第131話 見知らぬ男! 安定志向!

 翌日、俺たちはクーデリア皇女の小宮殿から出発した。

 見送りには、俺の仲間たち他カカリナとクーデリア皇女本人も加わってくれた。


 三姉妹にクルートを足したキツネっ娘メイドさんが、(>ワ<)みたいな顔をしながら四人がかりで帝国の巨大な軍旗を振り回してくれたおかげで、少人数ながら盛大な壮行会となった。


 海底大洞窟は、オブルニア山系を遠く離れた、大陸の端にある。

 さすがの俺も、この期に及んで旅は嫌いだとかいちいち訴えたりしない。

 しかしやっぱり心の中では色々叫んだので、道中は大胆にカットさせてもらおう。ナイスカット。


 ※


 陽に炙られた緑のにおいに、かすかに潮臭さが混じったのを、俺は嗅ぎ逃さなかった。

 周囲はわずかな勾配しかない、穏やかな平原が広がっている。

 しかし、確かにした。磯の香り。

 海が近い。


 こっちの世界で海を見るのは初めてだっただろうか。

 ゆるやかな丘を越えると、視界を遮るものがなくなった平原の先に、果たして青くきらめく水平な世界が現れた。


「う、海であります! 海でありますよコタロー殿!」


《海》《は、初めて見た》《本では読んだことあるけど》《本当に大陸より広いの?》《水がしょっぱいって本当?》《魚いっぱい釣れる?》《湖より深いの?》


「……ふがっ!? な、何です!? 朝ですか!? あ、海! ついに到着したんですねあなた様! ええわたしは寝てませんよ!?」


 反応はそれぞれだが、とにかく到着を喜んでいるのは確かなようだ。

 俺もウェミダーと叫びたいところだが、誰からもツッコミが入らないので普通のやり方で喜んでおく。

 …………。

 海のバカヤロー!


「さて、この近くに洞窟への入り口があるはずだ」


 俺はクラリッサからもらった地図を取り出し、確認する。

 グーグルアース殿には及びもしない大雑把な地図だが、今はもう慣れすぎて少しも気にならない。よくわからなければ、足で探すだけだ。 


「あれ……。コタロー殿、あそこに誰か立っているであります」


 最初に気づいたのは、先頭をうきうきと進むグリフォンリースだった。


 帝都を出てもう十日近くにはなるだろうか。

 街道から完全にはずれ、そこから出会うものといったら、僻地暮らしの獣人か、あるいはただの動物くらいだった。

 しかし、平原に佇むローブ姿の人物は、間違いなく人だった。


「行こう」


 俺はみんなを促した。


 その人物は、フードをかぶってはいるが、顔ははっきりと見て取れ、特筆すべきこともない中年の男性だとすぐにわかった。

 俺たちが普段通りの会話ができる距離まで近づくと、静かな笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。


「よくぞいらっしゃいました。〈導きの人〉でいらっしゃいますな?」

「ああ。そうだ」


 素直に首肯すると、


「それはよかった。わたしは旅の魔術師です。先日、夢の中に女神様が現れ、わたしに〈導きの人〉を巨人の元へと案内せよと告げられ、この場所を教えてくださったのです。洞窟は先にあります。どうぞ」


