第104話 一対の魔王! 安定志向!

「逃げろ! 全員撤退だ! さがれ! 後退! 後退いいいいいい!」

『う゛ぇええええええっ!?』


 俺が大声でわめき散らした直後、仲間たちから悲鳴めいた叫びが上がった。


「ど、どういうことコタロー!? あっ、そ、それも秘策のうち……? そっ、そうよね。あんた、そうやってあの戦争も……」

「…………」

「何よその脂汗、ちょ、えっ、まさか、うえええええええええええ!?」


 クリムは再度絶叫。グリフォンリースは青ざめたまま白目を剥いており、キーニはフリーズしてステータス表にも言葉が出てこない。


「とにかく陣を後退させろ! こんな攻撃ヤツには効かない。〈暗い輝き〉が来たら、ここにいる全員消し飛ぶぞ!」

「できるかバカヤロウ!」


 俺の声に怒声で応えたのは、クリムとは別部隊の隊長と思しき獣人だった。


「俺たちがここで少しでも時間を稼げりゃ、後ろの連中が準備を整えられるんだ! 逃げ出せるわけねえだろ!」


 巨大な鉈を握りしめた彼に、俺もその場の勢いで怒鳴り返す。


「こんな戦力じゃ時間稼ぎにもならねえよ! そんなに無駄死にしたいのか!」

「死にてえヤツなんかここには一人もいねえ! だがな、世の中には命懸けなきゃできねえことがあんだよ! それが戦だ! それを引き受けるのが兵士ってヤツだクソガキ!」

「こ、このっ……クソがあッ!」


 このイベントで共闘してくれる〈征伐団〉は、後半戦ほど強くなっていく。それはつまり、前に戦って散っていった仲間たちが、彼らに準備する時間を作ってくれたってことになるのだ。この獣人が言った、まさにそのとおりに!


 彼らは最初から捨て石になることを覚悟している。

 勝利と仲間のために、一つしかない命を使いに来たのだ!

 こいつは正しい! こいつは何一つ間違えず、自分の命の義務を果たそうとしている!


 あああ死なせたくねえ! こういうヤツら一人も死なせらんねえええええ!


「ああああああああなた様、ここここの英雄的な戦いを後世の人々に語り継ぐために、逃げ延びて伝える人間が必要です。ひょっとして、あなた様はそういう役目を負ってこの世に生まれたのでははははは?」

「土壇場で魅惑の口実を作り出すのはやめろパニ!」


 考えろ、考えろ、考えろ……!

 とにかく再現だ。バグを再現すればきっと何かが起こる……!

 何でもいい。何か方法は……。


 煙玉……煙幕……目くらまし……。

 …………!


 ま、待てよ! ひょっとするとあれが使えるかも……。


「クリム、クリム、クリイイイイム!」

「何よお! 近くにいるんだからそんなに叫ばなくても聞こえるわよ!」


 耳を押さえているのか、頭を抱えているのか、とにかくそんな姿勢でクリムが叫び返してくる。


「クリム、おまえ確か必殺技の〈クリムゾンバンカーバスター〉使えたよな!?」

「え? ど、どうしてそんなこと知ってるのよ! グリフォンリースにも話してないのに」

「使えるんだな! よし、それなら……! パニシード、この前カジノでかっさらった大槌出せ!」


 パニシードが慌ててバックヤードから取り出したのは、〈エンセスタルピラー〉という両手槌だ。

 その外見はいわゆるトーテムポールであり、打撃部分の先端には、げきおこオヤジの仮面が口の中から常時火を噴きこぼすという奇抜な状態でデザインされている。


「げえっ、何よその呪われてそうな武器! ていうか武器なの!?」

「ああ、力一杯殴る用の武器だ! 使え!」

「うわ、重たっ……! ……くもない? あれ?」


 早速効いた。この〈エンセスタルピラー〉は、装備者に力+20の恩恵をもたらす。

 クリムは凡人っぽく見えて、ステータスも正しく凡庸なのだが、それは力と耐久に優れる【ガーデンナイト】という【クラス】の中での話だ。


 力は俺たちの中じゃ誰よりもあるし、必殺技も純然たる力依存の脳筋技である。

 この装備でレベル99なら、最終決戦のパーティーに交じっていても少しも違和感はない。こいつなら、やれるかもしれない!


