第98話 悪魔ささやき! 安定志向!

「お味方の方々はすでにお楽しみの真っ最中。あなた方も、どうかごゆるりとお楽しみくださいませ」


 やけに落ち着いた声の骨トカゲにそう言われ、俺はカジノの奥を見やった。

 けばけばしいほどに輝く遊戯台のそこここに、野暮ったい鎧姿の人間がちらちらと見えている。失踪した部隊の連中に間違いないだろう。


「ときにお客様、当遊戯場へは初めてでございますかな?」

「初めてじゃないが、一応説明を聞かせてくれ」

「左様でございますか。はい、確認は大事でございますな。ではまず、遊戯場の説明を」


 俺は振り向いて、グリフォンリースとキーニに話を聞くよう促した。が。


「は、初めてじゃないって、どういうことでありますか……?」


《け、経験済み?》《悪魔って言ってた》《悪魔と遊ぶの?》《一体、何を……》《まさか、夢魔的な?》《夢の中だから何でもあり的な?》《つまり……ここで色々練習しとけってこと?》《絶対にありえない行為も?》《さすがにOKできない……》《困る……》


 二人とも完全に腰が退けて、俺との距離もいつもより一歩分遠い。

 まあ、いきなりこんな異世界に放り込まれたら、そうなるのも無理はない。

 そしてほぼ同じ理由で、征伐団の連中もここに失踪しにきたのだ。


 そんな二人の耳に届いているといいのだが、トカゲは役者がかった仕草でカジノの説明を始めた。


「当遊戯場の目玉は、あのスロット! コインを入れてレバーを倒し、ボタンを押すだけであら不思議。九つの絵の組み合わせ次第で、莫大な報酬が手に入ります」


 ふむふむ。いいね!


「血の気の多い方におすすめしたいのは、あちらに見える闘技場! 様々な魔物たちによる、血湧き肉躍る死闘が楽しめます。魔物たちの強さに応じて払い戻しの倍率が変化し、手堅く強い者に賭けるもよし、一攫千金を狙って弱い方に賭けるもよしでございます。ちなみに、魔物たちはいずれも亡霊にて、平和主義の皆さまにもストレスなくご覧いただけるよう、配慮してございます」


 うむ。俺は平和主義だが、俺と俺の周囲が平和ならいいのであって、よそではいくらでもドンパチやってくれてOKな人間だ。素晴らしい配慮である。


「あ、あなた様、あっちで何か動きましたよ……」

「おおっと、そこの妖精様はレースにご興味がおありですかな?」

「ぴきゃっ……」


 内部に鬼火を宿した頭骨を近づけられ、パニシードが俺の服の中に逃げ込んだ。


「あそこにあるのはコロコロレース。愛くるしいコロコロたちが、一位を目指してコロコロコロコロ……。果たしてどのコロコロが一着になるのか、見事予想的中されましたら、倍率に応じたお支払いをさせていただきます」

「わかった。ありがとう。もう十分だ。ポーカーはやらないから」

「おおっと、説明を先回りされてしまいましたな。なれど結構。お若い方は、やはり賭け事も激しいものをお好みになります。ちなみに、現在のコインのレートは、一枚二十キルトとなっております。交換所の横には質屋もございますので、もしお手持ちの不要品がございましたら、そこでキルトをお作りになることも可能でございます」


 団員たちはすでにそうしたのだろう。詰め所から持ち出した私物はほとんどコインに化けたはずだ。彼らの最後の理性である武具が質屋に入るまで、さて、あとどのくらいだろうか。


「よし、じゃあ、行こうか」

「どど、どうしてコタロー殿はそんなに落ち着いてるでありますか」


《わからない》《ここは何をするところなの》《ちゃんと教えて》《意地悪しないで》


 誰が意地悪だ。ちゃんと聞いてなかったなキーニちゃん。


「ここは、遊び場だよ。百聞は一見にしかずだ。ついてきな」


 とりあえず、四〇〇〇キルト支払い、二〇〇枚のコインと交換してもらう。

 小さなコップにぎっしりと詰まった銀貨を見て、グリフォンリースとキーニは息を呑んだ。


「も、ものすごくキラキラであります……」


《すごく高質の銀》《見たことない》《どこで流通してるの?》《鋳造されたばかりみたい》

 

