第139話 巨人に揺られて! 安定志向!

「長き旅路の果てに、そなたらは巨人の集落へとたどり着いた。その勇気、その技量、生きとし生けるものの代弁者としてふさわしい。今こそ、我らが鍛えた武器を渡そう」


 巨人の長の声が、世界の果てまで届くような重々しさで背中を突き抜けていった。

 苦悩も迷いも、ついでに自分が誰かも、すべて吹き飛ばしてしまいそうだ。


 こんな大いなるものが力を貸してくれるのなら、誰にも負けはしない。代々の〈導きの人〉が感じていたであろう頼もしさが心の中に芽生え、しかし俺はすぐにそれを打ち消した。


 これから〈導きの人〉の正道をはずれようという俺に、この加護はかえって足かせになる。……いやでも、気持ちくらいは別にいいかな。安定感増すし。でもな……。ああどうしよう。


「武器は鍛冶職人のところにある。後に案内しよう」


 長の言葉の継ぎ目に、ティタロが補足を差し込んで、俺の逡巡を中断させる。小声のつもりだろうが、この遠雷同士の会話ではほとんど意味がない。


「魔王が蟄居する魔界への入り口は、〈冷たい砂漠〉と呼ばれる場所にある。〈導きの人〉よ。必ず魔王を倒し、生きて戻れ。そなたらに女神の加護があらんことを」


 ここまではゲーム通り。長の言葉でフラグが立ち、マップ〈冷たい砂漠〉に、魔界への扉が現れる。


 元々あっさりしたテキストの『ジャイサガ』なので、長からの話はこれで終わり。選択肢も出ない。だが、ゲームと違ってこの主人公は多弁だ。俺は思いきって声を張り上げた。


「巨人の長、聞きたいことがあります」

「何だ?」

「〝黄金の律〟というものをご存じですか?」

「それはこの世界の摂理のことだ。しかし、その名を知る〈導きの人〉はこれまでいなかった。そなたは、どこでそれを聞いた?」

「それは、今はおいといてください」


 俺の一方的な物言いに、長が気分を害した様子もなく「ふむ」と相づちを打つ。


「聞きたいのは、魔王についてなんです」

「答えられるものであれば、答えよう」

「魔王は〝黄金の律〟に反するもの。だから倒さなきゃいけません。でも、〝黄金の律〟に反するものは、本当に生きていてはいけないんでしょうか?」


 返答までの一拍は、死の世界のように静かだった。


「ときおり、そなたのようなひどく優しい〈導きの人〉が訪れる」


 長は、春風のように穏やかに言った。


「戦いを厭い、たとえ敵であっても手をさしのべる。その心根は、この世界にあって喜ばしいものだ。しかし心を痛めることはない。魔王とその側近は生命ではない。あれは世の〝仕組み〟であり、現象にすぎない。現象に命はない」


 彼の答えを拒否するように、俺は質問を重ねる。


「〝黄金の律〟には元から綻びがあるはず。魔王だけが許されないのはなぜです?」

「魔王が持つひずみが大きすぎるからだ。だがそれゆえに魔王たりえるとも言える。順序が逆しまで、魔王が許されないのではなく、許されないものを魔王というのだ」

「けれど、倒すだけが平和を取り戻す方法だとは……」


「……奇妙な問答をする人間だ」


 覆い被せるような長の声には小さな興味と、微笑が含まれていた。


「まるで魔王との共存を望むような物言いだが、そなたは言葉通りのことを考えているわけではない。腹に一物抱え、その中でわしに謎かけをし、何かを確かめているように思える」


 思わず声を呑み込んだ俺に対し、長の声はさらに笑みを深くした。


「一目見たときから、そなたは奇妙な男に映った。ここに来る者は、例外なく濃い血のニオイを漂わせている。我らの武器を欲する道には、当人が望むと望むまいと、厳しい戦いが敷き詰められているからだ。どんな小さき者、弱き者にも、相応の戦いがある。そこから逃れるということは、望んだものを諦めるということ。しかしそなたはここに立っていながら、あまりにも血のニオイが薄い。ティタロ、そなたはどう思う」


「はい、長。この者からは血――他者の命のニオイがほとんどしません。歴代の〈導きの人〉にはあり得なかったことです。戦いから逃れる者は多くを失います。戦いを避けるには強い力が必要です。恐らくこの者は後者だったのでしょう」


