第99話 来た、打った、勝った! 安定志向!

「は、はちじゅうさんまんっ……!?」

「な、何言ってるでありますかコタロー殿!」


《だめ》《取り消し》《今のなし》《コタロー》《落ち着いて》《一体いくらになるの》《ここは魔性の遊戯場》《せっかく貯めたお金》《全部なくなる!》


 仲間全員にしがみつかれ、コイン購入を阻止されそうになるが、交換機はすでに俺の要求を受諾している。


「かしコまリました。838861マい。…………………………四キルトになりマす」

『ヴェえ!?』


 少女たちは、俺にくっついたまま石化した。


「はい、四キルト」


 俺は気にせず、一キルト硬貨を四枚、交換機に流し込んだ。

 だばあ、と排出口から銀コイン十枚分の価値がある金コインがあふれ出し、コップよりも大容量の四角いケースを、叩くようにして埋めていく。


『ヴェえええええ!?』


 金色の洪水を見てさらに動転する三人に、俺は言った。


「さあ、手分けして他のケースを持ってきてくれ。こぼれると拾うのが面倒だからな」


 彼女たちはあたふたとケースを運んできて、とめどなく吐き出されるコインを回収していった。

 と。


「お客様? ほう、これは……?」


 音もなく、トカゲの支配人が現れた。頭蓋骨なので目を細めるなどという芸当は不可能なのだが、俺にはなぜかそうした彼の顔が見えた気がした。


「これほどのコインを一度に購入されるとは、なんたる豪気。なんたる富豪。お客様は当店始まって以来のギャンブラーでございます」

「ど、どうも……」


 ……危なっ……。さっきの交換機とのやりとりは目撃されなかったようだな。見られてたら一発出禁もあったぞ。


「そのままでは大変でしょうから、コインを運ぶためのカートをお持ちしましょう。どうぞ、今宵は飽き果てるまで、当店のゲームをお楽しみください。それでは」


 自らの体内に宿る鬼火に吸い込まれるようにして、支配人は消えた。

 怪しんでいる様子はない。

 ふう、よかった。さっきの無意味な会話が効いたかな?


「……本物のコインでありますよね」

「どうして、たった四キルトぽっちでこんなに買えたんでしょう?」


《838861枚》《ホントなら一六〇〇万キルト以上》《……異常》《もうお金の単位じゃない》《どうして》《壊れてるの?》


 グリフォンリースたちも不思議そうだ。

 キーニちゃんほぼ正解。データが壊れた。これは、いわゆるオーバーフローなのである。

 数字がでかくなりすぎて、一旦0に戻っちゃったわけだ。


 ゲームの世界は、現実と違って数字の限りがある。

 処理できる数字の限度を超えた場合、たとえば強さなら、最強のさらに上のはずなのに逆にステータスがメチャクチャ低くなったりする。

 数値がリセットされてしまうのだ。


 838861枚を買った場合の金額は、キーニの言うとおり一六〇〇万キルト以上。実はこの数値が、ゲーム内で処理できる所持金の限度額を超えている。だから支払金額が一度0に戻ってしまったのだ。


『ジャイサガ』時代のゲームは、この程度の数字の処理でオーバーフローを起こすほど貧弱ではないはずなのだが、どういうわけかこのように設定されている。


 じゃあ、この世界で一六〇〇万キルト以上のお金を扱う商人たちはどうしているのだろうと、ふと思う。


 ……おいおい俺。そんなの簡単だろう。


〝黄金の律〟の辻褄合わせを先読みするなら、この交換機だけがそういう仕様だったか、やっぱり故障してたってことにすればいいだけの話。一六〇〇万キルトなんて大金、さすがの俺も手にする機会はない。


 違っていても、どのみち大した害にはならないだろう。

 オーバーフローに関してはもっと強烈なものがあるため、この〈コイン略奪バグ・危険度:うれしい〉はただ便利な裏技として認知されており、取り立てて誰かの口に上ることもない。これといった弊害もなく、『ジャイサガ』バグ界においてすっごくサワヤカな存在なのだから。