 確かに、一枚一枚が丁寧に磨かれたような輝きだ。それが店内の照明を浴びることで、さらに悪酔いしそうな銀光を跳ね返してくる。


 二人の双眸が焦点を失う前に、俺は一番近くにあったスロット台に座った。

 何が始まるのかと、背中にグリフォンリースたちがかじりつく。


「いいか。こうやってコインを一枚入れてレバーを倒すと、絵が回り出す」

「ほ、本当であります!」


《目が回る》《速すぎる》《なるほど》《目を回すのに最適》《楽しそう》


 いやそれは楽しくはないだろ。


「で、ここのボタンを押すと、絵が止まる」


 そこでもまた歓声を上げる二人。実に無邪気。


「絵が揃ったら、コインが出てくる。揃わなかったら没収だ」


 うずうずうず、そわそわそわ……。

 二人の頭の上にそんな擬音が乗っているのがわかる。


 別のコーナーのことも軽く紹介してから、俺が一〇〇枚ずつコインを渡してやると、二人は低空飛行するツバメのように、それぞれの場所へと飛んでいった。

 すでに頭の中はこの楽しい遊戯場のことでいっぱいだ。

 やれやれ……。二人とも根っこは素朴な田舎娘。これはどうなるか見物だぞ。


 しばらくは自由に遊ばせてやるとして、俺は交換所へと戻る。

 交換所は全自動になっていて、係員の姿はない。

 俺はコインの景品表を手にとって確認する。

 よし、問題なく揃ってる。


「おや、お遊びにならないのですかな?」


 あのトカゲがやってきて言った。支配人――ということでいいのだろう。

 ゲームのドットは粗くて、シルクハットくらいしかわからなかったが、まさかこんなゴーストじみた姿だとは。


 いや、納得した部分もある。

 景品リストには〈ゴーストランス〉や〈墓石の杖〉といった、アンデッドを思わせるおどろおどろしい装備がずらりと並んでいる。悪魔というより亡霊のカジノと言った方が正しい。


「ああ。つれをちょっと遊ばせてから、参加させてもらうよ。軍資金がコイン二〇〇枚じゃ、心もとないしな」

「……お客様は、他の方とだいぶ様子が違いますな。この悪魔が作った遊戯場、人間の心をたちまち虜にし、夢の世界に誘うものでございます。が、お客様は空気に酔うどころか、逆に落ち着いておられる」


 下手に詮索されていきなり出禁にされても困るので、俺はしらばっくれる。


「とんでもない。十分驚いてるよ。ただまあ、俺はちょっと感情が顔に出にくいんだ。言うだろう? ほら、そこのゲームと同じようにさ」

「ポーカーフェイスでございますな」

「そう、それ」

「では、そのゲームに挑まれるときは、強敵になりそうですな」

「強いゲームはやらないことにしてる」

「ほう、それはなぜです?」

「勝ち負けの間にあるんだ。俺がほしいものは。勝ちだけじゃあ、空しくなる。人生には負けも必要なんだよ」

「なるほど……」


 ごめんかっこつけるのもう無理……。

 深いようで実は大して意味も奥行きもない話を作ることに限界を感じ、俺は小さく手を挙げて別れの挨拶にすると、グリフォンリースたちの様子を見に行った。


「ふ……ふひ……。コインが……コインがジャラジャラ……ジャラ……」


 グリフォンリースはスロット台にキスするんじゃないかってくらい、前のめりになっていた。


「やってるな。どうだ?」

「フヒッ!? あ、コタロー殿! み、見てほしいであります! コインがこんなに!」


 何度か成功したらしく、スロットの排出口にコインが小山を作っている。


「さっき大当たりして、すごいジャラジャラ出てきたであります。ふ、ふ、ふ……。も、もらったコップに入りきらないでありますよ、きっと……」

「そうか。どれ……」


 俺は、グリフォンリースが我が子のように抱えていたコップに、排出口のコインを入れてみた。


「あっ、あれっ……」


 コインの量は、最初の段階から明らかに減っていた。


「へっ、変であります。あんなにいっぱい出てきたのに……な、なんで……?」

「まあ気にするな。そのコインについては全部使い切っちゃって問題ないから。俺はキーニを見に行ってくるな」


 キーニはコロコロレースにいた。

 大きなテーブルの上の筐体に、縦に六つ仕切られたコースが作られていて、その端にわりと大きめの虫がいるのが見える。


 コロコロと呼ばれる、まあ、ダンゴムシみたいなヤツだ。

 こいつらは刺激を受けると丸まって、逃げるようにコロコロ転がり出す。スタート地点から押し出してやれば、ゴールまで逃げていくという寸法だ。


 レースが始まった。


《今度こそ》《勝つ》《倍率二十》《当たれば今までのミス帳消し》《これで最後》《いけっ緑!》《転がれっ》《いけいけ!》《ゴーゴーゴー!》《がんばれがんばれ》《負けるな……》《負け……》《負けた……》《…………》《しねっ!》


 いや、別にキーニちゃんが口悪いわけじゃないよ?

