第119話 古代伝承の影! 安定志向!
ホラー映像作品というのは残酷である。
小説や漫画の場合はまだいいのだ。
読む手を止めれば、それ以上物語が進むことはない。
だが映像作品はそうはいかない。
こちらが完全にビビっているというのに、そんなのおかまいなしにストーリーは進展し、腐った魚と同様の俺の眼球に数々の恐怖映像を押し込んでくる。
行き着く先は、鏡使用不能・トイレ使用不能・風呂使用不能の三重苦だ。
もはやお化け屋敷と化した古代都市の冷たい通路を歩きながら、俺は映画館での苦い思い出を噛みしめていた。
『ジャイサガ』は古く素朴なゲームであるため、敵はおろか主人公たちにも声がついていない。よって、このダンジョンに登場するアンノウンたちがいかなる奇声を発するものなのかは、俺もわからなかった。だから、
るるぅうぇるるるるうううううるるる……。
みたいな、人間には発音不可能な超低音がたまに聞こえてくるのだが、これは絶対にアンノウンの声だ。そうでないはずがない。絶対にそれ以外の誰かが発している声のはずがないのである。
ちくしょう、音まで俺を苦しめようというのか……残酷すぎるだろ……。
俺の心が弱っていく一方で、探索は順調である。
まあ、元々が人が住んでいた場所だ。
移動しやすいように作ってあるのが当然で、高低差、不便さを考えるとオブルニア帝都の方がよっぽど変態的な設計をしている。
「ここも……ダメだね。ガラスのジャングルだ」
ラナリオが通路の先を見ながら言った。
最初に俺たちが遭遇したガラスの花なんて、実は大したものじゃなかった。
三つある区画のうち中央にいる俺たちは、ここにたどり着くまでに、植物よろしく成長し、通路を埋め尽くしているガラスを何度も見てきた。
概ね地下へと向かう通路を侵食しており、近づくだけで異様な冷気に襲われる。どうやらこの深さまでが、人が立ち入れる限界らしい。
「でも、明かりはもっと下まで続いているのでありますよね……。最深部には何があるのでありましょうか」
ゲームでも、奥に階段が見えている状態で植物化したガラスが道を阻んでおり、プレイヤーがこの地下都市のごく浅い部分までしか探険できないことを暗示している。
その深部には何があるのか? というグリフォンリースの疑問は、今も『ジャイサガ』プレイヤーたちの議論の的だ。
確かに人が作ったものなのに、今はもう見に行くことができない禁域。
ひょっとするとゴミ捨て場とか貯蔵庫とか、その程度のものしかないのかもしれないが、立ち入れない以上、人は想像しうる中でもっとも神秘的なものを夢想してしまう。
ロープで体を結んで亀裂から飛び降りれば、その真相を目にすることができるかもしれない。……俺は絶対やらないけど。
「ひっ」
か細い悲鳴を上げて、キーニちゃんが背中から俺にぶつかってきた。
「どうした?」
《今》《このガラスの板に》《何か映った》
やめてくれよ……。鏡とか背後が見えるヤツは、今の俺にはダメージがでかいんだよ。
「さっきわたしも、ガラスに何か文字のようなものが浮かぶのを見たよ。単なる気のせいかもしれないけどね」
「……そうか。それなら今度から注意して見てみよう」
ほっとした。
ガラスに文字が浮かぶのは、この都市本来の機能だ。オバケとかじゃない。
吊り橋を渡ってもう一つ奥の区画に向かい、そこを下りてまた吊り橋を通過して中央に戻る。
目的の場所は近い。
アンノウンたちの奇声はいつしか聞こえなくなっていた。
「見ろ、諸君。あそこの扉が開いているぞ!」
それは、地下に潜って初めて出会う、進入可能な部屋だった。
俺たちは期待を込めてその部屋へと入る。
ひどく謎めいた部屋だった。
天井は高く、床幅も広い。同心円を描くように配置されたガラス板が幾重にも置かれており、何らかの祭壇を思わせる光景だ。
