第118話 俺は一体何と戦っているんだ! 安定志向!
振り向いた先に誰がいるわけでもなかった。
当たり前だ。この地下都市は今、世界でもっとも安全な場所になっている。
「先に進もう」
まるで逃げているようだと自覚しつつ背後から目をそらした俺は、ラナリオを促して前進した。
大丈夫。何が起こるはずもない。
このダンジョンは、史上もっとも外敵からの脅威がない状態になっている。
俺はそうなるよう仕掛けた。
以前、〈悪魔の遊戯場〉で乱数調整から状況再現の話をしたことと思う。
軽くおさらいすると、乱数というのはゲームにおける「偶然」を人為的に作り出すための数字である。
確率で発生するものは、すべてこの乱数が絡んでいると言っていい。
敵とのエンカウントも当然、その中に含まれる。
どんな敵と、どのタイミングで遭遇するかを決める数式は、先述した乱数と、今いるマップの状態、そしてもう一つ、主人公たちの所持品が重要な鍵となって決定される。
敵の出現パターンは基本的にどれを引いても大差ないが、プラシーボ効果のレベルでレア敵を出やすくするアイテムの配列というのもないではない。
そんな中に、非常に奇妙なアイテムの組み合わせがある。
〈薬草〉〈力の石〉〈黄色い絵の具〉〈コロコロの甲殻〉を先頭のキャラクターが持ち、後は手ぶら、というもの。
これまでの経験から、ゲームに登場しない、たとえば探険用のロープやテントなんかはアイテムとしてカウントされていない。よって、該当するものは以外すべてパニシードに預け、拾ったものもすぐに彼女に渡すよう、みなに事前通告してあった。
この状態が維持される限り、なんと、エンカウントが決して起こらなくなる。
〈凍てつく都市〉〈方舟〉〈天球〉のダンジョン限定だが。
何が起こっているのか説明すると、次の一歩で敵が現れるか否かを判定する数式が、この状態に限り「敵と遭遇しない」という解を弾き出し続けているのだ。
どれを選んでも必ずハズレにたどり着くあみだくじをやっていると思えばいい。
これはバグと言うより、エンカウント計算式の中に偶然生まれてしまった抜け道と言う方が正しい。
滅多に起こる現象ではなく、先述した通り三つ以外のダンジョンでは再現不可能。しかし、凶悪なアンノウンたちとの戦闘を避けられるという意味で、RTAなどの制限プレイでは非常に有用かつありがたい〝裏奥義〟である。
これによって、俺はこのダンジョンを楽々クリア。
……するはずだった。
「また壁の奥から物音が……」
「ひっ」
「今度は上の階から? さっき我々が通過した場所じゃあないか」
「ひいっ」
「コタロー殿、どうしたでありますか?」
「ふひいいっ」
俺はよろけて壁に手をつき、その冷たさにさらに弾かれるハメになった。床はもうほとんど氷で、迂闊に触れば手の皮がはりつくほどの低温だ。俺は這いつくばることすら許されずその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
「コタロー殿!? 何かあったのでありますか!?」
仲間たちが心配して俺のまわりに集まってくる。
「いや、何でもない。何でもないんだ」
俺は不安定を嫌う。そのことは自分でもよくわかっている。
だが、自分がどんなことを不安定と感じるか、そのすべてを熟知しているわけではなかったと、今痛感している。
「あ、あのさ、グリフォンリース。後ろを確認してくれないか。誰もいないよな?」
「え? は、はい。……誰もいないであります。さっきからずっと、誰とも会わないでありますから」
「そうか。そうだよな。いや、当たり前だ。すまなかった」
俺はグリフォンリースに確かめてもらってから、もう一度背後を振り返った。
誰もない、冷たい廊下が延びているだけだ。
だが、こうしている間にも〝現れる〟かもしれない。俺は慌てて視線を前方に逃がした。
何てこった。
敵と決して出会わないという前提が、俺にプレッシャーをかけていた。
つまり、もし、何者かと出会うことがあれば、それはアンノウンではないのである。
もっと別の何かなのだ。
しかし、ここにはアンノウンしかいない。
ゲームでは。
そうなっている。
それでも出会うというのなら、それはゲームには登場しないはずの。
だが、ここにいても不思議ではない存在――。
「少年、あれは何だ!?」
「ずんだっ!」
ラナリオの声に驚き、俺は悲鳴を上げて、隣にいたキーニちゃんに抱きついていた。
「何だラナリオ、おどかすな!」
「いやあ、ごめんごめん。何か変なものがあるからさ」
「そ、そういう人を不安にさせる曖昧な言い方はよせ。もっと的確に、俺を安心させる言い回しで説明してくれ」
「すまなかった少年。ところで、その子、すごく温かそうだが、わたしも交ぜてもらっていいかな?」
「うん? 誰が温かいって……」
そう言われて、俺はキーニを抱きしめっぱなしだったことにようやく気づいた。慌てて手を離す。
「わ、悪い。咄嗟に飛びついちまって」
キーニの顔は首元から耳まで真っ赤で、ゆっくりと俺の方に向けられた目は、瞳孔が開ききった奇妙な色をしていた。