「くっ……わかったわよ。これであいつに一発食らわせろっていうんでしょ? やってやるわよ! 見事散華してやるわよ! もうヤケクソよ!」


 様々な人面が彫られまくった両手槌のグリップを握り直しながら、クリムが開き直ろうとするのを、俺は慌てて押しとどめる。


「違う、ヤツに使うんじゃない。使うのはここだ!」

「……? へ? どこ? 何を指さしてるの?」

「足下だ!」

「見ればわかるわよ。何にもないように思うんだけど……」

「地面をぶっ叩け。〈クリムゾンバンカーバスター〉で」

「は、はあ!? そんなことして何の意味が……」

「いいからやれ!」

「わ、わかったわよ! これで間抜けな死に方したら、あの世で一生つきまとってやるから覚えてなさいよ!」


 クリムはやや前向きなことを叫びつつ、両手で大槌を振り上げた。


「あ、い、言っておくけど、クリムだからクリムゾンじゃないのよ。これは装備一式を朱塗りにした、赤備えの騎士団の名前にちなんで――」

「どうでもいいから早くやれ!」

「くっ……。〈クリムゾン――〉!」


 クリムの気迫に呼応するように、〈エンセスタルピラー〉のヘッド部分についているオヤジの口が、それまで以上の紅蓮の炎が吐き散らし、彼女自身を赤々と照らし出した。


「〈――バンカーバスター〉ッ!」


 全身の膂力と精神力を一点集中させ、標的へと振り下ろすクリムの必殺技。

 ハンマーは虚空に燃えさかる炎の道を拓き、地面へと叩き込まれた。


 容赦なく叩きつけられた槌のヘッドは地面に深々と潜り込み、一拍おいてその破壊力を地上方面へと反射させた。


 無数の亀裂が地面を走ったと思った直後、衝撃が足下から脳天まで突き抜け、さらには下からの風圧で自分の体を押さえつけていた重力が消えるのすら自覚する。


 瞬間、土砂が弾け飛んだ。その中に俺の体も混ざり込み、数メートル近く弾き飛ばされた。

 土煙がもうもうと立ちこめ、いつの間にか薄らいでいた曇天を茶色く塗り直していく。


「げほっ、げほっ、な、なんだあ!?」

「何が起こった!? 攻撃か!?」

「クリム隊長、何の真似ですかこれは!」

「しっ、知らないわよ! コタローがやれって……」


 たちまち砂っぽくなった視界の中、迎撃部隊の悲鳴と怒号が交錯する。俺は目に染みる砂埃に耐えながら、どうにかクリムの腕を捕まえる。


「クリム、次はこっちだ。もう一回やれ!」

「ちょ、ちょっと待って、まだやるの!? これ結構疲れるのよ!?」

「実は余裕あるくせに何言ってんだ! さあ来い!」

「うぐっ……。な、何で知ってるのよお!」


 俺はクリムを引っ張って、陣営を駆け回った。グリフォンリースとキーニも、わけもわからずついてくる。


 クリムがハンマーを叩きつけるたびに土柱が上がり、あたりが土埃に包まれる。


「何やってんだこいつら!」

「敵が見えねえじゃねーか!」

「錯乱するなら死んでからにしろ!」


 邪魔。圧倒的に戦いの邪魔。

 このように非難ごうごう。クリムなんかもう半泣きだ。


「み、味方からもこんなにボロクソに言われて……。こんなんじゃ、ツヴァイニッヒ様に面目が立たないわよう。あのバケモノに特攻した方がまだマシよう……」

「うるせえ! ツヴァイニッヒは俺らが死んだらもっと怒るだろうが! それに、俺はおまえも、誰も、死なせたくないんだよ!」


 今の状態のクリムと俺たちが協力すれば、ここの〈朽ちた厄災〉を倒すことは、恐らくは可能だろう。

 だが、一戦目のヤツのHPを削りきった直後、〈暗い輝き〉で、俺のパーティー以外は一瞬で蒸発する。クリムも、他の団員たちも。


 それは勝利じゃない。そんなクソ苦い勝利より、俺はシュールで甘い、理解不能なバグの方がいい。


