第95話 心が崩れかかってるんだ! 安定志向!
安定志向とかほざいてるくせに、俺は自ら不安定な立場に飛び込んでしまったようだ。
帝国には男の皇帝がいた。この事実は核地雷だ。
俺はそれを靴の中で踏んじまって、もう体から離せない状態にある。
「このことは、まわりには絶対に秘密だ。いや、それ以前に見なかったことにしよう」
俺はそう言ってグリフォンリースとキーニを部屋に戻したが、それを一番実行できないのは絶対に自分だという自信があった。
現在、心のスイング力は石川リュウかジャンポ尾崎かサルのどれかをマークしている。やばい。とにかくやばい。
〈ほん〉はパニシードのバックヤード深くに沈めた。とっととクラリッサに渡しに行くべきなのだが、今会ったら確実に顔に出る。
このまま他の記憶に埋もれるまで放置するのが、今できる次善策といったところだ。
な、なななななななあに、帝都では面白いことがいっぱいさ、すすすすすぐにわわわわわ忘れるにきまきまきまきまきま決まってるさささささばばばばばばばば。
「コタロー様? コタロー様?」
「ご主人様! しっかりしてください!」
ハッ!
二人のメイドさんに揺り起こされ、俺は黒い夢の世界から飛び出した。
熱を持った体が、寝間着を濡らした汗によって一気に冷やされ、眠気を霧散させる。
「どうしたのですか。恐ろしい夢でも見たのですか?」
「部屋に入ったら、うなされてたんです。大丈夫ですか。体の具合でも悪いんですか?」
クルートとミグは、共に泣き出しそうなほど不安げな顔をしている。
俺は安堵の息を吐いて、彼女たちを見返した。
「ああ。だ、大丈夫だ。ちょっとその、夢見が悪かっただけだ。体は健康そのものだよ」
はっきりとした返事が功を奏したか、二人は揃ってほっと胸をなで下ろした。
まったく同じ動作なのがちょっと面白い。
この二人、案外気が合うのかもしれなかった。
実は、クルートとの廊下での一件は、俺の仲間たちはみんな知っている。
まあ、扉を出たすぐのところでやってたからな。その上みんな聞き耳立ててたらしいから、筒抜けもいいところだよ。
結果的にクルートのオウンゴールで勝利を得たことになるミグだったが、今度は逆に同情心と共感が芽生えてしまったらしく、今はことあるごとに二人で行動している。
俺を起こすのも二人一緒というわけだ。
仲良きことは素晴らしきかな。
「心配しました。コタロー様が、ほん、ほん……って、変な声で鳴いているから。コンコンならキツネで、心配しなかったのですが……」
「びゅっふぇ!」
ほぼ暴露してるじゃねえか俺ェ……!
何と言って誤魔化そうか、必死に考えた矢先。
「どういう……」
ひやりとした手が、俺の手を掴んだ。
「えっ」
「どういう夢をご覧になったのですか……?」
「えっ」
クルートの声が低くなった気がした。
「ほんの」
もう片方の手も、柔らかい氷に包まれる。ぎょっとして目を向けると、ミグが、やはり同じように俺の手を掴んでいた。
「ほんの中身は、何だったのですか……? ご主人様……? ぜひ……教えてください」
彼女たちの手が、手首、肘、二の腕、とだんだん上ってくる。肩、鎖骨をなぞり、その細い指は、そっと頸動脈を……。
う、うわあああああああああああああ!
※
「セーフ!」
俺は飛び起きるなり、ベッドの上で両腕を水平に切った。
――オラァ! 二段夢オチィ!
「あ、おはようございます。ご主人様」
「ちょうどお目覚めですね、コタロー様」
セーフのポーズで固まっていると、扉を開けて軽やかに二人のメイドさんが入ってくる。
「どうしたのですか? そのポーズ」
クルートがくすくす笑う。
「ああ、ちょっとスレスレの夢を見てな。夢でよかったって喜んでたところ」
「そうでしたか。山の空気に少しお疲れになったのかもしれませんね。今日の食事は、精のつくものを多く出させましょう」
はあ…………気にしてるな。俺……。
心配ごとがあると、だいたいそれが夢に出る。いつものことだ。
遠足の朝は、バスに俺だけ乗り遅れる夢を見て、受験の朝は、受験票を忘れる夢を見る。一度も失敗してないのに、リハーサルだけは何度もやらされている。おかげで同様のミスをやらかしたことはないが、いいのか悪いのかで言えば、心臓に悪い。
「…………あれ。俺のベルト、ここに引っかけておいたはずなんだが……」
昨日の探索で使った〈旅立ちの服〉のベルトのことだ。
「ひょっとして、これがそうですか?」
ミグが部屋の隅に投げ捨てられているベルトを拾いながら言う。
「ああ、それだ。何でそんなとこに?」
それほど離れてるわけじゃないが、上下を置いた場所とは明らかに違う位置にある。
「パニシードが悪戯したんじゃないですか?」
というミグの意見には納得できかねた。パニはそういう子供じみた悪さをする妖精ではない。もっと汚い大人の代表みたいなヤツだ。
「いや、俺の勘違いかもしれない。気にしないでくれ」
その場はそう言いつくろったが、背中では得体の知れない寒気がねっとりと対流を始める。たどり着いたのはたった一つのイヤな予感。
根拠も何もないのに、心にやましいことがあると、最悪の予想というのは真実と同じ、いやそれ以上の圧迫感を持って人の首をしめてくる。
……誰かが、この部屋に入った。
この時は、ベルトだけバグで勝手に吹っ飛んでいったんだマジ『ジャイサガ』バグゲーと自分に思い込ませ、ゲロをこらえるようにして悪寒を抑えたものだったが、食後の追撃で俺の猜疑心にトドメが入った。
食事が終わり、部屋に戻ったとき、もっと露骨に、ものの位置が動かされていた。
引き出しは不自然に半開きであり、投げ置かれていた背嚢の口も若干緩んでいる。
「クルートが動かしたのか?」
青ざめながら隣にいた彼女に聞いてみると、
「掃除をする際に持ち上げはしましたが、元の位置からは動かしていないはずです……」
と、耳を垂らし気味にし、不安そうに俺を見返してきた。
「ならいいんだ。気にしないでくれ」
ほっとした様子の彼女に、どこか陰が感じられたのは、きっと俺の気のせい……か?