《もっとしていい》《ここは寒い》《暖め合うべき》《何でもしてOK》《へい》《カモン!》
「いや、本当にすまなかったから」
すぐ近くにグリフォンリースちゃんという鬼神も監視――いや見守ってくれているし。
俺はごまかすようにラナリオへと目線を投じた。
「そ、それで、何が変だって?」
「あそこの照明さ」
ラナリオが指さした先には、確かに照明がある。
「……何だ?」
設置されている位置や、光を放っていることからも、これが照明であることは疑いようがなかった。
しかし光を閉じこめているガラスの形状は、今までの直方体ではなく、
「ガラスの……花?」
思わずもれた自分のつぶやきに納得してしまうほど、その形は咲き誇る花に似ていた。
しかもそれは、元々あったガラスの形が歪み、曲がり、花となったようにも見えた。
「下を見てください。ガラスの花びらが落ちてます」
アルフレドが言った。
「ナッハー。アルフレドもロマンチックな表現をするようになったね」
「ロマンで済めばいいけどな」
俺はナイフを取り出し、落ちている花びらを軽くつついてみた。はっきりとした硬質の手応え。引き戻したナイフの刃にふれてみると、皮膚が張りつくような感触があった。
「冷たいのかい?」
「ああ。相当に」
「冷たい光に当てられて育つガラスの花……? 参ったね。ここに入って以来、これまでの常識をすべてひっくり返されていく気分だよ」
ラナリオは急に静かな口調になった。
「冒険家として秘密の最前線に立っているとね、通説だとか学説だとかが、いかに断片的な真実と、現代人のそうあるべきという決めつけで作られた空想かがよくわかるんだ。だけど、ここはそういう歴史的発見とも一線を画す異様さだよ。現代に勝るとも劣らないレベルで発達した地下古代文明。冷たい光と成長するガラス。……勘だけど、これらを一緒に考えるべきではないね。二つは異なる源流を持つ存在のはずだ。もしかしたら、〝澄んだ人〟が滅んだのは、このガラスのせいなのかもしれない」
……それに対する答えは、俺もまだ持っていない。しかし、ラナリオの言うことは極めて俺たちの予想に近かった。
彼女なら〝澄んだ人〟の謎が解けるのかもしれない。
そのとき俺はまた一つ、『ジャイサガ』の真実にたどり着けるのだ。
「コタロー殿、あれを……」
グリフォンリースが通路の先を指さした。
これまでと違い、照明が弱くて気づかなかったが、よく見ると、通路はガラスの花で埋められていた。
近づくと、ラナリオが顔をしかめて後ずさった。
「ナハ!? これはひどい。ちょっと近づいただけでまつげが凍ってきたよ。これは冬の〈エステル湖〉で寒中水泳をしたときより命の危機を感じる!
「これ以上、先に進むのは無理だな。別の通路を使ってみよう。向こう側の町へのルートを探したい――」
「あれ? コタロー殿。今、通路の奥で何かが見え……」
「ひゃひい!」
俺が飛び上がったのを見て、グリフォンリースが目を丸くする。
「コタロー殿、さっきから何を気にしているでありますか? この町に敵になるような脅威はいないのでありましょう?」
「あ、ああ。い、いない。魔物とかそういうのは、いたとしても俺たちのことを襲ってきたりはしない……そういうのはな……」
「はは……。ま、まさか、古代人のオバケがいるとかじゃないでありますよね?」
グリフォンリースが言った言葉に、俺の肩は弾かれるように飛び上がっていた。
「……ばばばばばばばかだなあグリフォンリリリリリリリス。お、おばけなんかいるわけないじゃないかははあああはあはははああああ……」
「コッ、コタロー殿!? どうしてそんなに震えてるのでありますか!? まっ、まさか本当に……!?」
ここにはアンノウンしかいない。
物音の正体はすべてアンノウンだ。
だが、ヤツらが俺たちの前に姿を見せない限り、絶対にそうだと、どうして言い切れる?
シュレーディンガーは箱の中に猫がいると言い張るが、中をのぞいてみないと本当に猫かどうかわからないのだ。ひょっとしたら、量子力学なんてどうでもよくなるような地球外生命体が入っているかもしれないじゃないか!
物音の中には、アンノウンとは無関係なものも混じっているかもしれない。
もしそうだとしたら、音の正体は〝澄んだ人〟以外にあり得ない!
いる……かもしれない。キーニちゃんがアルフレドが言っていたのは、それかもしれない!
俺のトラウマを作ったあいつらが! そばに! ああ! そばに!
ちくしょう、実際に来てみてわかった。ここでのチャート作りは失敗だ!
これなら、アンノウンに襲ってもらえた方が余計な想像をしないで済んだ。
ラナリオとアルフレドもレベル99にして、現時点の最強装備で突入殺戮すべきだった!
見えてる敵とは戦えるが、見えない敵とは戦えない。
戦えない相手には絶対に勝てない。恐怖を克服することもできない。
今日、俺は初めて、そのことを知ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます