第86話 本能が争えと言っている! 安定志向!
「ん。なになに、どうしたの?」
「ミグ。急に立ち止まると危ないよ~」
獄炎にも似た思念で背後を揺らめかせるミグの横から、マグとメグの不思議そうな声が聞こえてきた。
「どうした? コタローがいないのか?」
と言いつつ部屋に入ってきたのはマユラで、彼女はまばたきもせずに立ち尽くすミグと、どこか気まずそうに目を伏せているクルートを不思議そうに見やった後、俺へと声をかけた。
「なんだ。いるではないか。コタロー、食事の時間になったそうなのだが、それぞれの客室で食べるというスタイルはどうも落ち着かない。どうしようか相談に来たぞ」
「あ、ああ。クルート」
「はっ、はい……」
肩を飛び上がらせ、顔を上げる獣人メイドさん。
「俺たちはいつも一緒にメシを食べることにしてるんだ。ここでもそれができればいいんだが、どうかな」
「かしこまりました。コタロー様のご要望をかなえるのが、わたしの仕事です。空いているお部屋が一つありますので、そこに皆さまのお席をお作りします」
そう言うが早いか、クルートはそよ風を思わせる柔らかな身のこなしで、部屋を出て行った。
そして戸口に立つミグとすれ違う瞬間――。
「…………」
ざざっ、と彼女の尻尾が毛羽立ち、ミグの方を一瞬見たような気がした。
「さあみんな。お客様の言うとおりに」
『はい』
クルートの呼びかけに、廊下から唱和する声が応えた。どうやら、俺たち一人一人にお付きのメイドさんがいて、全員が部屋の外で待機していたようだ。
それはいい。それはいいのだが……。
ミグが俺を見つめて動かないんだよ。どうにかしてくれよ……。
石化にらみを食らったままでは、この部屋から一歩も動けない。
と、思っていたら、彼女の肩がブン、とブレた。
「へ?」
ズワアアアッ、と擬音をつけるならこんなところだろうか。
彼女は残像を虚空に引きながら、棒立ちの状態で俺に迫ってきた。
何だよその動き!?
格闘ゲームで見た、オーラを発しながら滑るように空間を移動するアシュラセンクーとかいう必殺技に似ている気がするが、偶然の一致であり当作品とは何の関係もない。
そしてミグは、俺が驚いた拍子にちょっと持ち上げていた手の下に、すっと頭を入れてきた。
奇しくも、さっきクルートの頭を散々撫で回していた手と同じ、そして同じ姿勢。
ハッ……! そ、そうか。わかったぞ! こうですねミグさん!
俺は慌ててミグの頭を撫でてやった。クルートの癖毛のように指に絡んではこないが、高級な絹を撫でる滑らかな手ざわりは、こうして比較してみると甲乙つけがたい。
人間は愚かな生き物だ。比較してみて、ようやくものの価値を少し理解できる。
獣人たちは身だしなみにうるさいという。クルートは女の子でもあるわけだし、そのへんのこだわりも相当なものだろう。が、ミグも全然、負けていない。
「さすがは俺のメイドさんだ」
「!」
思わずもらした一言から、ミグの全身が一震えする。手のひらでその反応を受け取った俺は、やがて幸せそうに目を細める彼女の笑顔を見た。
狂気は去った。完全無敵状態で突っ込んでくるメイドさんとかは、ここにはいない。
俺は内心で安堵の息を吐く。
その、あれだ。
これが単なる前触れであったことにも気づきもせずに。
廊下では、複数人のメイドたちが忙しなく行き来していた。
「すぐにご用意いたしますので、お部屋でお待ち下さい」
とクルートは言ってくれたものの、倉庫らしき部屋にまとめてあったテーブルや椅子を見事な連携で空き部屋に運び込んでいく手際の良さは、ちょっとした見物だった。
慌ただしいように見えて、しかし俺の近くを通り過ぎるとき、わずかな風も感じさせない。素早く、しかし静かに、優雅に。帝都のメイドさんたちの体捌きは、ある種の戦闘技能に近いように思える。主に……暗殺系の。
「うわ、すごーい」
「手際いいね~」
俺の部屋に居残った三姉妹のうち、マグとメグは素直に感心して笑っている。が、ミグだけは、
「うう……」
と、どこか悔しそうに唇を結んでいた。
そしてできあがった即席の食堂は、調度品の質の良さも加味すると、すでにナイツガーデンの屋敷を超えるものだった。
ご丁寧に花瓶や燭台までテーブルクロスの上にある。まるで俺たちの要望を初めから知っていたみたいな周到ぶりだ。
