第122話 天へ! 安定志向!

 床が傾く――というか正常な水平値に戻り、振動も微弱になったのを見計らい、俺たちは一目散に退却した。


 あんまり慌てていたもんだから、俺以外の誰もが見落としていたようだったが、通路のあちこちに明かりが灯っている。あの地下都市にあった冷たい照明だったが、全力疾走中では暑さも寒さもない。


 甲板へと飛び出した俺たちは、その光景に目を奪われる。

 船が寄りかかっていた山の斜面はどこにもない。


 ただただ空があった。


「飛んでる……」


 身を切るような冷たい風が吹き荒れる中、そうつぶやいたのは誰だっただろう。


 人は地で暮らす生き物だ。地面と繋がっていない場所にはいられないし、水の中でもすぐ溺れる。だからそういう禁忌の領域に憧れ、夢を見る。

 今のように。


「あ、あなた様あ!? これは何ですか? どういうことなんですか!?」

「ひっ、ひい!? 地面がどんどん遠ざかっていくであります! このままでは空の天井に頭をぶつけるであります!?」


《ない》《ない》《ない》《ない》《ない》《ない》《ない》《ない》《ない》《これはない》


「ふ、船は水に浮かぶんだ。空にだって浮かぶよ! うん! 何もおかしいところはない!」

「ついにぼくも天に召されるのか。ああ、やっと一息つける……。神様ありがとう」


 あまりいい夢は見てないらしい。

 ……そりゃ、錯乱もするか。


 俺はまだ、鉄の鳥が空を飛んでる世界から来たからいい。


 移動・大型輸送の手段として陸路から空路へ。そのためのツールが船から飛行機へと変化し、そこから空飛ぶ船へと行き着くのはまだ先祖返りの範疇だ。


 だが、いきなりこの船の形状で空を飛ばれたら人々はどうすればいい? 飛行機は鳥に似ているから説得力があるのだ。くじらに似たものが飛んでいたら「ざけんじゃねえよ」と言いたくなるに決まってる。


 関係ないが、空飛ぶ船を初めて知ったのはどこか、という問いはそれなりに世代格差がある気がする。宇宙戦艦か、ファイナルなファンタジーか、ドラえもんとか……グラブってしまうとか……そのときの驚きは、いつまでも色あせることがないだろう。


 みんなが落ち着くまで、俺はそんな古い思い出に浸り、時間を潰した……。


「……とんでもないことになったね」


 再び船の中に戻って、ラナリオがか細い声で言った。

 微細な振動が常態化する中、彼女の声は駆動音にかき消えてしまいそうなほど小さい。それを聞き漏らさなかったのは、ひとえに距離が近いため。

 ほぼ耳元だ。


 俺たちは毛布にくるまり、身を寄せ合って、互いを暖めている。

 なぜか?


 寒いんだよ!!


 猿団子でも作らないとやってられないのだ。じっとしてただ運ばれているため、あの地下都市よりももっと寒く感じられる。


「ココ、コタロー殿……空はお日様に近いはずなのに、どうしてこうも寒いのでありましょうか……」

「そんな難しいこと俺にわからねえよ……」


《鳥が》《もふもふしている理由が》《わかった》


 その発想でいくと、羊とかも昔は空を飛んでいたのかもしれんな……。


 寒いのは、俺たちが出入り口に近い位置に陣取っているのも悪かった。

 奥まった場所なら、もう少し寒さも和らいだかもしれない。


 だが、何しろ俺たちは鳥でもないのに空を飛ぶという、未知の経験のまっただ中にいる。

 外を見たいという欲求には抗えず、さりとて冷風吹きすさぶ甲板に出るのは危険。さらにもしこの船に何かあったとき、すぐ外に飛び出せないというのは不安だという心理もあって、現在地がベストと判断されたのだ。


 まあ、万が一墜落した場合、飛び出してどうしたいんだよって話ではあるが、俺たちは空を飛ぶことに関して初見プレイヤーである。鉄道が一般化された明治時代に、靴を脱いで電車に乗ってしまった人を笑うことは決してできないのである。


「この船、勝手に進んでいるようだね。何だか、幽霊船に乗り込んで漂流した過去を思い出すよ」

「端から見て密航だったけど、別に怒られませんでしたね。ただのしかばねだし」


 おいやめろ。

 今の俺にオバケを思い起こさせる単語はNG。


 ロマン溢れる飛空挺。フィクションならではのガジェットだが、『ジャイサガ』でもそれと出会えて、当時の俺はひどく興奮したものだ。

 そのロマンが寒気に変わるとも知らずに。


 俺一人が、この船の向かう先を知っている。

 イベント名〈天球〉。ロケーションの名前もそのまま天球だ。

〝澄んだ人〟がこの世界に残した最後の足跡。そこでいよいよ彼らに出会うことになる。


 ここでのプレイヤーの目的は、もちろん歴史の謎を解き明かし、ゲーム内の世界観をより深く味わうこと、ではない。もしそれだけのイベントなら速攻でチャートから切り捨てている。


