第55話 スイートレッスンヌ! 安定志向!

「おはようございますでありまぁす……」


 つらい。


「本日も晴天でありまぁす」


 グリフォンリースちゃんが日に日に消耗していくのがつらい。


 リリィ姫が屋敷に来てからはや三日。


「夕べもお楽しみでしたか?」とか軽口すら言えないグリフォンリースの疲弊顔を見ながら、俺は一方でどんどんツヤめいていくリリィ姫の姿にため息をついた。


 リリィ姫とアンドレアの部屋を新しく用意する必要はなかった。

 空き部屋はまだ十室くらいはあるのだが、リリィ姫はグリフォンリースとの同室を望み、アンドレアは迷惑はかけられないと、屋根裏を清掃してそこで寝起きしている。


 リリィ姫がグリフォンリースと相部屋なのは、一般的な人間の生活を寝食含めて勉強するためで、まあその、他意はない。


 問題は、姫の発する甘いオーラを、そのグリフォンリースが四六時中照射され続けることだった。


 俺たちは多少慣れてきたとはいえ、やっぱり近くにいられるとくらくらすることがある。グリフォンリースは間近でそれを食らい続けている。延々と毒の沼地を歩かされているに等しい。姫にまったく悪意がなく、そしてグリフォンリース自身もそれを拒んでいるわけではないというのが、問題の解決をより困難にしていた。


 このままでは百合でグリフォンリースちゃんが死んでしまう。


「ちゃんと寝られてるのか?」

「ええ、まあ……」


 明らかにウソとわかる答えを返すグリフォンリースは、毎夜、リリィ姫とベッドでイチャイチャしているわけではない。

 リリィ姫が一緒に寝たがるので、それに応えているだけだという。深い意味はなく、友達同士のスキンシップのようなものだ。


 シュタイン家にいたうちは、会える人間すら制限されていたというから、その呪縛から解放された今、それくらい甘えてしまうのもしかたないことだろう。


 しかし、就寝中もしどけなく発散される姫のオーラは、グリフォンリースの眠りを浅くとどめ、目、鼻、肌から侵入して彼女を攻撃し、どれほど睡眠時間を長く取っても起きるとひどく疲れているらしい。日中もあくびをしていることが増えた。


「グリフォンリース様は一晩中、手を繋いでいてくれました。とてもよく眠れましたわ」


 とはリリィ姫の言で、これはグリフォンリースちゃんが何か吸い取られている状況証拠としては十分だろう。


 朝食を終え、それぞれが自分の役割を果たすために動き出す時間となる。

 この日は、リリィ姫とアンドレアが、現状報告のために一旦シュタイン家の屋敷へと戻る予定になっていた。


 二人が屋敷を出た後、シスターたちは日々の勤めと奉仕に。

 マユラと三姉妹は仕事に。

 俺とキーニはヒキコモるために部屋に。

 グリフォンリースは、迎えに来たクリムと町の警邏に出かける。


 しかしその日、クリムより早くドアノッカーを叩いたのは別の騎士だった。


「よう、首尾良くやってるか?」

「おはようございます。皆さま」


 ツヴァイニッヒとセバスチャンのコンビだ。

 ちょうどみながエントランスに集まっているタイミングだったので、ツヴァイニッヒは早速、野良仕事に出かけようとしていたシスターたちから険悪な視線を向けられることになった。


 彼が修道院を助けたことはいまだに伏せられている。

 ツヴァイニッヒ曰く「仲間だと思われたらたまらねえ」だそうだが、これは彼の照れ隠しというより、「こんなんで油断すんなバカ」という警句なのだろう。


「ずいぶん生気がなくなったな。グリフォンリースは」

「そ、そんなことないでありまぁす」


 そう言う彼女は、自動で閉じようとするまぶたと延々格闘中のように見える。


「まあ、あの姫様の雰囲気にあてられたらな。屋敷中に甘いニオイが漂ってやがるぜ」


 残り香でこの破壊力。実物は推して知るべしである。


「まだ大変だけどさ、悪いことじゃないと思うよ」


 俺は言った。リリィ姫がジイサマの偏った教育から解放されるということだけでなく、腹黒のツヴァイニッヒ風に、こう考えることもできると気づいたのだ。


「花嫁修業はシスターたちも力を貸してくれている。これってシュタイン家には貸しになるだろ?〈円卓〉ナンバーワンとコネができれば、今後ちょっかい出されたときに役に立つと思ってさ」