 二十発は叩き込んだだろうか。


「もー無理。もう限界よ。これはホント……」


〈エンセスタルピラー〉を支えにしてやっと立っている状態のクリムを尻目に、俺は周囲を確認する。

 辺り一面土埃で、まともに視界がきかない。

 やった……。これなら、全部隊が煙幕に包まれたのと同じくらいの効果があるはず……。


「よし、ここでの戦闘は無理だ! 全員後退しろ!」


 自分でやらかしておいてこの号令。今この時、俺は世界一図太い野郎になったのかもしれない。

 だが同時に、あまりにも無法に山を殴りすぎて、怒りを買った男でもあったかもしれない。


 突如として突風が吹いて、せっかく立ち上げた土埃の大半を無慈悲にもかすめ取ってしまった。


「なっ……!?」


 俺は頭上を仰いだ。

〈朽ちた厄災〉が、立ち上がって俺たちを見下ろしていた。

 さっきと同じように。いや、二本足で立ち上がり、より高みから俺たちを睥睨していた。

 俺が新たに張った砂の煙幕を避けるように。


 それは、ようやく晴れた空を覆う、あまりにも大きすぎる暗闇だった。


 世界に穴があいたような眼窩ににらまれ、誰もが凍りつく。

 人の身で抵抗など、何一つ意味をなさない。そう思い知らされる。

 その呪わしい眼差しだけで、迎撃隊は放心状態に陥ったのだ。


「ちくしょう――」


 震える唇が勝手に悪罵を吐き出した。


 ダメか。

 ダメなのか。


 俺は顔を歪めて視線を落とす。


 クソッタレ。何が、逃げる、増える、そして死ぬだ。

 たとえ今から帝都に逃げ戻って〈煙玉〉をかき集めたところで、どうして旧魔王が二体に分裂して、合体して、消滅するんだ。アホか!? んなもん現実に見たら、こっちが発狂するわ!


 これは最初から、再現不能なバグだったんだ!


「コッ、コタロー殿っ……!」


 グリフォンリースが震えながら俺の腕を引っ張った。


 ……! そうだ。俺には仲間がいる。呆けてる場合じゃない。

 最悪でも……生き延びなきゃならない。

 こうなりゃ世間体もクソもあるか。仲間とクリムをつれて、ここから脱出――


「ま、魔物が……」

「え?」


 グリフォンリースの目線に誘われ、俺はもう一度頭上を振り仰いでいた。


 肉が削げて骨が露出した足で立ち上がった〈朽ちた厄災〉は奇妙な動きを見せていた。

 俺たちを見ていない。

 向かって右手の、広い谷間に顔を向けていた。


「何だ……? 何を見てやがるんだ……?」


 再び強い風が吹き、苦し紛れの土煙幕を剥ぎ取った。

 だから、俺たちにも見えた。


「た、谷の底に、何かいるぞ……」

「で、でかい……。何だよ、あれは……」


 誰かのうめきの通りだった。

 谷の部分に吹きだまった霧の中に、何かが見える。


 シルエットだけで、谷間全域を覆うほどにでかい。

 俺たちはもう立ちすくむしかなかった。


 何だ? オブルニアの山に〈朽ちた厄災〉以上のバケモノが潜んでたのか……?


 ――ボオオオオオオオオオオオオオオオ! オオオオオオオオオオ!


〈朽ちた厄災〉が吠えた。これまでよりも明らかに激しく。

 谷の霧に潜む何者かを、俺たちよりもはるかに強大で危険な脅威と捉えたようだった。


 大きくのけ反り絶叫する旧魔王を迎え撃つように、霧の底の何者かも激しく動く。

 何だ? 何が始まるんだ……!?


「あれ……」


 しかし、俺は奇妙なことに気づく。

 霧の底のバケモノは、よく見ると旧魔王と似たシルエットだった。

 いや、それどころか、輪郭をしっかりなぞれば、ほとんど同じ姿をしている。


 そして、動きも似ている。いや、同じ……。まったく……。


 同じ……?

