第136話 その名はチャンピオン! 安定志向!
「俺からは何もしない。おまえらはただ俺を全力でボコればいい。もちろん殺せるもんなら殺してもいいぜ」
年月と風月を閉じこめた兜をかぶり直した天魔の青年は、俺たちに向かってこともなげにそう言い放った。
宣言通り、腰に提げた古びた鞘から剣を抜くこともなく、おどけたピエロのように両腕を顔の横に持ち上げるだけで、戦闘態勢に入ったとは思えない様子だ。
だが、それでも砂時計の砂は落ちていく。
「こ、殺していいと言われても」
「その前に降参してくれるさ。俺たちは言われたとおりにやればいい。あ、キーニはパニシードと一緒に見学な」
たじろぐグリフォンリースの背中を叩いて、俺は前に出た。
ナイフケースから抜き取った刃を天魔に向けると、彼が古びた鉄板の奥で、こちらの物わかりの良さに微笑んだのが雰囲気でわかった。
「ま、待ってほしいであります! 前衛は自分であります!」
慌てて俺より一歩前に出たグリフォンリースの剣を見て、天魔はゆっくりと指先をこちらに向ける。
「よく使い込んである、いい武具だな。命を預ける道具には、その貴賤によらず自然と持ち主の命の一部が宿るんだ。特にそっちのお嬢さんの盾は、まさに命を分け合ったと言うに相応しい魂を宿している。まるで前世で生き別れた運命の恋人に見えるな、これが」
「そっ、それはそうであります! こ、ここっ、この盾は……コタロー殿からもらった、グリフォンリースの命そのものであります!」
その答えに、天魔は満足げにうなずいた。
「そのすべてを俺にぶつけてこい。おまえたちのありったけを!」
俺とグリフォンリースはうなずきあうと、一切の逡巡なく天魔に躍りかかった。
さて、開戦直後ではあるが、この天魔について説明しておこうと思う。
戦闘画面におけるこの天魔の表示名は〈チャンピオン〉という。
チャンピオンと聞くと、まっさきに思い浮かべるのが、王者という意味だ。
さてはこいつ、人間だった頃に何かの王者だったなと推測するのが普通だが、実はまったく違う。この『ジャイサガ』では、語源の方の意味で使われているのだ。
〝決闘代理人〟。
チャンピオンという言葉の発祥は、古くは、部族間での揉め事を、族長同士の決闘で裁定していた時代にまで遡る。
族長が病気だったり、幼すぎたりして決闘に臨めない場合、一族の中から代理人を選出し、戦わせた。この代理人こそがチャンピオンと呼ばれる人々だ。
天魔は〈導きの人〉が倒れたとき、魔王と戦う役目を持っている。つまり俺たちの代役というわけだ。そういう意味を持ったチャンピオンという名である。
そして、彼らが臨むの戦いの規模を考えれば、
ここはちょっと気取って〝決戦代行人〟と呼ぶのがふさわしいだろう!
ごほん。ちょっと調子に乗りました。
それでこの〈天魔試練〉だが、パーティーメイクによっては完全に詰む場合がある。
〈チャンピオン〉には魔法攻撃がほとんど効かないのだ。キーニちゃんを見学に回したのもそのため。魔法攻撃をメインにしていた場合、クリアは不可能と断言してしまっていい。
まあ何はともあれ物理でぶん殴ることが大正義の時代のゲームなので、ここでつまずくプレイヤーはあまりいなかったそうだが。(その感覚のせいで苦労するのが、属性や戦略重視の『ジャイサガ』ではあるけども)
ただし、物理型であったとしてもこの戦いには苦労させられる。
なぜなら――。
「こ、攻撃が当たらないであります!」
俺たちが繰り出す攻撃は、ことごとくかわされていた。
恐ろしいのは、単純な素早さではなく、振るった刃が天魔の体をすり抜けたと思わせるほど、紙一重の回避を繰り返していることだ。
そう。この〈チャンピオン〉は回避率が異様に高い。
