第121話 方舟伝説! 安定志向!

 俺たちが帰還したことで帝国図書館は大騒ぎになった。


〝澄んだ人〟と、その都市遺跡の存在の実証。および、世界最古の史料である〈リグ・アデナルキア〉を上回る〈ガラスの魔剣〉らしきものまで持ち帰ってきたのだ。

 これほどの大発見は史上初と言ってよく、俺は再び帝都の歴史にいらない名前を刻むことになった。


 が、そんなお祝いムードもそこそこに、俺たちはすぐに帝都を発った。

 もちろん、地図で示された例のポイントに向かうためだ。

 クラリッサにもそのことは伝えてあったが、そこに何があるのか彼女にも見当がつかないと言う。

 俺たちは未知の伝説へと向かおうとしていた。


 ※


 たどり着くまでの道のりは、むしろ〈凍てつく都市〉より易しかったと説明しておこう。あの猿に揺られずに済んだことは、道中の快適さを2000%くらい持ち上げる効果がある。


 そこは、地図上では、これといって何の変哲もない場所だった。

 ただどの集落からも遠く、これといった目印もなく、何かを目指してやって来るようなところではなかった。だから今まで発見されなかったのだろう。


 俺たちは思いの外あっさりと、それを目にすることになった。


「ナッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッハアアアアアアアアアアアアア!」


 ラナリオの天を衝くような叫び声が、周囲の山々に木霊する。

 うまく感動を表せたのは彼女だけで、その他のメンバーはその光景にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


 そこにあったのは、白亜の船だった。


 山の上に船?


 ここで「船頭多すぎィ!」とツッコむのは、日本語がすごく好きなヤツ。

 それほどでもない人間は、こっちの方を想起するだろう。


 ――ノアの方舟。


 洪水伝説でおなじみのノアの方舟が、トルコのアララト山に漂着したという伝説は、小学校高学年以上の男子がみな持っていなければならない常識だ。


 女子が男子を排した秘密の授業を受けていたあの日、男子もまた女子を排した教室で、こうした世界の秘密を男性体育教師から教わるからである。


「方舟だ……方舟だよ諸君!!」


 ひざまずいて絶叫する彼女は、男子に混ざって授業を受けていたのだろうか? ってくらい興奮している。


「どうしてこんな山の上に船があるのでありますか?」

「作ってから浮かべる水がないことに気づいたんじゃないですか?」


 グリフォンリースの模範的な質問に対し、パニシードが小馬鹿にしたような顔で答えた。そんなオイシイやりとりを見逃すような冒険家先生ではない。生気を滾らせ、二人の間に割って入る。


「洪水のせいだよ、女騎士君! 洪水伝説をご存じない? 世界は一度海に沈んだという伝説が大陸中にあるんだ! この船はその大洪水を乗り切った、まさに助け船というわけさ! 文明は川縁で起こるから、川の氾濫が伝説の起源となっているという説があるけれど、山の上であるオブルニアにすらあるのだから、一概には言い切れないと思っていたねわたしは!」

「は、はあ」


 グリフォンリースとパニシードはちゃんと女の子の授業を受けていたようなので、ラナリオのハイテンションにやや押され気味だ。


「そして実際に方舟がここにあるんだ! 洪水伝説は比喩なんかじゃない。事実だったと考えるべきだよなあ弟ォ!?」

「姉さんがこんなテンションで呼びかけてくるのは初めてで怖いです」

 

《その伝説なら》《わたしも知ってる》《古代魔法を調べる上で必ず行き着く》《ただ》《方舟が何の役目を果たしたかは不明》《これが本当にそうなの?》


 キーニが困惑した顔で問いかけてくるが、俺にできるのは自信のない苦笑で即答を回避することだけだった。この方舟の正体を知る者としては、彼女たちが知る伝説と、目の前の物体が符合するかは定かではないので、迂闊な返事はできない。


