第117話 無人の町をゆく! 安定志向!
〈凍てつく都市〉は初見プレイヤーにはかなり衝撃的なイベントだ。
ドット絵で表現された森マップを奥へ奥へと進んでいくわけだが、最初は凍った水たまりにしか見えなかったものが進むにつれその向こう側が見えるようになっていき、最終的に、多重スクロールで表現された都市が姿を現すのだ。
地下に作られた都市というより、このガラス一枚隔てて見えるものこそが、オブルニアの本当の姿だった――なんて錯覚に囚われてしまうほどの壮大な景色。
ゲームでそれなのだから、現実にそれを目の当たりにした俺たちが、束の間、次の行動に移れずにガラスにへばりついていたのも無理のないことと思ってほしい。
「はっ! い、入り口! 入り口を探さないと!」
真っ先に我に返ったラナリオの号令により、俺たちはこのガラスの向こう側へ行く入り口を探した。
地下都市のショッキングさに忘れがちだが、ここは霧にかすむ薄暗い森の中だ。どんな形をしているかもわからない地下への入り口を探すのは極めて困難だっただろう。
俺がいなければ。
この地点が、ゲーム通りプレイヤーが地下の存在に初めて気づく位置だと仮定すると、出入り口はこの方向にあるはず……というズルい方針で探索したところ、見つけたよ。
大地の亀裂にガラスを張って天窓にする奇抜さとは裏腹に、入り口のカモフラージュは特になく、地面に石造りの階段がぽっかりと口を開けていた。
「これ本当に下りるんですか、あなた様……。何やらひどい寒気がするんですが」
パニシードが不安げに俺にたずねてくる。普段のこいつなら「もぐらみたいな人間がいたものですねえ」くらいの驚きしか見せないところだが、今回は露骨に警戒している。人類を最初から異文化として見ている妖精からも、ここは異質な空間に思えるのだろう。
フッ。生憎、俺の方がもっとビビってる。寒さのせいで震えも倍増だ。
「見つけたのか少年、偉いぞ!」
だが勇猛果敢なラナリオ隊長は、俺の手柄を一言褒めると、先頭に立って階段を下りていった。ボディーガード役の俺たちが続かないわけにはいかなかった。
※
長い長い階段を下りた先で、俺たちはついさっき地上で味わった驚きの最高記録を、再び更新することになった。
地下というのは本来、究極の閉所だ。
どこもかしこも土が詰まっていて、移動するためにはどうしても土を掘らなければいけない。何もない空間なんて、地下にはほぼないのである。
しかし〝澄んだ人〟の都市は、その閉塞を少しも感じさせなかった。
階段を下りた先は、亀裂を一望できる吹き抜けの通路になっていた。
手すりはあるものの、乗り越えれば簡単に亀裂の暗闇に身投げできる。
地下都市というより、断崖絶壁に作られた巨大集合住宅と捉えた方が、話を聞く人間にはわかりやすいかもしれない。
底の見えない亀裂を挟んだ向こう側にもこちらと同様の壁の町が広がり、途中にある吊り橋が、お互いの行き来を可能にしていた。
実際、ゲームでのこの地下都市は、二つの亀裂を間に持つ、三つの区画からなっている。地上から見れば、右、中央、左、というブロックで、それぞれを行ったり来たりしながら、中央下層にゴールがあるという構造だ。
「下までずっと町が続いているであります」
グリフォンリースが亀裂をのぞき込みながら言った。