 だが、念のために警告しておくと、強烈な方のオーバーフローはマジに危ない。


 その中の最たるものが、約八万回戦闘するとゲームのすべてのフラグが初期状態に戻るという〈二巡目の宇宙バグ・危険度:責任取れない〉である。


 もし、何もかもやり直したくなったら、俺も八万回戦闘をすればいいわけだが、何しろ八万回である。尋常な数ではない。恐らくそれを達成した頃にはこっちの頭もおかしくなっていて、俺の姿をした誰かが、うつろな目で世界をさまようという状態になっているだろう。それで目論見通り人生のやり直しが叶うかどうかは不透明だ。


『ジャイサガ』界隈では三巡目の宇宙にまで達成した人物がいるのだが、


「やった三巡目達成! 疲れました、でもたのしかたた、たの、たのし、t0000FF44487FFF33DD4644イヴォきれタらのさヴェしせせせせモモモモモモ」

「イヴォきモモモモモモモモモ」

「モモモモモ」


 という三つのコメントを残し、掲示板から忽然と姿を消している。

〝イヴォキのモモさん〟と呼ばれる、有名な怪談の一つだ。


 彼は三巡目の宇宙の言語を使っているとか、光と闇が両方備わってシんだとか、俺の横で猫と戯れてるとか、いろいろな説があるが、どれも証拠はない。

 様々なツールによって連絡を取り合える現代において、彼の消息はまったくわからなくなってしまったのだ。


 以来、このバグの危険度は、界隈で唯一の「責任取れない」級になっており、絶対にやってはいけないものとして、ネットからの完全消去も検討されている。

 もしこれを試したければ、必ず二巡目で止めること。あとは自己責任だ。


 そんな場違いな余談はおいとくとして、現在、俺は突然のコイン長者である。

 これをこのまま景品と交換するのが通常プレイだが、今回はここからさらに増やす必要がある。


 ただ、もう一度〈コイン略奪バグ〉を使うと、今度はコインの数がバグって色々ややこしくなってしまうので、この先は普通に勝負するしかない。

 いや、普通にでは、ないかな?


「よし。じゃあ、まず闘技場から行こうか」


 コイン満載のカートを押しながら、俺たちは魔物闘技場へと向かう。

 賭けは一口コイン一〇枚からになっているので、ここは最少の一〇枚。


「えっ、そ、それだけでありますか?」


 八三万枚の軍資金からすると、アリのつま先程度の出費でしかなく、配当金にしても、カルピスを一滴こぼした海並にしょっぱい。


「ああ。勝負はまだだ。ここはまあ、単なる見せ物だと思えばいい」


《青スライム勝てっ》《緑スライムしねっ》《がんばれ!》《負けるなっ!》《そこだっ》《黄色を盾にしろ》《あっ》《やめろ黄色!》《緑と結託するな》《きたないなさすがくそみどりきたない!》《あっあっ》《だめっ》《毒!》《青やられちゃう》《……緑もう帰れ!》


 床堀式になっている試合場をじいっと見下ろしながら、キーニちゃんのメッセージ表が猛烈な速度で流れていく。

 これだけ頭の中で考えてるのに、声には一切出さないところが、すごいっちゃすごい。


「あ、負けた」


 パニシードがぽつりと言った。

 賭けていた青スライムは負けてしまった。


「ま、まあ、勝負は時の運でありますよ」


 グリフォンリースが慰めようとしてくれるが、俺は敗戦なんて気にせずさっさと席を立って、次のゲームコーナーへと向かう。


 キーニちゃんが入れ込んでいたコロコロレースだ。


《緑は信用ならない》《青が勝つことが多かった》《青おすすめ》


 と、スカンピンさんが助言をくれるが、俺は第一コースにいる赤に賭ける。

 投入額は、上限いっぱいコイン五〇〇〇枚!


『ヴェえええ!?』


 少女たちの絶叫をよそにレースはスタート!


 投入額の大きさに、応援するどころか白目を剥いて凍りついている彼女らを無視して、俺はじいっと赤コロコロを見つめる。

 独特の重心と筋肉の収縮により、平地でもずっと転がり続けられるこの不思議な虫は、ほぼ横一列になって、ゴールへと収まった。


 ちょっと際どかったか……?

