第96話 暴かれる暗黒! 安定志向!

 彼女のその一言は、俺の脳を一瞬、機能停止に追いやった。


「え? 今、何て?」


 クラリッサはもう一度それを繰り返す。


「この本。でたらめなの。全部、ウソなのよ」


 へ?


「でた……らめ……?」


 どういう、ことでせう?


「どういうことだ?」


 俺は慎重にたずねた。

 まだ身の安全が確保されたわけではない。


 そう。危険な真実というのは、往々にしてデマとして闇に葬られる運命にある。

 いや、冷静に保身を考えるなら「そっかあ! でたらめだったのかあ!」とバカみたいに素直にうなずいていた方が正しいのだが、咄嗟に口をついて出たのは、自分自身の納得を探すための問いかけだった。


「コタローさんは、これをどれくらい読んだのかしら?」

「はじめのちょっとだけ。十日分くらいかな」

「おかしな点に気づかなかった?」


 皇帝が男だってことだよ! ……とは、今は言えない。


「とりあえず、この最初の二日分だけでもある程度わかるわ。見てみて」


 帝歴三年。友の月、二日。

 余が皇帝となり三年目を迎える。

 宮殿での華やかな祝いの席にて、竜族の姫と懇意になる。

 しかしこの姫、大いなる呪いにかかり、余命幾ばくもないとのこと。

 余の剣、その呪いを断ち切ることができるか?


 友の月、三日。

 都を馬で発ち、竜人の里へと出向く。

 人間の姿を侮られるが、一閃の元に力量を示し、不逞の輩逃げ出す。

 いと、わろし。

 その剣閃を見た老人に声をかけられ、試練に挑むことになる。

 竜姫の呪いに関わると知れば、いた仕方なし。


 最初に見たヤツだ。


「何がおかしいんだ?」

「帝歴なんて暦がないことと、竜族というのが何者なのかまったくわからないこと、この当時に宮殿なんてなかったことは、歴史をかじらないとわからないとしても、これ、二日間の出来事よね?」

「そうだな」

「新年のパーティーをやって、そこで竜族のお姫様と知り合って、翌日には馬で相手のふるさとにまでたどり着いて、現実にこんなことできると思う?」


 …………。


「で、できないかな……?」

「できないわね。それに馬で一日って、このあたりじゃほとんど進めないわよ」


 そうなんだ……。あれ、ちょっと待って。


「当時宮殿がなかったってことは、いつの時代に書かれたものかはわかってるのか?」

「ええ……」


 クラリッサは自分で注いだコーヒーをやけ酒気味に煽り、言った。


「オブラニト十五年に、皇帝の夫――皇婿であった方よ。名前はキルカステ」


 自然としわを作ろうとする眉間と戦うみたいに、何度も手をやる。

 クラリッサは徹夜明けだそうだ。

 だから目つきも悪くなり、疲れから若干怒りのオーラが立ち上っていたという。


「この人、ずいぶんと自己顕示欲が強かったそうで、当時の皇帝をだいぶ困らせたみたいね。他の部族の記録を見ても、我が強くて、自分が皇帝になれないことを露骨に愚痴ってたとあるわ。当時の帝国に配慮する必要のない部族の記録だから、信用していい情報ね」

「でも、それだけででたらめと決めつけるのは……」


 クラリッサは親指でビッと自分の作業机を示した。


「昨日から格闘中よ。古くて貴重な書物には違いないから、もしかしたらそこから探れる歴史的事実もあるんじゃないかと思ってね……」

「ないのか?」

「ないわ」


 断言した。


「あってもわからない、と言った方がいいかもしれないわね。この本、あなたから買い取った三十九冊より以前に、十六冊がこの図書館に保管されているのよ」

「へえ……。地下通路で発見されたのか?」

「ええ。その時の探索でかなりの人的被害が出たから、以降は封鎖されてしまったけれど。で、その十六冊、日記形式なのは同じなんだけれどね……」


 そらんじるのもつらいというように、クラリッサはため息をひとつ挟む。


「七柱の唯一神から世界を救いつつ世界を滅ぼすよう神託を受けて、世界にたった一つしかない聖剣アロンダストとかいう武器を三ヶ月のあいだに七本拾う。五人の魔王四天王を倒し、同じ名前が三人いる魔神七人衆と戦い、六名の二大巨頭と覇を競って新国家を築く。不死身のくせに六回死ぬ。そのつど健気な美女が自分の命と引き換えにして復活させてくれるんだけど、次の日には別の美女に出会って恋が芽生える。ドラゴンを一太刀で倒せる身体能力があるはずなのに、家の廊下をタンスで塞がれると通行不能になる。年齢が途中で二十四歳から二十二歳に若返って、気づくと十八歳までいってる。六回結婚式を挙げているのに、新しい美女に出会うとそれまでの女性関係はすべて白紙になって、生まれた子供の数は四から七十七まで毎回変動する。最終的にまだ貞操を守っていることになる……」