 それに対しツヴァイニッヒは、同意するようなシスターたちの表情も確認してから、大きくため息をついた。


「それだけじゃ甘えよ。確かに貸しにはなるだろうが、相手をよく考えろ。てめえら逆に、姫様を通じてシュタイン家から何か言われたら、それを突っぱねる根性あんのか?」

『えっ……』


 予想外の問いかけに、俺たちは揃って戸惑いを口から発していた。


「あの姫様だぞ。誰かから何か言われたら、疑うこともなくほいほい信じちまうだろ。修道院に都合の悪いことでも、真っ向から伝えに来るぜ。そのときの心構えを、てめえら全然してねえだろ。いいか、貸しができたとしても、それがいいように作用するかはわからねえんだよ。借りてる側は、それをダシにさらにこっちを食い物にする可能性だってあるんだ。それを笑って捌けるタヌキがこの屋敷にいんのか?」


 そんな腹芸できる人なんかいない。

 マクレアさんなら多少はやりあえるかもしれないけど、姫様が間に入っているとなると、やりづらいのは確実だ。


「このコネにはそういう負の側面もあるってこった。ただ繋がりができて安泰ってわけにはいかねえぜ。まあ、さすがにすぐには動かねえだろうが、余裕こいてないで気構えくらいはしておけ。特にコタロー、てめえは、この屋敷のボスみてえなもんなんだ。苦い判断も飲み込めねえと、後ろを守ってる全員が苦しむハメになるんだからな」

「う……」


 ツヴァイニッヒの言うことはもっともだが、すごくつらいですその役目。


「……あるいは、だ。先手を打つのも悪くはねえかもな」

「先手? 何かあるのか?」

「たとえば、こっちでリリィ姫を刺客に仕立て上げるとかな。シュタイン家から有利な条件を引き出すために、今のうちに色々吹き込む」


 おいおい。んなことできるか。

 予想通り、ツヴァイニッヒの提案は非難ごうごうだった。


「最悪」

「最低ですね」

「騎士以前に人として恥ずべきことです」

「カスでは? 失礼本音が」

「セバスてめえクビにすんぞ!」


 さりげなく非難団に交じるセバスチャン。この人はホント主人に遠慮しない。

 身内からも(いつも通りに)裏切り者が出たというのに、あまたの罵声もどこ吹く風でツヴァイニッヒは飄々と言う。


「とりあえず、用件はそれだけだ。騎士院からグリフォンリースへすでに姫の世話の任務が行ってるから、別件の通達が来ることはねえと思っとけ。じゃあな」


 ツヴァイニッヒとセバスチャンは帰っていった。

 気が緩んだタイミングを見計らって忠告をしにきてくれたらしい。心の平穏をすっかりかき乱されたが、これが実戦だったらそれどころではないのだから、感謝しないとな。


 入れ替わるようにしてクリムが現れた。

 彼女はグリフォンリースの顔を見るなり、気遣わしげに近寄った。


「グリフォンリース、どうしたのその顔」

「自分はあ、起きてるでありまぁす」

「全然起きてないわよ! ……ねえコタロー。このままだとグリフォンリース死んじゃうと思うんだけど、なんとかならないの?」

「なんとかと言われても……」


 おいおい、まさかこれがツヴァイニッヒの言う、〝苦い選択〟か?


