第103話 お、俺の計画がこんなにズサンなはずがない! 安定志向!
帝都の獣人部隊および、〈魔王征伐団〉の機動力と即応力に優れた部隊が、先鋒に選ばれていた。
超大型の魔物に対してはバリスタなどが用いられるのが定石だが、平地で使われる巨大なものとは違い、山の斜面でも配置に困らなさそうな、三人くらいで運べるサイズのボウガンが持ち込まれている。
他には大弓を担いだ者や、魔導士らしき姿の兵士。
近接装備の者もいるが、相手はあの図体だ。取りついて戦うのは無理があると感じられた。
「急げ! 最低でもここでヤツの戦力を見極める!」
「ビッグボウガン隊は次射の準備を怠るな! ある分は撃ち尽くして構わん!」
「おい、そっちに近づくな。魔導士隊の精神集中の妨げになる!」
やはり帝都の兵士たちは斜面での戦いに慣れている。陣の展開にもよどみがない。だが、ホームグラウンドでの戦いにも関わらず、彼らの声には緊張だけでは説明のつかない強ばりがあった。
なぜ、と聞く必要はない。脅威は遠くにありながら、すでにずっと前から俺たちの目の中に入っている。
布陣の前衛部へと進むと、見知った後ろ姿を見つける。
「クリム!」
びくりと跳ねた背中が、緩慢な動きで振り向いてくる。
「あっ、コタロー。グリフォンリースも……」
隊長格を示す鎧を身につけたクリムは、いつになく低い声を口にした。
彼女の部隊に、飛び道具の装備はない。
遠距離攻撃の後、突撃を任された部隊なのだ。その実情は、ほとんど決死隊と変わらないだろう。
「間に合ったみたいだな」
「き、来てくれたのはありがたいけど、今度ばかりはさすがにダメそう……あはは。まあ、でもさ、これって多分名誉なことだよね?」
ヤケクソになってわめき散らさないのは、成長したのか、あるいはその段階はもうすぎているのか。恐らくは後者。クリムの疲れた笑みを見て、グリフォンリースが慌てて励まそうとする。
「ク、クリム殿、だ、大丈夫であります。コタロー殿に、何か秘策があるそうであります」
「秘策? あれに? 冗談でしょ? 見てよ、迫ってくるあの姿。生きる土砂崩れよ。戦うって発想がそもそも場違いに思えるわ」
言って、山の尾根を這い寄ってくる巨大なバケモノを見やる。それを視界に入れた瞬間、彼女の目元が泣きそうに引きつるのを、俺は見逃さなかった。
「そうだな。土砂崩れに勝つ方法は、俺も知らないな。でもあれは、単なる魔物だぞ」
俺はあえてニヤニヤしながら言う。
「単なる魔物? あ、そうだったの……? わたし、悪魔の神様か何かだと思ってたわ」
クリムの声は乾いていた。
いつもの彼女じゃない。
戦いに挑む者の声じゃない。
絶望に耐えるために、心を干からびさせたのだ。
神経の何もかもを麻痺させ、その間に華々しく戦死してしまおうと考えているのだ。
精神安定法の研究に余念のない俺にはわかる。
だが、それはやめとけ。そんな痛々しい覚悟は俺たちには似合わないし、そんな疲れることをするタイミングでもない。
「神様があんな汚いわけあるかよ。単なる魔物なら、絶対倒せないってことはないと俺は思うね。どうだ?」
俺が言うと、クリムは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「……何よ。そんなふうに言わないでよ。思い残すことは、もうないことにしてきたんだから。や、やめてよ……。ここは〈吹雪の谷〉と違うのよ? そうでしょ?」
「そうか? 俺には違うようには思えない。〈アイシクルロングヘッド〉の群れは、少なくともヤツよりずっとでかかった。あのとき、捨て鉢になったおまえらを救ったのは誰だった? 誰がいたから全員無事に生還できた?」
「……っ」
平坦だったクリムの顔がくしゃりと歪み、せせら笑いが口からこぼれた。
「……あんたやグリフォンリースといると、つらいわ。ここが死に場所だって自分に言い聞かせてたのに、あんたらはそうじゃないから。まだ生きるつもり満々で、だったらわたしもって、何だか希望が持てちゃって、簡単に絶望できなくなるから……」
その目から雪解け水のような、細い涙がこぼれ落ちた。
「コタロー……。もしわたしがさ、まだ死にたくないって言ったら、助けてもらえるの……?」
「だから来たのさ」
クリムが動いたと思ったら、全力で俺に抱きついていた。
「う……ッ。ぐッ……うぅ……」
食いしばった歯の奥から聞こえてくる嗚咽は、彼女がここまでずっと我慢していたものだろう。
彼女は本来、こんな修羅場にいるような人間じゃない。もっと小さな戦場で、小さな任務を果たすだけの下級騎士だった。旧魔王なんて恐怖の権化と陣の先頭で対峙しているのは、俺がレベル99にしてしまったことが少なからず影響している。
だが、そのことについて、俺は必要以上に責任を負うべきではない。
ここまで来たのは彼女の選択であり意志であり、俺が自分を責めることは、クリムがその判断のために費やしたさまざまな感情や過程を侮辱することになる。
だから、甘やかすのはちょっとだけだ。
「頑張れ」とは、言わない。
代わりにこう言う。
「全部任せろ」
俺は何度か背中を叩いてやって、彼女をグリフォンリースに預けた。
さて、こんなシーンをやった後でちょっと申し訳ないが、リタイアした魔王には、この〈煙玉〉で意味不明の死を遂げてもらおうか。
ゆっくりと迫ってくる魔王を見据える。
強固な地盤を持つ、山の足場が震える。
くそっ、でかいな。
でかすぎて距離感がわけのわからんことになってる。
遠くからは鈍重な動きに見えるかもしれないが、その進軍速度は決してのろくはないことがわかった。一動作だけでも、五、六メートルは進んでくる。
慌てるな……さ、さすがに足が震えてきたけど、慌てるな……!
