいって言ってくれればいい。何となくだが、他の〈源天の騎士〉と違って、ダインスレーニャだけはいつもマユラのそばにいる気がするんだよ」
「わかった。やるだけやってみる」
ダインスレーニャが現れると、周囲は何も見えないブラックホール級の暗闇になることをみんなに事前に再説明し、心の準備をさせる。もちろん、暗闇で迂闊に動かないよう釘を刺すことも忘れない。
みな、それぞれの場所で身構えた。
「ダインスレーニャ。そこにいるなら出てきてくれ。話がしたい」
――はい。
闇の到来は一瞬だった。
何の前触れもなく、視神経を切り落とされたように何も見えなくなる。
わかってはいただろうに、仲間たちから小さな驚きの声があがり、誰かと誰かが身を寄せ合うような衣擦れの音が聞こえた。
本当に来た。
ほとんど願うような勘だったのだが、間違ってなかった。
〈閉ざされぬ闇〉は、常にマユラのそばにいる。
「マユラ様の方から呼んでいただけるとは光栄ですわ」
「ダインスレーニャ、本当に……うわっ」
「マユラ!?」
マユラの驚いた声に、そばで待機していた俺は思わず手を伸ばす。
ふにょ、と何か柔らかいものにふれ、びっくりして引っ込める。
い、今の感触はまさか!?
「今のは我のほっぺただ」
「あ、ごめん……」
こんな暗闇なんだし、もうちょっとラッキースケベとかあってもいいんじゃないですかね。
自分で言うのもなんだけど、俺、まわり女の子ばかりなのにそういうの全然ない。むしろヤンデレに目で焼かれたり脅されたりばっかしてる気がするよ……。
「マユラ、大丈夫なのか?」
「う、うむ。大丈夫だ。その、ちょっと……」
「ええ。ほんの少し、わたしがマユラ様を後ろから抱きしめているだけですので」
「ならいいか」
「コタロー!?」
マユラが抗議めいた声を上げてくるが、目くじらを立てるようなことでもない。
ダインスレーニャはさっきマユラのことを「マユラ様」と呼んだ。
マユラが単なる魔王の器であることを知った上で、敬意を表した。
マユラに危険はない。それどころか、まるで後見人のような優しさがある。ダインスレーニャは魔王を見守る巫女のような存在に近いのかもしれない。だから、器に対しても恭順を示す。
「本当に近くにいたんだな。ダインスレーニャ」
俺は親しげに話しかけた。
「ええ。わたしはいつでもこの方を見守っています。夕食後、あなたに声をかけられたときからこの方はそれはそれは愛らしくいじらしい様子で狼狽して……思わずわたし、ふふ……官能を感じてしまいましたわ」
「わあああ! それ以上言うな!」
マユラがもがいているのが音でわかる。しかしダインスレーニャはしっかり捕まえて彼女を離さない様子だ。かわいそう。
それにしてもこの騎士さん、初対面のときはわからなかったけど、けっこういい性格してんな。クーデリア皇女に対してタガの外れたカカリナみたいな感じか……。
いつまでもイチャつかせているわけにもいかないので、俺は話を切り出した。
「ダインスレーニャ。出てきてくれてありがとう。話があるっていうのは、俺だ」
「不思議な人。わたしはあなたを知らないのに、あなたは初対面のときから、わたしを既知の相手であるかのように呼んだ。あなたの名前は?」
「言い忘れてた。コタローという」
「わかりましたわ。コタロー。わたしに何のご用?」
「率直に言うと、おまえたち〈源天の騎士〉と手を結びたい」
ざわり、と音もなく部屋の空気が揺らいだ。
誰かの、いや誰もの強烈な動揺が、目が見えないことで過敏になった俺の肌の上を走っていく。
上げかけた声を呑み込む誰かの気配を耳で察しつつ、俺はダインスレーニャがいる方向を見つめる。
「どういう企みかしら? 共に世界を滅ぼそうとでも?」
応答は、一笑に付さない分、慎重な歩み寄りに似ていた。
「世界を滅ぼす気はない。だが……おまえたちを滅ぼす気もない。おまえたちを滅ぼすということは、続いて魔王も滅ぼすということだ。俺はそれを絶対に望まない」
「マユラ様を愛してくれてありがとう。けれど、女神はそれを許さないでしょう。今、こうしてわたしと話をしていることさえも、すでに反逆……」
「対談については、さっき扉のところで盛大に反復横跳びしてやったから大丈夫だ。あれは今、帝都の外にできたバグダンジョンの修正の真っ最中で、こっちのことなんか気にしてない」
「?」