 ごくり、と全員で結果を待つ。


 一瞬後、赤コロコロがいたレーンだけが赤く光り、彼が一等賞であることを告げた。


「やったああああ!」

「勝った、勝ったであります!」


《赤!》《青はもう終わり》《これからの時代は赤!》《ばんざーい!》


 ジャラジャラジャラ……と、豪華な音を立てながらコインが払い戻される。


「ふひひ……」

「へひっ、ひひ……」


 それを上気した顔でケースへと戻すグリフォンリースとキーニは、再び悪魔を目覚めさせた顔になっている。うん……でも、ちょっと楽しいかも。この二人を見てるの。


「よし。じゃ、次はスロット行くか」

「えっ。もうやめるでありますか?」


《勝ってるのに》《運が向いてる》《もう一度やってもきっと勝てる》《やらないの?》


 何だかキーニがダメな人の思考になってきているが、もうきっと次は当たらない。


 これはバグなのか何なのか、界隈の人々でもちょっと意見が分かれるのだが、〝闘技場の後にコロコロレースをやると、赤が来る確率九十八パーセント〟という裏技がある。


 非常に簡単な裏技で効果としてもそのままなので、この原理について詳しく調査したプレイヤーはおらず、そして誰もそのことを気にしない。

 ただこの現象は一度きりで、また赤を勝たせたければ再度闘技場へ行くところから始めないといけない。

 それはちょっと面倒なので、本命のスロットへ向かうことにしたわけだ。


「テレーレレレレレレレレレーレー、レーッレーッレッ♪」

「ご機嫌ですねえ、あなた様」

「まあな」


 鼻歌を歌いながらスロットコーナーに到着。


「け、結構難しいでありますよ」


 グリフォンリースが忠告をくれる。結構どころじゃないのは、コインをすべて失った彼女が一番わかっていることだろう。


 実際、このスロットは難しい。

 絵柄の回転はかなり速く、熟練者でも確実な目押しは不可能。

 おまけに絵の並びにも複数パターンあり、レバーを倒すまでそれが確定しない。変な力の入れようではあるが、それは全編にわたって言えることなので、界隈の住人たちから苦情が出たことはない。


「まあ、任せておけ」


 俺は、グリフォンリースがやっていたコイン一枚から遊べる台を抜け、一〇枚台も通過し、一〇〇枚単位で遊ぶ台を選んだ。


「ゴッ!? ゴダヴォー殿! ぞべばっ! それはいけないであります!」


 いきなり羽交い締めにされた。


「手持ちのコインの多さに騙されてはいけないのであります! たくさんあるように見えて、実はそんなにないのであります! 一度に一〇〇枚使う台なんて、それはもう人間に許される行為ではないのであります!」


 グリフォンリースは、カジノの怖さを十分に味わったようだ。俺は彼女の手をぽんぽんと叩いてやり、


「わかってる。だが、八三万枚分もあるんだ。びくびくしててもしょうがないだろ?」

「そのとおり。お客様はわかっていらっしゃる」


 不意に割り込んできた声は、支配人のものだった。


「当店に一〇〇〇枚台がないことが悔やまれます。一〇〇枚台でも一ゲーム最大三〇〇枚まで。お客様のお手持ちを考えますと、縫い針で山を崩すような手間でございましょう」

「さ、三〇〇枚だなんて……ふええ、許されないよう……」


 珍しく幸福以外で腰砕けになったグリフォンリースから解放され、俺は一〇〇枚台に挑むことになった。


 投入額は上限の三〇〇枚。

 だが、すぐにはレバーにさわらない。

 深呼吸しながら待つ。


 支配人を含む、四人に見守られながら、俺はレバーに手を伸ばした。


「今」 


 ポンポンポンと小気味よくボタンを押していく。

絵は……悪魔の尻尾らしきものが三つ! 揃っている!