だが、この何者かに漁られたような部屋の様子は気のせいではない。
帝都の秘密を知った者は許されない。
どこかに隠された〈ほん〉は回収し、所有者は宮殿の総力を挙げて、消す。
……そんなこと、あるはずないだろう? ね? ないよね?
※
フヒヒもう限界ですわ。
散々な一日になってしまった。
クルートもカカリナもクーデリア皇女も、全部が怪しく見えた。
誰もが俺を疑い、思わぬ会話から〈ほん〉の所在を聞き出そうとしている。そうとしか思えなくなっていた。
ゆえに、端から見て一番の怪人物は、俺だ。
自覚はしているが、目玉に猜疑心のコンタクトがはまっていては、目玉焼きの白身さえも茶色に見えてしまう。
部屋のものが動かされたのは朝だけではなかった。クーデリア皇女に会いに行ったり、食堂に行ったり、町に買い物に出たり、少し長い時間部屋を空けると、やはり何かしら身に覚えのない部屋の変化があった。
クルートたちに聞いてもわからない。
俺の目はどんどん瞳孔が縮み、ものの正しい色が見えなくなっていく。
「くくく……ははは……ファーッファッファッファッファ……」
もうダメ。限界。
見ろよこの光のない腐った魚の目をよォ! 病んだグリフォンリースちゃんの方がまだ人間の目をしてるぜ!
確実に疑心暗鬼にかかっている。
このままでは、俺を心配してくれている仲間たちに、どんなひどい言葉を浴びせるかわかったもんじゃない。
そういうヤツは物語なんかだとろくな死に方をしない。ストーリーの深刻度を高めるためだけにわめき散らし、不快指数を上げ、誰かにぶっ殺されても特に思い出にもならない。
俺はそんなのになりたくないです。
現時点で、すでにクルートとミグ、それからクーデリア皇女に心配されているのだ。
そしてそれに対し、俺は彼女たちの不安を払拭してやるに十分な回答を返せていない。
自分の精神安定を求める人間が、他人の精神を不安定にしちゃダメだろ!
……もう限界だ。
守りは。
「決着……つけに行くか」
……攻めるしかない。
俺はパニシードだけをつれ、こっそり帝国図書館へと向かった。
決着とは……何者かが探しているであろう、最後の一冊の〈ほん〉をクラリッサに渡し、その上で完全にしらばっくれることだ。
これで少なくとも部屋を探られることもなくなるし、すっとぼければグレーを維持できる。一歩間違えば危険な行為だが、俺としては敵を明確にセットできるだけ、悪い話でもなかった。
疑われているかもしれない、よりも、疑われている、とはっきりしていた方が、トータルで見ると心は安定するのだ。するべきことが見えるから。
クラリッサにはすぐに会えた。
昨日と同じ作業室に通され、俺は、彼女の机の上に大量の〈ほん〉が山積みになっているのを視界の端に捉えた。
「それで、どんなご用かしら?」
カカリナがいないと、クラリッサはその才女然とした雰囲気がぴったり定着する。伊達に一般人お断りの施設の職員じゃない。
だがその怜悧な眼差しが、今の俺には毒でもあった。
「昨日渡しそびれていた最後の一冊だ。これも同じように買い取ってもらえるのかな?」
俺はパニシードから受け取った〈ほん〉を差し出す。
クラリッサは、俺に向けたのではない小さな嘆息を放つと、「ええ。もちろんよ」と同意してそれを受け取った。
本が彼女の手に渡り、俺が手を引っ込めようとする、その直前。
「……コタローさん。中身は、見ていないわよね?」
……!! き、来たっ! 大丈夫、問題ない。リハーサルはしてきた。ここで肩でもすくめながら「興味ないね」とでも言ってやれば、俺の無事は確保されるはず!
さあ行くぜ!
「いいいいいいいいいいいいいいやぜぜぜぜぜぜぜぜぜ全然見てないですはははははははははい」
「見てしまったのね……」
なぜだこの正直者おおおおおおおおおおおお!!!
弱い! 弱すぎるぞ俺の心! どうやって今日まで生きてきたんだクソが! こうなるくらいならもっと手前で死んどけボケ!
クラリッサの眼鏡が、窓の光を跳ねて輝く。
その光の隙間から俺を見据える目は、猛禽のそれのように尖り、知的な彼女の顔に、凄絶な美しさを描き出していた。
「……読んで、気づいてしまったでしょう?」
「なななななな何も……。何も気づきませんでしたああああああああああ」
知らない。帝国の秘密なんて一つも知らない。
彼女はゆっくりとため息をついた。
眉間に寄ったしわをゆっくりと指でほぐしながら、背後の〈ほん〉の山を振り返り、もう一度、今度はとてつもなく深くため息をつく。
そして彼女は、これまでのことを覆す、決定的な一言を俺に告げた。
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