第87話 仁義なきメイドさん! 安定志向!

「おはようございます。ご主人様」


 俺の一日は、いつだってこの呼び声から始まっている。

 ここが王都だろうと、騎士の庭だろうと、帝都だろうと、夢の中だろうと同じ。


「ああ、おは――」


 俺はのけ反りそうになった。できなかったのは、すでに仰向けに寝ている俺には、そうするだけのスペースが存在していなかったからだ。


「お、おはよう、ミグ……」


 彼女の笑顔は、鼻先三センチくらいのところにあって、俺の視界のほぼすべてを埋めている。甘い息づかいが流れ込んできそうな距離だ。


 返事を聞くと、ミグは速やかに身を引いた。

 ベッド脇に立つ彼女はいつもと変わらぬメイド姿で、これは帝都に来た初日と何ら変わらない。


 が、違うものもある。

 彼女の背中から立ち上るもの。俺はその靄の中に、狩りをするキツネの姿を見た。

 朝から殺意の波動みたいなオーラを纏うのはやめてほしい。眠気は飛んだが、心臓が元気になりすぎる。


「失礼いたします」


 ノックがあって、もう一人のメイドさんが入ってくる。


 クルートは、部屋に先客がいることを確認すると、目に危険な光を灯らせた。

 カカリナ曰く、二度見の後にガチのケンカをやらかすのが、キツネ同士の本能。

 ここはすでに狩り場であり、戦いは始まっていた。


 俺が「あと五分……」とかぬかさずにさっさと起きるタイミングを熟知しているのはミグの方だ。彼女は今日、それを正確に突いてきた。

 クルートのこの訪問も、初日にもかかわらず絶妙ではあったが、その数秒差は俺が思うよりも遥かに高い壁となって、彼女たちに絶対的な勝敗を意識させたらしい。

 スカートの脇から見える彼女の尻尾がバリバリと毛羽立ち始め、ミグの笑みに悪そうな陰影が生じた。


 一本目、勝者、ミグ。


 ……こう言っちゃ何だが、悪そうなミグもなかなか可愛いな。……いや、俺はマゾじゃないけどさ。ミグなら愛を持って見下して罵ってくれそうだし……。いかんそれがマゾの発想だ。


 万難を排すべき初戦を落とした悔しさを、瞬き一つで瞳の中にかき消すと、クルートはベッドから適切な距離を保ったまま告げる。


「じき、ご朝食の準備が整います。昨晩と同じ形態をご用意しておりますが、コタロー様はいかがなさいますか」

「た、食べる。すぐに行くよ」

「では、お召し物をお持ちしましたので、こちらにお着替え下さい」


 クルートはそう言うと、手に持っていた着替えをベッド脇のナイトテーブルに置いた。


「…………」


 そして、背筋を伸ばした姿勢のまま横を向き、動かなくなる。


「…………? あの、クルート? どうした?」

「コタロー様のお着替えが済みましたら、寝間着を引き取り、朝食のご案内をさせていただきます。どうぞ、わたしのことはお気になさらず、お着替え下さい」

「…………!」


 目を見開いたのは……ミグだ。

 いや、俺もだけど。


 何、これ? 女の子の前でストリップしろっての?

 これが普通なのか? いちいち気にする方が、意識しすぎってヤツなのか?

 ……い、いや、しかしなあ。

 寝起きの男というものは、色々とアレでなあ……。


 俺はミグを見やった。特に意味もなく、「どうしよう?」って感じの目線だったのだが、ミグは何か邪な想像でもしていたみたいに慌てふためき、真っ赤な顔を、クルート同様に壁の方へと向けた。……何を考えていましたか?


