第125話 深きに眠る器の部屋! 安定志向!
『ジャイサガ』における戦闘時のドット絵のでかさは、インパクトの大きさを引き出すと共に、そいつの強さの証明でもある。
〝澄んだ人〟の外見については説明したとおりで、こいつは画面に最大二体までしか入らない中型に分類される。
戦闘時の名称は〈ネモ〉。
頭頂部の口を大きく開いて乱杭歯を見せつけ、不気味なほどに長い両腕を前に伸ばして、掴みかかるようなポーズで表現されている。
この時点で小学生の俺はクッソ半泣きなのだが、その強さによっても涙を浮かべることになる。
尋常でないほど攻撃力が高い。
はずれることも多いが、当たれば前衛キャラでもまず瀕死。魔導士タイプがいる場合は後列でも一発で落ちる。威嚇的なドット絵の通りの凶暴さなのだ。
救いがあるとすれば、防御力が低いこと。燃費を考慮せずに全力で最強技をつぎ込めば、まあどうにか無傷でやり過ごせる。そこで攻撃がミスり、結果的に仲間が落ちるようだと、語彙力の乏しい小学生の口から「うんこうんこ!×n」と実に小汚い罵声がほとばしることになるだろう。というかほとばしった。
幸い、乱数固定によって、今の俺たちが彼らと遭遇することはない。
……と思っていたのだが、それは間違いだったと、ファーストコンタクトで判明した。
遭遇はする。ただ、あちらはこちらに気づいていないようで、目の前を素通りしていくのである。
あの奇声を口から吹きこぼしながら。
襲われる危険がないなら、肝試し中の小学生みたいに校歌を詠唱しながら小便チビるのを必死に我慢する必要もないのでは? と思われるかもしれないが、俺の恐怖は単なる難敵に対して抱くものとは少し異なる。
そして、同じような感覚を、パーティーも抱いたようだった。
みんな、説明のつかない拒否反応を〝澄んだ人〟に持ち、彼らが近づくたびに無言のまま俺のまわりにさっと集結するようになった。
トラウマ再燃でさっきから体温が無制限低下中にある俺には、この逐一のアクションはうっとうしいどころか、大変ありがたい。前後左右をがっちり固められれば、人間は揺れようがないのである。狭いところに挟まると心安まるスキマット現象と同じだ。
そうしているうちに、俺たちはこのダンジョンの中核となる施設へと足を踏み入れる。
巨大シャンデリアの中心部。宮殿として見えていた建物だ。
ここは外見に相応しく、周囲の質素な民家に比べて、はるかに豪奢な内装を持っている。
壁に動物を象ったガラスの彫刻があったり、タペストリーが架かっていたり、朝焼けか夕焼けかを描いた風景画が飾られていたり、大きな照明があったり……ただしそれらはすべて逆さまなため、本来の装飾美とはかけ離れた、いびつなセンスの品評会と化していた。
「あの……コタロー殿?」
「……何だ?」
宮殿内の高い天井を踏みしめながら、俺はいやそうに対応した。大切なグリフォンリースちゃんにこんな邪険な態度を取るのは、彼女が次に言うことがほぼわかっているからだ。
「……何か聞こえなかったでありますか?」
「……………………」
最悪だ。俺は耳を塞ぐように頭を抱えた。
……あれ、やっぱりBGMの一部じゃなかったのかよ。
「……グリフォンリース様もそうなら、空耳じゃなさそうですね」
俺の代わりにパニシードが答えると、他の仲間たちも口々にそれについて言及する。
「……女騎士君も聞こえたのかい?」
「じゃあ、姉さんも?」
《…………》《笑い声》《した》《子供の》
あああやっぱりィ!
