第56話 不穏な騎士院! 安定志向!
リリィ姫が、一応は友情と愛情の境界線を身につけ、グリフォンリースもなんとかその甘いプレッシャーに適応し始めた頃。
その日、俺は自室で、紙に書き出した中盤チャートを確認する日課を果たしていた。
「あなた様は最近よくその紙を眺めてますけど、何の意味があるんですか? 一応あなた様のぷらいばしいを守って中をのぞくようなことはしてませんが、一度読めば十分なのでは?」
ナイツガーデン名産、ハートローズの花弁を敷き詰めたティーカップから、パニシードが俺の作業に感想を述べてくる。
「毎日やるのが大事なんだ。必ず最初から最後まで、しっかりと確認する。自分を油断させないためにな」
「そういうものですか。わたしだったら、三日目からは目を走らせるだけで終わらせてしまいそうです」
いてえ! さりげなく棘が刺さった!
自嘲気味のパニの言葉が俺を揺さぶる。
確かに俺もちょっと油断ぶっこいてた。朝にチラッと確認するだけで、ほとんど流し読みになっていた。ヴァンパイアの一件まで。
三姉妹に被害が及び、マグの髪が切られて、俺はその過ちに気づいた。
この世界で気を抜いてはいけないのだ。
それに。
次のイベントは大きいのが来る。
中盤の、いやナイツガーデンという国の分岐点になる事件だ。
あるいは、俺たちにとっても。
チャートだけでなく、その場での応用力もきっちり意識しておかなければいけない。
※
「グリフォンリース様、いってらっしゃいませ」
「い、行ってくるであります。リリィ姫」
「疲れてるなら無理しないようにな」
「大丈夫でありますコタロー殿。ゆ、ゆうべは別に何もなかったであります!」
なぜ強く否定する必要があるのかわからないが、俺とリリィ姫の他、屋敷のほぼすべての人員に見送られ、グリフォンリースは騎士院へと出かけていった。
普段、下級騎士は騎士院の建物に入ることすら制限される身だが、今日はほぼすべての騎士が集まる大集会があるとかで、彼女にもお呼びがかかっている。
本来なら主人公がこの集会に参加するので、俺はそこでの展開を知っている。
別に危険があるわけじゃない。あるなら、俺もキーニを引き連れて乗り込んでる。
ちょっとした異変があるだけだ。
「キーニ。ちょっといいか」
俺は、グリフォンリースを見送って早々に部屋に帰ろうとしているキーニを呼び止める。
《?》《なんだろ?》《意味深な前振り》《結婚かも》
もうスルーしてもいいよね?
「近々、魔物との戦闘があるから、体調管理はしっかりしといてくれ」
《わかった》《でもいつもはいきなりなのに》《何で前もって言ったの?》《怖いな》《強い魔物なのかな》《でもコタローが一緒だし》《きっと大丈夫》
信頼を含んだジト目を向けつつ、同意らしきものを返してくるキーニ。
確かに強い相手だ。
できればぶっ倒して終わりたいが、さて、どうなるかな……。
その日一日をどうにも落ち着かない気持ちのまますごし、なるようになるさと思えるようになったのが夕暮れ時。そしてその覚悟を待っていたかのように、グリフォンリースがツヴァイニッヒとセバスチャンを連れて屋敷に戻ってきた。
エントランス脇の簡易的な客間に腰を落ち着けたツヴァイニッヒは、珍しく戸惑いを滲ませた渋い顔でこう切り出した。
「デピッドって騎士を聞いたことがあるか?」
「? いや、全然ない。グリフォンリースは?」
「自分もさっき同じことを質問されたでありますが、聞いたこともなかったであります」
俺の答えに、ツヴァイニッヒは少し安心したように息をつき、
「そうか。だよな。俺もほとんど知らなかった。メイルシールのとこで孫請けの雑用やってる下級騎士なんだが、掃いて捨てられるようなヤツの一人だとばかり思ってからな」
メイルシールといえば、ツヴァイニッヒの二席上の〈円卓〉ナンバー五。クレセドさんたち修道院を苦しめている元凶でもある。
今はツヴァイニッヒの策略により、第四席のホーエンデウツ家と政争の真っ最中で、しかも旗色が悪いらしい。
「そいつがどうしたんだ?」
「ホーエンデウツを引きずり下ろして、メイルシールを第四席に引き上げちまった。東の森にこっそり建設されてた魔物どもの砦を発見して、メイルシールの手勢だけで打ち壊したらしい。ちょうどホーエンデウツと争ってる状態だったから、その手柄が余計際だって周囲に伝わった」
「そんなことがあったのか……」
俺の相づちに、ツヴァイニッヒは毛羽立った頭をがりがりとかいた。
「確かに手柄は手柄だ。だが、〈円卓〉の序列を入れ替えるには相当の根回しと、神がかった発表のタイミングが必要になる。メイルシールにそんな計画を立てられる人材はいなかったはずだ」
「そのデピッドってヤツが?」
「そうだ。解せねえが、騎士たちの話を総合すると、そういうことらしい。チッ、どうしてそんなヤツを今まで気づかずにいたんだか……。そいつの周囲の騎士たちも、それほどの切れ者だと誰もわからなかったそうだ。無難で、小心な、ただの男だと思ってたってな」
ツヴァイニッヒの渋面は、メイルシール家の勝利より、自分がそれを見逃していたことへの悔しさが原因らしい。
「メイルシール家が勝ったら、修道院はどうなるのでありましょうか?」
グリフォンリースがたずねる。
「しばらくは現状維持だろう。メイルシールだって、まさかこんな短期間で家格が上がるなんて考えてなかったはずだ。実感が追いついて、序列相応の勢いを駆れるようになるまではまだ時間がかかる」
それを聞いて、俺は少し安心する。せっかく建物の改修がうまくいってるのに、ここで邪魔はされたくない。
「ツヴァイニッヒ。そのデピッドってヤツ、注意して見ててくれるか?」
「そりゃ当たり前だ。今は第七席で蝸牛の争いをしてるとはいえ、俺んちが上に行くにはメイルシールも邪魔だ。そういうのがブレインなら、寝首を掻く準備は今すぐにでも始めねえと」
物騒すぎて政治の話をしてるとは思えない。
どうする。
彼にすべて話すか? それとも、警告だけにとどめておくか?