ネット掲示板の有志が計算したところ、この回避率をゲーム内で表すためには、敏捷のステータスが600はいるという試算が出ている。数値300が上限のゲームでである。
どうやら〈チャンピオン〉には、通常の戦闘計算とは別に、攻撃を回避する特別な数字が組み込まれているらしい。攻撃を無条件で50%回避とか、その類だ。
この敵に対し、プレイヤーは制限時間10ターン以内に、一定ダメージを与えなければいけない。反撃してこないため一方的に攻撃できるとはいえ、ほぼ運ゲーなので、セーブ&ロード必須の相手である。
しかし、人生はオートセーブで、かつ一つまでしか保存できない。気持ちはリセットできても、プレイ履歴は決して消えることがない。
石柱の隙間に押し込まれた砂時計の砂が落ちきれば、俺たちは揺るぎない失格者になるのである。
「ヒントを出すぜ」
俺たちの斬撃をするするとかわしながら、天魔は余裕と笑みを含んだ声で言った。
「俺たちは天魔になる前、ありとあらゆる敵と戦った。今でも、天魔同士で戦って腕を磨きあってる。この目で見て、体で受けてきた技の数は、命ある戦士とはケタが違う」
グリフォンリースの鋭い袈裟切りを、踏み込みながらもぐるようにしてかわすと、天魔はすれ違い様、彼女の肩を遊ぶようにドンと押しやった。
よろめくグリフォンリースが、青ざめた顔で叫ぶ。
「コ、コタロー殿、こちらの技はすでに見切られているであります!」
俺が繰り出したナイフの突きもすべてかわされる。
半歩どころか、ほんのかすかに上体を反らしただけで、刃の殺傷範囲から逃れられる。
反撃がないのをいいことに大胆に踏み込むと、逆に横をするりと抜けられ、軽い仕返しみたいに脇腹を指で突っつかれ、体勢を崩すことになった。
今のが指先でなく凶器だったら、どうなっていたかは想像にかたくない。
マジでバケモノだ、こいつ。
これが代理だと? 馬鹿言え! ゲームプレイ時もさんざんツッコんだ記憶があるが、天魔こそが世界を救う地上生命のリーサルウエポンだ。
これをバックアップとして飼い殺すなんて〝黄金の律〟はどうかしてる。それを受け入れ、風化するに身を任せているこいつらもこいつらだ。
しかしこの天魔、こんなに強いのに、ゲーム内だけでなくメタ的にも希薄な存在だったりする。
巨人については言わずもがなだが、もう一つの武器取得イベントである〈落冥〉すらきちんとした事前情報があり、舞台となる〈ファイヤラグーン〉にも別件で進入できるのに、この〈天魔試練〉だけは唐突に現れるのだ。
三つのうちこの天魔イベントだけ扱いが雑というのは、前々から気になっていた。
今はそんなこと気にしてる余裕もないが……。
「またヒントを出すぜ。俺は経験からおまえたちの技を知ってるわけじゃない。俺はおまえたちの動きの筋を見てるんだ」
俺たちの動きが鈍ったのを見計らい、再度掲示される助言。声にあざ笑う様子がないのは、彼もまた、俺たちに託す想いがあるからだろう。
だが、グリフォンリースはその行為を挑発と受け取ったようだった。
単身〈ラッシュソード〉での連続攻撃を仕掛ける。レベル99の彼女が巻き起こす連撃は、常人からすればもはや剣の嵐と呼ぶに相応しい。
しかし、天魔はその中を酔っ払いのようにふらふらと通り抜けると、あろうことか、彼女の傍らに突然座り込んでみせた。
かっとなったグリフォンリースが斬りつけようとすると、寸前でごろりと寝転び、その卑怯とさえ言える一撃をあっさりかわす。
愕然とするグリフォンリースをよそに、天魔はごろごろ寝返りを打ちながら離脱し、離れた場所で、糸にでも引かれたみたいにふわりと起きあがった。
す、酔拳……!!?
あんな鎧を着ていて何という身のこなし、何という柔らかさ。
ぱ、パネえ! やっぱり天魔パネえよ!
