第8話 ラストダンジョンへようこそ! 安定志向!?
真昼にもかかわらず城下町の喧噪は遠く、ここには高貴で、そして緊張した静寂が漂っている。
グランゼニス城背面。裏庭に面するあたりに、俺たちの姿はあった。
「はわわ、はわわわ……。コタロー殿、これは見つかったら非常にマズいであります」
生け垣に肩を寄せ合って潜むグリフォンリースが、カタカタと鎧の継ぎ目を鳴らしながら声を震わせる。
「ああ。だから見つからないようにこうして隠れてるんだ」
「それにしても静かですねえ。人の姿もほとんど見えませんよ。お城って案外、人少ないんですか?」
城の金をネコババしようと言い張っただけあって、パニシードは不法侵入も気にかけていない様子だ。
「どうなんだろうな。まあ、俺には都合がいい。さあ行くぞ」
こそこそと勝手口から中へ入る。
目指すは地下倉庫。
道中、城の人間と出会わなかったのは、ゲームとまったく同じで安心する。
「こんなところに剣があるのでありますか?」
地下倉庫とは名ばかりの、雑貨の仮置き場といった薄暗い部屋を見て、グリフォンリースが懐疑的な意見を漏らす。
それに明確な答えを返さず、俺は頭の中に2Dドットのマップを思い浮かべた。
確か、ツボとツボの間だったはずだから……。あのあたりか。
俺は足下に注意しながら室内を進み、壁に肩をつけた。
そして、
「ふん! ぬむううう……」
全力でそこを押す!
石造りの床を靴底が滑り、かすかな音を立てるが、当然びくともしない。
それでもかまわず押す、押す、ひたすらに押すッ!
「…………」
呆然とする仲間二人の視線が、やがて痛々しいものへと変わった。
「コ、コタロー殿……な、何か悩みがあるのなら、自分に相談してほしいであります」
「わ、わたしも、ちょっと自分本意すぎたかもしれません。あなた様がそこまで追いつめられていたなんて、考えもしませんでした……」
「違う……! 病んでるわけじゃない……! 誰か来ないか見張っててくれ……!」
仮に見回りが来たら、隠れる場所なんてないんだけども。
さて、今の俺の状況について説明がいるだろう。
これから行おうとしているのは、〈壁すり抜けバグ・危険度:低〉というものだ。
効果は読んで字の通り、壁を突き抜けて歩けてしまう。色んなゲームに存在するこのバグを、バグマスターの『ジャイアント・サーガ』が備えていないはずがない。
効果は色々で、マップ外を歩けたり、あるいはもっと別のことが起こったりもする。
やり方は簡単。壁に向かってひたすら歩くだけ。
だけど、現実にそれをやると……結構……きついなっ……〈高速マップチェンジバグ〉のときもそうだったけどさっ……バグってわりと……力業だっ……!
どのくらいの間歩いていればいいんだっけ……? ゲームでやるときは、漫画を読みながらだったような、違ったような……。
「ハアハア……これ反復横跳びよりもキツイわ。グリフォンリース、悪いが、俺を後ろから押してくれないか」
「へっ? は、はいであります。こうでありますか?」
ぎゅうっと俺が壁に押しつけられる。
い、いてて……。
「そう。そんな感じで」
人気のない城の地下倉庫で、美少女騎士に壁に押しつけられる……。
言葉にするとそれなりに魅力的だが、理想と現実の落差は大きい。
俺が一体何をしているのか、誰も冷静に分析してはいけない。
時間にして数分くらいだろうか。
俺を潰していた圧力がふっと緩んだ。
「おっ」
「ひゃっ?」
俺の体が壁にめり込む。足場はない。壁の向こうは底なしの深淵――
「コ、コタロー殿っ!?」
ぎょっとなったグリフォンリースが、咄嗟に俺の腕を掴む。
「バグの世界へようこそ、グリフォンリース」
ニヤリと笑った俺は逆にそれを引っ張って、彼女共々、真っ暗な壁の向こうへと落ちていった。
※
どす黒い雲が渦巻き、垣間見える赤い空の上を、巨大な毒蛇のようにのたうっていた。