 そう言うなり、男は背を向けて歩き出す。彼に続こうとした俺は、突然伸ばされた手に引き止められ、踏み出しかけた足を盛大に空振ることになった。


「コ、コタロー殿? あれが、以前言っていた?」


 ひそひそ声でたずねてくるグリフォンリース。


「ああ、多分な。どうかしたか?」

「い、いえ、何でもないでありますが……」

「そうか。じゃあ行こう」


 俺は彼女の言葉を切って促し、魔術師の背中を追った。 


 ローブに包まれた中年男の背中からは、一切の怪しさも、一抹の力強さも感じられなかった。


 ただ。


 これまで積み上げてきた経験、研磨された思想や信念が、その人の背中を雄弁にするのだとしたら、彼はあまりにも寡黙すぎた。

 露骨な言い回しをするなら、まるで過去などなく、ついさっき生まれたばかりのような薄っぺらさを感じるのだ。


 巨人という偉大な存在を求める旅の道標としては、あまりにも分不相応。

 グリフォンリースがさっき咄嗟に俺を呼び止めた理由も、その違和感なのだろう。


 砂浜を遠くに見ながら、海岸線と平行に歩く。

 やがて、地の底へと滑り落ちていくような巨大な洞窟に行き当たった。


「ここが異大陸まで続く大洞窟か。案内ありがとう」


 俺が謝辞を述べると、男は首を横に振った。


「いいえ。〈導きの人〉。わたしの案内はまだです」

「え?」


 白々しく驚きつつ、やっぱりか、と内心ほくそ笑む。

 わかりきっていても、仲間たちへの説明を兼ねた会話が必要だ。


「わたしは空間に穴を開ける魔法を研究しておりまして、それでみなさんを巨人の集落にご案内するよう、女神様から言われたのです」

「そうだったのか」


 相づちを打つのも気を遣った。

 ここで俺が大げさに驚くようだと、グリフォンリースたちが混乱する。しかし、あまりにも淡泊だと、この魔術師が怪しむ。


 俺の大根演技にどこまで注意が払われていたのかは定かではないが、彼はごく自然に説明を続けた。


「巨人の武器を求め、多くの〈導きの人〉がこの洞窟に挑み、そして命を落としました。女神様は大層それをお嘆きです。だからわたしを遣わしたのです」

「ここを突破するのは巨人の試練でもあるはずだが」

「女神様も、無為に命を落とすよりはいいと思われたのでしょう。〈導きの人〉は大切な勇者ですから。もし、それでも自力で通りたいと言うのなら、無理強いはしませんが……」


 俺に主導権を差し出す。ゲーム通りだ。

 ここでの返事は二通り。


 ・ありがとうめがみさま!

 ・うさんくさいな。ことわる!

 

 こういう選択がゲーマーをもっとも困らせる。


 明らかに罠。だが万が一受けるのが正解ならば、ここで拒否するのは損。


『ジャイサガ』スタッフならば、プレイヤーの警戒心を逆手にとって、本当に楽なルートを用意している可能性もある。後にネットで調べて「受けるの推奨」とか書かれていた場合、悔しさもひとしおだ。


 もっとも、〝初見ですべて怪しい方の選択肢を選ぶ〟という剛プレイヤーも世の中にはいるそうだが……。


 俺の返事は決まっている。


「ありがとうめがみさま」

「どうして棒読みですか?」

「感動のあまり、ついな」


 何となく、ウソでもあいつにお礼を言いたくなかった。照れくさいとかじゃなく、俺が天空の公然わいせつ罪を信奉していると思われたくなかったのだ。


 俺の承諾を受け、魔術師は魔法の儀式を始めた。

 何もない場所に向かって両手を突き出すと、乾き気味の唇から、重々しい呪文のようなものが流れ出す。


 ぼんやりそれを眺めていると、クイクイと服の裾が引っ張られた。

 キーニだ。その表情には、見知らぬ男がいるという緊張感とは別の、切迫した気配があった。


《コタロー》《おかしい》《あれはわたしの〈古代暗黒魔法〉と同じ》


「同業者ってわけか?」


 キーニはためらいがちにうなずき、それからすぐに首を横にぶんぶん振った。


《そうだけど、そういう話じゃない》《わたしはあの魔法使えない》《とても高度な魔法》《あの男、何かおかしい》《やめよう》《帰ろう》《お願い》《いやな予感がする》


 眉間に寄った小さなしわが、彼女の訴えの必死さを物語っていた。


 もう誰も覚えちゃいないだろうが、キーニちゃんは【古代暗黒術師】という極めてレアなクラスを持っている。

 これは『ジャイサガ』でも彼女専用のクラスであり、同じく〈古代暗黒魔法〉を使えるのもキーニ一人だ。


 しかし、その使い手が目の前にいる。

 彼女にとってこれほど不気味なことはないだろう。


 その危機感が単なる気のせいでは済まないことを示すように、キーニの小さな指は俺の服の裾をしっかり握ったまま離さない。コミュ障少女の精一杯の自己表現だ。


「じ、自分も、何かおかしい気がするであります」


 グリフォンリースもおずおずと切り出す。


「ここに来るまで、あの人が滞在するテントすら見なかったであります。自分たちを待つあいだ、どこでどうすごしていたのでありましょうか。いくら女神様でも、ぴったり出会えるように采配することはできない気がするであります。うまい話には裏があるのが常でありますよ……」


 ふと見やった魔術師は、一心不乱に儀式を行っている。だが、その背中に耳が生えて、こちらの動向をうかがっている気がした。


「大丈夫、おまえたちの言いたいことは全部わかってる。心配はいらないよ」


 俺は優しく言った。


「……ぁ」

 

《あ》《下手なウインクした》《コタロー》《もう何かわかってる?》《わかった》《もう何も言わない》《うん》《わたし今》《コタローが何かわかってるってことがわかった》《これはもう以心伝心レベル》《心が繋がってる揺るぎなき証拠》《心の中でなら人前で何をされてもOK》《あるいは、何をさせてもいい》《それとも――》


 妄想垂れ流しはおいといて、こういうときキーニは便利だ。少なくとも俺は「わかってくれるはず」という身勝手な幻想を彼女に押しつけずに済む。見ればすぐ確認できるんだからな。

 グリフォンリースも、多分、わかってくれたと思う。


「準備ができましたぞ、〈導きの人〉」


 声に呼ばれて振り返ると、洞窟の広い入り口の手前の虚空に、大きな穴が空いていた。

 わずかに見えるその内側には、夜空のど真ん中を切り取ったような不思議な光景が広がっている。


「ここを通れば、巨人の集落まですぐです」

「そうか。ありがとう。ただ、万が一何かあったときに備えてこれを使ってくれ。帝国謹製の武器だ」


 俺はあらかじめ用意しておいた魔術師用の杖を差し出す。


「そんな危険はないと思いますが」

「転ばぬ先の杖だよ」

「そうですか。では、お借りします」


 安全面には絶対の自信があるようだったが、男は余計な問答を避けるようにすんなりそれを受け取った。


「さあ、わたしに続いて。お仲間も」


 男が空間の穴へと入っていく。俺も続いた。


 そこは奇怪な空間だった。

 水族館には巨大な水槽の中に渡したトンネルがあったりするが、これはその夜空バージョン。いや、宇宙バージョンとでも言うべきか。


 周囲には数多の星々がきらめいている。

 靴底には道がある感触こそあれど、それを目視することはできず、あらゆる方向に無限とも思える空間が広がっている。


「うわ、うわあ」


 続いてトンネルに入ったグリフォンリースがその光景に驚き、熱い鉄板の上を跳ねるような格好で俺に飛びついてきた。


 それを見て男は柔和に笑う。


「大丈夫。落ちたりはしませんよ。ただ、勝手に遠くにはいかないでください。この空間には行き止まりがありませんから」


 俺の背中にしがみついたグリフォンリース、そのグリフォンリースの背中にしがみついたキーニは、揃ってこくこくうなずいた。


 男の先導に従い前進する。


 人間は周囲のものを目視し比較することで、距離などを感覚で計測していると聞くが、まさにそうだった。


 全然歩いている気がしないのだ。

 周囲の光は、よほど遠いところでまたたいているのか、まったく動いていないように見える。なんだか、ルームランナーの上を等速で歩かされている気分になってきた。


「結構歩くのか?」


 前を行く男に聞くと、


「場所と場所を繋げる魔法ですから、すぐです。この先に青い光があるのが見えますか。あそこですよ」


 光は見えたが、それがどれほど近いのか、今の距離感ではさっぱりわからない。

 俺は暇つぶしと興味本位から、男のステータスをこっそりのぞいた。


あんこくまじゅつし

 レベル55

 性別: 男

 クラス: 古代暗黒魔術師

 HP: 380/380

 MP: 780/780


 力:73 体力:65 技量:108 敏捷:176 魔力:254 精神:191


 何だか久しぶりのステータス公開な気がするが、この数値、実際のところ相当に強い。

 レベルに関しても、通常プレイならこの時点で主人公が40くらいなので、一回り上だ。

 特にこの魔力の高さは格別で、レベル99のキーニちゃんでもこの数値には至っていない。


 ここに来てこのオッサンは一体なんだ!? と思ってしまう人多数だろうが、『ジャイサガ』スタッフが用意してくれた救済キャラ……というわけでは、もちろんない。


 さて、思い出してもらいたい。

 クラス【暗黒魔術師】が、世界でキーニちゃん一人だというのには、ゲームの都合的な話ではなく、設定から来るちゃんとした理由がある。


 彼女が使う〈古代暗黒魔法〉は人間の魔法ではなく、魔物の魔法である。


 さっきキーニが言いたかったのはこのことなのだ。