ダインスレーニャは怪訝そうな気配を発したが、こちらの事情を斟酌する必要はないと割り切ったのか、話題を戻した。
「どちらにせよ、あなたの望みは叶わない。その二つは矛盾する行為ですわ」
「〝黄金の律〟の破壊についてはすでに知ってる。魔王とその側近は存在するだけで世界を滅ぼす。だから消さなければならない。そういう理屈だ。だが、一つ奇妙なことがある」
「奇妙なこと?」
「魔王とその部下たちはこの世界を攻撃してくる。けど、それは〝黄金の律〟の破壊とは次元が違う行為だ。元々、存在するだけで破壊できるんだからな。単なる侵略なら〝黄金の律〟の規定内の事象にすぎない。人間同士でだってやる行動だ。つまりおまえたちは〝黄金の律〟を破壊するために地上侵略をしているわけじゃない……違うかな」
「…………」
あ、あれ、返事ない。
「ち、違いませんかね……」
俺はたちどころに不安になった。
「ああ、ごめんなさい。まさか一介の人間とこんな深奥の話をする日が来るなんて、思ってもいませんでしたので。確かに、そう。そのとおりですわ。わたしたちの侵略は、〝黄金の律〟を破壊するという性質の一部が、地上を侵すというとるにたらぬ行動の一つとなって表れているにすぎません」
誰かが非難の声を上げかけ、それを口元で抑えた気配があった。
確かに、地上侵略をとるにたらぬ、は怒りたくもなるな。人も死んでいる。しかし、その次元の違いを、俺はちゃんと理解しなければいけない。
これは命ある者たちと、命なき仕組みたちの対話でもあるのだから、価値観の違いによって話題が脱線していくことは許されない。
俺は徐々に対談の本題に斬り込んでいく。
「つまり、おまえたちから〝黄金の律〟に対する破壊性を取り除けば、地上を攻撃することもなくなるわけだ」
「それは不自然な話ですわ。わたしたちはその破壊性が形となったものですもの」
そう言いつつも、侵略中止については否定しないダインスレーニャ。攻撃はなくなるのだ、多分。なら、人間たちにとっての実質的な脅威もなくなる。
さあ、ここからがややこしい話になる。
言い淀むなよ、俺!
「それだけとは限らないと、俺は思ってる」
「おや、それは?」
ダインスレーニャは素直に興味を示した。
「おまえたちは命ではなく、仕組みだ。〝黄金の律〟を破壊するという仕組み――ある意味で裏の〝黄金の律〟だ。それは、〝黄金の律〟を破壊できるという者、という必要条件を満たしているからこそ、仕組みとして成り立つ」
「そのとおりですわ。それで、その必要条件を崩すおつもり? どうやって? わたしたちは存在する限り、摂理を破壊する力を有していますのよ」
俺はためらわず言った。
「――〝黄金の律〟に、おまえたちを認めさせる」
「え――」
ダインスレーニャが初めて動揺を見せた。
「おまえたちは〝黄金の律〟の瑕疵が形になった。ゆえに、〝黄金の律〟を破壊する可能性を持つ。この関係は絶対的イコールだ。言い方を変えただけで同じ意味だ。どちらかが崩れれば、もう一方も成り立たなくなる。だからもし、おまえたちが〝黄金の律〟の瑕疵でなくなれば、摂理を破壊することもなくなる。する必要も、する力も、する意志も失う。〝黄金の律〟に内包された不確定な部分に成り下がる。そういう仕組みだからだ」
「…………考えたこともない仮説ですわね」
「だが信憑性はあるだろ? 現に、その仕組みであるおまえが、完全に否定できないでいる」
「それは……確かに。けれど、肝心なことが抜けています。どうやって、〝黄金の律〟にわたしたちを認めさせるか。それが考えられなければ、これは単なる妄想にすぎませんわ。そんな方法、あるとは思えませんけれど」
ダインスレーニャは、もう半分本気になっていると受け取ってもいいくらいの姿勢を見せてきた。
よかった。そんな事情は知らねえ、ただ暴れたいんだ俺たちはァー! みたいな対応をされたら、マジにどうしようもなかった。
……よし、むこうも船に乗りかかってきた。核心に入るぞ。
俺は居住まいを正し、心を落ち着かせるように指を組んだ。
「実は、〝黄金の律〟には徐々に耐性がついてきてるんだ」
「……!」
闇の中を、小さな驚きが波紋となって広がった。
俺は心中でほくそえむ。
彼女の驚きは、俺が平然と話を進めたことにあるのだと感じ取った。
まさか、この妄想に続きがあるとは思わなかったか? それとも、これからみんなでその方法を考えていこうなんてナメたことを言うと思ったか?