「石碑……かな?」
ラナリオがもらした感想は、的を射ている気がした。
一部に植物化の傾向が出ているガラスの碑には何も書かれていなかったが、部屋の中心を見据えるようなこの配置は、単なる飾りではありえない。
そしてその中央には、まるで貴い者がそこに眠っているかのような、大仰な台座が設けられている。
大発見を予感し、欣喜雀躍しながらそこに駆け寄る者はいなかった。
厳かな空気の中、王に歩み寄るようにして、俺たちはその台座をのぞき込んだ。
剣だった。
透き通った貴石のような刀身に、繊細ながらも雄々しいこしらえの柄。
そんな美しい剣が安置されていた。
「そんな……。これは〈ガラスの魔剣〉か……!?」
ラナリオがよろめいたのを、アルフレドが支えた。
脳天気おねーさんにしては珍しいほどの驚きようだ。
「〈ガラスの魔剣〉? 何でありますか、それは?」
グリフォンリースの問いかけに、ラナリオはいつもの長広舌を返さなかった。長く剣を見つめた後、自分のとても深いところから言葉を取り出すように、ゆっくりと話した。
「〈ガラスの魔剣〉は、世界最古の伝承と言われる〈リグ・アデナルキア〉の中で、さらに伝説として語られていた武器だ。巨人の武器よりもさらに古い、もはや我々が辿りきれない謎の時代の遺産だと語られている」
「そ、それが本当ならすごい発見でありますよね?」
色めき立つ仲間たち。
「おい、パニ。それっていつの時代なんだ?」
俺はこっそりパニシードに聞いてみたが、寒さに震える彼女は、
「さ、さあ? わたし歴史とかに興味ないので……。講義も受けてるフリしかしてませんでしたし……」
と、相変わらず俺自身と似たような精神構造の妖精であることが判明しただけだった。
「本物なんですか、姉さん?」
アルフレドが慎重に聞く。数々のぬか喜びを経験してきた記憶もあるのだろうが、姉の態度に戸惑っているようにも見えた。
「さすがにそれは確認のしようがないよ。帝都に持ち帰って調べても……偽物だとはわかっても、本物だとは断定できないと思う。何しろ〈リグ・アデナルキア〉自体がとてつもなく古い世界の史料だからね。そこで伝説として語られていたほどだから、実物がどれほど古い起源を持っているかはもはや調べようがないんだ……」
「そうか。なら、俺が使わせてもらおう」
俺が無造作に〈ガラスの魔剣〉の柄を掴むと、他のメンバーたちは声にならない悲鳴を上げた。
「しょ、少年、それはあまりにも大胆すぎるよ! 本物かどうかはさておき、この地下遺跡にあるというだけで極めて貴重な歴史的遺産なんだよ!? 今世紀最大の発見になるかもしれないんだ!」
白目を剥くラナリオの言葉を無視し、俺はグリフォンリースに柄を差し出した。
「グリフォンリース、使っていいぞ」
「ええーでありますう!? でも、大事な史料だって……」
「こいつを調べるのは世界が平和になってからでいいさ。それまでは、剣としての本分をまっとうしてもらう」
「これはまた……姉さんよりもとんでもない人がいたものです」
《驚くべき判断》《でも》《嫌いじゃない》《さすがと言いたい》
伝説の剣を使えるとなれば、久しぶりにグリフォンリースがアヘ顔になって倒れるくらいを予想していたのだが、意外にも彼女は、貴重な文化財を武器とするよりも別のことで難色を示した。
「しかしコタロー殿、ガラスは武器としては使えないでありますよ」
「……? そうなのか? 結構硬いぞ」
俺は刀身を軽く叩いてみる。コツコツと硬そうな音がした。
「それなりに硬いは硬いでありますが、金属としての粘りがないので、使っている最中に割れてしまうのであります」
俺がグリフォンリースからこうしたレクチャーを受けるのは珍しいことなので、ざっとまとめておくと、鉄や鋼といった金属は、硬いのと同時に、粘りけがあるのだという。