「ぐ、ぐぎぎっ! 悔しいであります!」
「あっははは! これくらいの反撃はさせてくれよ。じゃないと、さすがに退屈だ」
本心とも挑発ともつかない台詞に、グリフォンリースの頭からますます湯気が上がる。
「か、かくなる上は、コタロー殿直伝のカウンター戦法を使うであります!」
どっしり腰を落とし、盾を構えるグリフォンリース。
だが、当然。
…………。
…………。
「せ、攻めてこないでありますか?」
「まあ、俺からは手を出さない約束だし……」
こうなる。
彼女の得意技は完全に封じられていた。
残り時間はもう半分を切っている。
しかし俺たちは天魔に有効打を撃つどころか、あの鎧の端をかすることすらできていない。
「じゃあ次のヒントをやろう。おまえたちは優れた戦士だ。キツい修羅場をくぐり抜けてきたのが動きからもわかる。戦いは人を短期間で練り上げる。武器の重さ、癖を瞬く間に理解させ、必要な筋肉を厳選し、不必要な労力を省く。結果、動きは自然体となり、まるで春夏秋冬の移り変わりのように、ごくなめらかな攻撃を作り出す」
それを聞いて閃くものがあった。
「俺たちの筋肉の動きを見ているのか……?」
「お。まずは正解だ。コタロー殿」
天魔は人差し指をぴっと立てて、嬉しそうに言った。まるで家庭教師のお兄さんだった。
「たとえ服や鎧に隠れていても、俺には筋肉のうねり、しまり、その音さえ、伝わってる。おまえたちが卓越した攻撃を繰り出す限り、俺に刃は届かない」
「だったら泥臭いやり方をするまでであります!」
グリフォンリースが急接近し、盾を前に突き出す。
が、盾での打突ではない。天魔の視界を盾で覆い、その隙に脇から刃を滑り込ませるだまし討ちだ。
しかし、天魔は刃を繰り出す逆側から、すんなりと抜け出てしまった。
まるで、起こることすべてを熟知しているかのように、
なお諦めずに、今度は体当たりをぶちかましてのしかかると、至近戦闘用〈ヒートダガー〉を振り上げる。
可憐な女騎士に似つかわしくない、野武士のような荒っぽいやり方だが、天魔は猫が寝返りを打つような優雅さであっさりをかわすと、驚いた彼女が上体を引き起こす勢いを利用し、片手であっさりと突き飛ばした。
またもふわりと立ち上がりながら、天魔は言う。
「違うぞ、お嬢さん。別に荒々しくやれと言ってるわけじゃないんだな、これが。まあでもよい攻めだった。礼儀正しい騎士とは思えない泥戦場の作法だ。可愛い顔して、今日までよく戦ってきてるよ」
「うう……」
ついにグリフォンリースは、彼に畏れすら抱いたようだった。
戦闘技術でいえば、彼女は俺よりずっと優れている。さっきの二度の攻撃だって、俺ならきっちり二回死んでる。なのに、それがまるで通じない。
「コ、コタロー殿……。じ、自分は……」
彼女の震える瞳が、精神の限界を俺に訴えていた。
実力差がわかるのも強さのうち。
彼女も俺もレベル99。強さの限界に達しているからこそ、この天魔との明確な実力差が、文字通り絶望的に実感できたはずだ。
《信じられない》《なんで当たらないの》《お芝居を見てるみたい》《おかしい》《不正のにおいがする》《そうだと言って》《そうでなければ》《こ、こんなのって、ない……》
パニシードを抱えて見守るキーニの足も震えていた。
ズルばかりしている俺はともかく、グリフォンリースやキーニは、これまで格上といえる強敵と何度も戦ってきた。
普通の逆境など、もはやありふれた状況の一つにすぎない。
だが、今のこれは違う。
何も通用しない、次元の違う強さ。
勝つための手がかりすら見つけられない。
叩けば潰れ、刺せば血が出るという、ごく当たり前の認識さえ、この天魔には抱けなかった。
彼らが歴史から消えつつあるのも、この寒気すら覚える強さが原因なのかもしれない。
これがゲームで描かれた〝決戦代行人〟のリアルな姿か。
よくわかった。堪能したよ。
再び俺たちの動きが止まったのを見て、天魔は再び指を一本立てた。
「だいぶ息が詰まってきたか? じゃ、最後のヒントを出すぜ。おまえたちは、今と同じように、死力を尽くした巨人の試練に打ち勝てなかった。理由は色々あるだろうが、何にせよ、力が及ばなかったの一言で表せる」
天魔がそう語るのを、グリフォンリースが力無く聞く最中、俺は、離れたところで戦いを見守っているパニシードに目配せした。
パニシードもそれに気づく。
以降、目での会話。
何ですかあなた様。
あれを出せパニ。
あれですか。どれにします?
全部だ。
全部?
そう、全部出せ!
「使い慣れた武器。使い慣れた技。使い慣れた戦法。これまで培ってきたものが通用しない。そんなとき、何が必要だ? 俺が求めているのはそれだ。答えはおまえたちが持っていなければいけない。今、この戦いの中で、それを見つけられないなら、この先の戦い続けてもいつかは……って、え?」
石の割れる鋭い音が、天魔の説法を中断させた。
ストーンサークルの石畳を突き抜いて、無数の武器が俺の周囲に林立する。
これまで集めたありとあらゆる武器。それを、パニシードのバックヤードから開放した。
今だ。
今のために、これらすべてを温存してきた。
やり方は、やはりこれでいい。
さっき天魔自身がそう言った。
使い慣れた武器、使い慣れた技、使い慣れた戦法……必要なのは、それ以外だ。
数多の刃に囲まれ、俺は彼を見据える。
「ヒントは十分だ。そろそろ本気でいかせてもらうぜ、チャンピオン」
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