第115話 帰ってきた伝承! 安定志向!
「では、カカリナたちが調べている希少伝承についてお勉強しておきましょう」
場所は離宮の俺の部屋。
講師役としてみんなの面前に立っているのは、クーデリア皇女。生徒は俺ファミリー全員だ。
帝国図書館でラナリオたちが調べものをしている最中、俺たちは邪魔をしないように外に出ていることになった。
ラナリオが持っていたいくつかの伝承の断章と、帝国図書館にあった伝承の記述に一部重なる部分があることが判明し、クラリッサ以下、図書館職員たちの研究意欲に火がついたのだ。
今、あそこは知的好奇心の戦場と化している。俺たちのような不勉強な人間はいない方がよかった。ちなみにカカリナはクラリッサのお茶くみ係として捕獲されてここにはいない。
いずれは〈凍てつく都市〉の所在を明らかにする情報が完成するだろう。だが、それまでの時間、俺たちはオブルニアに関する伝承について勉強しておくことにしたのだ。
俺とグリフォンリースとキーニ以外はダンジョンに潜ることもないので、単なる興味本位だが。
「最近、クーデリアと共に家庭教師から手ほどきを受けているのだ。彼女は非常に優秀だが、我も負けてはいない。人間の――帝都の学問というのは面白いな。我はもっと多くのことを勉強してから、あれやこれを始めるべきだったのかもしれん」
中でもマユラは学業に対する熱意が強く、恐らく将来何の役にも立たないであろうこんな分野にまで真っ先に首を突っ込んできていた。
そして、一人許されるのならと、ミグたち三姉妹もくっついてきた次第だ。
「オブルニアには、グランゼニスやナイツガーデンよりも多くの伝承が伝わっていることはもうご存じですね」
クーデリア皇女の囁くような優しい声が、耳のあたりをふわふわと撫でてくる。
「それは、帝国成立以前、山岳少数民族の時代にあった部族ごとの伝承が、すべてここに集まっているからです。その中には類似する伝承も数多く含まれており、これは、過去に各部族が交流したことによって、それぞれの伝承が混じり合った結果だと考えられています」
隣の部族にはこんな伝承があるらしい、というのが、長い時間をへていつの間にか自分のところの伝承になってしまった。あるいは、伝承同士がごっちゃになってしまったということもあるだろう。
こういうのは後世の人間にはほとんどわからないし、またわかっても改めることはない。七夕が古くは織り姫も彦星も関係ない別の行事だったとか、そういうのと似ている。
「ところが、伝承の中には他のどれとも似ていない、極めて特異なものがあります。これが希少伝承です。たとえば、ここで働いているクルートの部族には、相手と自分の名前を入れ替えてしまう山の悪霊の話が伝わっていますが、これはよそにはありません。彼女の部族特有のものです」
ちら、どころか、じいっと俺を見つめてくる。
はい、あの、クルートさんとは、前時代的な生徒指導の先生さえにっこりするほどの健全な交遊をさせてもらってます。邪険にとかしてないです。
「その中でも特に奇妙なものの一つに、ソタシア族に伝わっている〝澄んだ人〟の伝承があります」
《澄んだ人?》《人当たりよさそう》《無欲なのかな?》
みな真面目に授業を受けているので、俺にわかるのはキーニの頭の中のつぶやきだけである。
「この〝澄んだ人〟は、オブルニア山岳地帯のどこかに、今の帝都よりも栄えた大都市を建設し、生活していたと伝えられています。こういった、未知の部族による黄金郷の伝承はたくさんあります。山の暮らしは厳しいですから、救いを求めてそういった理想を抱き、それがやがて伝承になったのでしょう。しかし、ソタシア族のものには、他とは異なる点がありました。それが〝澄んだ人〟という不思議な名前です」
みなが顔を見合わせる気配があったが、俺は動かなかった。その名前の正体をこの目で見たことがあるから。
「他の伝承では、黄金郷に住むのはみな美しく、朗らかで、飽食を表すふくよかな人々です。しかし〝澄んだ人〟の伝承にはそういった記述はありません。実は〝澄んだ人〟に似た伝承は、他にも二つあります。しかしそれぞれ遠く離れた村であり交流は難しく、その間にある村々に〝澄んだ人〟にまつわる伝承が一切残っていないことから、これは繋がりのない三つの村が、それぞれオリジナルであると考えられています」