粘りけとはなんぞと思うだろうが、鉄は強い力をかけるとひん曲がったりへこんだりする。一方のガラスは割れてしまう。これが金属における粘りけがあるかないかの違いだそうだ。
ものすごく硬い敵を攻撃したとき、鉄の剣は曲がるだけで済むが、ガラスの場合は完全に砕け散ってしまう。戦いの最中に起こりうるアクシデントとして、どっちの方がマシなのかは、戦士ならば誰でもわかることだろう。
よってグリフォンリースは、この伝説の武器に対して懐疑的になったわけだ。
が、これに異を唱える者があった。ラナリオおねーさんだ。
「とんでもない、女騎士君!〈ガラスの魔剣〉をバカにしちゃあいけないよ!」
彼女はこれまで遺跡の冷気に押さえ込まれがちだった情熱を、かつてない勢いで噴射しながら吠えた。
「〈リグ・アデナルキア〉によれば、このガラスの剣は降ってきた星屑さえ打ち砕く強度があるんだ! 君が使っているような市販品の剣なんて、煮溶けたジャガイモをほくほくするように簡単に切り裂けるよ!」
「姉さん、落ち着いてください。たとえがよくわかりません」
「うるさいよ! おねーさんは〈リグ・アデナルキア〉を読んで冒険家を志したんだ! あそこに書かれていることを軽んじたりナメたりすることは絶対に許さないよ!」
「あなたがそこまで言うのなら、使うであります」
「ああ!? わたしの大発見が戦火に消えていくよ!?」
「何がしたかったんですか、あんた!?」
何だかよくわからないが、てんやわんやである。
「あ、でも、確かコタロー殿。自分は、違う武器を使ってはいけないのでは?」
「よく覚えてたな。でも、それは別だ。好きなだけ使ってよし」
俺がグリフォンリースに新しい武器を使わせないのは、ひとえに新しい技を覚えさせないための処置である。
その理由は後に語ることとして、この〈ガラスの魔剣〉を使って問題ないのは、この剣で覚えられる技が一つもないからである。
ただ攻撃力としては一級品なのと、片手剣と両手剣の技を併用できるバスタードソードという分類のため、他の武器で覚えた技があればその運用に大した支障はない。
むしろ、そのキャラクターがいかなる修練を積んできたかが問われる、ロマン溢れる武器なのである。
……と言いたいところだが、誠に遺憾ながら、これはバグだ。
データ解析の結果、〈バックスラッシュ〉〈レス・ザンサイン〉〈破断閃〉といったユニーク技を所持していることが判明している。何らかのミスにより、キャラクターがそれを絶対に覚えられないだけなのである。
しかし、変なところで純粋な『ジャイサガ』界隈は、それを詩的にこう解釈した。
――技とは、その武器が持つ形状・性質・重心を完璧に理解した時に引き出され、持ち手へと伝承されるもの。この〈ガラスの魔剣〉は、人が遡りきれない神のみぞ知る時代の聖遺物であり、現代のいかなる戦士であっても、その深奥に秘められた力を引き出すことはできない。よって、技を覚えることもできないのだ――。
糾弾すべきメーカー側のミスを、一つのドラマへと変えてしまう。これぞ本当にゲームを愛している者たちがたどり着く究極の楽しみ方と言えよう。
バグが多すぎてそれに慣れてしまい、むしろそこにこそ意味があるんじゃないかと思い込む深刻な末期症状、とも言えるが。
「重さも、手ざわりもちょうどいい……。初めて触ったのに手に馴染む、不思議な感覚の武器であります」
グリフォンリースが感心したように言って、両手で武器を掲げた時、異変が起きた。
突然光を放つ、一つのガラス碑。
驚きつつも顔を向けた俺たちの目の前で、ガラス面上を奇妙な光が走り回った。
その軌道が描き出したものは――地図だった。
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