「うわあ、かっこいー」

「支離滅裂。自分の活躍する妄想を、勢いのままに書き殴ったのね……」

「…………っ」


 うう……ああっ……。なんだこの息苦しさは……。

 つまりこの〈ほん〉は帝国の暗い歴史じゃなくて……。

 昔の皇帝の旦那さんの、中二ノート……! 

 真性の闇じゃねえか……!


「クラリッサ。で、でもさ、そ、その人は……悪人じゃあ、ないと思うんだ……」


 俺ははあはあと暗い息を吐きながら擁護した。


「え? ええ、それはそうでしょう。別に物語なんて好きに書いたらいいわ。でも、皇帝の夫ともあろう人が、主人公にした自分の名前以外はほぼすべて間違えるようなずさんな創作をしていたなんて、公にしたくないでしょう?」

「そうでなくても公にするのだけはやめてくれ」


 それは死刑と同じことなんですわ。俺たちみんなに特効即死なんですわ。


「ただ、その執念だけは間違いなく歴史に残るべきレベルね。この人……どうやらあと二百冊以上は、自分の物語を書き続けたそうよ」


 ゲエッ!? これ、一冊でもけっこう分厚いぞ!?


「キルカステが何かの間違いで皇帝の座についていたら、オブルニアは内乱で滅んだか、大陸の覇権を握った後、やっぱり内乱で滅んだという学者もいるわ」

「結果的に滅びるのかよ!」

「そういうわけだから、この本の中身については、皇帝陛下直々の命令で機密になっているの。あなたもそれを守ってくれると嬉しいわ。古い時代の人だから、今の皇帝一家に影響を及ぼすことはないけれど、物語中のキルカステは、安物のズボンみたいに若い女性をとっかえひっかえしているから、陛下としては猛烈に気にくわない相手らしいのよね。わたしも嫌いだわ。こういう人」

「はい……。気をつけます……。あの……ぼくも仲間を大切にします……。とっかえひっかえとかは、しないです。はい……」


 疑うべき根拠の方が、もはやなかった。

 これ以上疑うなら、寝ぼけた陰謀論にでもすがるしかない。

 だがそれも無用だ。納得できてしまった。

 ある意味で深刻な真実を知らされ、俺は図書館を後にした。


 あの封印の通路は、古い時代、キルカステ氏が自分の中二ノートを隠した場所だったのだろうか。あるいは、「これはヤバイ」と誰かに隠匿されたのだろうか。


 もしかして、あそこの異様な魔物たちは、どれも氏が妄想したもので、長い年月を経て本に宿っていた執念が通路を魔窟化させ、実体化したんだろうか。

 そんなことが、あるんだろうか……?


 キルカステ氏には及ばないにせよ、それなりに妄想をたくましくした俺は、その結論として、静かに首を横に振った。


 ……ないな。

 さすがにそりゃあない。


 俺だって若気の至りで中二ノートを作ったことはあるし、きっと健全な男の子はみんな同じ思い出があるはずだが、それが実現できたという記録は人類史にはないはず。

 もし彼がその第一号だとしたら、オブルニアは帝国歴どころか、人類史に残る怪人を、歴史の裏に封じることに成功したことになる。……うん。それはいいことだな!


 何だ。つまり、今回のことは、丸っとすべて、輝かしい歴史体験の一部だったんじゃないか。

 これで完璧に一件落着! 俺犯人のサイコサスペンスにならずに済んで、本当によかった!


「ん……。俺、何か忘れてないか?」


 ……あ、そうだ。

 俺の部屋のものの位置が変わってた件がまだ残ってる。

 クラリッサの話を聞く限り、確かに恥ずかしい先祖の記録ではあるけれど、人の部屋を家捜ししてまで確保しなければいけないものではないとのこと。


 だとしたら、あれ、誰の仕業だったんだ?


 ※


「コタロー様。おかえりなさいませ」

「ご主人様。おかえりなさい。どこに行ってたんですか?」


 小宮殿の前で、にこにこと、二人のメイドがどす黒い靄を立ち上らせながら笑った。


 えっ……?

 へ、変だな。まだ疑心暗鬼が続いているのかな?