「あ、当たったあああああ!? あなた様、これって夢じゃ……ああやっぱり痛くないいいいいい!」

「それは俺の耳だからだ! 離せこの心の闇!」

「あひい、コイン九〇〇〇枚でありまひゅううううううう。……きゅう」


《けぴっ》《ビクンビクン》


 グリフォンリースとキーニちゃんはぱたりと昏倒。パニシードだけが辛うじて意識を保ったまま俺の耳を引っ張っているが、目の中がグルグルの錯乱状態だ。


「続けて行くぞ。……今」


 その後も俺は、この九〇〇〇枚の当たりを連発した。


「…………」


 回収してくれる人がいないので、コインは排出口から溢れ、漫画みたいに俺の足下に積もっていく。倒れた仲間二人もいつしかコインの山に沈み、その上でパニシードが変な踊りを踊っていた。


「……お、お客様」


 支配人の鬼火の色が、青から黄色に変わっていた。

 何だこれ、まさか信号機みたいに変化するんじゃなるまいな。


「どうかしたか?」

「だいぶお疲れのようですが、そろそろ休憩なさってはいかがでしょう?」

「へ? 俺が? いや、全然疲れてないぞ」

「そ、そうでしたか? それは勘違いをいたしました。ウググ……」


 今、多分コインは九四万枚くらいだろう。目標は一〇〇万。ものすごい数字ではあるが、これが達成できないとこれからの活動にも響く。余裕に見えてけっこう必死だ。

 それに、それとは別のプレッシャーも、今現在俺にのしかかっている。


「で、では、気分を変えてポーカーなどいかがでしょう。あちらは、掛け金に関してはお客様の自由。百枚台よりも大きく賭けることが可能でございますよ」

「いや、俺はポーカーは興味ない」

「左様で……。ギリギリギリ……」


 骨なので歯ぎしりも激しい。

 はあん。なるほど。俺に出ていってほしいわけだ。すでにカジノとしては損失が出てるだろうしな。

 これまでの鷹揚な態度を捨て、ずいぶん露骨な態度になったものだ。……骨だけに。って、これはシャレになるのか? わからん。


 だが、やめる気はないぜ。一〇〇万枚は、景品の主立ったところを根こそぎ持っていけるコイン量。そこまでやらせてもらう!


「ああ……そうでございますか……。それはとても残念……」

「…………?」


 支配人の声音が変わった。ふと見ると、鬼火の色が赤く変わっている。

 ……こいつ? 何をするつもりだ?

 カジノで大勝した客は、帰りに黒ずくめの男たちに襲われるとかいう話を聞いたことがあるが、まさか……?


 危惧が具体的な予兆に変わる前に、支配人の鬼火が頭骨の内側で一瞬大きく弾け、俺の視界を覆った。

 ……ぐっ、野郎っ……!

 思わず閉じたまぶたを開けようとして、網膜に張りついた赤色が、しばし視界の中央に居座る。

 が、それが立ち去るのを待つまでもなく、俺は周囲の異常に気づいた。


 暗い。暗すぎる。まぶたはちゃんと開いているはずなのに、ものの輪郭がかすかに見える程度の光量しかない。


「おや……明かりが切れてしまったようですな。失敬失敬……。当店は非常に歴史あるものですが、それゆえにこういったハプニングも起こるものでして……」


 小さなたいまつ代わりの支配人が、すっとぼけた声で言う。

 なるほど……そうきたか。


 スロット台自体は稼働しているようだが、明かりが消えてしまっていては絵は見えない。

 これでは勝負のしようがない。ということなのだろう。

 ……が。


「残念ながら、本日は皆さまにお帰りいただくしか……」


 ガチャン、と俺はレバーを倒した。


「えっ……!?」


 ボタンを押す音、三つ。

 続けて、大当たりで大量のコインが流れ出る音がした。


「なっ……!? なななな、なあっ!?」


 うろたえる支配人に、俺はにこやかに話しかける。


「気にしなくていいぜ。この程度のハプニングには慣れてる。じゃ、続けさせてもらうわ」


 暗い店内を、俺の鼻歌に混じって、カタカタという支配人の歯の音が回っていた。

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