「グリフォンリースから、リリィ姫の甘いニオイがするのよ。このままじゃ、そばにいるわたしまでどうにかなりそうだわ。お願い、姫様に、友情と愛情の違いをはっきり教えてあげて!」


 そんな話、アンドレアともしたっけなあ。


「わかった。何とかしてみる」


 俺はうなずき、姫の帰りを待つことにした。


 ※


 その日の晩。

 俺たちは食堂に大集結していた。

 夕食の後かたづけを終えてから、テーブルと椅子を一カ所にまとめ、小学校の学級会みたいな特設スペースを作る。


「というわけで、リリィ姫に、友達としてのグリフォンリースとの付き合い方を学んでもらうことになりました」


 俺が宣言すると、傍聴席のシスターたちから拍手が上がる。

 大勢と向かい合う形で並べられた特別席に収まるのは、リリィ姫、グリフォンリース、そして俺とミグだった。


「友達として、ですか? 今のままでは違うのでしょうか?」


 リリィ姫が唇に手を当て、不思議そうに聞いてくる。

 うう……すでに可愛すぎて心折れそう。


「素晴らしい。コタロー様、よろしくお願いします」


 アンドレアが傍聴席から期待の眼差しを送ってくる。


「早速始めよう。特別講師にはミグをお招きした」


 ミグが椅子から立ち上がり、緊張した面持ちでぺこりと一礼すると、


「いいぞー、ミグー」

「頑張って~」


 と姉妹たちから熱い声援が飛んで場を盛り上げた。

 なぜミグがこの役目を担ったかというと、


「だって、ミグっていつも仕事先の女の子と恋とかの話してるじゃん」

「わたしたちにも教えてくれるし~」


 と、妹たちから文字通り押し出されたのだった。


 はじめは「どうしてわたしなんかが」と困惑していたミグだったが、俺が「実演に俺を好きに使っていいぞ」と言ったら「はいやります」と光の速さで切り替わった。

 さすがに、ミグに押しつけて俺は高みの見物ってのは、できないもんなあ……。


「まず、正しい手の繋ぎ方です。リリィ様は、グリフォンリース様とどのようにして手を繋ぎますか?」

「こうです」

 リリィ姫は嬉々として、グリフォンリースと指を絡めるようにして手を繋いだ。


「違います。それは恋人繋ぎと呼ばれるもので、友達とするときは、こうです」


 ミグは俺の手を取り、それを実演してみせた。


「そ、そうだったのですか? こっちの方が、より相手を親密に感じられると思ったのですけれど……」

「た、確かにそうです。……ご、ご主人様、失礼します」


 一言律儀に断って俺の手を恋人繋ぎで握り直すミグ。


「この形は、確かに密接度が上がり、お互いの気持ちを高めることができます。た、たとえば椅子に一緒に座ったとき……ご主人様、ちょっと座ってください」

「え? おう」


 二人分の椅子をくっつけて、座った状態でも実演。


「このように狭いスペースでもしっかりと手を繋げて、とてもいい気持ちになります。…………。ね? ご主人様」

「へ? そ、そうだな」

「こうして、肩に寄りかかるのもとても幸せな気持ちになれます。ね? ご主人様」

「う、うん」


 ミグがどことなく妖艶な目で俺を見上げてくる。な、何の講義をしてるんだっけ? 今。


「ミグー。それは恋人の方でしょー。もっと友達の方を詳しく教えてあげなきゃー」


 マグがつまらなさそうに唇を尖らすと、


「生徒の皆さんは静かにしていてください。これは大切なことなのです」


 とミグがきっぱりと言い、シスターたちの意味ありげな笑みを誘った。


「次は食事です。まず、今夜のリリィ様の様子をわたしが再現してみます」


 片づけはすでに終わっているので、パントマイムでの実演となった。


「ご主人様、はい、あーん」

「えっ? お、俺も?」

「あーんです。ご主人様」

「あ、あーん」


 大勢の前で何やってるんだろ俺。


「おいしいですか?」

「ああ。最近ますます腕を上げたみたいだな。今日のも美味かったぞ」

「嬉しいです。もう一口どうぞ。はい、あーん」

「あーん……」

「のう、ミグ。そのくだりはいるのか? 我は、不要な進行だと思うのだが」

「絶対にいります。マユラ様はご静粛に願います」

「そ、そうか。すまん……」


 マユラまで黙らせてしまった。今日のミグはいつもの控えめな彼女じゃない。

 そしてひとしきりままごとをした後、一方の友達バージョンの実演に移る。