亀裂は地上に繋がっているとはいえ、鬱蒼とした森の下だ。いくらガラス張りにしても入ってくる光はわずかで、膨大な闇を湛えた亀裂の底はまったく見えなかっていた。
それでもグリフォンリースがそう言ったのは、青白い鬼火のような明かりが、地獄へのガイドラインのように下へ下へと続いているからだ。
その小さな灯の広がりは、見る者に、地下にさらなる大都市が隠されていることさえ想像させる。
《どこまで続いているの?》《まさか全部下りたりしないよね?》
「本格的な調査は俺たちの仕事じゃない。とりあえず、無理のないところまで進んだら、帝都に報告に戻るぞ」
心配そうにこっちを見てくるキーニにそう伝え、俺は前進を開始した。
地下都市はしんと静まり返っている。
通路は乳白色の奇妙な石でできており、ヒビや汚れは見当たらない。
また、天井付近の壁にはガラス製の照明も各所に存在し、トーチを振り回す必要もなかった。
まるで、つい最近まで誰かが住んでいたみたいに。
「どうして明かりがついてるんだろう。まだ人が住んでいるというのなら、誰かに出会ってもいいはずなんだけど……」
「わかんないな。そもそもこの明かりの正体も不明だ。何でこんな色してるんだ?」
ラナリオの問いかけに、俺が照明を見上げながら答えると、
「はくしょん! はああああくしょん!」
彼女は年頃の女とは思えない赤裸々なくしゃみをかましてきた。
「うう、それにしても寒いな。変だぞ少年。ここ、以前の廃坑よりも全然気温が低いんだ。このくらいの深さなら寒いのはわかるんだけど、それでもだいぶあっちと違うよ」
「明かりが青白いせいで、余計に寒く感じるであります」
グリフォンリースも照明のそばで身震いする。
当然、山を探険するにあたって防寒着は揃えてきたが、ここは朝夕の冷気を上回る寒さが漂っていた。
「気のせいじゃなさそうですよ。見てください。明かりの近くの方が寒いんです」
アルフレドが温度計か何かを手に言った。
「冷たい明かりだって? そんな馬鹿な。明かりは温かいものと決まってるのに、何とも〝不条理〟なところだねここは。だが、いいぞ。おねーさん、俄然ハートが熱くなってきた! きっとここには、とんでもない謎が眠っているぞ!」
何度もくしゃみをしながらずかずか進む姉を追うアルフレドの無言の背中に、パートナーの苦労がにじみ出ていた。
通路は自然と下層へ向かっていった。
途中、扉らしきものはあるのだが、蝶番はなく、押しても引いてもびくともしない。
自動ドアというものを知っていれば、そういうふうにも見えたかもしれないが、生憎、ここにいる人々には、その文明レベルの知識はない。
「そもそも〝澄んだ人〟は、どうして地下にこんな大きな町を作ったのでありましょうか。地上ならもっと作りやすいでありましょうに」
歩きながらのグリフォンリースのつぶやきに、ラナリオが応じる。
「辺鄙な場所に都市がある理由は、考古学的にはだいたい二つだ。一つは、宗教的な理由。〝澄んだ人〟が地下に対して特別な宗教観を持っていた場合だ。母なる大地という言葉があるだろう? そして亀裂というのは、いわゆる女性器に見立てられることが多い。山が男性器に見立てられるようにね。地下に潜るということは、大地へ、母体へと回帰するということ。その場合、深ければ深いほど神性を帯び、最下層では再誕……つまり再び生まれ直すという究極の意味が表れるんだ」
……あれ? ロマンバカのラナリオおねーさんが冒険家っぽいこと言ってるぞ?