「人がいるでありますか?」
「そう、なのかな。ちょっと信じられないけど」
「しかも、こんな状況なのに笑い声とは……」
あっ、頭が痛くなってきた……。
これは『ジャイサガ』でも有名なオカルトなのだが、天球のブヨブヨした音楽は、一ループ目と二ループ目では異なる楽曲が使われているとされている。というのも、普通に流す分にはまったく同じにしか聞こえないのだが、音量をかなり大きくしていると、時折奇妙な雑音が混じるのだ。
『ジャイサガ』界隈には、洗練された無駄のない有益な才能と、無駄のない有益な資材を無駄に使うことに長けた無駄な人間が無駄に多くおり、そのうちの一人が、以前大学で音響の研究をしていた経験から、その雑音の波長を分析した。
結果、それは子供の笑い声とよく似ていることが発覚した。
音声データに本来あるはずのない異音が混じり込むというのは、ゲームに限らずあらゆるジャンルでお決まりのホラーである。
無論、ここでも俺たちは「たまたま似ていただけ派」と「いや、何かあるよ派」に分かれ、ネット掲示板で壮絶な言葉の殴り合いを始めたわけだが、最終的には「何かある派」が勝利する。理由は、そっちの方が「らしい」からだというもの。
そう。その方がらしい。この天球では間違いなく。
俺たち「たまたま派」だって、それには逆らえなかった。
そしてそれは、今、それを現実としている俺たちにも聞こえてしまった。
もう、疑う余地はない。
本当に子供の笑い声だ。
ということは……。あの〝仮説〟は正しいということになる。
わかってはいたが、事実だとわかると背筋はよけいに寒くなり、俺を氷の骨格標本に変えた。
不意に、俺の手が柔らかい優しさに包まれた。
《コタロー》《震えてる》《寒いの?》《わたしを湯たんぽにしていいよ》《ほっぺとか》《特に温かい》《ぬくぬくせよ》
キーニちゃんが俺の手を取り、赤みの差した自分の頬に当てた。
かじかんだ指先に、春の吐息のようなぬくもりがじんわり浸透してくる。
なんだこれ優しすぎる天使か。
「コタロー殿、ダンジョンの奥地でござる」
「は、はい。わかっておりますグリフォンリース殿」
なぜかござると化したグリフォンリースに「殿中でござる」みたいに威圧され、俺はキーニちゃんから離れた。
BAL値(均衡値)は雀の涙ほどではあるが回復した。なんとかもう歩けるよキーニちゃん。
探索を続行する。
ほとんどの扉は開かず、単なる坂でしかない階段の天井を這い上がり、どうにかたどり着いたのは、光量の乏しい広大な空間だった。
位置的には、天球の最下層に当たる。天地が逆転する現在では、最上部だ。
「何ですか、これ……」
パニシードがつぶやく。
そこが何の部屋なのか、正確な名称を予想できる者はいなかった。
むかって左右の壁一面に、卵を思わせる容器が大量に並んでいる。
その数、数百。いや、下手をすればもっと。
容器といっても、人が一人楽に入れるくらいの大きさがあり、見る者によっては個人用のシェルターか何かとも受け取れる。
現に、正面のフタが開いているものと閉じているものがあり、その様子から見ても、大きな何かを中に入れておくものだというのは何となくわかる。
……ここが問題の地点。
「中を調べるぞ」
容器は一つ一つが壁に仕切られており、周辺には足場となるものも多かったため、最下段から最上段まで調べることは可能だった。
「窓がついてるんですね。中に何が入ってるでしょう」
俺の肩から飛び上がったパニシードが、容器の窓ガラスをのぞき込む。ここでも植物化が見られたが、進行度はさほどでもないようだ。
「ぱぎゃ!」
突然、パニが弾かれるように飛び上がり、俺の鼻先にしがみついてきた。彼女はぶるぶると震えながら、
「い、いますよあなた様! 終わり! 調査終了です! 我々は何も見つけることはできませんでした! はい以上!」
「魅惑的すぎるからそれ以上はやめろ」
俺は容器に近づき、パニシードが見たものを目視する。
仲間たちも恐る恐る、俺を盾にするように脇からのぞきこんだ。
――〝澄んだ人〟が中にいる。
容器の内側で逆さまになったまま動かない。……死んでいるようだ。
観察などしたくもないのに、目の焦点はその異様な姿をつぶさに精査していく。
外を歩いている連中とは様子が異なる。
首の位置が右肩の方に偏っており、目は顔の横に、口はのど元にある。
続けて隣の容器をのぞく。こちらも死んでいる。
顔の位置こそ正常だが、体の側面にすべての腕と足が集中している。
……人間の認識能力がもっとも働くのは、相手が人型をしているときだという。
人間の目は、いつでも仲間の姿を探しているのだ。
よって、人型だと思って注視したものが、実はそうでないとわかった場合、言いしれぬ恐怖や不安感を抱くことになる。
俺と仲間たち、それを実体験中。
「こ、こいつら、ここから出てきたんですね。お、檻か何かだったんでしょうか?」
パニシードが俺の耳たぶにしがみつきながら言う。正直こそばゆい。
あいつらここで作られてたんだ! つまり生物兵器か! ……とか、考察の甘い当時の俺は考えていたりしたわけで、パニシードの発想を無下にすることはできない。
だが違う。その後に知ったもっと真実に近いものは、残酷だった。
下段にある容器の中身は、この〝澄んだ人〟の死体しかなかった。
俺は、いやがってるくせに離れようとはしないパニを引き連れ、上段の容器へと向かった。
大勢で行っても狭いだけなので、仲間たちは下で待たせている。
閉じている容器の前を素通りし、開いているヤツへと近づく。
そこでようやく発見する。
このダンジョンの最重要アイテム。目玉を模した〈奥の瞳のペンダント〉だ。
後の進行において、これはある障害をクリアするための必需品になる。
だが、よりにもよってそれは、中にいる〝澄んだ人〟の死体が握っていた。
俺はごくりとのどを鳴らした。……本当に死んでいるのか?
いや、ここでの強制戦闘は発生しないはずだ。
大丈夫……大丈夫……。
俺はそっと手を伸ばす。
「あ、あなた様っ……」
やめろばかと言いたげにパニシードが俺の耳を引っ張ってくる。
大丈夫、大丈夫……。
ペンダントに指先がふれる。
瞬間。
かああああああうあああああああああああああ……。
それまで微動だにしなかった〝澄んだ人〟の口から恨めしげな呼気がもれ、血走った白目の中心が俺を見据えた。
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