第109話〝鋼通し〟の恐怖! 安定志向!

「たった一人で勝てるはずがないのであります。覚悟!」


 勇敢なグリフォンリースが盾を構え、最前に出る。

 わずかに縮まった間合いに、しかし〝鋼通し〟はまだ動かなかった。


 今回、彼女にはカウンターを禁じている。

〝鋼通し〟のクリティカルはカウンターが取れない。そして、能力差を考えるとカウンターの成功率も低い。有効な対策にはならない。


「では、まずはおまえから殺す」


 窓から這い寄る夜気に乗って、その言葉は俺たちに届いた。

 多弁な殺し屋というと何だかマヌケなようにも思えるが、決してそうではない。

 本物の声には、魔性の力がある。

 今夜の風のように冷たく、重い力が。


 その声を聞いたときぞくりときた。

 聞く者の心を萎縮させ、血流を凍えさせ、筋肉からは熱を、精神からは生気を奪う声だ。


 爆発的な効果があるわけじゃない。

 だが本人も気づかぬうちに、動作一つを、判断一つを、ほんの少しだけ狂わせる病魔を植えつけ、そして、致命的なタイミングで発芽させる。

 死のタイミングに。


 そんな死神のささやきのような魔性。それがこいつの声には染みついている。

 危なかった。クーデリア皇女の鋼の覚悟を見せつけられた後でなければ、俺も引っかかってたかもな。


〝鋼通し〟は窓枠から室内に、べちゃりと倒れ込んだ。

 床に外套の裾を広げたその姿は、怪鳥の羽毛でこしらえた敷物を連想させる。


「――!?」


 それが、液体のように音もなくグリフォンリースへと迫った。

 倒れ込んだわけじゃない。地を這うような超低姿勢で走ってきているのだ!


「くっ、このっ!」


 だが、これまで俺の色々な無茶振りに耐えてきたグリフォンリースが、この程度の動きでビビることはない。

 剣を振り下ろす間はないと判断し、即座に足を振り上げる。

 蹴り潰すつもりだ。


 基本的に上半身で戦う人間にとって、足下というのは死角である。

 武器を持つ手は上半身についている。

 武器は上に持ち上げた方が、強く早く振り下ろせる。

 屈強とされる人間も上へ横へと成長するばかりで、下側には拡張しない。当たり前だが。


 上。上。上。

 すべては上という位置エネルギーを求めて活動する。


 だからこそ、足下からの攻撃は永遠に克服しにくい。人間相手に戦い慣れている戦士ほど、注意と対処は体の上側に集中する。膝より低い位置からの必殺となれば、なおのこと迎撃は困難。


〝鋼通し〟は、まさにこの人間共通の死角の中を泳ぐ鳥だった。


 しかしグリフォンリースは、冷静に、これをもっとも原始的な戦法で迎撃に出た。

 普通の騎士は、ただ踏みつけるなんて荒っぽいことはしない。騎士の庭園で受勲した者ならなおさらだ。だが、グリフォンリースは、これまで泥道を歩んできた女騎士である。見栄えよりも、そのとき必要な手段を取ることは、彼女にとってごく当たり前のことだった。


 だんっ! と、一切仮借のない踏みつけが、クーデリア皇女の寝室の床を打ち鳴らした。


〝鋼通し〟はその下にはいない。直前で飛び上がっていた。

 ぬるりと、跳ねる液体のように。

 だが、上からの対処ならば盾でがっちりとガードできるはず――!


「ううあっ……!」


〝鋼通し〟がグリフォンリースの盾を蹴って跳ね返ったとき、彼女の驚きともつかないうめき声が俺の耳を貫いた。


「グリフォンリース!?」


 何だ? 何が起きた? グリフォンリースはヤツの攻撃を確実に跳ね返したはず……。何を苦しんでるんだ!?


「……!」


 俺は見た。

 グリフォンリースの盾に一本の直線が立ち、それが盾の裏側を抜け、彼女の腕をも打ち抜いて反対側に飛び出していた。


 あれは……ヤツが体中に巻きつけている、黒い釘だ。

 だが、あんな細いものがどうやってグリフォンリースの盾を……そして、彼女の手甲を貫いたんだ?


 まさか、これが。

〝鋼通し〟か……!?


「くっ、このっ……!」


 グリフォンリースが釘を抜こうと懸命になるが、柔らかい人間の肉だけならまだしも、頑強な鋼鉄を三層分ぶち抜いているのだ。簡単にはいかないようだった。


「グリフォンリース、今すぐ回復を……く……いや、今は使えないか……!?」


〈力の石〉で傷を治してやりたいが、体内に異物が通ったままではどうなるかわからない。そのまま肉と一体化してしまったら大変なことになる。


「くそっ!」


 俺はグリフォンリースの前に出て、〝鋼通し〟を牽制した。

 遮二無二ナイフを振り回す。


 くそ、くそ、来るなよ……。そうだ、まだ様子を見ておけ。レベル99は怖いぜ!


 俺が戦い慣れているグリフォンリースと同じように動けるとは思えない。足下から影のように迫られたら、何も出来ずにあの釘を刺されそうだ。


 釘……くそ、〝鋼通し〟を見誤った……!