 が、ここで考え込むのも小さい話だ。いちいちクルートを追い出すのも、彼女にとっては手間だし、俺もすぐに慣れるだろう。

 置かれた着替えを手に取ると、俺は彼女たちに背中を向けて寝間着を脱ぎ捨てた。


 ふと、何らかの圧力を感じて肩越しに背後を見やると、顔を赤くしたままのミグが、ぎゅっと目をつぶったまま、


「何でもない。盗み見たりしない。ご主人様の裸なんか見ない。妄想で我慢するのよ、わたしっ……」


 とぶつぶつ言っているだけで、クルートは依然壁を見つめたまま微動だにしていなかった。……妙だな。今の気配、クルートの感じに近かったが……。

 少々神経過敏になったか、と思いつつ着替えを終える。


「……驚いた」


 飾り気はないが、肌ざわりや生地の適度な張りから、これが一級の品であることは疑いようがない。

 俺は999円と20000円のシャツの違いがわからない男だが、ここまでくるとさすがに普通の服とは違うと、肌が理解してしまう。


 だが俺が驚いたのはそんなことじゃなく、シャツとズボンが、笑えてしまうくらい体にピッタリのサイズだったことだ。


「新品なのに、もう何年も前から着て、体に馴染んだような着心地だ……」

「それはようございました」


 クルートはそれだけ言う。

 本当に、彼女は口に出さないことが多すぎる。


 昨日俺と初めて会って、サイズを完全に見切り、それに合うものを探して持ってきたのだ。そうでなければ、ここまでの服とのシンクロを感じるわけがない。これを単なる偶然で済ますようなアホは、彼女のお世話の1%も体感していないことになる。

 すべて計算ずくの奉仕……。だが、それを手柄として誇ることは決してない、帝国メイドの奥ゆかしさ!


「くっ……」


 貴重な先勝の余韻は、この立ち回りで逆転した。ミグが悔しげに唇を歪める中、クルートは、そこだけは自分に正直な尻尾を優雅に揺らしながら、俺を食堂へと案内した。


 寝起きのお世話、互角!

 って……俺、何真面目にジャッジしてんだろ……。


 ※

   

 帝都の朝食は、朝からパンと肉をふんだんに使ったボリューム満点のものだった。

 山と共に生きるオブルニアの人々は、一日のうち、一番早い時間帯からパワー全開ですっ飛ばし、日が陰ると共に休息に入る。

 文明の利器で夜を遠ざけられると信じている〝平地の人〟とは違い、あくまで自然の時間に身を委ねて生きるのが、彼らの生活だ。


「あっ。ご主人様、来た来た」

「待ってたよ~。ミグも早くぅ」


 天真爛漫なマグとメグが、すでにテーブルについて、俺たちを急かす。

 彼女たちの傍らには、俺より少し年上と思しきメイドさんがついていて、両者の間にはすでに十分な信頼関係が築けているように見て取れた。

ミグと違い、クルートに突っかかる様子もない。


 奇妙なことだが、三姉妹のうち一番生真面目で、かつ抑制的なミグが、実は一番ケダマキツネとしての性質に近いのかもしれない。これはちょっと面白い発見だ。


「いただきます。ヤーマ・ハルテ」

『いただきます。ヤーマ・ハルテ』


 俺の一声にみんなが続き、朝食が始まる。


〝ヤーマ・ハルテ〟はオブルニアに古くから伝わる言葉で、意味は「いただきます」とほぼ同じで「自然よ、ありがとう」だと、昨日クルートが教えてくれた。

 俺の言った「いただきます」が、クルートたちには不思議な言葉だったらしく、そこで色々話し込んだのだ。


 実はグランゼニスやナイツガーデンには、純粋に同じ意味での「いただきます」はなかった。「さあ、食うぜ!」「フヒヒ! メシ!」くらいの言い回しはあるが、自然のものへの感謝とか、死んで食べられる者への供養みたいな感覚はないようだ。だから〝平地の人〟である俺が、山の民と似た感覚を持っていることに、強い親しみを覚えたらしい。


 そんなわけで、俺はさっそく「ヤーマ・ハルテ」を使わせてもらっている。


 言語すら介せない未知の相手との交流においてすら活躍する、もっとも原始的に友好を示す方法は、相手を〝真似る〟という行為であるという。


 それは、高度な知性を持つ者同士が争い合う原因の中で、もっとも根元的で解決しがたい〝あいつらは俺たちと違う〟という病理を克服する、最初の一手でもある。


 だから俺は、相互理解のために「ヤーマ・ハルテ」という言葉を使う……なんてことを昨日少し考えてみたが、結局は「すごくいい!」って言うより「ディ・モールトいい!」って言いたくなってしまう心理と同じ理由で使っている。