いいや! そんな不安定な状況、怖くて許せるわけないだろう!
すでに結論は出ているんだぜダインスレーニャッ!
「魔王が出現してから、摂理が壊れて不条理世界に陥るまでの間隔が、長くなってきている。これは単に〝黄金の律〟が強固になってるってわけじゃない。正しいものの見方としては、〝黄金の律〟が、おまえたちを自分の一部として認めつつあるってことだ」
帰ってきたのは沈黙。素直に肯定はできないが、否定する材料も見つからない。いや、違う。肯定したい。否定する材料を探したくない。そういう感情すら受け取れる。
人はそれを希望と呼ぶ。
光と敵対することこそ本義だった彼女たちに、そんな感情がこれまで存在しただろうか?
俺はたたみかける。彼女の希望の火にそよ風を向け、さらに燃え上がらせる。
「だが、完全に認めるまでは、まだまだ時間がかかる。それじゃ間に合わない。そのために俺は作戦を立てた。実行にはおまえたちの協力が必要不可欠だ。〈源天の騎士〉に力を貸してほしい。それも〈アークエネミー〉になってだ」
「!」
「〈アークエネミー〉と俺たちで、〝黄金の律〟にアプローチをかける。それで多分うまくいく」
「ほ、本気なのですか」
ダインスレーニャの声は完全に震えていた。
動揺。しかし、恐怖からのそれではない。
それはきっと、闇の中で光る何か。
「本気だ。フルンティーガに〈ガラスの魔剣〉を渡し、〈乾きの水〉にも探し物の場所を教えた。〈アークエネミー〉になる条件は整っているはずだ」
「あなたは一体何者……?〈導きの人〉ではないのですか……?」
「微妙だが、世間的には〈導きの人〉ってことに……。……ッ!?」
言いかけて、突然、背中に悪寒が走った。
俺には危機を明確に察知するような特殊能力はないが、この寒気は信じるべきだった。
理由はわかっている。
女神が戻ってくる。
「くそっ、時間がなくなった!」
ヤンデレ講座とか変な茶番やってるからだ!
「ダインスレーニャ、確認だけさせてくれ。〈暗い火〉はまだ生きてるか?」
「え? ええ。マユラ様に狼藉を働いて返り討ちにあいましたけれど、元々、わたしたちと魔王様は同質の力ですから、殺すには至りません」
よし、ハードル一つクリア!
「次! 新生魔王はおまえか?」
「いいえ。今、〈源天の騎士〉たちを束ねているのは〈古ぼけた風〉ですわ」
「なら、おまえの口からヤツらを説得することは難しいか?」
「ですわね。もっとも〈古ぼけた風〉もそれほど強い権限を持っているわけではありません。あくまで、中心となっているだけ」
「手を結ぶにはどうすればいい?」
「わたしから話してはみます。けれど、あなたとまだ戦っていない者たちは、納得しないでしょう」
「わかった、全員ゴッ倒す! 首を洗って待っとけと伝えてくれ!」
ハードル二つ目はちょっとコケたがまあよし!
「ああ、けれども」
「何ですか!?」
「〈乾きの水〉が、何か困っていたような」
「よしすぐ助けに行く!〈ファイアラグーン〉だな、どうせ!」
やばい、なんか、神の座へ続く扉からいやな気配がしてきた! もうマジむり!
「ダインスレーニャ今日はありがとうまた呼ぶからそのときもう一度ゆっくり話をしよう!」
「ぷっ……ふふふ……あははっ……」
あせりまくる俺に対し、ダインスレーニャがこぼしたのは、親しみさえ感じさせる笑い声だった。
「不思議な人。あなたが何なのか、きっと誰にもわからない」
声と共に、濃密だった闇がほどけていくのがわかる。
「〝黄金の律〟の外側――わたしたちと同じところにいるかのよう。けれど世界と女神から認められて、内側にもいる。あなたは誰? あなたは何? わからないからこそ、誰にもできなかったことをしてくれる、そう思わせてくれます。期待していますコタロー。マユラ様を悲しませないでくださいませ――」
薄闇の中、再び見た気がする彼女の笑顔は、魔性の者とは思えない、あどけない少女のような無邪気なものだった。
とりあえず……言いたいことは全部言えたな。
女神もギリギリセーフだろう。
また会おう。ダインスレーニャ。
マユラのついでに、おまえらみんなまとめて救ってみせるぜ。
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