第94話〈ほん〉の闇! 安定志向!

 俺たちは地下十階あたりまで行った後、ダンジョンから脱出した。


 集まった〈ほん〉の数は三十九冊。およそ二〇万キルトの儲けになる。

 レベル99とはいえ技も装備も揃っていない上、キャラ厳選もされていないうちのパーティーではこれ以上の探索は危険だった。


「戻ったか!」


 クラリッサの仕事部屋で待っていたカカリナは、俺たちの姿を見ると席を蹴って駆け寄ってきた。


「大丈夫か? ケガはしていないか? 回復役がいないから心配したぞ」

「ああ、全員無事だよ」


 さすがに後半はちょっと手こずる場面もあったが、こっちにはずっと愛用している〈力の石〉もあるし、ヒーラーがいなくとも回復には困らない。


「ほら。大丈夫だって言ったのに。カカリナったら、ずっとそわそわしてわたしの話なんか聞いてくれないんだもの」


 作業用と思しき机のところで、お茶をすすっているクラリッサが拗ねたように言った。


「仕方ないだろう。わたしは陛下とクーデリア様から彼らの世話役を任されているんだ。本当なら、地下にだってついて行きたかったくらいだ」


 そこは俺たちが固辞した。いくらカカリナでもレベル差を考えるとマズい。


「それで、目的は達成できたのか?」


 カカリナの問いにうなずくと、俺はパニシードのバックヤードから、拾ってきた〈ほん〉を取り出して見せた。


「ああ、こいつを拾ってきたんだ」

「あら、本!? 見せてもらってもいいかしら?」


 クラリッサが身を乗り出す。やっぱり図書館勤めだけあって、書物には目がないのだろう。しかもこれは、封印された場所にあったレア物だ。


「どうぞ」


 俺は素直に差し出す。そういえばコレ、普通の道具屋とかで売っちゃっていいのかな? もし帝都の財産なら、皇帝とかクーデリア皇女に相談した方がいいか?


「――――!」


 部屋の一部で空気が凍った。


「どうした、クラリッサ」


 その凍結部分の中心にいるクラリッサを見やり、カカリナが不思議そうな声を向ける。


「コタローさん。……この本の中身、見た?」


 冷たい声だった。ドラマで見た、不倫を暴くときの奥さんみたいな声。


「いや、地下は暗かったから、中は見てない。何が書いてあったんだ?」

「……そう。よかったわ。見なくて。本当に……」


 ぱたん、と本を閉じる。

 何だよ……。怖いですよ……?


「コタローさん。これはとても貴重な本だわ。もしよければ、これを図書館で研究させてほしいんだけれど、どうかしら? もちろん、お礼はするわ。五〇〇〇キルトでどうかしら」

