第124話 逆天の遺跡! 安定志向!

 残念ながら、キーニちゃんを抱きしめたまま進むのには無理があった。ここは手を繋いでもらうことで妥協する。


 先頭を行くグリフォンリースが、時折物ほしそうに振り向いてくる。

 そんな彼女に対し、集中しろとか、真面目にやれとかは言わない。

 ここでも例の乱数固定は効いている。敵とエンカウントすることはないのだ。


 しかし、敵としてではなく、何らかの形で接触することは十分に考えられる。

〝澄んだ人〟と。

 そのときに備え、今は圧倒的に俺を構ってくれてかまわない。よってチラチラ見てこいグリフォンリース。俺は心細いんだよ!


 現在、俺たちは天球内部を中心に向かって進んでいる。

 本来の通路が天井に張りつく逆さまな状態のため、扉は天井付近にあり、照明は足下にあるという歪な構造になっていた。

 そしてこの明かりは、


「うう、また冷たい光ですよ。あなた様」


 パニシードがもぞもぞと服の中に退避する。


 あの地下都市と同じく、照明は冷気を放ち、ガラスケースの一部が変異して、ツタを生やしていた。

 が、通路の気温自体はそれほどでもない。そばを通ると少しヒヤリとする程度だ。

 ここでの被害はまだ軽微なようだった。


「ここまで来て、進入不可能な場所があるのは勘弁願いたいね」


 ラナリオのつぶやきが杞憂であることをすでに知る俺は、前方に大きな空間の開きを感じ取って、自然と足を速めた。


 そこには、驚くべき光景が広がっていた。


 町だ。


 無数の尖塔を持つ宮殿のような建物を中心として、周囲を大小様々な家屋が取り囲んでいる。

 町並みは青ざめた光に彩られ、寒々しいと同時に、雪の冠に彩られた北国に似た神秘的な印象も抱かせた。


 そしてそれは、すべて俺たちのはるか上。天井に張りついているのだ。


 あまりにも巨大なシャンデリアに、言葉もなく立ち尽くす。


 ゲームで一度は見た光景でも、あちらは所詮はドットの世界。実物になったときの感動は桁外れだった。

 天地が入れ替わるという事故によって生まれた、ぞっとするほど美しい非現実感。


 果たしてこれを、伝聞する人々にどこまで正しく説明できるだろうか。

 直視している自分でさえ、これを現実と受け止められないというのに。

 俺たちはしばらくそこにとどまっていた。


 最初にその感動の呪縛から逃れられたのは、やはり多少なりとも予備知識のあった俺だった。


「下を見てみろ。あっちにも何かある」


 今いる横穴の縁から下方をのぞき込み、みなを促すと、彼女たちは眠りから覚めたように動き出した。


《大きな穴がある》《でも、何かが浮いてる》《ガラスが張ってあるの?》《あれが本来の天井?》


「ここが逆さまになったときに、色んなものがあの採光用の天井に落ちていったんだろうね。天井をガラス張りにするのは、地下都市と同じか」


 ラナリオが観察するとおり、天球本来のガラスの天井の上に、何かの残骸らしきものがぽつぽつと落ちている。

 が、その数は多くない。

 上部の町が崩れれば、自然とあのガラスの底に落ちていくことになるので、ここではそうした劣化がまだ起こっていないのだ。


「やっぱり〝澄んだ人〟たちは、土の中に特別なこだわりがあるのでありますね」

「そうだな」


 空の上に球体の島を上げ、わざわざその内側をくりぬいて町を作った。

 自分たちを土で囲み、けれど太陽は忘れられずに天井にガラスを敷き詰めて。


 ……はっきり言って迂遠に感じられる。

 一体何が、彼らをそんな行為に走らせたのだろうか。


「姉さん、梯子があります。これで上の方に行けますよ」


 これが階段だったら、逆さまな町では単なるギザギザの天井にすぎなかった。梯子を付けてくれた古代の人々に感謝する。


 俺たちは天球の町を目指す。

 元々、さほど大きくない閉鎖空間である。すぐに市街地へと入り込めた。


 しかしそこでも問題はある。

 道路が天井にあるということは、俺たちが歩ける道はほとんどない。


 背の低い家屋と家屋の隙間も、今はガラスの底まで続く奈落に等しい。

 天地が逆転した世界というものは、いつだって空に落ちていく危険をはらんでいるのだ。


 それでも、天井つきの気取った通路を見つけて進むことができた。

 グリフォンリースたちは、この不可思議な町の探険を、どこか楽しんでいるようでもあった。


 気持ちはわかる。

 普段は通れる道が通れず、逆にいつもは気にもとめないものが足場になったりする。それは新鮮な驚きだった。


 俺でさえ、かすかに心が躍るほどだ。

 何も知らなかった頃。最初にこの町を楽しく探索したときのように。


 だが、初見プレイ時も奇妙な感じはあったと、今なら思い出せる。


 言ってもここは天空の古代都市である。

 そんなロマン溢れるロケーションに対して、ゲーム慣れしている者ならば「風」「サワヤカ」「神秘的」などの肯定的なワードをいくつも思い浮かべることだろう。


 そして何より、その雰囲気をあますことなく伝える素敵な音楽!