「はーい、お姫様。オリジナルなのに三つもあるの?」
マグが、耐えきれなくなった、という感じで手を挙げて発言した。
「伝承の多くには、元になった事件が存在するのです。いつの時代も、物語というのは現実のカケラからできています。つまり彼らは実際に〝澄んだ人〟に出会ったと考えられます。他二つは〝水の人〟〝人影のようなもの〟という名前で伝わっていますが、大きな都市に帰っていったという点では同じであり、そして美しくも朗らかでもないことが共通しています」
三つの村は、それぞれが出会ったのだ。
あれと。
さらに言わせてもらえば、村人たちは〝澄んだ人〟をこっそり追いかけこそすれ、案内されたということはなかっただろう。そういう……親切な存在ではない。
「どれくらい前から伝わっているものなんですか?」
俺も質問する。クーデリア皇女は首を横に振り、
「いつからなのかは定かではありません。ただ、非常に古いものと考えられています。千年か、二千年か」
「そんなに古いものが残っているものなのか? 本人たちがそう思っているだけなのでは?」
マユラが俺に続いて問いかけた。
「その可能性はあります。確かに、古いものは風化し、消えていってしまう。けれど、わたしたちの命というのも、ずっと昔から続く古いものなのです。そして間違いなく、過去から現在まで、一度たりとも途切れることなく続いてきました。伝承の中にもそういったものがある可能性を捨ててはいけません」
「……そうか。確かにそうだな。クーデリアの言う通りだ」
マユラは納得して引き下がった。
一度も途切れることのなかった命か。
そうだな。どんな土地でどんな文明が興亡しようと、命だけは確かにずっと続いてきたんだ。
《それでその〝無害な人〟の都市はどうなったの?》《見つかったの?》《知りたいな》《誰か聞いてくれないかな》《わたし以外の誰かが》《主にコタローとかが》
授業中に「誰かわかる者いないか」とクラス中に呼びかけられた高校生の感想みたいな消極的な態度で、キーニが訴えてきている。
彼女の中では〝澄んだ人〟は〝無害な人〟に変換されたらしい。俺は今、伝承が変形していく実例を目の当たりにしている。
〝澄んだ人〟の伝承が限りなく純度の高いまま保持されたのは、世にも稀な奇跡だということがはっきりわかる事例である。
「それで〝澄んだ人〟の都市はどこかに見つかったんですか?」
俺は、無口な彼女の代弁者となって問いかける。
「いいえ。伝承が残る三つの村の間に存在すると考えられていますが、そのあたりは獣人の部族でさえあまり住まない過酷な土地ですから……」
「だったら、今回それが初めてわかるかもしれないというわけですね」
「そうですね」
「えっ、そうだったのでありますか?」
グリフォンリースがはっとした顔で言った。
何を聞いていたんだ、とは言うまい。
こう言っちゃ何だけど、グリフォンリースちゃんはあんまり勉強ができない。いや、バカじゃないし、子供の世話とか上手いし、日常生活に必要なことはちゃんとできる子だよ? ただ、机の上の学問に関してはあまり好きではないようなのだ。いわゆる実学でないとてんで頭が働かないタイプ。
「聞いたところによると、ラナリオという冒険家は、山から遠く離れた平地で〝澄んだ人〟の伝承を発見したようですね」
「古代オブルニアゆかりの人物が残した資料らしいですよ。もちろん、その写しですけどね」
「人が動くと伝承も動く。しかし、離ればなれになりながら、やがて一つに戻っていく。とてもロマンがありますね」
「本人もそう叫んでました」
微笑むクーデリア皇女につられて俺も口元が緩んだ。
だが、その直後、冷たいものに撫でられた気がして、笑顔にはたどり着けなかった。
人々は〝澄んだ人〟の伝承を、どうしてこうも正しく残せたのか。
そうじゃない。
〝残せた〟んじゃない。
〝残ってしまった〟んだ。
歴史に。人々の記憶に。
歴史はこの伝承を抹消することに失敗した。
人々の歴史に正しく残り続けた。
それが〝澄んだ人〟の呪いのように思えて。
俺は自分の中で誰かの絶叫を聞いた。
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