 この子の場合、言葉というものを介さずに感情がもろに文字になるから、色々と直接的なんだよ。時々文面がアブないのもそういう理由だ。


《も、もう一度チャンスをやろう》《次しくじったらもう賭けない》《今度こそ最後》《次負けたら青にする》《見捨てる》《だから勝て緑》《勝て》《勝て》《勝て》《勝て》《勝て》《勝て》《かっ……》《勝ったああああああああ》《やったああああああああ》《たくさんコイン出たああああああ》《あれ……》《でもコイン減ってる……》《何で……》


 俺はそっとその場を離れた。

 二人ともすっかり悪魔に乗っ取られていた。


〈悪魔の遊戯場〉にいる悪魔というのは、ここを作った魔物のことじゃない。人の心に巣くう魔のことだ。欲と言い換えてもいい。


 無理もない。

 俺が知る限り、この世界の人々の遊びはもっと地味なのだ。

 トランプみたいなカードゲームはあるが、ああいったレースや、魔物の闘技場なんて見たこともないし、スロットに関してはもう異次元の技術だ。

 幼い子供にスマホのゲームをやらせるようなもので、それこそ息の仕方も忘れるほどに夢中になってしまう。


 訓練中にここに入った征伐団員たちは、保護された後もまだこの楽しさが忘れられず、脱走までして戻ってきてしまったというわけだ。


 遊びが楽しいだけではない。

 このキンキラキンの場にも、人の心に住む魔を目覚めさせる罠が潜んでいる。


 静かな熱気、きらきら光るコインの色、自分が金持ちになったと錯覚させるような、うさんくさいほどにゴージャスな内装。

 そのどれもが人間を酔わせる毒気に満ちているのだ。


 何より、コインが払い戻される時のジャラジャラ音!

 数枚しか戻ってきてないのに、やたら賑やかに音を立てる。それこそ、自分が溺れてしまうんじゃないかと錯覚できるほどに。


 失った分の方がはるかに多いのに、それを聞くと何だか勝っている気分になって、どんどんコインを賭けてしまう。

 負ければ負けるほど、ジャラジャラ音が恋しくなる。

 そしてヤツらが囁くのだ。


(ほらもっと頑張って)

(君ならできるよ)

(こんなにいっぱい出たよ)

(もっといっぱい入れよう)

(次はもっとたくさん出るから)

(ここでやめたら、今までのが無駄になっちゃうよ)


(こいつ……直接脳内に……!)と思ってももう遅い。

 気がつく頃にはスカンピン。ファミチキすら買えない。

 最後は(死ぬがよい)だ。


 グリフォンリースのところに戻ると、彼女はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 コップはほぼ空っぽで、排出口にもコインはない。


 どうしてこうなった、みたいな暗い顔でコインを投入し、立て続けに敗北。

 三枚だけ取り戻したのが最後の光芒で、彼女は泣きそうな――というか半泣きで傍観していた俺へ振り返った。


「コ、コタロー殿……。負けてしまったでありますう」

「おう。いや、いいんだよ。楽しめればさ」

「さ、最初は勝ってたのであります。ちょっと増やして、コタロー殿に返そうと……そ、それなのに……」

「ああ。わかってる。カジノってそういうところだ」


 ふと、背後にも暗いオーラを感じて振り返ると、空のコップを悲しそうに抱えたキーニちゃんが立っていた。


《裏切られた》《あのくそ緑》《コインいっぱい増やして》《コタローに返したかったのに》《きらい》《もう緑のもの全部きらい》《やっぱり青にしとけばよかった》《金輪際緑のものは信用しない》《青こそ神》《かなしい……》


 ストレートすぎる感想。

 しかしまあ、二人の心が悪魔に打ち克ったことは、喜ぶべきかもしれない。


 初心者がカジノの雰囲気に呑まれて文無しになってしまうのは、むしろ正常というもの。

 悪魔が本当に目を見開くのは、このゲームの後だ。


 またやりたくなる。


 この一時に快楽に戻りたくなる。自分のすべきことを忘れ、光に溺れたくなる……そういう状況に陥る。

 脱走まで企てた征伐団員たちがそうだった。


 別に二人を試したわけじゃないし、そうなったところで説教するつもりも毛頭ないが、とにかく、そんな彼女たちであったことが俺はちょっと嬉しかった。


「に、二〇〇〇キルトも……ごめんなさいであります」


《ごめんなさい》《二〇〇〇キルト》《大金》


「謝るなって。別に増やせって頼んだわけじゃない。遊んで、興奮して、ヘコんでもらえればそれで十分だ。それにその程度、俺が一気に取り返すから」

「げっ。あなた様もやるんですか? ここ、何だか必ず負けるように作られてる気がするんですが……」

「まあ、トータルで見て客が勝つようにはできてないだろ。だとしたら、速攻で店が破産する」


 だが、誰かは勝つようにできてる。

 たとえば……必勝法を知ってるヤツとかな。


 俺はしょんぼりした二人をつれて、再び交換所へ行った。

 交換機から、どこかイントネーションがおかしい声が聞いてくる。


「いらっシゃいませ。現在のレートは、一コインにツき、二十キルトでス。コインヲ何枚お取り替エいたしましょう?」


 俺は満を持して言った。


「838861枚だ」

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