第58話 チャート崩壊!? 安定志向!

 ここに、パニシードから出してもらった〈裏切りの芳香〉というアイテムがある。

 RPGなんかではよくある、対象を混乱させ、同士討ちさせるための道具だ。

 はぐれ鉄などを狩るときに活用される、あれである。


 密封された小瓶の中に、薄ピンク色の気体のゆったりとした動きが見える。使い方としては、封を開いて三秒以内に敵にぶつけるものらしい。もたもたしていると、手の内にある段階で混乱の臭気が漏れてしまうのだ。


 これを不和と裏切りの象徴である〈暗い火〉に――!


 ではなく、キーニちゃんに嗅がせる!


「キーニ!」

「!?」


 キーニが戸惑いのジト目を向けるよりも早く、俺は彼女を捕まえて〈裏切りの芳香〉の瓶口を鼻先に突きつけた!


《なにするの》《やめて》《これなに》《こ……》《…………》


 じたばたと抵抗したのは二秒間たらず。

 くたっ、と俺の腕の中で脱力したキーニは、


「キニ――――――――――ッ!」


 聞いたこともないような叫び声を上げて、グリフォンリースに襲いかかった!


「キーニ殿!? い、今自分に近寄ったら危ないであります! あ、ああっ……体が勝手にっ!」


 杖で殴りかかったキーニを、グリフォンリースは条件反射的に〈カウンターツバメヒート〉で打撃していた。

 吹っ飛ばされ、床に転がるキーニ。体力的なことを考えれば、この一撃で彼女が戦闘不能になってもおかしくない。


 が。


「キニョ――――――――ッ!」


 飛び跳ねるように立ち上がったキーニは、ジト目の中身をぐるぐる模様にしながら、奇声を上げてさらに殴りかかる! 


 彼女はダメージを受けていない。


 そう。以前用意したバグ防具〈フレイムサーキュラー〉を身につけた彼女は、火属性の攻撃をすべて1にセーブする。そして〈カウンターツバメヒート〉は火属性の二回攻撃!


 これにより、敵の攻撃だけでなく、味方からの攻撃でも〈リベンジストブレイズ〉最大火力への準備ができるというわけだ!


 こいつが俺の、対〈暗い火〉用に組み立てた必勝戦術。

 敵の攻撃を抑えつつ、キーニの怒りを自家発電することで、相手は死ぬ!

 我がチャートながら恐ろしくて震えが来るぜ!


「コ、コタロー殿! キーニ殿を止めてほしいであります!」

「いや続けろグリフォンリース! グンニネルスもキーニも〈カウンターツバメヒート〉一択だ!」

「裏切、り、か。それ、は、よい、ものだ。土壇、場、で、こそ、裏切りは、もっと、も、よい色の、花を、咲かせ、る」


 グンニネルスがどこか愉悦を感じさせる音を発した。

 こいつは人の不和を喜ぶ。そういう性質が形になった存在だ。


 薄闇を溜め込んだ人食い館の内側を、自身の黒い炎でさらに色深く染め直しながら、グンニネルスは、苛烈な連撃をグリフォンリースに叩きつけた。


 緋と黒の炎が混じり合い、二人の領域の境界線を不気味かつ幻想的なまだら模様で飾る。ぞっとするほど禍々しい光景だった。


しかし、〈源天の騎士〉を相手に、グリフォンリース一歩も引かず!


〈カウンターツバメヒート〉の補正バグによる恩恵が大きいのはわかっているが、ゲームではなく現実に身を置く俺は、それを持続させている彼女の集中力にこそ賞賛を贈りたい。


 これまでとは異なる、異様な魔物の騎士。

 初めて見る相手の技なのに、研ぎ澄まされた神経とこれまでの経験を信じ、すべてを正面から受けきる度胸。

 数値では表せない部分で、彼女は確実に強くなっている!