こいつの前にこの〈煙玉〉を叩きつけるだけで、戦いは終わりなんだ!
「てえーっ!」
俺が動くよりも先に、弓矢や魔法による遠距離攻撃が始まった。
矢弾は〈朽ちた厄災〉の荒れ果てた皮膚に突き刺さり、火球が肉片を爆発させるが、魔王に少しも動じた様子はない。
ゲームでも共闘してくれる〈征伐団〉の攻撃は、三桁ダメージが関の山。牽制にすらならない。現実もその通りだ。
〈朽ちた厄災〉が、こちらの攻撃に引きつけられるように近づいてきた。
よし、今だ!
俺は〈煙玉〉をすぐ目の前の地面に叩きつけた。
もうもうと煙幕が立ちこめ、こちらの姿を隠し……隠……。
あの…………。
全然……。
隠れてないですよね……?
冷静に考えてみれば、このアイテムは最大でも六人用くらいだ。
振り向いた俺の視線の先には、その二十倍はある迎撃部隊の皆さんがいる。
たった一の〈煙玉〉で、全員の姿を隠し切れるはずもない。
だが待ってほしい。ゲームでは確かに、煙のエフェクトが、俺たちと〈征伐団〉を覆い隠すはずなのだ。
あ、あれ……?
じゃあ、このバグってどうなるの……?
再現……不可能?
「コッ、コタロー殿ッ!」
グリフォンリースが肩を引っ張り、俺を前へと向き直させる。
立ちこめる煙幕の上部切れ目から、四つんばいから上半身を持ち上げた姿勢の、旧魔王の恐ろしく暗く深い眼窩が、俺たちを見下ろしていた。
地上にいれば濃密な煙幕も、高さがあれば人影くらいは目視できてしまうのかもしれない。
俺は息を呑んだ。
星のない夜の森でさえ、ここまで暗くはない。すべての闇を詰め込んで、なおこの漆黒には届かない。
それなのに、そんな深淵の奥から俺だけを見つめられた気がして、体中の機能がいっぺんに凍りついた。
――それは、走馬燈の一種だったのかもしれない。
俺の記憶は猛烈に逆回転を始め、なぜか自宅で『ジャイサガ』をプレイしている光景を弾き出した。
走馬燈の正体は、絶体絶命に陥った脳が、あらゆる記憶の扉を全開にして解決策を模索しているのだと聞いたことがある。
だからだろうか。
画面に映るその場面はまさに、〈古ぼけた悪夢〉。この瞬間だった。
小学生の手をした俺はコマンドを入力し、〈煙玉〉を投げさせる。
命令されたキャラクターが、アイテムを使うポーズを取った。
「……!?」
その瞬間、前陣にいる〈征伐団〉のキャラも、同じポーズを取った。
え…………!?
そ、走馬燈逆回転! 画面戻して! もう一度今のシーン見せて!
リプレイ。俺は食い入るように記憶を凝視する。
何だこのモーション……。バグか?
確かに〈征伐団〉は、アイテムを使うキャラと同じポーズを取っている!
これは何だ? 何のバグだ?
いや、いや、待て……。
〈煙玉〉はせいぜい六人用。
だったら、このモーションは、戦闘から逃れるために〈征伐団〉も主人公たちに合わせて〈煙玉〉を使ったってことを意味している……?
え?
つまり、全部隊分のアイテムが必要だった……?
え?
え?
そんなにたくさんの〈煙玉〉、ぼくもってないよ?
「コタロー、どうしたの? 早く秘策で、そいつをばーんとやっつけちゃって!」
すっかり復活して、気が抜けるほどいつも通りになったクリムが、俺に笑顔を向けてくる。
今度は、こっちが自分の心を渇かす番だというのに。
俺は引きつった笑顔をクリムに向け、
「え? コタロー、何その顔――」
ありったけの大声で叫んでいた。
「全員、撤退いいいいいいいいいいいいいいいいッ!」
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