「もう一つは、外敵から身を守るためだね。戦争か、疫病か、自然災害か、何らかの理由があって本来の住みかを離れなければいけなくなって移り住んだんだ。一時的な避難所なのか、それとも逃げ延びた先で建てた町なのかはわからないけれど」
「こんな大きな町が緊急時の避難所とは到底思えないであります」
「そうだね。それに、何かから逃れようとしたら、一体何から? という話になる。古い時代にこれだけの技術力があったんだ。帝国の歴史が、〝澄んだ人〟たちの歴史になっていた可能性は十分にあったのに、なぜそうならなかったのか? なぜ彼らは、獣人たちの伝承に、容姿の記録だけを残して消え去ったのか? 当時、それらしい脅威があったのなら伝承に残っていてもおかしくないはずなのに、クラリッサたちといくら調べても、それらしいものは見つからなかった」
「不思議であります……」
不思議じゃないんだよ。グリフォンリース。ラナリオも……。
俺は二人の会話を聞きながら、冷えていく体をさすった。
ここは〝澄んだ人〟の都市ではあるけれど、厳密に言うと違う。
なぜなら、伝承の元になった事件が起きたとき、彼らはすでに滅んでいたから。
文明は滅んでいたのに、残ったんだ。
〝澄んだ人〟だけが。
「止まって」
アルフレドが、小さく、そして鋭く言った。
「今、この壁のむこうで物音がしました」
俺たちは恐る恐る壁に耳を当てた。……が、すぐに離すことになった。
壁が氷のように冷たかったからだ。〈凍てつく都市〉が徐々に本性を現し始めている。
「正体は不明ですが、何かがいるのは間違いありません。正直、友好的とはあまり思えません」
ここまで侵入した相手にノーリアクションだったのだ。ここからドッキリ大成功と、古代文明の末裔たちに笑顔で迎えられる展開はあり得ない。
……そう。
ここには敵がいる。
〈凍てつく都市〉〈方舟〉〈天球〉の連続イベントは、展開だけでなく、登場する敵の異質さでも群を抜いていた。
アンノウン。と表記されるものたちだ。
クラゲに似たもの、クモに似たもの、カブトガニに似たものの三種類。それぞれステータスも見た目も異なるが、奇妙なことにいずれも名前はアンノウンで統一されている。
しかもこいつらが、めちゃくちゃ強い。
HPはさほど高くないが、攻撃力が凶悪でしかもまとまった数で現れる。こいつらの数の暴力に晒された後だと、ラストダンジョンがむしろ易しく感じられるほどだ。
今、こいつらに出会ったら、ラナリオとアルフレドは即死間違いなし。俺たちだって無事では済まない。
だが、会うことはない。
すでに俺の対策は完了しているからだ。
そいつは『ジャイサガ』においても、かなり特殊なバグと言える。
しかしまあ、その詳しい中身はおいといて、とりあえず不安がっているみんなを安心させるのが、心の安全建築士である俺の務めであろう。
「あんまり心配しなくていいぞ。とりあえず、ここに危険な魔物とかの気配はない。問題は寒さだけだな」
「本当かい、少年?」
「ああ。俺は敵意には敏感だから、わかるよ」
俺は自信たっぷりにうなずいてやった。
「コタロー殿が言うのなら間違いないであります。これまで、コタロー殿が間違えたことなんか一度もないでありますから」
グリフォンリースが同意してくれたことで、ラナリオたちは安心したようだった。
「うーん。さすがは英雄だね。アルフレドの勘も今回ははずれかな?」
「……そうみたいですね。よかった」
アルフレドは、端整な顔立ちに弱々しい笑みを浮かべた。
「実は、この地下都市に入ってからずっと、誰かに見られているような気がしてたんです」
「えっ」
俺はぎくりとした。
「それも、かなり近くから。一応、気にかけてはいたんですが、それらしい影もないし。きっと気のせいだったんでしょうね」
「アルフレドも人一倍敏感だから、そういうのはずしたことなかったんだけどね。でもまあ、おねーさんちょっと安心したよ。イヤなことばかり百発百中だったからね。ナッハハ」
「…………」
くいくいと、キーニが俺の袖を引っ張った。
彼女のメッセージを見て、俺はさらに凍りついた。
《誰かが後ろからついてきてる》
《気がする》《見えない誰かが》《それも気のせい》《だよね?》《ねえ》《コタロー?》
キーニちゃんもアルフレドと同じようなことを言うのか?
そんなはずないんだ。
俺はちゃんと仕込んだ。
ここでアンノウンとエンカウントすることは絶対にない。
じゃあ、誰が?
俺はそっと背後を振り向いた。
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