……話そう。
これから起こることは、騎士院にも協力者が必要になるはずだ。
グリフォンリース一人に任せるには、負担が大きすぎる。
「なあ、これから言うことは、おまえには信じられないことだろうし、信じ切るのも危ない話だと思って聞いてくれ」
「何だ? 何か知ってやがるのか?」
「そのデピッドってヤツは、人間じゃない。魔物だ」
「…………本当か?」
こういうとき、否定からは入らない。ツヴァイニッヒはそういうヤツだ。
ツヴァイニッヒが目をすがめ、セバスチャンが絶句し、グリフォンリースが息を呑む中、俺の説明にも一層力が入る。
「魔物で、しかも魔王に近い地位にいるかなり強力なヤツだ。その気になれば、単身でこの国に大損害を与えられる」
「どうしてそんな恐ろしいヤツが、この国の騎士に?」
グリフォンリースの質問に、俺は端的に答える。
「この国を中から混乱させるためだ。魔物が大勢で押し寄せたら、騎士たちは一致団結するだろ。だが、内輪もめで自滅するなら――誰もその真相に気づけない」
「証拠はあんのか?」
「ない。だから、この件は調べないでほしい。あくまで注意するだけ」
俺からの要望に、ツヴァイニッヒはしばし沈黙する。鋭い目は俺を中心に捉えたまま身じろぎ一つしないが、頭の中では様々な計算が行われているはずだ。
「ひとまずは……知らねえふりして様子を見るのが妥当って判断か。下手に疑って気取られると、逆にこっちが潰される……。それくらいの相手ってことだな」
「しかし、国難をあえて見過ごすというのは……」
セバスチャンが苦しげに言う。
「わかってるぜセバス。だが、ヤツはズボンの中に悪魔の尻尾を隠し切ってる。迂闊に動けば、俺たちが内輪もめの元凶になりかねねえ。だから、小さく動く。〈円卓〉の切れ者くらいじゃねえと察することもできないような、小さな動きで、周囲にそれとなく伝える。それでいいんだろ?」
ちょっと注意して見ててもらうくらいのつもりだったが、言われてみて、結果的にそれが最善だと気づかされた俺は、改めてこいつの頭の回転の速さに舌を巻く。
「ああ。だが、この件に関しては本当に無理をしなくていい。騎士たちの協力が得られなくとも、いざってときは俺たちがヤツをどうにかする」
「ドラゴンスレイヤー様のお出ましか。わかった。期待しておくぜ」
ま、まあ、やるのはどうせグリフォンリースとキーニなんだけどね。
ぼく暴力とかそういうの苦手だし。
すっごい期待を込められた目をされても、後で失望するだけなんだけどね。
「今の話、信じてくれるのか?」
俺は念のために聞いておいた。
「初代騎士公の遺品のありかを知ってるなんて与太話を真実にしちまったヤツの言うことだ。証拠がなくとも気にはなる。てめえが最初に言ったとおり、話半分で聞いておくさ。半分は信じて、半分は疑ったまま、後は状況の経過次第だな。さりげなくやるには、ちょうどいい意識配分だろうぜ」
「そうか。ありがとう」
このデピッドは近々、大きな争乱を起こす。
この連絡は、そのときにツヴァイニッヒと敵対しないための保険のようなもの。
そして、真相を知っているツヴァイニッヒが、それ以外のすべての騎士たちと対立しないようにするための警告でもある。
次のイベント、下手すると名前のある騎士たちが何人か命を落とす。
そこには、まだ出会っていない仲間キャラたちの名前もある。
彼らをみすみす見殺しにはできない。
この〈暗く燃える騎士院〉は、無事に切り抜けてみせる。
油断は絶対するな。
何しろ相手は、魔王を守護する、魔界の騎士。
〈暗い火〉のグンニネルスなのだから。
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