第129話 きみがいる俺の居場所 安定志向!

 マユラを見たのはそれが最後だった――


 とかいう誰も望まない鬱展開にはならなかった。

 扉を開けてすぐ、俺は彼女と一秒ぶりに再会できたからだ。


 ――よかった。待っててもらえて。


 心から安堵すると同時に、冷めた背中がゆっくりと人の熱を取り戻していく。

 そんな俺に対し、月明かりがほのかに照らす青白い部屋で、マユラは乾いた微笑みを見せた。


「どこにも行けぬよ。我に、そんな場所はない」


 響きの重さが、俺に鉛を飲み下させた。


 神との会話を聞かれたことはもう確実だった。つまり俺が、マユラをこの世から消してしまおうと発言したことは、すでに伝わっている。

 俺はそれでも言った。


「おまえには〝ここ〟がある」

「……うん……。そうだな」


 悲しげに笑ってうなずいてくれるのは、彼女の優しさなのか。それとも、俺の言うことが信じられなくても、うなずくしかないという諦めなのか。


 揺らいでいる心が伝わってくる。

 ウンコ野郎か、俺は。


 一瞬でも早く彼女の心を治してやらなきゃいけない。

 彼女を揺さぶったバカ者の責任として。


「マユラ、ベランダに出よう」

「うん」


 夜間、離宮のベランダにはあまり出たことがない。見晴らしはいいのだが、とにかく寒くて夜空などのんきに鑑賞しているうちに、天国が見えてくるからだ。


 しかしこの冷たさが、俺の意識をシャープにしてくれた。

 手すりに身を寄せて、夜に沈んだ帝都の町並みを見下ろすマユラ。俺はそんな彼女を背後から抱きしめるようにして、手すりの上で手を重ねる。


「大切な話をする。おまえにとってショッキングな内容になると思う」


 マユラは俺に背中を預けるようにしてうなずいた。


「だがその前にこれだけは伝えておく。この話を聞いて、おまえは、心配したり不安がったりする必要は一切ない。これは俺にとってすでに過去の課題だ。今はもっと先のことについて考えている」


 マユラの背中が小さく揺れた。何となく、少し笑っているような気がした。


 俺は伝えた。

 ディゼス・アトラの正体を。

 女神の目的を。

 この世界のことを。


 魔王を倒さなければ、たとえ魔王が目覚めなくとも、〝黄金の律〟が崩壊して遅かれ早かれみんな死ぬ。

 生きているだけで危険な存在。


 それが自分だと知ることは、彼女にとってとてもつらいことだったはずだ。


「そうか」


 それなのにマユラは、どこかでそれを予期していたみたいに、短い言葉だけで受け入れた。


 だけどごめん。手が重なっているから、背中を預けられているから。おまえが小さく震えているのがわかってしまった。こんなこと、知らずに済むなら知らないままでいたかったって気持ちが、痛いほど伝わってしまった。


