第110話 奥義を殺す〝力〟! 安定志向!

 防御無視。ダメージ二倍、必中。

 それが『ジャイサガ』のクリティカルの性質であり、ヤツが使う〝鋼通し〟の性能でもある。

 ゲーム中最高峰の防具である〈黒鎧〉も濡れたティッシュペーパー並にしか役に立たない。全裸で戦った方が、身軽な分マシなくらいだ。


 ……さっきまでは。


「キーニ! こいつで回復役を頼む」


 俺は後方でおろおろしているキーニちゃんに〈力の石〉を投げ渡す。


「とにかく使いまくれ。無傷でも気にするな!」


 確認はできないが、恐らくうなずいてくれているだろう。


「コタロー殿、無茶だ! ここは一旦退くしかない!」


 どんな犠牲を払うことになっても、と言外に叫ぶカカリナに、俺は背中で声を返した。


「心配するな! これはもう俺たちの勝ちだ!」

「何を言ってるんだ……! 正気に戻れ! こういう時こそ冷静にならなければダメだ!」

「いいから、カカリナはクーデリア皇女の身を守ってろ!」


 さあて……。

 とは言ったものの、俺もまだ半信半疑の状態ではある。

 本当に俺の作戦は成功しているのか? ひょっとして、大人しく自分に使っていた方がよかったんじゃないのか?


 ええい、今さら疑うな! 俺は『ジャイサガ』のエキスパートだ!


「…………取り立てて珍しいことでもない、か」


〝鋼通し〟がつぶやいた。


 絶望した標的が無為に開き直ることを指しているのか、あるいは錯乱することをか。もしくは、焦った人間が道具の使い方を誤ることについての言及かもしれない。

 死の淵に片足を突っ込んだ人間の狂想曲を、きっとこいつは飽きて途中で居眠りするほど聴いてきたのだろう。


 何にせよ、思わぬ強化に〝鋼通し〟が動揺した様子はない。

 同時に警戒した様子も。

 いつも通りに攻めてくる――それは好都合だ。


 そういうことにしとけ!


 俺の前進と〝鋼通し〟の攻撃再開は、ほぼ同時に起こった。


「うおおお!」


 再び虚空に乱れ咲く、鉄くさい火花。

 さっき打ち合って気づいたが、攻撃速度だけならレベル99の俺はこいつに対抗できる。

 相手の得物は軽く、力もそれほど高くない。

 たりないのは経験だけだ。だからさっきは左手をまんまと打ち抜かれた。

 しかし今度は……。


 重いッ!


 俺は顔をしかめる。

 前回は軽く感じた黒釘が断然重くなっている。ナイフで打ち合うたびに、手首に重い痺れが蓄積していく感覚がある。


〈戦神の秘薬〉の効果が確実に出ていた。

 これなら、〝鋼通し〟の秘技を使うまでもなく、相手を殺れる――。

 なんて思ってくれるわけないか!


〝鋼通し〟が、空いていた左手を素早く外套の上に走らせた。

 これだ。さっきはこれで左手をやられた。二刀流への一瞬のスイッチ。

 だが、狙いがわかっていても防ぎようがないのが〝鋼通し〟の恐怖――!


 ガリッ。


 剣戟音に今までにないものが混じり、一瞬の動揺が室内を駆けた。


「……!!」

「……!?」


 目を見開いたのは、俺と〝鋼通し〟の両方だ。

 左手に新たに持った黒釘で俺の右手のナイフを制し、右手の黒釘で俺の左手を刺す。

 余分な項の存在を許さない、完璧なはずの殺しの方程式は、しかし、釘が〈黒鎧〉の手甲表面を上滑りするという異様な解答を見せた。


 ……よしっ!


「チッ。手元が狂ったか……」


 色のない瞳を見せたのも一瞬、あっという間に感情をフードの奥に沈めた〝鋼通し〟は、攻撃失敗による体勢の崩れを回避行動と共に修復させ、再度俺に肉薄する。


 さらに速度を増す、両手の黒釘。

 応戦する俺。

 今度こそ、〝鋼通し〟は驚愕を俺に晒した。


 ギンッ!