 俺にわかるのは、これがさらなる世界の異物である〈天球〉へと繋がる入り口にすぎないということだけ。


「さ、早速調べてみよう!」


 ラナリオが笑う膝を叩きながら一歩を踏み出すと、俺たちもそれに倣った。


 近くで見る方舟は巨大だった。

 グランゼニスの俺が住んでいたアパートくらいは入ってしまうかもしれない。

 船体の白さは塗料の色ではなく、材質そのものの色であるようだ。


「……これ、石か?」


 俺は唖然としながらつぶやいた。ゲームでは単なる白い船にすぎず、材質なんてわからなかったので、これは純粋に驚きだ。


「石って浮くのかな……」


 鉄の船だって浮くのだから、石の船だって浮いても不思議はないのだが、物珍しさが常識を上回って俺の口を滑らせた。


 船腹はまるで丸太の代わりに石柱を用いたように組まれており、船の形をした神殿のような印象を抱かせる。

 その巨大さゆえ、船底から甲板までの高さもハンパなかったが、岩肌にもたれかかるように斜めになっているため、内部への進入は容易だった。


 扉のない出入り口から一歩踏み込んだ直後、靴底が既視感を訴える。


「この感じ、〝澄んだ人〟の町の床とそっくりだ」

「ああでも、あの寒さがないのはありがたいですね」


 パニシードが言う。

 確かにここにはあの寒さはない。


 傾いだ船の中は、「床は水平になっているもの」という先入観も相まってヤバイくらい歩きにくかった。

 以前の探険でも利用したトーチを手に、船腹内部を進む。


 my故郷の豪華客船は、船の上に高層マンションがぶっ建っているような構造だが、方舟は船腹にすべての空間が集中する形だ。


「内部も広いな」

「人類脱出用の船だからね。伝説では、これに乗って大勢の人々と動物たちが難を逃れたと言われている。我々のご先祖様だね」


 地上の命が途切れかけた瞬間だった……というのは大げさか。

 これまた我が地球の話だが、あちらでは海洋生物含めて五回ぐらい途切れかけて、それでも存続している。星を水洗いした程度、生命にとっては危機の内にも入らないだろう(俺は死ぬ)。


「何となくグランゼニスのアパートを思い出すであります」


 グリフォンリースがつぶやくのが聞こえる。

 限られた船腹内部で個室の広さを確保するためか、通路は最低限の広さ。規則的に並ぶ扉。確かに集合住宅的装いだ。


 俺たちが勝手に抱いた神殿的なイメージとは裏腹に、内部は実用一辺倒に近い。

 このあたりの解釈に、ラナリオはさぞ楽しく悩んでいるだろうと思い、チラリと盗み見てみる。


 が。


「変だなあ」


 意外にも彼女は眉間にしわ寄せ、しかめっ面を作っていた。


「何がです、姉さん」


 アルフレドが聞く。


「うん。助手よ。わたしたちは、これまで結構な場数を踏んできたよな?」

「味わった災難の数をかぞえればいいですか?」

「? そうかな? ま、とにかく、神秘たる過去にふれる経験は常人よりもはるかに多いんだよ」


 そう言って、俺たちへと振り向く。


「その経験則から言って、この船、そんなに古いものじゃないぞ?」

『えっ?』


 この意見には俺たち一同、声をハモらせた。

 ラナリオは壁を撫でながら続ける。


「〝澄んだ人〟の都市は地下だし、何だか異様な空間だったからうっかりしてたけど、ここはごく普通の山の上の環境だ。この石みたいな素材も、風や天候の影響を受けて劣化しているはずなんだけど、そういう感じがあまりしない。よくて百年か二百年くらい前じゃないかな?」


《〝無欲な人〟の伝承は千年とか二千年前とかいう話》《それと合致しない》《ここは関係ない?》《それとも》《彼らは最近までこの近くにいたということ?》


 キーニちゃんがまた〝澄んだ人〟の名称を間違えているが、この分析に関してはラナリオの誤りだ。ここは彼らに深く関係する遺跡で間違いない。だが、興味は湧いた。


「劣化しにくい特別な素材を使ってるんじゃないのか?」

「うん。さっきからその可能性と、わたしの勘が格闘中でね」


 ラナリオはうなずきつつ、俺の話を引き取った。


「数千年の風雨に耐える未知の素材というのはあり得る。何せあの地下都市を造った文明だ。でもね……空気が違うんだ」

「空気?」

「そうさ。遺跡巡りをやってると、どれくらい古いものかが、空気でわかるようになるんだ。ぼろぼろの遺跡が比較的新しく感じられたり、綺麗な遺跡なのに妙に古く思えたり……そういうものが、詳しく調べる前に何となくわかるんだよ。遺跡そのものが持っている時間とでも言うのかな。ここにはそれが欠けている、気がする」

「不思議なもんだな……」


 事実を知っていても、なぜかラナリオが的外れだとは思えなかった。彼女はこの世界の人間として、卓越した感覚を持っているのだろう。敵をぶっ叩いて突き進むだけのゲームでは一切役に立たないが、リアルで向き合った時は貴重な情報をもたらしてくれる。


 この話にも、何か裏がある。

 とてつもなく古いはずなのに、そうではない理由。


 また一つ、このイベントの秘密に近づいた気がする。


 俺たちは、当惑気味の空気を纏ったまま、さらに奥へと進んだ。


 ひょっとして、これは暇人が作った変なオブジェだったんじゃないか?

 少なからず、そういう拍子抜けがみなの頭の中にあったんじゃないかと思う。


 だから、その唐突さはいつも以上に効いた。


「あれ、今、揺れたかな?」


 頼りになる震動センサー、電気のヒモを探すように天井を見上げた俺を、直後、異様な揺れが襲った。


 ううううううううううん……。


 どこからともなく聞こえてくるうなり声。

 震動と音に揺さぶられながら、俺たちは思わずその場に這いつくばった。立っていられないのは、


「う、うわっ……ゆ、床が動いてるであります!」


 という理由からだ。正確には、床がゆっくりと水平に戻っていこうとしている。

 いや、この船の姿勢そのものが戻っているのだ。


 キーニちゃんが必死の形相で、しかし無言のまま俺に飛びついてきた。


《何が起きてるの》《これはヤバイ》《何とかしてほしい》《コタローの真の力を見せる時》


 ねえよ! これがすでに真の俺だよ!

 俺たちはこの異常事態に、ただ身を小さくして構えるしかなかった。

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