第128話 反逆チャートの最後のかけら! 安定志向!

 終わる……!

 不条理世界は、いずれ終わる!


 俺の頭の中を、だからどうしたという結論を放棄したまま、この言葉だけがもの凄い勢いで駆けめぐった。


 手足が震え、心が揺れる。

 心地よい震えだ。


 おかしい。俺にとって揺らぎというのは絶対悪で、犬のように喜びに震えることより、死んだセミのような安らかな静止が勝る。そう思ってきたのに……。


 俺は、この震えるほどの喜悦を、心から歓迎している!


 何が起こっているんだ俺に!?


 おちおちおちおちおちおちけつ。

 五の倍数をかぞえて落ち着くんだ。


 五の倍数は九九の中でもっとも最初に習う数字。五という安定感バツ牛ンな語感が、俺に安定をもたらしてくれる……。


 四、八、十二……

 違うだろバカ! 四は五から軸となる一を抜いた不安定な数字! 七の段の次に俺の平穏を奪う!(あくまで個人の感想です)


「あ、あなた様?」


 耳が不安そうな呼びかけを拾い、俺ははじめて、自分が床に突っ伏して頭を抱えていることに気づいた。


「大丈夫ですか」


 特に気遣う様子もない、空々しい女神の声も頭上から降ってくる。


「…………大丈夫だ」


 俺は平静を装いながら立ち上がり、特に汚れてもいないのにズボンをぱっぱと払い、モビルアーマー化している女神を見上げた。小さく息を吸い、


「もう一度確認したいんだが、不条理世界は終わるんだよな? そうでなければ、今もその状態が続いているはずだもんな?」

「そういうことです。もっともその間に、不条理の数々によって、現行生物のほとんどは死に絶えるでしょうが」


 生命の断絶。〈ガラスの民〉と〝澄んだ人〟の繋がりを歴史上切断した、悪魔の災害。大洪水の伝承なんてレベルじゃない。語る者さえ残らない、究極の崩壊。


「女神様が直してくれたのか?」


 それを聞くと、女神はじとりとした眼差しを俺に向けた。


「わたしに直せと?」

「えっ? い、いや、だって俺がでかい穴開けたときも直してくれたんでしょう?」


 思わず言葉遣いを改めてしまう。


「あなたの開けた穴は大したものではないと以前説明したでしょう。一旦不条理に陥った世界は、わたしだけの力でどうにかできるものではありません。〝黄金の律〟の再生力が必要です」

「それでも、どうにか直ったわけだ」

「そうです、が。だからと言って、あなたが〈導きの人〉として手を抜いていいことにはなりませんよ」

「そこは重々承知しております」


 俺は折り目正しく礼をする。


 話をしているうちに頭の中でさっきの興奮が冷え固まり、徐々に思考の形が鮮明になってきていた。

 もう少し。あと少しで、重大な発見ができる。そんな予感がある。


「あの当時に比べると、〈導きの人〉の負担も大きく減りました。ほころびの中心である魔王を、人の力でどうにかできるのですから」


 かつてを思い出すように彼女は言う。「最近の若い者は」系の嫌みだと思ったのか、パニシードが首をすくめるのがわかったが、俺は逆に自分の中で何かの歯車が小さく巻き進んだのを感じた。


 ここに何かヒントがある。言葉尻を追いかけるようにして、質問を投げかけた。


「以前の魔王はもっと力があったと?」

「力に大きな差はありません。違うのは、世界が滅ぶまでの猶予です。魔王が初めて現れた〈ガラスの民〉の時代では、あらゆる進行があまりにも早かった。それで誰も対処できなかったのです」


 猶予。猶予だと? 猶予だとおおおん……!?


 ……来た。来た、来た、来たっ……!


 わかった。わかったぞ。認めよう。俺の後半チャートは完璧じゃなかった。

 だが過去形だ。たった今完璧になった!


「つまり……〝黄金の律〟は、魔王に対する耐性がついてきているのか?」


 それが、俺の後半チャートの最終結論に欠けていた、もっとも重大なピースだった。


「…………コタロー」


 浮かれる俺に、女神は訝しげな顔を向けてきた。


「なあんか、察しがよすぎますね。よからぬことを企んでいたりしないでしょうね?」

「えっ……!?」


 し、しまった! 調子に乗ってしまった! しかも今、あからさまに動揺してしまった!


 俺が女神に従っているのは、あくまでフリだ。

 裏では彼女と〈導きの人〉の使命に対し、完全なる反逆を企てている。


 もしバレたら……。どうなるんだ?

 わからん! 最悪、元の世界に強制送還!?


「わかっているんですか?〈導きの人〉が使命を果たせなければ、少なくとも今この世界にいる生き物はほとんど死に絶えることになるんですよ?」

「わ、わかってます!」


 ごまかせ! 今は幼女の足の裏をなめてでも、こちらの真意を悟られるわけにはいかない!


「あなたは、あのマユラという少女の中に眠る魔王を、たとえ器を引き裂いてでも引きずり出し、打倒しなければならない。今は、あなたがそれにたる力を得ていないと判断し静観していますが、もし情に流され不必要に決断を先延ばしにするようであれば、他の〈導きの人〉たちに指示を出すこともいといません。そのことに対し、わたしは自分を非情だとも卑怯だとも思うことはないでしょう」


 ぐぎぎ……。耐えろ、耐えるんだ俺ッ……! このウソは……この不安定は、今の俺には必要な苦しみだ!


「わ、わかってますって。ふ、不条理世界に陥ったら、マユラだって生きてはいけないんだ。だ、だったら、い、い、いっそのこと……」


 言った直後、誰かが息を呑んだのが、なぜかわかった。

 女神の視線がすっと動いたのを見て、俺は弾かれるように背後を振り返っていた。


「あ……」


 神の座から離宮へと通じる扉が半開きになり、そこから一人の少女の強ばった顔がのぞいていた。

 小さな肩。背中にストンと落ちるようなストレートの金髪。ツリ目がちの大きな青い瞳。


 マユラ。


 どうしてこんな時間に、俺の部屋に……。


 いや、そんなことより、今のを聞かれた……?


 俺が体を向けると同時に、マユラは押し出されるようにして扉の奥へと身を引いた。


「マユラ、待て!」


 俺の叫びは、その直前で閉じられた扉に跳ね返された。

 パニシードが絶句し、女神が嘆息するのがわかった。


 この部屋にとどまる理由など探しもしなかった。

 俺は獣のように、自室へと続くドアノブに飛びついた。

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