俺たちは一列に座り、すぐ隣にいるお付きのメイドさんが押してきた配膳車から、一皿一皿丁寧に料理を提供された。
ふと隣を見ると、
《どうしよう》《どうしてこの子、わたしのそばにいるの》《放置してくれればいいのに》《放置プレイ》《適当にごはんだけ置いてってくれれば勝手に食べるのに》《話しかけてくる》《許可なんていらないのに》《どうしよう》《助けて》
苦労しているのはキーニだけではない。彼女に付いた人間のメイドさんも、ふるふる震えっぱなしの客人をどうすればいいのか、考えあぐねているようだ。どちらも可哀想で、後でちょっとキーニの取り扱い方を伝授してやった方がよさそうだった。
さて、ところで。
俺も少々困った状態にある。
「あの、クルート。実は俺、テーブルマナーとか全然わからないんだ……」
目の前には品のいい皿があり、その両サイドにいくつものフォークとナイフが並んでいる。なぜ同じ食器がいくつもあるんだ? 落ちたときのための予備か? あるいは、手に馴染むものを選ばないと、あんた今夜を生き残れないぜ、という暗黙のメッセージなのか?
するとクルートは優しく微笑み、
「難しくお考えにならず、お好きなようにしてください。でも、もしコタロー様が気にするようでしたら、ナイフとフォークは外側から使っていくのが一般的です。よろしければ、おすすめの食べ方もお教え致しましょうか? 帝都の料理は、珍しいものもあるでしょうから……」
「ああ、頼むよ」
めらっ、とキーニより奥の方の席で、何かが燃え上がった気がしたが、俺はこの打てば響く、痒いところはすぐ消える、という状況の方に圧倒されていた。
客人にかすかな緊張もさせず、恥もかかせず、ごく自然な物腰と態度で応対する。些細な感動や驚愕さえ残さないため、ともすれば何も感じないまま「ああ、そうなんだ」とやり取りしてしまいそうだが、それがあまりにも自然すぎて逆に怖い。
恐らく、これこそが彼女たち帝国メイドの神髄。
主役はあくまで客人の感情であり、主人や帝都での思い出。脇役たるメイドたちは、そこにわずかな痕跡さえ残さない。神がかった黒子の動き。まるでNINJA!
そうして、堅苦しいはずのコース料理を、まるで洗練された貴族のように楽しく食べ終えた俺は、再び自分の部屋に戻ってきた。
他のメンバーも、何ら気負うことなくぞろぞろと後ろについてきたが、やはり俺も気にするところではない。
英雄になる直前の裏切り者時代は、この列がもっと長く、最後尾にシスターたちも加わる参勤交代状態だったし。
「どうだっただろうか。帝都の料理は」
すでにその話題で盛り上がっていたところに、カカリナが様子を見に来た。
「すごく美味しかった。見慣れない貝や魚なんかもあったが、ここは山だよな?」
「ははは。それは川で採れたものだ。オブルニアには海以外すべてがある。それで、メイドたちはどうだ。何か粗相はしていないだろうか」
彼女は俺たちとクーデリア皇女の繋ぎ役と、メイドたちの責任者を兼任しているようだ。
「レベルの高さに驚いてるよ。さすがは帝都だな」
「彼女たちは、普段は大宮殿で給仕をしている、皇帝陛下専属のメイドたちだ。貴公にもメイドがいるようだが、きっと不自由は感じさせまいよ」
めらっ、めらっ。
ああ、何かすぐ近くで熱量のあるものが揺らめいている感じがする。
「コタロー様、失礼いたします。あっ」
控えめなノックの後、クルートが果物を乗せた皿を持って現れ、カカリナの背中に驚いて立ち止まる。
「ああ、すまない」
カカリナがすっと道を空ける。
「いえ。とんでもないことです。コタロー様、デザートをお持ち致しましたので、皆さまでお召し上がり下さい」
ここに全員が大集合していることを把握済みなのは、一人分にしては多すぎるフルーツが物語っている。が、迂闊な人間はその気遣いにも気づけないのだろう。如才なく、さりげない接客の妙。
俺が感心しつつ、部屋に用意されたテーブルに、彼女がそれを置いた、そのときだった。
ぶうん、とまた阿修羅閃空でミグが移動した。
おい、やめてくれないかそういう動きするの。自分の強さに自信がなくなるだろうが。
移動先は、クルートの正面だ。
「クルートさん……」
「はい」
ミグは自分のエプロンスカートをきゅっと握り、決意を込めた眼差しではっきりと告げた。
「ご主人様のお世話はわたしがします。あなたは、結構です」
ゲエッ!? 面と向かって何を言うのこの子!?