「キヌ――――――――ッ!」


 キーニちゃんも奇声を上げてグリフォンリースを攻撃し続けている。何で俺の方に来ないのかちょっと謎だが、ペースとしてはベストなのでこのままいってほしい。


「小癪、な」


 グンニネルスが腕を振るうと、その軌跡をなぞるように黒い炎が虚空から吹き出す。


 完全火炎属性のみの広範囲攻撃。グリフォンリースは〈カウンターツバメヒート〉でそれを無効化。

 グンニネルス側にいたキーニもそれに巻き込まれるが、ダメージは1。


 唯一、柱の陰に逃げ込んだ俺だけが冷や汗をかいたけど、その場では気づかない程度の火傷で済んだ。

 今の俺は、某RPGでいうところの〈隠れる〉実行中だろうか。

 なるほど確かにこれなら安全だ。戦いは主人公たちに任せよう!


 黒い炎も無意味と見るや、再び剣での接近戦へと立ち戻るグンニネルス。

 今のところ、そばにいるはずのキーニを狙う素振りはない。


 というのも、グンニネルスは面白い行動設定がされていて、混乱状態にあるキャラクターに対しては剣で攻撃をしてこないのだ。

 ダメージを受けるとすれば、さっきの黒い炎の全体攻撃のみ。

 ヤツからすれば、仲間同士の不和の火を消したくないという、本能にも似た思考があるのだろうが、それを利用しない俺じゃあない。


 キーニの安全を確保しつつ、最終復讐奥義の完成を待つ!


「キル――――――――ッ!」


 またもグリフォンリースに吹っ飛ばされたキーニが、どんどんと地団駄を踏み始めた。


 わあ、すっごくわかりやすい怒り方。

 普段もこれくらいわかりやすい性格なら、彼女はもうちょっと楽に生きられただろう。


 ダメージ回数は十分! 準備は整った!


 俺はポケットに忍ばせていた混乱回復薬〈真心の香り〉をキーニに投げつける。

 目覚めよキーニちゃん!


《!?》《何!?》《何があったの》《すごくイライラする》《許せない》《絶対許さない》《むしゃくしゃする》《壊したい》《すっきりしたい》《全部壊して》《全部殺して》《全部》《全部》《全部》《全部》《全部》《全部》《全部》《全部》


 これまで空白だったキーニのステータス欄に、栓が抜けたように心の声が流れ出した。


「キーニ、悪いのは全部あの鎧野郎だ。やれ!」


 彼女は恐らく、ほとんど機械的に俺の声に反応し、〈暗い火〉へと向き直った。


「三千世界に滅害を赦す道理なし。しかし我ら。ただ一握の激情をもって。怨敵を虐殺する。其はネメシスの律戒。一切と合切の。寛恕は乞わぬ。ゆえに――とく死ね。〈リベンジストブレイズ〉!」


 青白い復讐の絶叫が、魔界の黒い炎すら呑み込んで暴れ狂う。

 闇を溜め込んでいたメイルシール家のエントランスは、凶暴な月光にも似た色で塗りつぶされ、砕け散る壁と床の雑音がその中で跳ね狂い、瞬く間にチリにまで分解されていった。


 屋敷の人たち避難させといてよかったあ!

 やっぱ屋内で使っていい技じゃないわ!


〈リベンジストブレイズ〉の光と暴虐が去った後、残ったのは、木の虚のように内側だけえぐり抜かれた屋敷と、剣を支えに膝をつく〈暗い火〉グンニネルスだった。

 ヤツは鎧の継ぎ目から黒い炎と一緒に、青白い光をも断続的に吹き出させており、その体内でいまだキーニの魔力が暴れ狂っていることを想像させるに十分な光景だった。


「バカ、な、この、わたし、が……」

「どうだよ。人の世界を混乱させるのが得意なようだが、こういう使い方は思いつかなかっただろ?」


 俺は勝ち誇って言う。

 敵の強さも弱点も、味方の強さも弱点も、すべて知っていれば、負けはない。


「何者、だ、おまえたち、は」

「〈導きの人〉と勘違いされた一般人だ」

「そう、か。なる、ほど。吸血鬼風情では、手に余る、わけだ」

「…………」


 グンニネルスの言葉の中に、不可解な冷笑を感じ取って、俺は返す声を失った。


 ――ヴァンパイアのことを知っている。

 それは不自然なことではない。グンニネルスも恐らく、新生魔王の下で暗躍している。

 気になるのは……こいつ、本当にダメージを受けてるのか? ということだった。


 倒しきれて、いるのか?