『ご、五〇〇〇!?』


 俺以外の全員の目玉が飛び出す。

 想定内の金額だから俺は驚かないが、クラリッサの冷え冷えとした気配の方が気になって、すぐには答えが返せない。彼女はそれを逡巡ととったらしい。


「ダメかしら。ええと……あ、ポケットに一一キルトあったわ。こ、これもたすけど、どうかしら?」

「……あ、いや、うん。いいよ。その金額で買い取ってくれるなら、喜んで」


 俺が我に返って答えると、クラリッサはほっとした様子で本を胸に抱き込んだ。元より売るために集めたものだ。計画に変更はない。だが……。


「同じようなものがあと三十七冊あるんだけど、そっちも買い取ってもらえるか?」

「さっ、三十七冊っ!? わ、わかったわ……今お金を用意させるから……」


 クラリッサは冷たい空気を纏ったまま、よろよろと部屋を出て行った。

 パニシードが俺にこっそり耳打ちしてくる。


「あなた様、あと一冊残っていますけど?」

「それはいいんだ。……気になるだろ、中身」


 金額が大きいため、支払いは後日ということになった。

 踏み倒すような相手じゃないし、そもそも帝国がそんなケチであるはずもなく、俺は信用して、その日は小宮殿へと戻ることにした。


 ※


 そして、俺の部屋。

 テーブルの上には、一冊だけ残しておいた〈ほん〉が置かれている。


「あの人、この本を見てから明らかに態度が変わっていましたし、関わらない方がいいんじゃないでしょうか。……絶対面倒事ですよ」


 後半は隣の部屋にいる女神に聞かれないようにするためか、小声のパニシード。

 俺としても、心の平穏を保つためなら、危機も見逃す超法規的措置も辞さない。普段は。


 だがこれは『ジャイサガ』の謎でもあるのだ。

 ゲームをするばかりでは謎は解けない。ゲームと同じ世界に入ってこそ、見える真実もある、と言うではないか。……特例すぎて絶対一般論じゃないな。今の標語は。


「ちょ、ちょっと見るだけなら、バレないでありますよきっと……」


《なんとでもごまかせる》《魔力は感じないから魔導書ではない》《でも気になる》《早く見ようそうしよう》


 部屋にいるグリフォンリースとキーニも乗り気だ。


「では、ちょっとだけ見て、その後でしれっとクラリッサに売りつけるか」


 俺は〈ほん〉を開いた。


 帝歴三年。友の月、二日。

 余が皇帝となり三年目を迎える。

 宮殿での華やかな祝いの席にて、竜族の姫と懇意になる。

 しかしこの姫、大いなる呪いにかかり、余命幾ばくもないとのこと。

 余の剣、その呪いを断ち切ることができるか?


 帝歴三年。友の月、三日。

 都を馬で発ち、竜人の里へと出向く。

 人間の姿を侮られるが、一閃の元に力量を示し、不逞の輩逃げ出す。

 いと、わろし。

 その剣閃を見た老人に声をかけられ、試練に挑むことになる。

 竜姫の呪いに関わると知れば、いた仕方なし。


「……日記……か?」

「そのようでありますね……」


 何ページか読んだ結果、俺たち三人の意見は完全に一致した。

 古い日記だ。

 あの封印は獣人たちをオブルニア民とは認識していなかったから、彼らを取り込む以前の時代のものということになる。


 執筆者は、時の皇帝のようだ。今が帝歴いくつなのかはわからないが、数字が若いことから、初期であることは間違いない。


「中身を読む限り、かなり有能な皇帝のようだな。メチャクチャ大冒険してる」

「ドラゴン三匹をメザシにするとか、人間じゃ考えられないであります」


《……コタロー》《ちょっと待って》《これ変》


 ジト目をページに落としていたキーニちゃんが、ふと心の声で呼びかけてきた。


「どうした?」


 俺がキーニに目をやると、彼女は答えないまま、じっと何かを考え込んでいる。


「いつも思うでありますが、コタロー殿はよくキーニ殿の考えがわかるでありますね。一緒に特訓してみて、自分はようやくちょっとだけわかるようになったであります……」


 グリフォンリースが少ししょぼくれた様子で口を挟んだ。

 まあ俺の場合は特殊だ。顔色だけで判断しろと言われたら、未だに何もわからない。


 キーニが日記の上に指を向ける。

 その文面はこうある。


 ――余にも男子としての意地がある。この程度でへこたれていては、ミーズの湖で命を救ってくれた娘に申し訳が立たぬ。果たして――


「ここがどうした?」


《この皇帝》


「……男……」


 ぽつりと言ったキーニちゃんの単語が、俺の中で不可思議な脈絡の齟齬を示す。


 一旦「そうか、別に変なことじゃないだろ」と思った直後「あれ? 何で?」とそれを否定する感情が押し寄せてきて納得を拒絶する。おかしい、おかしいと。


 男……。男だと?


「コタロー殿? ど、どうしたでありますか?」


 グリフォンリースが固まった俺を揺すってくる。脳内を軽くミックスされながら、男という単語だけが鮮明な形を取って、その中を跳ね回る。


「帝国は……ずっと女帝なんだ」


 自分でも驚くくらいかすれた声が出た。


「少数部族をまとめて、帝国を名乗ることになったとき、その中心になった部族が、以前から女性が長を務めていたところだったんだ。だから帝国も女帝をいただくことが決まりになった」


 これはクーデリア皇女から直接聞いたことだから間違いない。


 オブルニアの山岳神話では、多くの命を抱く山は女性格であり、女の為政者と仲良しとされている。気が合う者同士だから、山は人々を生かし、住まわせてくれるというのだ。


 だから、帝国では女性がとても大切にされる。男性がないがしろにされてるわけじゃないが、均して見て、女性優遇な場面は多い。

 それは偏見とか差別ではなく、国風であり、民族の基礎だ。不満を抱く者は少なく、確かな由来と伝統のある、彼らの誇りになっている。


 でも、もし、歴史に男の皇帝がいたとしたら。


 女帝の神話は崩れ、求心力は少なからず濁る。


 科学万能の世界ならば、伝統やら歴史の瑕疵なんて「そういうもんでしょ」ってどこ吹く風だろうが、オブルニアの民は常に山と自然と共にある。歴史も神話も、理性であり、精神に深く結びつく重要な人格形成の一部なのだ。


 それを覆す証拠が、ここにある。


「……これ、想像以上にやばいんじゃないか……?」


〈ほん〉。

 忘れられたダンジョンに眠る帝都の秘密。

 名前がないんじゃない。

 名前を持つことさえ、許されなかったとしたら。

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