 俺の腕を狙った黒釘が、〈黒鎧〉の表面にぶつかり――

 折れた。


「……なに……?」


 分厚い絨毯の上に落ちた釘の先端は、音を立てなかった。


「俺のリベットが……折れた?」


 隙ありっ! とは声に出さず、俺は〝鋼通し〟に接近してナイフを連続で突き出した。

 いずれもかわされてしまったが、絶望的だった部屋の空気を、一転攻勢のBGMが流れるくらいには変えられた。


 俺は休まず、〝鋼通し〟を猛追する。

 黒釘による攻撃は確かに重い。だが、〝鋼通し〟が発生しなければ、それだけでしかない。

 防御も可能で、ダメージもたかだか二倍。これならばキーニが狂ったように振っている〈力の石〉の回復で間に合う。


 このまま押し切る!


「……俺に、何をした……?」


 小さな切り傷が増えてくる中、とうとうこらえきれなくなったか、〝鋼通し〟が直接聞いてくる。


「見たままさ。〈戦神の秘薬〉は本物だ」


 何が起こっているのか、ヤツにはどう考えてもわからないだろう。

 こいつに状態異常は効かない。攻撃力を落とすアイテムや魔法は通用しない。

 だが反対に、強化は入る。こいつ自身は使ってこないが、攻撃力や防御力を高める道具はしっかり受けてくれる。


 そこを突いたバグ……というか、仕様を逆手に取った戦術を俺は仕掛けた。

 普通に生まれて生きている人間には決して気づけない、この世界の仕様。


〝鋼通し〟の無感情のフードの内側から、はっきりと動揺が漏れだした。

 知りたいだろう。

 己の秘技を殺したものの正体を。

 殺し屋として致命的な欠陥を露呈した、その理由を。


 教えてやるよ。

 心の中でな。


 なんと『ジャイサガ』には〈戦神の妙薬〉によって攻撃力が二倍になったキャラは、クリティカルが発生しないという特殊な仕様が――!


「そうか……。わかりましたよ、クーデリア様。コタロー殿の狙いが! なんてことを考えるんだ、彼はっ……!」


 えっ、なに、カカリナ? いきなり何言うの? まだ心の中で説明の途中なんだけど……。


「どういうことですか? 教えてください」


 クーデリア皇女も気になるようだ。

 いや、だから、このゲームにはそういう仕様が……。


「あの〝鋼通し〟という技術は尋常なものではありません。オブルム鉱石から作られた〈黒鎧〉をあんな釘で貫くなど、普通なら到底考えられないことです。まさに神業。心技体、すべてがそのために揃っていなければ、とても体現できないものでしょう」

「カカリナ。ここは鉄火場です。説明は手短に」

「すみません。彼は〈戦神の妙薬〉によって、あの殺し屋の力を高めました。伝説の通りならば、攻撃力はおよそ倍にもなると言われています。しかし……それは心技体のうち、体だけを突出させるという意味でもあります!」

「! つまりコタローは、奥義の必要条件である、心技体の絶妙なバランスを崩壊させるのが目的だったということですか……?」


 クーデリア皇女だけじゃない。

 その場にいた誰もが、その説明に息を呑んだ。

 俺も呑んだ。


「その通りです。技というものは、ただ闇雲に力を込めればいいというものではありません。力を抜いた方が、かえって鋭い一撃になることもある。ましてや〝鋼通し〟のような絶技、途方もなく繊細な力と技と集中力の調和で成り立っているはずです。彼はそれを崩した。誰も警戒するであろう、相手の力を削ぐという方法ではなく、何人も無警戒な、力を高めるという方法で……!」