「ちょ、ちょっと図書館に本を届けに行ってたんだ。ど、どうしたんだ二人とも、宮殿の前に立って……か、雷門の阿吽の真似かな?」

「コタロー様をお待ちしておりました」

「時間がとても長く感じられました」


 通じるわけがない俺の台詞の語尾を噛みちぎるように、ステレオで声を重ねてくる二人。


「勝手に出ていったことを怒っているのでは?」


 パニシードが服の内側から恐る恐る言ってくる。

 そうかもしれない。今までは、必ずクルートに一言断っていたから。


「いいえ。それはコタロー様の自由になさってよいことです」


 が、クルートは笑顔でそれを否定してきた。怒りマーク浮いたまま。


「さあ、早く部屋に戻りましょう。みんな待ってますよ」

「は、はい……」


 ……みんな?


 ミグが俺の片腕を取ると、続いてクルートも反対の腕を取る。両手に花というか、両手に手錠をはめられた気分。

 何だ?〈ほん〉は危険なものじゃないって判明したはずなのに、今度は何の危機が俺に迫ってるっていうんだ?


 離宮はひっそりとしていた。

 普段は、メイドの誰かが行き来していたり、仲間の声が聞こえていたりするのだが、それがまったくない。


 まるで、すべての惨劇を終えた後の山荘。

 中庭の池にできた波紋の音さえ聞こえてきそうな静寂が耳に痛かった。


「コタロー様がお戻りになりました」


 クルートが先行して俺の部屋の扉を開ける。


「えっ」


 みんな待ってる、というのは、そのままの意味だった。

 俺の部屋に、全メンバーが揃っている。クーデリア皇女と、カカリナまでいる。


 みんなが一斉に俺を見る。どこか、異様な光を宿した目を。

 何だこれ……。あ、夢? 実はこれまでも夢で、これからまた飛び起きて「夢でよかった!」って言わないといけないの?

 ど、どこまで戻されるんだ?〈ほん〉の真相を聞かされる前には戻りたくないぞ!


『さあ』


 メイドさん二人に同時に腕を引かれ、俺は部屋へと入る。

 誰も何も言わず、ほとんど同じタイミングで、絨毯が敷かれた床を見て、それからベッドに目を移す。


「……?」


 床に白い何かが落ちている。

 とても近づきたくない気持ちだったが、ミグとクルートががっちり腕を掴んで引っ張るので、抗いようがない。今はなぜかレベル99が非力に感じられた。


「……だあっフうァ!?」


 乱雑に脱ぎ捨てられた女の子用下着だった。小振りなブラとおパンティだ。どう見ても年端もいかない子のもの。


 硬直していると、クーデリア皇女の目配せで背後に回ったカカリナが、くいっ、と俺の首の向きを変えた。

 まるで、ただならぬ何事かがあったかのように、しわくちゃになったベッドシーツが視界の中央に来る。


 脱ぎ捨てられた下着、乱れたベッド。


 その意味するところは、R15では済まない何か……!


 だが。


 俺は、焦りと混乱よりも、ある種の怒りに震えていた。

 その下着に見覚えがあったのだ。


 ああああああああああああああああの女神いいいいいいいいいいいいいいいいッ!!


 羽をあしらったようなデザイン。サイズ。間違いなく、あの女神の所持品。


 そうか、部屋のものを動かしたのもあいつか!

 何の目的か、扉から出てきて人の部屋をあさって、その途中で下着がうっとうしくなって脱ぎ捨てた上に、眠くなったから人のベッドで仮眠していったってか!

 んで誰かに見つかる前にちゃっかり撤退していったか! 下着を置いて!


 メチャクチャな推理だが、恐るべきことにほぼ正解している自信があるッ!

 何考えてんだ、あのヌーディストオオオオオオッ……!


「コタロー殿……」


 グリフォンリースがぼんやりと発光するブルーの瞳を俺に向けると同時に、憤懣に満ちた他のメンバーの眼差しがいろんな角度からこちらに突き刺さる。

 さながら、無数のサーチライトを差し向けられる脱獄犯の様相。

 それぞれの眼光に照らされた俺は、最終的に何色になるんだ?


「どうして女の子の下着が、コタロー殿の部屋に落ちてるでありますか……?」


 ああ……。

 ミグとクルートもあれだったけど、やっぱりグリフォンリースちゃんのが一番だわ。

 寒気が。


「説明……してもらえるでありますよね……?」


 さて俺よ……。

 ちょっと早いが。

 ここらでラスボス戦のリハーサルを始めようか……。

 ごくりとのどを一鳴らしし、俺は少女たちに向かって、勇気ある一歩を踏み出した。

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