「友達はこういうことをしません。以上です」

「えっ」


 友達実演はその一言で終わった。


「最初からそう言えばいいじゃないかよー」

「マグ。静かに。他の方の迷惑です」


 妹からの抗議は即座に封殺。この圧倒的長女力。


「リリィ様は、朝、グリフォンリース様と初めてお会いになったとき、どうされますか?」

「笑顔でおはようございますと言いますわ」

「はい。それは、それでいいと思います。念のため、恋人同士の場合をお伝えしておきますね。ご主人様、ちょっとそこに立っていてください」

「は、はい……」


 俺を立たせると、ミグはわざわざ数歩下がって間合いを取り、近づく段階から始めた。


「ご主人様――」


 と呼びかけながら俺の前まで来て――って、止まらない。止まらずに突っ込んでくるんですけど?

 こちらとの距離がミリ単位のところでようやく立ち止まると、ミグはおもむろに俺の手を取り、それを自分の頬に押し当てて、目の光をとろりとさせながら言った。


「おはようございます。ご主人様。素敵な朝ですね」

「ふぁ、ふぁい」

「ご主人様の手は、今日もあたたかいですね……」

「ミグこそあったかい……というかすごく熱いんですけど……」

「それはあなたのせいです……」

「いらないよ! そのくだり絶対にいらない!」

「あら、今日はお庭の小鳥さんが騒々しいですね。ご主人様」

「こらミグ! 無視するなー!」


 マグが席を立とうとするのを、メグがまーまー言いながら止める。

 確かに、ミグに朝からこんなことやられたら、一日中雲の上状態で何も手に着かなくなるから、姫を戒める点では実演しておいた方がいいんだろうが……。


 おい、本当にそうか? 今の、やる必要なかったんじゃないか?


「次は入浴です」

「わたくしはグリフォンリース様とご一緒しております。お互いの体を洗いっこするのですわ」

「友達は、背中くらいでしょう。え、ええと、恋人の場合はですね、ご主人様……」

「いや、それはいい!」


 またも妖しげな目で見つめられ、俺は慌てて断った。これはちょっと人前でやっていいものではないでしょう? いや、人前でなくともまずいです。


 その次の就寝の仕方についても俺が実演を避けたので、ミグは、


「友達は別々のベッドで寝ます」


 という、一言だけで済ませた。


 こうして、ミグの友達演習は、比較対象である恋人版の方に異様な力と時間を割きつつ、粛々と続いた。


 最初は大まかな場面だったのが、次第に「落とし物を拾うときに偶然手が重なってしまった場合」とか「ぶつかるのを避けようとしてうっかり押し倒されてしまった場合」とか、ありそうでほぼありえない状況まで再現し始めたので、俺は適当なところで打ち切りを指示した。


 残ったのは、傍聴席ではふくれっ面のマグと、やたらほっこりした顔のシスターたち。

 特別席ではツヤツヤしているミグと、新発見に嬉しそうなリリィ姫だった。


「わたくしは、友達と恋人の違いがわかっていなかったのですね」


 リリィ姫は、俺やミグに確認するように言った。

 どうやらわかってもらえたらしい。

 この単純なことを、俺たちはどうしても彼女に直接伝えられなかったのだ。

 ミグの勇気に感謝しなければ。段取りはちょっと、特殊だったような気がするけど……。


「もう少し節度を心がけるようにいたしますわ。けれどグリフォンリース様。リリィが本当に甘えたいときは、今までのようにしてもいいですか?」

「むにゃ……? はい……。むにゃ……」


 あれ……?


「よかった。だって、今教わったようなやり方では、素っ気なさすぎて、わたくしの気持ちを少しもあなた様に伝えられないんですもの。わたくし、ひょっとしたらお爺様に言われたこととは全然関係なく、グリフォンリース様のことを……」

「すや……すや……」


 座ったまま眠りだしたグリフォンリースに、リリィ姫はそっと肩を寄せた。

 手は恋人繋ぎ。

 ミグが見せた実演通りの、誰も入る余地のない恋人同士の姿だった。


 あれ……ひょっとして……。

 そっちの方、選んじゃう?


「これは……ある意味でお嬢様のお気持ちがきちんと定まったのかもしれませんね」


 アンドレアがつぶやき、俺は手で顔を覆った。

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