対するクルートは!?
「僭越ながら断固としてお断りさせていただきます」
どことなく内気そうな平時の気配を微塵も感じさせず、静かに決闘の手袋を叩きつけるような声で、凛然と拒絶する!
ちょっ、ちょっと待って! 二人とも何か変だぞ!?
「ご、ご主人様をお世話するのはわたしです!」
「コタロー様のお世話をするのはわたしです」
バリバリ……というのは、二人の視線が散らす火花ではない。
クルートの尻尾の状態だ。
風にうねる麦畑のように柔らかだった彼女の尻尾は、今や目に見えて尖りまくり、モーニングスターみたいになっている。
「こ、こら、クルート。お客様とケンカとは何事――」
「カカリナ様。大変申し訳ございませんが、すっこんでいてください」
「はい」
帝国の牙を一瞬でへし折ったぞこのメイド!
こそこそと俺の方へ逃げてきたカカリナは、戸惑いを隠せない様子で俺に耳打ちしてくる。
「お、おかしいな。クルートは普段とても大人しくて、どちらかというと気弱な女の子なんだが。コタロー殿、何か知っているか?」
「いや、わからん……。わからんが……」
あまりにバリバリしすぎて、静電気でも起こしそうなクルートの尻尾を見ながら、俺はふとあることに気づき、小声で問う。
「なあカカリナ。こういう言い方は、ひょっとしたら失礼にあたるのかもしれないが、無知なんで許せ。クルートは獣人なんだろう? 動物でいうと、何に近いんだ?」
「ああ。その質問は失礼でも何でもない。獣人は、自分と近しい動物と普通に交流する。クルートは……キツネだ」
やっ…………ぱり!
「ジャッカリー・フォックスと呼ばれる、とても狩りの上手いキツネで、賢く、気高い動物だ。性質の近いクルートたちもやはり頭の回転が速く、相手の気持ちを察するのが上手く、人間とも親しくつきあえる。帝都で特に活躍している種族の一つだ」
俺はめまいをこらえながらさらにたずねる。
「その、キツネっていうのは……たとえば他の種族のキツネと、仲が悪かったりするか?」
「キツネは狩りも上手いが、他者の獲物を横取りするのも得意だ。だから、狩り場で他のキツネとばったり会ったりしたら、二度見後、即ブチギレだろうな」
ああああああああああああああああああああ。やっぱそういう理由かあああああああ。
頭を抱えてのたうち回りたかった。
ミグの様子があまりにもおかしかった。彼女にしては攻撃的すぎた。
そしてクルートも同様に。
両者がバリっている理由は明白だ。
三姉妹はどう見ても人間の少女だが、実はバグによって変身してしまったケダマキツネというキツネなのだ。特徴は掃除をすることだが、ハンターとしても優秀だった。
メイドであり、ハンターであり、キツネでもある。
これはもう、争わない方がおかしい。
「わたしの方が、ご主人様を上手にお世話できます!」
「いいえ。素人の方はおとなしくしていてください。ここは我々の領域です」
不毛な言い争いをする二人の目が、お互いから、俺の方へと向くのにそう時間はかからなかった。
そう……奪い合う、獲物たるべき、俺に。
「だったら……ご主人様に決めてもらいます……!」
「ご随意に。コタロー様のお言葉ならば、わたしも喜んで従います」
選べと申されるのか。
この愛すべき二人のメイドのうち一人を。
女神様。
不条理の王とかいうあだ名は返上するわ。
俺も今、そいつに呑まれてる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます