第88話 クルートの小さくて大きな異変! 安定志向!

 本日の俺の予定。


 ・朝食

 ・休憩をはさみ、クーデリア皇女との歓談

 ・昼食

 ・帝都見物

 ・夕食

 ・クーデリア皇女との歓談

 ・就寝


 ざっくりと書き表すとこんな感じになる。


 時刻すら定まっていないいい加減な予定表だが、正直なところ、単なる食客にすぎない俺に、その日のスケジュールがあることすらおこがましい。

 朝から晩まで、〝てきとう〟でちょうどいいくらいだ。


 バリバリ……。


 変な紫電をまき散らす朝食が終わり、後かたづけを始めたメイドさんたちを残し、俺たちは自分の部屋へと戻る。――いや、みんな俺の部屋に来るんだけども。


 そこで俺は、出てきたときは乱れていたベッドのシーツが、凍りついた湖面のようにぴっちりと整えられていることに気づいた。


「帝国のメイドさんって、すごいよね。いつの間にどこで何してるんだろうって感じ」

「そうだな。ちょっと怖くなるくらいだな」


 マグの言葉に、俺は素直な感想を返した。


「さすがに真似できないよう~」

「だね」


 メグがあっさりと完敗を認め、うなずいたマグと一緒に屈託のない笑みを浮かべるが、ミグの顔は浮かなかった。


 背後からノックがあった。


「コタロー殿。みんなも、少し早いがいいだろうか? クーデリア様が、早く貴公らに会いたがっている」


 カカリナだった。

 昨日は俺たちを気遣って休むことを最優先にしてくれたが、今日はたっぷり話がしたいということなのだろう。

 そこまで純粋に好いてもらえるのは、嬉しくないわけがない。


「ああ。わかった。みんな、準備はいいか?」


 初対面ですっかりクーデリア皇女と打ち解けてしまったうちのメンバーに、それを渋る者はいなかった。


 クーデリア皇女との歓談は、彼女の私室で行われた。

 俺たちと皇女の橋渡し役でもあるカカリナも同席している。


「おはようございますコタロー。以前のパーティーではほとんど時間が取れなかったので、ここにいる間だけでもいっぱいお話聞かせてほしいです」


 クーデリア皇女は、椅子の上でほんの少しだけ、落ち着きなくそう言った。


 その態度や話し方は初めて会った頃よりも断然柔らかく、そして子供っぽく見えたが、俺はそれによって彼女の神秘性が薄れたともがっかりしたとも思わなかった。

 むしろ遠慮なく本来の性質を見せてくれている気がして、嬉しいくらいだ。


「ええと、では何からお話しましょうか」

「王都との戦いについて。まずは」


 口調そのものは大人しいが、俺の語尾に食らいつくようにしてリクエストしてくる。

 パーティー会場のときのように将軍目線からではなく、話によるとなぜか当世を代表する策士の一人にまで祭り上げられているらしい俺の視点から、戦場を語って聞かせることになった。


 ナイツガーデンを留守中に、俺が何をしていたか知らなかったマユラたちも、それに聞き入っていた。


 ……あの、みんな、すいません。今俺が言ったこと、だいたい後付のフィクションなんで……。両国で将軍を見かけたとき厭戦感を嗅ぎ取ったとか、ダンダマリア平原の霧が互いを牽制することを見越していたとか、全部ウソですから。できれば人に話さず忘れてください……。


「クーデリア様。そろそろ、姉皇女様方とお会いになる時間ですが……」


 ウソの土台にウソの城を建てたような架空戦記を、冷や汗を垂らしながら語り終えたあたりで、皇女お付きのメイドさんが控えめな態度でそう告げた。


「……もうそんな時間ですか」


 クーデリア皇女は名残惜しそうにそうつぶやくと、改めて茫とした目を俺に向けた。


「大変興味深いお話でした。時間を忘れて聞き入ってしまいました。わたしはこれからお姉様たちと会わなければいけません。本当は、あなた方を紹介したいところなのですが、今日は別のお客様を招いているためそうもいきません。ごめんなさい」

「と、とんでもない」


 俺は慌てて彼女の謝罪をかわす。何一つ悪くないというか、何の気構えもなしにいきなり皇女軍団に会えなんて言われたら、そっちの方がハートにやばい。


 昼食の時間だというので、俺たちも離宮へと戻ることにする。


 と。


「あれ……今……」


 皇女の私室を後にし、廊下を歩いていた俺は、奇妙なものを見た気がして立ち止まった。


「どうかしたか、コタロー殿」


 足を止めた俺を不思議に思ったか、案内役のカカリナが振り向いて声をかけてくる。


「今、そこにクルートがいなかったか?」


 柱の陰を指さしながら言い、俺は彼女の同意を待つよりも早く、直接近寄って確かめた。

 白亜の宮殿に混じり込んで見えたクルートの色は、そこにはなかった。


「ん……。見間違いか」

「そうだろう。クルートは今頃離宮で昼食の準備をしているはずだ。ははは、コタロー殿は幻が見えてしまうほど彼女が気に入ったのかな?」


 おいいまそういうこというのはほんとうにやめろ。ミグさんがみてるんだからほんとやめろ。


「い、いや、そういうわけじゃない。宮殿なんて慣れてないから、緊張してるんだな。うん。間違いなくそう」


 わかる。俺の背後から、瞬きもせずに見つめてくる二つの目があるのが、わかってしまう……!


「いや、隠すことはない。愛らしく献身的な彼女にときめいてしまうのは、ごく普通のことだ。わたしもクーデリア様がいなかったら、あるいは……。はあ、何だろう、急に胸が苦しく……。今日は空気が薄いのかな」


 日によって変わるものかよ! やっぱり女の子に節操ないだけじゃないか、この牙!


