第35話 修道院へご案内! 安定志向!
「あっ、コタローさぁん」
廃屋の前で、途方に暮れていた俺たちに声をかけてくれたのは、広場へと通じる道からゆっくりした足取りでやってきたさっきのシスター、クレセドだった。
「クレセドさん?」
同い年くらいなのに、さん付けで呼んでしまう。
これは『ジャイアント・サーガ』愛好家のサガだ。
「やっと追いつきました」
言って、朗らかに笑う。台詞とは裏腹に、どこも急いでいた様子は見えないが、きっと「慌てず急がず走らない範囲で懸命に追いつこうとした」ということなのだろう。
のんびり屋さんだからね彼女。しょうがないね。
「さっき、そちらの女の子にブラニーさんのお住まいをたずねられたのですが、ブラニーさんはもう何年も前にここを出ていってしまわれたそうですよ」
「うむ。我々も今それをこの目で確認したところだ」
マユラが屋敷の看板に目を向けながら言うと、
「ごめんなさい。言いそびれてしまって。それで、コタローさんたちは、ブラニーさんを訪ねてこの町にいらしたのですか?」
「いや、そういうわけじゃない。グランゼニスからこの国に引っ越して来たんだ。それで、少しの間、ブラニーさんの家にお世話になるつもりだった」
「そうでしたか。では、困ってらっしゃることでしょう。もうじき日も暮れます。先ほど助けてくれたお礼と言っては何ですが、わたくしどもの修道院に来ませんか。手狭ですが、お客様用の離れがありますので」
「え、いいのか?」
「ええ。是非」
俺が仲間たちに目線で同意を問うと、一様に笑顔でうなずかれた。
「じゃあ、お世話になります」
こういうイベントはゲームではなかったな。
クレセドさんも普通に修道院にいるだけだったし。
でも、全然悪いことではない。
情けは人のためならず、か。
こうして俺たちは今夜の宿を確保することができた。
※
ナイツガーデンの町並みは、どこを見ても〝蒼い〟イメージがつきまとう。
実際に青い屋根瓦が特徴というのもあるが、古色蒼然という言葉がしっくりくる感じ。とても古く、歴史があり、落ち着いている。
グランゼニスが探索者たちでわいわい賑わっているのに対し、こちらはいつでも夕暮れか早朝が持つ静けさと穏やかさの中にあった。
古びた町並みを抜けた郊外に、修道院はぽつんとあった。
町よりもさらに古い建物に見えるのは、実際そうなのか、あるいは孤立しているために風雨を直に浴びて痛みが激しいだけなのか。
俺は、シスターっていうのは日本でいう尼さんなのかなと勝手に思ってたけど、道中でクレセドさんがしてくれた説明によると、成人前の女子が勉強や礼儀作法のために入る教育機関の色合いが強く、大半は数年で親元に帰っていくそうな。
「こちらが修道院長のマクレア様です」
クレセドさんが紹介してくれたのは、ふくよかな体格の四十代くらいの女性だった。
「ようこそいらっしゃいました。シスタークレセドを狼藉から守っていただけたとか。狭い部屋ですが、どうぞゆっくりしていってください」
「コタローです。お世話になります」
俺に続いて、グリフォンリースたちも一斉に頭を下げる。
院長ってもっと年寄りかと思ったけど案外若いな、なんて思っていると、クレセドさんが情報を追加してくれた。
「マクレア様は、去年院長になったばかりの新米なのですよ」
「シスタークレセド。確かにその通りですが、あなたより三十年先輩のわたくしに新米とつけるのはどうかと思いますよ」
「ごめんなさい。つい言ってしまいました」
自分の頭に柔らかそうなげんこつを落とし、無邪気にぺろりと舌を出すクレセドさん。
あざといな! クレセドさん、とてつもなくあざとい!
そんな彼女をマクレアさんが笑って許したのは、そうさせてしまう人徳みたいなものがあるからだろう。
だからもちろん俺も許す!
「では、離れにご案内しますね」
修道院の母屋から少し離れた掘っ立て小屋が、旅人用の宿泊部屋だった。
中には簡素なベッドが六つ。他には小さな引き出しがあるだけで、本当に最低限のものしかない。
「シーツはちゃんと洗っていますが、古いものですので、そこはご容赦くださいね」
クレセドさんはそう言ったが、ここまで安宿で雑魚寝だった身からすると、十分に上等な寝床だ。
「後で夕食をお持ちします。ですが、なにぶん貧乏大好きな人たちの集まりですので、味と量には期待しないでください」
清貧と言おうクレセドさん!
のんびりと一礼した彼女が部屋を出ていってから、俺たちはようやく人心地つけた。
「それで、これからどうするんですか。あなた様。何か目的があってこの町に来たのでしょう?」
俺の服の内側にいたパニシードが、のそのそと肩の上に這い出てきて言う。
それぞれのベッドに腰掛けたグリフォンリースたちも、黙って俺の言葉に耳を傾ける。
「そうだな。しばらくここでイベント――色々やっていくことになるが、当面の目標は、ここで騎士の称号を得ることだ」
「えっ!? き、騎士の称号をでありますか!?」
思わず腰を浮かせたのはグリフォンリース。
「ねね、きしのしょーごーってすごいの?」
マグがベッドの上で寝そべった姿勢で聞いてきた。
「すごいぞ。ここでは王様と同じことをしているのも騎士だ。ただ、騎士の階級はいっぱいあって、一番下はそれほどすごくもない。俺が狙っているのはそれだ」
「この国に詳しいようだな」
と、これはマユラ。
「多少な。一番下の階級は下級騎士っていうんだが、こいつは金を払えば誰でもなれる。騎士になっておけばこの町での行動が取りやすくなるし、いざというときに組織力も活用できる」
「お金で地位を買うでありますか……?」
グリフォンリースがやや沈んだ声で問いかけてきた。彼女の顔にはどことなく落胆の色があり、俺にはその理由がすぐにわかった。
ナイツガーデンは【騎士】クラスの探索者にとっても憧れの国だ。腕を磨いて、名を上げたら、訪ねたい場所の筆頭に挙げられるだろう。
そして本場の騎士たちに認められたい。
受勲し、本物の騎士になりたい。そう思うものなのだ。
だから、金を払えば誰でもその地位を買えるというのは、騎士の尊厳をバカにしているように感じるのだろう。
「買えるには買えるが、ちょっと面倒だし、俺はやらないよ。それに騎士になるのは俺じゃない。おまえだ、グリフォンリース」
「へひっ!? じ、自分でありますか!?」
「そうだ。不満か?」
「ととっ、とんでもないであります! じ、自分が、ナイツガーデンの騎士になるでありますか……!? で、で、でででもっ、どう、どうやって!?」
興奮なのか喜びなのか、グリフォンリースの鼻息が荒くなってきた。
「それは――」
「騎士になられるのですか?」
俺の言葉を中断させたのは、食事を載せた配膳台を押すクレセドさんだった。
「ごめんなさい。聞こえてしまいました」
一言謝った彼女に違和感を覚える。
何だか、クレセドさんの眼差しと声に棘があるような。
あっ、そうか……。この修道院って、確か……。
「夕食をお持ちしました。どれもお芋の料理ですけど、お口に合えばいいですね」
「わたし、芋好き!」
「わたしも~」
「わたしたちもお手伝いします」
三姉妹が小動物のすばしっこさで、クレセドさんの周りに駆け寄った。
クレセドさんは、まばたき一つで瞳の中に浮かんでいた棘を消し去ると、三姉妹と手分けして芋を小皿に盛りつけ始めた。
「気づかれてしまいましたよね?」
「えっ?」
問いは俺に向けられていた。
何を、を欠いた問いかけだが、しかし、意味はわかった。
彼女が、騎士を嫌っているということ。
俺がそれに気づいたことを、気づかれた。
「町でも何だか絡まれてたし、もしかして騎士と上手くいってないとか?」
それでも俺は曖昧な言い方をする。じっくりねっとりクレセドさんの顔を観察してましたとか認めたくないんで。僕、命が惜しいんで。
クレセドさんは「ふふ……」と微笑し、
「それはこの国では誰もが同じです。この修道院、とても痛んで見えたでしょう? 実際古いんですよ。それで、危ないから補修工事をするなり、建て替えをするなりすべきだと騎士院の方々から言われていまして……」
そこまでは悪い話でもなさそうだが。
「けれど、そんなお金ここにはありません。そうしたら、お金は貸してやると言ってきたのです。しかしもしお金を借りたら、それを口実に修道院の活動にも口を出すつもりでしょう。そうやって形骸化してしまった教会が、すでに町中にありますから」
「ひ、ひどいであります! ここは本当に忠節と正義の国なのでありますか!?」
グリフォンリースが怒りに拳を握った。
そう。これがこの国に巣食う病巣。
騎士たちの堕落。金満主義と、傲慢と、腐敗だ。
「騎士たちがこの国を守ってくれているのは本当ですよ。おかげでこの町はもう何年も魔物の脅威に晒されていません。けれど……。いえ、ごめんなさい。これはわたしたちの問題であって、旅の方にするような話ではありませんでしたね。さ、どうぞ召し上がってください」
ミグたちが手分けして一人一人に盛りつけてくれたマッシュポテトとフライドポテトは美味しそうだった。特にフライドポテトの焦げ具合が素晴らしい。
「そうそう。騎士になるのであれば、近々行われる武術大会に出られてはどうでしょう。優勝者には下級騎士の称号と、町の住まいが送られるはずです」
そう教えてくれると、クレセドさんは「またあとで来ます」と言い残し、部屋を出て行った。
残された空気は微妙だった。
目の前の料理は美味そうだが、修道院の事情を聞かされた後ではどうにも手を動かしづらいのか、俺やグリフォンリースの動きをうかがう気配があった。
特にグリフォンリースは、騎士の夢を膨らませた後にきっちり叩き割られて、さっきから唇を引き結んだまま固まっている。
ここは、俺が何か言わないと始まらないようだ。
「グリフォンリース。やっぱり、おまえが騎士になれ」
「えっ……。でも、その……」
「おまえが騎士になれば、この修道院を救う足がかりになる」
みんなが、はっとした目を俺に注ぐ。
「あっ……! ああっ! 確かにその通りであります、コタロー殿!」
《うそ》《そこまで考えてたの?》《あのシスターをタラスためじゃない?》《もしくは》《もらった修道服をミグたちに着せて奉仕させるためじゃなく?》《だとしたら》《かっこいい》《すごい》《すごいな》
どーも。半分くらい失礼だけど、どーも。
まあ、実は確かにそこまでは考えてなかった。
ここの修道院が、騎士院から脅迫めいた申し入れを受けているのはゲーム通りだ。
ただあっちだと、この件は解決もしないし、深刻化もしないんだよな。
一〇〇キルトほど寄付するミニイベントがあって、その後のイベントでちょっとした見返りがあるだけ。
だから放置してもきっと何の進展もないんだけど、一宿一飯の恩は返しておきたい。
借りってのは、心の平穏によくないからな。
「じゃ、いただこうか。熱いうちに」
俺の一言で、部屋の空気はすっかり軽くなった。
明るくなった室内に、いただきまーす、という仲間たちの声が響く。
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