 あの細長い釘を見た時、〝鋼通し〟は防具の継ぎ目を狙う暗殺術だと思った。だから防御無視なんだと。


 人間の急所は色々あるが、首、脇の下や太股の付け根は血管が密集し、しかも表皮に近い部分に浮き出ているらしく、釘の一刺しでも致命傷になりうる、という話を、カカリナから聞いたことがある。

 そしてそこは人体の重要な可動部でもあるため、防具に隙間を作らざるを得ない箇所なのだ。


 そんなふうに守りようがない弱点を突く殺し屋……そう考えていた。

 だが違った。本当に鋼を通してきやがった。


 あの黒い釘がどんなに硬くても、盾や鎧を貫くなんて普通じゃ考えられない。しかも刺された方がそれを簡単に引き抜くことができないくらい、強固に突き刺さっているのだ。

 ただ力が強いって理由じゃ説明つかねえぞ、この技……!


 ずるり、と〝鋼通し〟が動いた。

 もう俺はヘボだってバレたらしい。 

 くそが、来るかっ!


 レベル99の感覚は、フェイントを織り交ぜながら低空を這うように接近してくる刺客の動きを正確に捉え、その右手に持つ黒い釘の光を明確に見ていた。


 ファーストインパクト。


 ギギギギン! と、無数の火花と金属音が一列に繋がった。

 俺のナイフと〝鋼通し〟の黒釘が、一呼吸のうちに数合ぶつかり合った音だった。


 釘の手応えがむしろ軽かったことが、背中に冷たいものを走らせる。

 これは特殊なものじゃない。通常の金属で作られた釘だ。

 つまり異常なのは〝鋼通し〟という技そのもの。殺し屋本人……!


「いっつうッ……!」


 左手に熱が走ったと思って後退すると、ゲーム中最高峰の防具の一つである〈黒鎧〉の手甲を貫いて、黒釘が刺さっていた。


「うわああっ!」


 釘の生えた左手が熱くて冷たかった。

 指を少し動かすだけで筋肉が引きつり、痛みに変貌する前の鈍重な感覚を伝えてくる。アドレナリンが切れたらどれだけの激痛が襲ってくるのかわからない。


「ち、ちくしょうっ!」


 帝都ご自慢の鎧がまるで役に立たない。

 防御無視。ダメージ二倍。必中。

 それは接近戦になれば、確実に命を削られるということだ。


 ……使う! もう〈戦神の秘薬〉を使うしかない!


 咄嗟に武器を収め、懐からアイテムを取り出そうとする。

 その隙を、稀代の殺し屋が逃すはずもなく――


「コタロー殿!」


 グリフォンリースの悲痛な叫びを聞いた瞬間には、すでに目の前に黒い釘を握った〝鋼通し〟の姿があった。


 フードの奥の、美しいけれど石膏像のようなヤツの素顔を、俺は初めて見た。

 これまで殺された人間が最後に見た光景は、きっといつもこれだった。


 だが。

 ――望み通りだぜ!


「これでも食らえァ!」

「!?」


 俺は〝鋼通し〟に対して小瓶を投げつけていた。

 そのタイミングは、こちらの動作とヤツの攻撃が相打ちになる、本当に、ごく一瞬分、手前のこと。もし一瞬遅ければ、ヤツの釘は俺の急所を捉えていただろう。


 期待通り〝鋼通し〟は瞬間的に攻撃行動を反転させ、口元を外套で押さえながら部屋の隅まで飛びすさる。

 小瓶の開いた口から立ち上った赤黒い煙は、まるで意思を持っているかのように殺し屋を追いかけ、その体を取り巻いた。


「や、やった。何かのアイテムでありますか、コタロー殿!」


 グリフォンリースが歓声を上げる。


「毒か? 無駄だ。俺には効かない……。む……?」


 冷ややかに言った〝鋼通し〟の言葉は、後半で疑念に変わった。


 そう。こいつに毒は効かない。

 毒どころか、状態異常は一切効かない。

 だが、その反対は?


「コ、コタロー殿、それは……ッ!?」


 不可思議な動きをする煙の動きに、小瓶の中身を察したのか、カカリナが悲鳴じみた声を上げた。


「……これは毒ではないな。力がみなぎってくる。噂に聞く〈戦神の秘薬〉か……?」

「や、やはり! な、何ということだ……。確かに投げつけなければコタロー殿はやられていたが、よりによってあの伝説の秘薬を……!」


 カカリナの焦りと嘆きは十分理解できる。

 俺はダメージを受けたことで動揺し、切り札である〈戦神の秘薬〉を、迂闊なタイミングで使おうとした。

〝鋼通し〟が接近したことで俺はさらに動転し、それを相手に投げつけてしまった。

 つまりこの凶悪な刺客を、さらに手のつけられないところまでパワーアップさせてしまったのだ。


 ……と、誰もが思うだろう。


 違うな。

 俺が痛みで動揺する?


 確かに自分の手のひらから鉄の釘が生えてるのはショッキングだったが、グリフォンリースはもっとひどい目に遭ったんだ。これくらいでビビってられるかよ!


「う、おりゃあ!」


 左手に刺さった釘を強引に引き抜き、今度こそ〈力の石〉で回復する。

 痺れていた五指を二、三度開閉させ、俺はその手で〝鋼通し〟を挑発するように手招きした。


「さあ来いよ、〝鋼通し〟。おまえの奥義はもう通用しねえ」

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