 ゲームのクリアに必須となるキーアイテムのゲットが、ここでの最大の目的となる。他にも、財宝、貴重なアイテムなど、難易度にふさわしい見返りが得られる。後の散財を考えると、トラウマの再燃を覚悟してでもここはみっちり探索する必要があった。


 どれくらいの時間がたっただろうか。


 じっとしているのも限界に達し、毛布と防寒具で完全武装した俺たちが、入り口にかじりつくようにして外の風景を眺めていると、船にこれまでとは違った振動が走った。


 ドキリとしたのは俺だけではないようだ。グリフォンリースやキーニも、揃って不安げな顔を俺に向けてくる。

 いや、たとえこれが墜落しても、俺はパラシュート代わりにはならんよ?


「風が弱まったみたいだよ」


 ラナリオがそう言って、慎重に甲板へと出た。俺たちも恐る恐る彼女に続く。

 船がゆっくりと下降しているのがわかった。


「あなた様、陸地がありますよ!?」


 この中で唯一、墜落死の危険性がないパニシードが、船から身を乗り出して叫んだ。


「えっ? パニシード殿、まわりは空でありますよ?」

「本当ですよ! 陸地があるんです!」


 わけがわからないふうに顔を見合わせるグリフォンリースとキーニ。

 手すりに掴まり、恐る恐る船縁から下をのぞき込んだとき、彼女らは絶句した。


 空に浮かぶ島がそこにあった。


 いや、島というのは正しくないかもしれない。

 それは表面に草を生やした緑の球で、月が産み落とした天体のようでもあった。


「まりもが……まりもが空に浮かんでるであります!」


 グリフォンリースちゃんの表現力の方が、俺より優れている。


 石の飛空挺は球体の表面にゆっくりと着陸した。

 くそ迷惑なことに平地のど真ん中である。

 幸い、パニシードのバックヤードにザイルを格納しておいたので、どうにか甲板から下りられた。


 発着場もタラップもないんかい、と憤慨したくなる気持ちはわかるが、これにはちゃんと理由がある。まあそれはすぐにわかることだろう。


「空の上に陸地があるなんて……」


 地面に降り立ったグリフォンリースが、その異物の感触を確かめるように身をかがめた。


「驚きの限界を超えて、大冒険家もどう反応したらいいのかわからないよ」


 ラナリオが周囲を見回しながら言う。

 地上とは異なる法則でも働いているのか、この宙に浮いた巨大なまりも――天球の上は、温暖で快適な環境だった。船旅の寒さを考えると、小春日和のような過ごしやすさだ。


「ぼくら帰れるのかな……」


 アルフレドが沈黙する船体を見上げながらつぶやく。


「つまらないことを言うもんじゃないよ、助手! ここが何なのか調べるのが先!」


 ラナリオに急かされるまでもなく、俺たちは周囲の調査を開始した。

 その際、一つ気をつけなければいけないことは、この球体が、ただの丸っこい土塊であって、強い引力を持つ天体ではないということだった。


 要するに、端っこに行くと落ちるのである。

 重力のメインは、あくまで俺たちがいた地上の方にあるのだ。


 しかし、調べども調べども、特にこれといった発見はない。

 ただ巨大な丘のような地形があるだけだ。草は生えているものの、虫や鳥の姿もなかった。


 正直、何か見つかるのを願っていた。

 ゲーム通りの手順でやるのは、ここはキツすぎる。ゲーム内では表現されていない裏口か何かがあれば……と期待していたのだが、どうやら無駄に終わったらしい。


 やるのか。あれを……。


 俺は安定を求める者である。死後はそういう名前の神になりそうな気すらしている。

 そんな俺がもっとも恐れることの一つに……玉ヒュンがある。


 詳しい説明は省くが、つまり高いところがあまり好きではないのだ。

 愛らしく優しい皇女様が住んでいる宮殿なら、恐怖は相殺されて気にならないが、これからトラウマゾーンに乗り込もうというときには顕著にヒュンヒュンする。


 しかしこれをグリフォンリースやキーニにやらせるのは無理だ。

 拒否するだろうし、拒否してほしい。俺が死ねと言ったら死んでくれるような間柄はちっとも嬉しくないし、責任の重さに心が安定しない。


 つまり俺がやるしかない。

 それじゃあみんな。


 ちょっと飛んでくるわ。

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