第134話 音すらなくした場所へ! 安定志向!

「コタロー様あああああ!」


 獣人の少女が繰り出すタックルは、追跡した獲物の後ろ足を刈り取る野獣の動きそのもので、レベル99の〈導きの人〉――俺からあっさりとマウントポジションを取った。


「コタロー様、よくぞご無事で……」


 が、クルートが俺に浴びせたのは容赦のないパウンドではなく、透き通った真珠のような大粒の涙だった。


 ここは帝都、クーデリア小宮殿入り口。

 帰るなり押し倒された挙げ句、腹の上でおいおい泣かれた俺は、ただ唖然として、


「クルート何で泣いてんの……?」


 と言うほかない。


 ※


「手紙?」


 私室にいたクーデリア皇女が差し出したのは、間違いなく俺宛の手紙だった。


 ただし、俺の名前が書かれているわけではなく、

〝巨人の試練に合格できなかった〈導きの人〉殿へ〟という、人によっては「うるせえ!」と叩きつけたくなるような宛名だ。せめてサクラチルくらいの言い回しはできねえのか。


「あなたが帰ってくる数日前に、いつのまにかあなたの部屋に置いてあったのです。掃除をしていたクルートが見つけました」


 俺は重たい腕をどうにか動かして手紙を受け取る。

 封がすでに切られていることに気づくと、クーデリア皇女は先回りするように言ってきた。


「宛名が宛名でしたから……。あなたに何かあったものと思い、わたしの指示で開けさせました。ごめんなさい」

「いえ、いいんです。心配かけたようで、こちらこそすいません」

「ええ、本当に」


 クーデリア皇女が悪戯っぽく俺をにらむ。その拗ねたような眼差しは、彼女の熱狂的ファンであるカカリナなら一発で昇天している可愛らしさだ。


「おまえたちも、悪かったな」

「心配しました」

「もう会えないかと思ったよ」

「毎日悪い夢ばかり見たんだから~」


 ミグマグメグが口々に言う。


「だけどな、こうまでくっつかれると動きにくいというか、動けないというか」

「まさかコタロー様は、こんなに心配していたわたしたちに、たった数時間程度で離れろなんて冷たいことおっしゃいませんよね?」

「えっ? は、はい……」


 最後に、クルートに笑ってるんだかにらんでるんだかよくわからない顔で言われ、俺は服従の意を示した。

 つまり、この先何時間かはこの状態でいるっていうことか? うそだろ……。


 今の俺は、メイド少女四人に抱きつかれた、というか、しがみつかれた、フルアーマーならぬフルメイド状態にある。


 両腕、背中、腰をがっちり占拠されては、体重関係なしに満足に動けるはずもなく、ここクーデリア皇女の私室には、子泣きじじいを引きずるようにしてどうにかたどり着いたのだ。


「クラリッサの話では、志半ばにして倒れた〈導きの人〉のほとんどは、その巨人の試練で落命しているとのことです。それに、その手紙の文面には〝もし命と意志が残っているのなら〟とありましたから、てっきりあなたに重大な危機が訪れたのだと……。みんな心から心配していたのです。だから、しばらくそうしていなさい」


 クーデリア皇女までがそんなことを言う。


 内容が内容だけに、母親であるザンデリア皇帝にも相談できずにいたという気苦労が、彼女のつぶらな瞳の下にできた小さなクマとなって見て取れた。


「クーデリア皇女も抱きつきますか。空いてる箇所があればですが」

「それは二人きりのときに」


 ヤケクソで言う俺に、クーデリア皇女は笑いもせず返してきた。


「それで、本当に巨人の試練は通過できなかったのか?」


 クーデリアの傍らに佇むカカリナが気遣わしげにたずねる。


「いや、実は、ちょっと用事があって、巨人の集落の手前で引き返してきただけなんだ。行こうと思えばいつでも行けるよ」

「何? どういうことだ?」

「この手紙の差出人と会うのが先でね」


 折りたたまれた便せんを開く。


 ――巨人の試練に合格できなかった〈導きの人〉殿。

 嘆くことはない。

 もし命と意志が残っているのなら、〈サウンドエンドの廃墟〉をたずねられたし。


                               天魔

 