 ……とてもじゃないが、色々ズルしたこととか、歩いてレベル上げした偽りの強さだとかはぶっちゃけられない雰囲気。

 長は再び俺に言葉を向けた。


「〈導きの人〉よ。そなたが何を為そうとしているかはわからん。だが、人の身でできることは少ない。我々にできることも多くない。理想を広げすぎるな。狭い世界の安寧こそを、しっかりと守るがよい」

「……わかりました。どうもありがとうございました」


 長の言葉は、小人が持つ野望をたしなめるふうではなく、どこか建前めいた物言いだと俺に感じさせた。

 その後の沈黙の中で彼は、やってみろ、と言ってくれた気がしたのだ。


 結局、頼もしさをもらってしまった。


 そうしていよいよ、俺たちは鍛冶屋に向かうことになった。


 雲を巨躯で割りながら進むティタロの背から、荒廃した大地を眺めつつ、俺は頭の中で考えを巡らせる。

 魔王は仕組み。魔王は現象。……大丈夫、長の話を聞いても、チャートの前提は崩壊してない、はず……。


 不意に、足下からティタロが話しかけてきた。


「そういえば金は持っているのか? 金を払えなければ、武器は渡せんぞ」

「えっ。お金がかかるのでありますか?」


 グリフォンリースがびっくりした様子で応じた。


《どうして?》《苦労してここまで来たのに》《ただでくれるべき》《けち》《大きいくせに小さい》《しわい》《守銭奴》《両親》


 キーニも心の中で激しく反逆している。特に最後のは彼女にとって最大級の悪口だろう。


 二人の反応は正常だ。俺もゲームプレイ時は「ハァ!?」と叫んだ。

 ここで武器を買う金がなく、泣く泣く海底大洞窟をもう一往復したプレイヤーは数知れない。『ジャイサガ』に数ある過失的な罠の一つであり、まれに現れる新規プレイヤーの初カキコが「巨人許さない」であることは、もはやお約束になっている(たまに阪神ファンが間違えて書いているという説も)。


 何かのイベントの名残なのかもしれないが、ならば今こそ、その理由を聞いてみるべきか。


「ティタロ、どうして有料なんだ? 人間の金なんて使わないだろ?」

「みなそう思う。素直に聞いたのはおまえが初めてだが」


 ティタロは笑ったようだった。


「おまえたちはここに来るまでに、多大な勇気と力を支払った。心、体、そこに財産を加えれば、人として払えるものすべてを払ったことになる。そのとき我らの武器は、正しくおまえたちの所有となるのだ。我らが与えたものではない。誰にはばかることもなく、自分が勝ち取ったものだと言い張ってよい。そうしてこそ、武器を心おきなく振るえる。だから金を払わせる。わかってもらえたかな?」

「あっ、はい……」


 想像以上にちゃんとした理由だった。

 金に汚いクソヤローとか死ねうんこ山とか書き込んでごめんなさい。


「でも、代価として命をよこせとは言わないのか?」


 俺は居心地の悪さをごまかすように、ふざけた質問を加えた。


「命は支払うべきものではない。最後まで守るものだ。どんな生命も、みな、生きるために代価を支払うべきなのであって、命を差し出して何か得るのは、間違ったやり方だ。……だから、ここに来るまでに倒れた〈導きの人〉たちには、すまないと思っている」


 不意に、彼は声のトーンを落とす。


「我らの武器よりも〈導きの人〉が生きているということの方がよほど重要だ。ここで言っても詮無きことではあるが、あの洞窟を抜けられないと思ったら、無理せずに引き返してほしかった」


 また余計なこと言ったよ俺。

 少ししょんぼりした様子の彼からは、試練に打ち勝てない〈導きの人〉の弱さを嘆くのではなく、彼らの命そのものを案じているのが伝わってきた。


 人とはかけ離れた命でありながら、巨人たちは思った以上に優しいようだ。


「そんなに心配してくれるなら、わたしたちと一緒に戦ってくれませんかねー……。人間よりよっぽど強そうだし」


 汚い妖精が俺の懐で何かうそぶいている。もちろん小声である。本当に汚い。


「そうしてやりたいのは山々だが」


 ティタロの背中が愉快そうに揺れた。


「…………」

「パニ、死んだふりすんな」


 返事がない。寝言のふりを貫くようだ。


「我らは戦いには向かん。後ろを見てみるといい。雲の隙間から、下界の様子が見えるだろう」


 俺たちの視線は、一斉に紫の靄がかかった大地へと注がれる。


「元は緑の多い、美しい土地だった。だがあるときを境に、草木すら生えない毒された大地へと変わってしまった」

「何があった?」


「最初の魔王と我らが戦ったのだ。その余波で、この大陸は死んだ」

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