「コ……コタロー。あなたは、何という人なのですか……」


 ………………。

 すっげー尊敬の眼差しが部屋中から俺に一点集中してる。

〝鋼通し〟までもが、フードの奥から俺をぎょっとした様子で見つめている。


 …………。

 ……。


 え、ええっと……。

 あの……これは仕様で……。

 クリティカルが出ない仕様だから、あの……。あのですね……。

 そんなんじゃなくて……。そんな難しいこと考えたんじゃなくて……。

 ああ……ああああああああああああ。


「フッ……。さすがはカカリナ。こんなにあっさり見抜かれたら、俺がドヤ顔で解説する機会がなくなっちまうな」

「フフ……。大事な見せ場を奪ってしまってすまない。だが、他の人たちには是非とも話してあげてほしいな。こんな奇策を用意していたとは、恐れ入ったよ……!」


 不敵に笑った俺に、カカリナも同じように応じた。

 卓越した戦士同士がわかる、共感があった。


 …………。

 何だよしょうがないじゃないかよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

 ここで俺知~らないって言ったら、得意顔のカカリナも、感動してるみんなもバカみたいじゃないかよお! ならピエロ役は俺一人で十分だよちくしょおおおおおおお!


 俺が胸中で悶絶する中、皇女たちの会話は続いた。


「……! ということは、カカリナ?」

「……! ええ、ヤツはもう〝鋼通し〟は使えない、ということです……! クーデリア様、扉の鍵を開けて! 第四の牙隊総出でヤツを捕らえます!」


 クーデリア皇女が扉に飛びついたとき、今や一握りの闇すらフードの中に残らない〝鋼通し〟の顔に、明瞭な逡巡が生まれた。

 標的はすぐ目の前にいる。だが、この状況は、かつて経験したことないほどに不利。


 こいつが敵の多寡を気にしないのは、一撃必殺防御不能の〝鋼通し〟があるからだ。混戦になればなるほど、周囲には死体の山ができる。


 だが今、こいつは攻撃力が高いだけの人間だ。俺が〈黒鎧〉を着込んできたのも、クリティカルを封じた後の原始的な殴り合いを想定してのこと。同じ鎧を着込んだ【インペリアルタスク】たちが殺到したら、ヤツは圧殺される。


 クーデリア皇女が扉を開け、その陰に華麗に身を隠した直後。


「うおらあああああああ!」

「敵はどこだあああああっ!」


 待ちかまえていたように、隊長のバウルバ以下、人も獣人も一緒くたになった護衛が、雄叫びを上げながら寝室に雪崩れ込んでくる。


 多対一だろうが、限定空間だろうが、あんな風に押しくらまんじゅう状態になっても有効な陣形を持っているのが第四の牙隊だ。

 これを見ては、〝鋼通し〟に残された選択肢は一つしかない。


 逃げる!


 一瞥も残さずきびすを返した殺し屋は、真っ直ぐに、侵入路である窓へと走った。

 人間よりもはるかに足の速いクマの獣人でさえ、追いつかない速度。

 窓枠を蹴って、月と星の輝きが埋める冷たい空へと飛び出す。


 だが、彼にその光が当たることはなかった。

 殺し屋の暗い宿命を暗示するかのように、ぴったりと月光を遮る影が、その背中に張りついていたから。


 俺だ。


「…………!」


 このイベントで皇女を殺されてしまった場合、こいつは入ってきた窓から退散する。その理由から、俺はこいつの脱出路を一つに断定していた。

 だから間に合った。


 フード付き外套が鳥のように裾を広げる背中に組み付き、相手の自由を奪う。

〝鋼通し〟の背中に膝を当てつつ、俺はつぶやくように言った。


「最後に聞いておいてやる。名乗りな」

「名前……?」


〝鋼通し〟は諦念も驚愕も怨嗟もなく、跳躍が力を失って下降へと転じつつある動きの中で、不思議そうに、本当に不思議そうに聞き返した。


「俺には名前なんて、ない」


 ただ虚ろで、何の意図も感じられない声だった。


「そうか」


 短いやり取りを終え、裏社会でもっとも名の知れた名前のない殺し屋は、小宮殿の植え込みに、俺の下敷きになって叩きつけられた。

 兵士たちが集まってきても、彼はぴくりとも動かなかった。


 帝都の冷たい夜は、ようやく、朝に向けて進み出したのだった。

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