 内容はたったこれっぽっちだ。


「――天魔ですね。あなた様が言っていた」


 俺の頭の上から手紙を見ていたパニシードが感心したようにつぶやく。


「その天魔というものについて、クラリッサに聞いたんだ」


 と、カカリナ。


「正体については、帝国図書館でもほとんどわからないらしい。ただ、〈導きの人〉の歴史の中に、ごくまれにその名前が見つかるんだそうだ。何をする存在なのかまるでわからない。女神とも魔王とも無関係の文脈にいる。敵か、味方なのかも不明だ。コタロー殿は、何か心当たりがあるのか?」


「まあな」


 便せんを折りたたみ、封筒に押し込むと、俺はクーデリア皇女に告げた。


「彼らは味方です。早速ですが、明日〈サウンドエンドの廃墟〉に向かいます」

「ダメです。少なくとも明日いっぱいは、彼女たちと一緒にいてあげなさい」


 えっ。

 世界を救うためなんですけど……。


「いなさい」

「あ……はい」


 翌日、メイドさんたちとメチャクチャ一緒にいました。


 ※


 というわけで、休養という名の市中買い物引き回されの刑期を終えた俺は、天魔の試練を受けるために帝都を発った。


 前回の出発と異なるのは、俺の腰に四つのお守りがぶら下がっていることである。


 カカリナの話によると、このお守りにはメイドさんたちの髪の毛が入っているらしい。本当は別のものを入れるそうなのだが、それが〝まだない〟のでそうでないものを入れたという。うん、なに?


 正直、アレとかソレとかばっかで何の説明をされたのかさっぱりわからん。手がかかりはこれを話すカカリナが赤くなっていたことだが、そんなヒントで何がわかる。俺がわかるのは『ジャイサガ』の攻略法だけだぜ。


 しかし、このお守りが、俺の精神安定に役立つことは間違いない。それはつまり、ラストエリクサー以上の妙薬ということだ。


 さて〈サウンドエンドの廃墟〉というのは、オブルニア山脈から離れた、大陸の北に位置する遺跡である。


 あらゆる音が絶えた荒野にぽつんとあることから、その名前がついた。

 周囲に文明の痕跡は一切なく、歴史的に見ても謎しかない。


 そんな、魔物でさえも見放した土地に、俺たちは来ている。


「寂しいところでありますね」


 晴れることを忘れたような古びた雲を見上げながら、グリフォンリースが感想をもらす。


 延々と続く白茶けた大地は、まるで巨大な生物の遺灰を浴びたようで、ごくわずかに生えた草も、ふれてみると死を思い出したように崩れ去っていった。

 髪をなぶるわずかな風さえも無言。

 あらゆるできごとが〝起き切って〟しまった後のような、そんな静かな土地だった。

 

《あ》《遺跡がある》《あれがそうなのかな》


 前方に見えるのは、自然物とは明らかに異なる形状の物体だ。

 俗に言うストーンサークル。

 巨石を円形に配置した、遺跡としてはオーソドックスな作りのものだ。


 天文学に使われたという説をよく聞くが、果たしてこの空に星がまたたく日があったのだろうか。


 サークル中心部の、背の高い石柱に手をつき、その空疎な冷たさに身震いを一つした、そのときだった。


「あれ……。あなた様、今何か聞こえませんでしたか」


 パニシードがそんなことを言った。


「? いや、何も聞こえなかったぞ」

「おかしいですね。上の方から、何か……」


 彼女の言葉につられるようにして、何となく空を見上げた俺の視界に――


 巨大な波紋が走った。


 その波紋は曇天を一気に吹き散らし、輝くような純白を空に押し広げる。

 爆光のようなまぶしさに、俺は思わず目を閉じ、顔をそむけた。


「なっ、何でありますか!?」


 グリフォンリースが叫ぶ。

 閉じたまぶたの裏からも、焼けるような輝きが遺跡を照らしているのがわかった。


 肌の上にのしかかる光の圧が消え去ったのは、それからほんの数秒後のこと。

 恐る恐る目を開けた俺の周囲に、さしたる変化はない。

 依然として、音もない茫漠の遺跡があるのみ。


 が。


「ぁわわ……」


 背後にいたキーニがぺたりとくっついてきたことに反応し、俺は慌てて振り返った。


 音もなく、鎧姿の人物が佇んでいた。

 彼は片手を小さく挙げ、


「よっ」


 場違いに明るい声でそう言った。

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