 影?


「ッッツツツツツ!!!!」


 ブ……ブロッケン現象だあああああああああああっ!!!?


 ブロッケン現象とは! 発生した霧や雲に、自分の姿が影となって映る自然現象である! 遠くの霧に投影されたりすると、そのサイズはほとんど巨人と見まごう大きさになる! しかも影の周囲に虹の光輪を伴うため、霧の向こうに神様がいるような、神秘的な光景となるのだ!


 神! 一度敗れている〈朽ちた厄災〉にしてみれば、まさに怨敵!


 俺たちなんかほっぽって、食いつきにいかない方がおかしいくらいだ。

 果たして、〈朽ちた厄災〉は俺たちを無視して谷へと斜面を駆け下り始めた。


 そして。


「み、見ろっ」

「ああ、バケモノが……!?」


 兵士たちが指をさし叫ぶ。


 あまりにも気がはやりすぎたのか、急斜面を走ることと、自重に耐えきれなくなった足が砕け、〈朽ちた厄災〉はその巨大な胴体を地面へと墜落させた。


 本来、サナギから孵化した魔王は、邪悪で醜悪ではあるが、同時に高い知性を持つ生物である。難解な言葉を話し、思慮深く、そしてやはり邪悪だった。


 だが、ここにいるのはその残骸。現れた時から知性は感じられず、意思どころか、ただ体に残っていた魔力と怨念のみが機械的に体を動かしている、巨大なアンデッドにも等しい存在だ。


 だから、敵が自分の影であるということにも気づかず、自分の体が腐りかけていることも考慮できず――

〈朽ちた厄災〉は、斜面を転げ落ちていったのだ。


 十メートルのバケモノであろうと、巨大な山からすれば、それは小さな生き物にすぎない。

 斜面の下で待ちかまえる尖った岩山の群れは、牙を並べた獣の下顎のようだった。


 そこに〈朽ちた厄災〉は、転がる勢いのまま突っ込んだ。

 すでに生来の強度を失っていた手足は、それに噛みつかれるたびに折れ、砕け、飛び散っていく。


 ――ボオオオオオオオ…………。オオ…………オ……。


 四肢を砕かれ、胴体を上下に寸断され、大きな顔面をばらばらにしながら、それでも止まることを許されず、古い魔王は霧の底へと沈んでいった。


 オオオオオオ……。


 汽笛に似たあの遠吠えは、いつの間にかオブルニアの荒々しい風の音に変わっていた。

 もはやそこにあるのは、穏やかで厳しい、オブルニアの山々だけ。


「はは……マジかよ……」


 俺はへなへなと座り込んだ。


 どうやら大きな勘違いをしていたらしい。

〈煙玉〉は逃げるためのものじゃなかった。

 地表付近の視界を煙で覆い、それを嫌ったヤツを、立ち上がらせるためのものだったのだ。


 そしてヤツが立ち上がったとき、神の采配のように日の光が降り注いだ。

 日光はヤツの影を谷底に投影した。より大きく、光輪をまとう巨人として。


 ヤツはもう一人の自分へと向かい、そして死んだ。


 まさに、理解不能だったあのゲームの光景のままに。

 これが、あのバグの本当の姿。

 なんてこった。想像つくかよ、こんなの。


「かかかかかか、勝ったあああああああああああああああああ!」

「うおおおおああああああああああああああああ!」

「やっだああああああああああああああああああああああ!」


 迎撃部隊の勝ち鬨が響き渡る中、俺はいつの間にか真っ青に晴れていた空を見上げる。

 クリムに暴れさせ始めた頃から、晴れの兆しは見えていたが、まさかこんなタイミングで。


「コ、コタロー! こんな……こんなことって……! 何なのよ、あんたたち。あんたたちって……。うわあああああああい!」


 クリムが俺に飛びついてきて、うれし泣きを始める。他の仲間たちも次々に俺に飛びついてくる。

 嗚咽交じりの笑い声を聞きながら、半ば放心状態の俺はぼんやりと考える。


 このバグ……わかりにくいから名前変えよう。

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