 食事時は、ミグとクルートもさすがに休戦状態。

 ミグだけふらふら立ち歩いていては、彼女についているメイドさんが困ってしまう。そこはさすがに心得ているらしい。

 うん。気遣いができる人は素敵だ。他人の反応を顧みないツヴァイニッヒ君みたいなヤツは敵だ。いや、嫌いじゃないけどね、あいつに関しては……。


 というわけで、普通に朝食を楽しみ……。


「!?」


 俺は、ローストビーフ風の肉やサラダに混じり、ある料理が存在することに気づく。

 切った丸パンで、焼いた肉を挟んだ……これは、ハンバーガー……!


「クルート!? これは……? 帝都にはハンバーガーがあるのか……!?」


 思わず興奮して聞いてしまう。


「いえ……これは……」


 彼女が視線を投じた先には、手にしたハンバーガーを食べようとするミグの姿があった。


「それはミグ様が、昨日、カカリナ様を通じてご提案なされた、コタロー様の好物でございます」


 と、これはミグについていた、若いメイドさんの解説だ。

 なんという抜かりなさ……! すでに昨日のうちに戦闘準備をしておくとは! これはマユラ仕込みと言える早仕掛けだ。


 クルートは素晴らしい帝国の朝料理は提供できても、俺のジャンクな好みなんて知っているはずがない。俺(獲物)をいかに楽しませられるか。その戦いは、昨日の段階ですでに始まり、終わっていたというのか。


 クルートは反撃のしようがない――と思われたそのとき!


「…………!」


 得意げにハンバーガーを頬張ったミグの目が見開かれる。


「うわっ。何これ、おいしい!」

「食べたことない味だけど、おいしいね~」


 妹たちの感想を聞き、俺もハンバーガーをかじってみた。


「!!」


 こ、このパティを包み込む甘味のある濃厚なソースは。そして、それを引き締めるかすかなレモンの風味を秘めた白いソース……いや、マヨネーズの組み合わせはっ……!


《おいしい》《好み》《何個でも食べられそう》《もっとほしいな》《もっと食べたいな》


 キーニだけじゃない。マユラも感心した様子で頬張っている。


 この、テリヤキバーガーを!!


「お口に合いましたか? コタロー様」

「あ、ああ。最高だ。俺はこの味付けが大好きなんだ。こ、これはどうしたんだ? ミグがこう作るように指示したのか?」


 クルートの問いかけに答えつつ、俺はミグを見る。彼女はどこでここまで完璧な、いや、本物よりももっと高級志向のテリヤキバーガーのレシピを手に入れたんだ? そう思いながら。


「これ、は……」


 が、ミグは激しく目線を泳がせる。想定外のことが起きたように。

 俺とミグに混乱が染み込むのをじっくり待つかのような間を置いて、クルートは静かな声音で答えた。


「ミグ様がお伝えになられた料理は、いささか、他の味の濃い料理に紛れてしまうと思いましたので、僭越ながら、帝都の味付けにさせていただきました。お肉のソースはハブリ族秘伝のタレ、白いソースはタルスト族由来のものをアレンジしたものになります。気に入って頂けたようで幸いです」

「ううっ……!」


 ミグの目に焦りが浮かぶ。


 俺への知識でクルートを凌いだつもりだった。だが、クルートは帝都の技術でそれを上回り、より高度な満足を提供してみせた。

 これが、俺がリアルMバーガーの次に好きなテリヤキバーガーそっくりなのはさすがに偶然の一致だろうが、単なる焼肉のサンドイッチを別のものへと昇華させた事実は覆しようもない。


 なんて戦いだ。

 一進一退。いや、帝都という地勢をそのまま生かし、応用を利かせられる分、クルートの方が有利なのか?

 わからない! この世界を熟知した俺にもわからないィィィイイイイイ!

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