 何とかごまかして離宮へと戻った俺たちは、それからすぐに昼食を取った。

 クルートはやっぱり離宮にいた。大宮殿にいるはずもない。

 何もないところに彼女の姿を見るなど、俺は本当に疲れているのかもしれない。


 そこでも彼女は完璧な給仕を見せ、ミグをぐぬぬさせた。

 正直、この戦いのジャッジなどしたくもないのだが、メイドとしての基本能力はクルートの方が圧倒的に上回っている言わざるを得ない。


 獣人としての軽やかな身のこなしがあり、その上に、もはや本能に上書きされたかのようなごく自然で隙のない帝国メイドの作法が身についている。

 あくまで民間の可愛いメイドさんであるミグが、時間の経過と共に不利になっていくのは容易に想像できた。


 だが、このとき俺は大きな勘違いをしていたと、後に気づかされる。

 その兆しは実はすでに始まっていて、鈍感な俺が気づけたのはその日の昼食が終わった直後のことだった。


「クルート。夕食まで、みんなで帝都見物に出かけてくる」


 部屋に戻って午後の予定を告げたとき、クルートはいつものように柔和に、そして落ち着いて応対した。


「かしこまりました。あの、コタロー様、もしよろしければ、わたしのおすすめの場所などご案内いたしましょうか?」

「ああ、クルート。帝都案内はわたしがするので大丈夫だ。君は離宮の仕事を引き続き頼む」


 カカリナは笑ってそう言ったが、クルートはその場にいた誰にでもわかるほどはっきりと顔を青ざめさせた。


「しっ、失礼いたしました。差し出がましいことを言いました……」


 深々と一礼すると、尻尾を小さく丸め、逃げるようにして部屋を出て行ってしまう。


「? どうしたんだ、彼女は?」

「いや、わからん……」


 きょとんとするカカリナに、俺も首を傾げるしかなかった。

 彼女がそんな失礼なことをしたとは少しも思わなかったからだ。

 確かに小さな違和感はあったものの、それが重要なものだとは考えなかった。

 だが、実は、俺たちが思うよりも重大な変化がクルートの中で起きていたのだ。


 後だから言えることだが、彼女たちメイドの仕事はこのクーデリアの小宮殿で俺たちの世話をすることだ。

 それ以上でもなく、それ以下でもない。


 影のような帝国メイドたちは、決してその領分を逸脱しない。

 それこそが誉れであり、矜持でもある。


 そして、さっき、彼女は初めて、その外側のことに言及した。


 ※


「おかえりなさいませ、コタロー様。夕食までもう少し時間がありますので、何かありましたら遠慮なくお呼びつけ下さい」


 クルートはそう言って部屋を出た。

 俺たちは、今日帝都で見てきたあれやこれやを、俺の部屋に集まってわいわい話し合っていた。


「ご主人様、あの髪飾り見ましたか? とても綺麗でしたね」

「鳥の羽が付いてるのとか良かったよね。短い髪にも合うのかなあ」

「尻尾のアクセサリーも可愛かったかも~」


 と、三姉妹がオシャレに関することで盛り上がれば、


「虫の音を楽団代わりにするというのは、グランゼニスやナイツガーデンにはない発想だったな。いや、それもすごいが、あのカゴだ。明らかに編み方が普通とは違う……。見た目も鮮やかだったし、丈夫そうだった。興味深い……」


 どことなく商売っけを感じさせるのがマユラ。


《変わった鉱石》《いっぱいあった》《色んな研究の触媒に使えそう》《また行こう》《明日も行こう》《コタロー》《ね》《うんって言って》《言えっ》


 みんなの話に聞き入っているようで、実はひたすら俺に念波を送っているのがキーニちゃんだ。


 俺は獣人たちが愛用する武具に魅せられた。普通に握って振り回すようなものはほとんどなく、体に装着して使うものや、防具を兼用するものなど、平地にはないバリエーションに富んでいた。


「帝都の魅力はとても半日程度で理解できるものではない。また、みんなで一緒に行こう」

『はーい』


 カカリナの声に、みなが機嫌良く返事をした、そのすぐ後だった。


「あの……コタロー様」

「ん?」


 クルートが再び俺の部屋に戻ってきた。さらに、こう言うのだ。


「先ほどは言い忘れましたが、夕食までもう少し時間がありますので、何かご用の際は遠慮なく呼びつけください」

「えっ? あ、ああ……」


 彼女が立ち去った後、俺は思わずカカリナと顔を見合わせていた。

 デジャブ……ではない。確かにさっき、クルートは同じことを言って部屋を出ていった。

 勘違いか? 彼女にしては珍しいミス……いや、ミスというのも大げさな些事だ。


 しかし、異変はまだ続く。

 それから少しして。


「コタロー様」


 またクルートが俺の部屋にやってきたのだ。


「何かご用は……ありませんか?」

「いや……ない、が……?」

「そうですか……」


 俺が戸惑いながら答えると、彼女は肩を落とし、しょんぼりした様子で扉を閉めた。


 ……変だ。


 クルートが俺の部屋を訪ねる頻度はそれほど多くない。というより、少ない。

 彼女は、俺が何かを頼みたいと思ったときや、知りたいと思ったとき、まるで心のベルを鳴らされたかのように現れる。そうでない場合は、彼女の方に用事があるときだ。

 だから、この短時間に二度も現れたということよりも、お互い用がないタイミングで俺の部屋の扉を叩いたということの方が奇妙だった。


 クルートがおかしい。気になる。


 俺は話を切り上げ、立ち上がった。


「すぐ戻る。みんなはちょっと待っててくれ」

「わたしも行こう」


 カカリナも合わせて椅子から立ち上がる。


 廊下に出た俺は、扉のすぐ横に立っていた小さな人影とぶつかりそうになった。


「きゃっ」

「おわっ、クルート!?」


 棒立ちしていたのは、さっき部屋から出て行ったはずのクルートだ。

 どこに行くわけでもなく、ここに立っていたのか?

 どうして? なぜ?


「し、失礼いたしました、コタロー様」


 クルートが一礼して逃げようとするのを、カカリナが呼び止めた。


「待てクルート。仕事はどうした? どうして君だけここにいる?」


 ビクリと震えた彼女の肩と連動して、ボリューム豊かな尻尾がみるみるうちにへにょへにょになり、力無く垂れ下がっていく。


 そこには、少し気弱そうに見えながらも、帝国メイドの威風を纏い、柔らかに風を切って歩いていた以前の面影はない。

 一体、彼女に何があったんだ?

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