 声に余裕がある。いや……違う。声に、意思がある。


「見事な、腕前、だ。強さだ、け、ではなく、弱、さを、補う狡知。不足を埋、め、る信頼」

「…………」


 猛烈にイヤな予感がする。勝利の確信はどこかに消え去って、俺は一歩後ずさりしていた。


「壊した、いな。砕、きたい、な。おま、えを、支、える、も、の」


 炎が笑った。

 瞬間、グンニネルスの鎧が膨らんで、内側からちぎれ――


 違う!


 内側から開くように、鎧が歪な姿に変形したのだ。

 溶解し、めくれ上がるような形状は、意図してそうなったというより、強すぎる力によって歪められているような異形だった。


 鎧の継ぎ目から吹き出す黒い炎も、先ほどまでとは比べものにならない。

 兜の後部をぶち抜いて虚空に放たれた闇は、たてがみのようですらあった。


「消、す。おま、えの、後ろを、守、る者、たち。見て、み、たい。おま、え、たち、が、傷では、なく、己の、心で、崩れ、て、いく、様を」


 後ろを守る者……? 俺は慌ててグリフォンリースたちへと振り返る。

 しかし、ヤツの狙いは違っていた。

 グンニネルスは、重さを感じさせない動きで、二階まで吹き抜けのエントランスの天井を抜けた。


「逃げたでありますか……?」


 グリフォンリースが強ばった表情のまま言う。

 そうか? 本当にそうなのか?

 敵は去ったのに、イヤな予感がどんどん強くなっていく。


《よかった》《疲れた》《やっと帰れる》《引きこもりたい》


 キーニの心の声を見て、はっとする。

 帰れる。

 屋敷へ。

 俺の。

 俺たちの、背中を守ってくれている人たちのところへ。


 まさかっ……!


「グリフォンリース、キーニ、屋敷に戻るぞ! 急げえっ!」


 俺は血を吐くように叫んだ。


 ※


 グンニネルスが狙ったのは屋敷にいる俺の仲間たちだ。

 マユラに、ミグに、マグに、メグに、リリィ姫たちに、クレセドさんと他のシスターたち!

 クレセドさんがいくら強いといっても、今は初期レベル。〈源天の騎士〉と戦える力はない。やられてしまう!

 クレセドさんだけじゃない。他のみんなも……みんなが!


 もしみんなを失ったら……。

 いや、一人でも失ったら。

 俺のチャートは崩壊する……いや、俺自身が壊れる!

 誰かを失った心に、平穏なんて呼び戻せない!


 させるか。絶対にさせてたまるか!

 走った。

 後のことなんか考えずに、俺は走った。


「コタロー殿! あ、あ、あれをっ……」


 声の震えだけでわかる。

 俺の視界の半分を、立ち上った粉塵が埋めた。

 俺たちの屋敷の方角。


「大丈夫だ! 大丈夫だ!」


 滑稽なくらい大声で叫びながら俺は走った。

 彼女たちじゃなく、自分にそう言い聞かせて。


 そして。


 屋敷に戻った俺たちを、その光景が襲った。

 ぶち抜かれ大穴になった玄関扉。

 巨大な鉄球が転がったような、地面のえぐれ跡。

 膝をつき、鷲掴むように自分の顔をおさえた、一人の少女。


 そして、〈暗い火〉の残骸。


 何が、起きた?

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