 だから俺は、次のことを強くおまえに言う。


「おまえを救う方法を見つけた」

「えっ……」


 マユラが振り返ろうとする。が、俺は耳元でそれを制した。


「まあ待て。ここから先は二人だけの内緒話だ。女神にも聞かれたくない」


 本来なら口にすべきですらないのかもしれない。

 万が一女神に聞かれるようなら、すべてが破綻する恐れもある。


 だが、伝える。

 信じてくれの一言で彼女の不安を封殺するのは、俺自身が許さない。


「実はな……」


 俺は計画を打ち明けた。

 神に弓引く、その醜悪な計画を。


「コタロー、おまえ……! そんなことが本当にできると……!?」


 驚いてまた振り向こうとした彼女の手を手すりにつなぎ止め、俺はニヤリと笑う。


「俺はできることしか実行しない臆病な男だ。そのために〈アークエネミー〉を作る」

「……本気、か……?」


 マユラが先ほどよりもはっきりと動揺を見せた。


「冗談でそんな面倒くさいことするか。それにマユラ、次でおまえもっと驚くぞ。〈アークエネミー〉を味方に引っ張り込む」

「ばっ……バカもむむ……!!」


 俺は慌てて彼女の口を塞いだ。あんまり騒ぐと、隣の部屋の仲間を起こしてしまう。

 マユラが俺の手に小さい指を引っかけ、引き剥がそうとする。その力の小ささに、彼女が冷静になっていることを察し、素直に手を離してやった。


「〈アークエネミー〉がどういうものか、おまえはわかっているのか……?」

「わかってるよ。だからこそヤツが必要だ」

「……わ、我のためにそこまでする必要があるのか?」

「ある」


 俺が間髪入れずに断言すると、マユラは目を丸くした。


「俺はさっき、行く当てもないと言ったおまえに〝ここ〟があるって言ったな」

「う、うむ……」

「意味はちゃんと伝わってるな? おまえの居場所はここだということだ」

「ぜ、全部言わなくても……ちゃ、ちゃんと伝わっているから……」


 マユラの背中の体温が少し上がった気がした。俺はさらに問いつめる。


「本当か? なら、〝おまえがいる〟〝ここ〟が、俺の居場所だってことも伝わってるか?」

「ふ、ふぇ……?」

「おまえがいなくなったら、俺の〝ここ〟は壊れる。おまえを守るのは、憐憫でも同情でもない。おまえが要るからだ。俺には、おまえが、要る」


「…………そ」


 そ?


 マユラはばっと振り向き、俺に人差し指を突きつけた。

 その顔は、まったく彼女らしからぬ真っ赤な色に染まっていた。


「そういうことは、まずオトモダチとして何ヶ月か付き合ってから言うものだとミグが言っていた!」

「へ……!? あいつから何を習った!?」

「そ、それに、いくら月しか見てないと言っても! 式を挙げてからでないと我を抱くことは許さん!」


 式? 抱く!?


「マユラがミグさんに変えられてしまった! ちょっと前までは絶対こんなこと言うキャラじゃなかったのに!」


 俺たちが留守中、離宮は離宮で色々あったということか!? 誰か番外編にまとめて俺に報告してくれ!


「落ち着けマユラ! 今俺が話してることは、そういうラブコメに発展する話じゃない!」

「じゃあ何だと言うのだ! これが戦友同士の会話だとでも言うのか? 我はおまえに守られてばかりいる! 我がおまえにしてやれることは、きっとミグ的な何かしかないのだ!」


 ミグ的な何かって、三姉妹の長女はどういう存在になりつつあるんだよ!


「いや……実はある!」

「えっ」

「その話をしようとしたらなぜか猛烈に脱線した」

「うっ……。そ、そういうことなら早く言えっ……」


 マユラがたじろぎ、横髪をわしゃわしゃと掴んで真っ赤になった顔を隠そうとしている。何だそのあざと可愛いアクションは。ミグか? ミグが教えたのか?


 疑念は尽きなかったが、俺は話を正しい軌道へと戻した。


「〈アークエネミー〉についてだ」

「う、うむ」

「ヤツを味方に引き込む手順は、一応考えてはある。ただ、俺にとってちょっとイレギュラーな行為だから、確実性に欠ける」


 ここでのイレギュラーとは、つまり、このチャートが『ジャイサガ』の領域を逸脱していることを示す。すなわち、これはバグ技ではない。


 俺が初めてする、この世界での冒険なのだ。


「もし、ヤツが俺の提案を拒否するようなら、マユラ、おまえの力――いや、おまえの言葉を貸してほしい」

「……!」


 マユラの表情が凛と引き締まり、挑戦的な微笑みが浮かんだ。


「なるほど。わかった。やってみよう。そのときが来たら、遠慮なく我を使え」

「頼むぞ」


 俺は戦友に差し出すように、右手を向けた。

 マユラはそれをがっちりと――は握らずに、何だか指の先っぽだけを、やけにしっとりとした手つきで握った。


「う、うむ。おまえと我の、約束だ」

「……何でまた顔を赤くしてるんだ?」

「て……手を握るのは、付き合い始めてから二十四時間が経過してからだと、ミグが言う。せ、性急なのは、よくないことだ。互いをよく知る前に閨を共にするようなことがあってはいけないのだ」

「だから無意味なラブコメの波動を出すなって――!」


 言いかけた台詞の終わり部分を、バアンと開かれた扉の音がかき消した。


「何かご用に違いないと察知して!」


 グリコみたいなポーズで現れたのは、ケモ耳メイドのクルートだった。深夜にもかかわらず、メイド服姿に一部の乱れもない。


「何やら胸騒ぎがして起きたであります。コタロー殿、これは?」 


《徒歩で来た》《ねむい》 


「何かの波動を関知しましたご主人様」

「ミグが起きたから何かわたしも起きたよ」

「あれれ~。ご主人様の部屋にマユラ様がいるよ~。何してるノカナ~?」


 続いてみんなが現れた!


 …………。


 ほらさ。


 何かこう……こうなるからさ。


 しんみりするいい話の最中に、ラブコメ要素を持ち込むのはやめような。

 な?


 このあとメチャクチャラブコメ的弁解をしました。

 便利なオチだと思ってんじゃねえぞ!?

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