 コントローラを置き、しばらくその旋律に聴き入ってしまうような神曲が流れるのは、想像にかたくない。


 しかし、ここのBGMは全然サワヤカではなかった。

 何というか……ブヨブヨしているのだ。


 恐怖を煽るというよりも、何かの歯車が狂ってしまったような場所、という印象を抱かせた。


 音楽というのは、言語を介さず感情をダイレクトに伝えることのできる文化だ。制作者が意図した不気味さは、このときすでに、俺ボーイの心に小さな楔を打ち込んでいたことになる。


 るるぅうぇるるるるうううううるるる……。


 唐突に聞こえた異様なうなり声が、俺たちの足をその場に張りつけた。


 えううううううるうるるううえええええううううう……。


「あの地下都市でも聞いた音であります……!」


 グリフォンリースが身構えながら、声を緊張させた。

 俺は心臓を鷲掴みされた気分だった。


 天球での出現モンスターには明確な分布がある。

 アンノウンが現れるのは、天球の外側のみ。

 内側に現れるのは。内側に現れるのは……。


 おうううううおおおおおおおおええええええあああうううう……。


〝澄んだ人〟だけだ。


 そいつは、俺たちが向かう建物の入り口奥を、横切っただけだった。

 こちらに横姿を晒したのは、ほんの一秒ほど。

 それでも、誰の目にも鮮烈に映ったはずだ。


 半透明な液体のような、群青色の肉質。

 あくまで人型を取りながらも、凹凸のない、風船人形のような輪郭。

 異様に高い身長に、足首付近まで届く長い腕と、指。


 そして、もっとも違和感を覚える、顔の位置。


 人間として見たときの本来の顔面の位置より、やや上側にある。

 いわば頭頂部に口があり、そのやや後頭部寄りに、白目らしきものを張りつけているのだ。


「元々そういう生物である」というよりも「何かのはずみで顔の位置がずれてしまった」と思えるような不可解で不気味な造形が、俺の背筋を極低温で焼いていく。


 完全に仰向いたまま、彼らは、べたりべたりと足を叩きつけるような不格好な歩き方で、俺たちから遠ざかっていった。


 これが伝承に残り続けた〝澄んだ人〟の本当の姿。

 この遺跡の主だ。


 俺たちは全員揃って回れ右すると、元来た建物に駆け込んだ。


「気持ち悪い! すごく気持ち悪いですあなた様!」

「なっ、何でありますかあれはあああっ……!」


《キモすぎる》《なにあれ》《あんな生き物見たことがない》《普通の魔物じゃない》


 部屋の隅に一塊りになって、全員でブルブル震えだす。


「お、お、落ち着くんだ諸君。君らは探索者だろう? 奇妙な怪物ならいくらでも見てきたはずだ。クソッ、けれど何だこの生理的嫌悪感は……! 単なる水っぽい魔物だと思えばそれまでなのに、何かが猛烈に気持ち悪いぞ!」

「姉さん、あれはもしかして……」


 アルフレドの発見を横取りしてしまう形になるが、俺もはっきりと断言せずにはいられなかった。この悪寒を少しでも吐き出したかった。


「あれは〝澄んだ人〟だ。きっと」


 アルフレド以外の全員が目を剥いて俺を見つめる。


「〝水の人〟〝人影のようなもの〟。他の伝承での呼び名とも当てはまる」

「待ってくれ少年。じゃあ、あの地下都市や、この空飛ぶ島は、彼らが作ったっていうのか? あんな知性のかけらも感じない怪物が?」


 ラナリオが悲鳴のような拒絶を示す。


「…………」


 俺は押し黙った。

 違うんだ。正しくは、彼らじゃない。だが、それを伝えられるだけの根拠が、今の俺にはない。なぜそこまで知っているのかと問われたときに、明示できるものがない。


「でも……確かにコタロー殿の言うとおりだと思うであります」

「ん……」


 口をつぐんだ俺に、グリフォンリースとキーニがうなずいてきた。

 ラナリオも反省するように頭を掻き、


「……そうだね。つい感情的に反発しちゃったけど、実はわたしも、さっき言われて、そうだっ、て思っちゃったからね。でもだとしたら、伝承に何か情報の断絶がある気がするよ。悪いけど、やっぱりあの怪物が文明を持っているとは思えない」


 聡明だ。

 その認識はきっと正しい。


 今から向かう場所に、それをみんなにきっちり伝えられる物証があるといいのだが。

 俺たちは〝澄んだ人〟の奇声が完全に消え去るのを待って、再び奥へと進んだ。

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