 人外の魔法を使う。

 こいつ、人間じゃない、かも。


 大正解。


 こいつは人間ではない。

 さらには味方でもない。


 実は、あの〈源天の騎士〉の一人〈実らぬ土〉の部下なのだ。


〈異大陸への道標〉。それが今回のイベントの名前だ。


 巨人の集落へ向かうこの洞窟は、普通に歩くと、ゲーム中最長、最大消耗率のダンジョンとなっている。敵も強い。


 ただ初回のみ、ダンジョンの入り口で佇むこいつをパーティーの空き枠に加えることで、道中をカットすることができるのだ。


 当然ながら、こいつは親切なオッサンではないので、いずれ俺たちに牙を剥いてくる。

 そのときの戦闘でこいつを倒せれば、最短ルートでイベント〈巨人の集落〉をクリアすることができる。ちなみに、負けてもゲームオーバーにならず、そのまま続行する特殊イベントでもある。ただし、洞窟入り口まで戻されてしまうが。


 だいぶ歩いた。まずは先手を取って、状況をコントロールする側に回ろう。


「もう正体を現してもいい頃合いじゃないか」


 俺の何でもないような呼びかけに、はじめ、誰一人として反応しなかった。


「えっ」


 と最初に口にしたのはグリフォンリースで、そのときでも男の背中は前方で止まったまま、微動だにしなかった。


「お望み通りの展開になったはずだ。このまま行くと、本当に巨人のところに着いちまうぞ。俺たちが彼らの武器をゲットするまで見守っててくれるのかな?」


 ややあって、その肩が不規則に揺れた。笑っているらしい。


「まさか、気づいていてわざわざ罠に飛び込んでくるとは……」


 気のせいか?

 男の背中が一回り小さくなった気がする。背も曲がり、腕は地面に垂れ、着込んだローブの余った布が、より一層深いシワを作る。


 しかし、そのローブのシワは、あたかも男が初めて語った己の素性のように感じられた。

 体は縮まったというのに、それとは反比例して、強烈な存在感が波となってこちらに押し寄せてくる。


「あ、あなた様! あれ!」


 パニシードが叫んでそれを指さした。


 振り向いた男の顔は、もはや異相と呼ぶことすら不可能だった。

 昆虫のように大きく膨れあがった目。

 皮膚は緑に変色し、口腔の奥から突き出した無数の触手は、大量のウナギをくわえ込んでいるようにも見える。


「愚か、愚かなり。ここではどれほど叫ぼうとも誰も助けには来てくれない。おまえたちはここで死ぬのだ」


 どこから発声しているのかわからないが、人間だったときの声でそう言ってくる。


「さて、助けを求めるのはどっちかな? グリフォンリース、キーニ、戦闘準備!」


 自信満々に言い放つと、背後にいた二人に指示を出した。


「待ってたであります!」

「……やる」


 そのとき、グリフォンリースが抜き放った武器を見て、暗黒魔術師の様子が変わった。


「ほう、その剣。あの〈ガラスの魔剣〉か。面白い。おい娘、その剣をこちらに渡すなら命だけは助けてやってもいいぞ」

「なっ……。お断りであります! これはコタロー殿がくれた、命の次に大事な武器であります!」

「ふん……。ならば、命と共に奪うまでだ!」


 本来ならこのやりとりの中で、


 ・あげます。助けてください。

 ・くたばれ、バカヤロー!


 という、相変わらず配慮に欠けた選択肢が出るのだが、まあグリフォンリースが丁重にお断りしたのでそれでいいだろう。


 ちなみに、あげると本当に助けてくれる上、巨人の集落までちゃんと通してくれる。


 魔術師が笑ったのが、雰囲気でわかった。


「どこでわたしの正体に気づいたのかは知らぬが、少し遅かったな。人間の武器など取るに足らぬが、愚か者の手向けに使ってやろう」


 暗黒魔術師は、異形になり果てた手で、魔術師用の杖を握り直した。さっき俺が渡したヤツだ。


 仲間が一瞬たじろぐのが空気の流れでわかった。

 あれは、店売りの中では最上格に位置する逸品〈トネリコの杖〉。

 俺にどんな意図があったのせよ、それが相手の手の中にあることは事実。


 敵の戦力は確実に増した。 


 ……中身が本物ならな!


 さっき、それを転ばぬ先の杖だと言ったが、すまん、あれはウソだ。


 本当は、転んだおまえをぶっ叩くための杖だよ!

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