風は生臭く淀み、地面は血泥のように濡れて、生への賛美をすべて否定するかのようだ。
「うっ……」
醜悪にねじくれた木の幹に、寄りかかるようにして眠っていた少女騎士が目を覚ます。
「起きたか、グリフォンリース」
「ううーん、あなた様……? ぎょあっ!?」
同じく目を覚ましたらしいパニシードが、耳元で奇声を上げる。
「ぴっ、ぴぎいっ! こ、ここ、ここはあっ……ま、まさかあっ、魔界!?」
さすがに世界を統べる女神の使いだけあって、魔界のことは知っているらしい。
「自分はどうしたでありますか……? 確か、お城の地下に行ってコタロー殿を壁に……って、ここはどこでありますか!? お城は!? ひえええええっ!?」
「どっちも落ち着け。ここは魔王城の裏庭にあたるところだ」
「まっ――マーマママママママママママ!?」
「魔王、でありますか? おとぎ話の?」
半狂乱に陥るパニシードとは対照的に、世界の理について疎いグリフォンリースには事態が上手く飲み込めていない。
「どっ、どどどど、どうして……どうして人間の城の地下が、魔王の城に繋がって……」
俺にしがみついてぶるぶる震えるパニシードに、返してやれる答えはない。
「俺にもわからん。ただ繋がってるんだからしょうがないだろ。普通は行けないんだから気にするな」
そういうバグなのだ。
「あ、あ、ああ、あなた様は一体何者なのですか? わたしたちでさえ知らない、こんな不可思議な抜け道を、どうして?」
「深く考えるな」
「そ、そういうわけにはまいりませんっ。あなた様は、何かとても恐ろしいことをしているのではありませんか? も、もしそうなら……」
俺はパニシードを見やった。不安に壊れそうな茜色の双眸が見つめ返してくる。
うーむ。こいつ、半端には真面目なんだよな。半端には。
俺はふっと笑った。
「わからん!」
「へ?」
「何が起きているのか、俺にはわからん! おまえにもわからん! 誰にもわからないんだから、誰も悪くない!」
「だ、誰も悪くない……?」
「そう! 確かに、悪いことを見逃すのは、悪だろう。しかし、何なのかわからない場合はどうしようもない!」
「どうしようもない!? そ、そうだ、そうですよね! 誰にだって判断力の限界はありますよね!? よくわからないものを見咎めることはできませんよね!」
俺はウムとうなずく。さすがは俺の心の闇の代弁者。俺が食いつきたくなる言い訳にはあっさり釣られる。
「それより目的の剣は城の中だ。さっさと行くぞ」
「えっ……えええっ……正気ですか!?」
「大丈夫だ。俺を信じろ」
もちろん、通常時の魔王城に今のレベルで乗り込んだら、敷居をまたいだ瞬間に警護の魔物たちの眼光だけで宇宙のチリにされてしまうだろう。
しかし、このバグの素晴らしくよくできているところは――すごく矛盾した言葉だが――、ここから魔王城に入った場合、ある一定の範囲内では敵とのエンカウントが発生しない点にある。
そしてその安全地帯には、二つの宝箱と、魔王の玉座があるのだ。
狙いはその宝。
まあ、このバグには一つ副作用があって、別のバグを誘発してしまうのだが、それは大したことないから気にせずともいいだろう。
闇を塗り込んで建てられたような城内は、雷鳴轟く外界とは裏腹に音一つ聞こえない。
俺たちの足音が、廊下の果てまで突き抜けてしまうほどの静寂。
パニシードは顔も上げられず、俺の襟元にしがみついたままで、グリフォンリースもついてくるのがやっとといった様子だ。
ギャアアア……。
「ひいっ」
廊下の窓の外で異様な叫び声が聞こえ、グリフォンリースが俺の背中に顔……というか兜をゴリゴリ押しつけてくる。
大丈夫……大丈夫なはずなのだが、これ結構怖えよマジで……。
敵に遭遇したら即死というのは、理屈抜きにメンタルにくる。
頭の中に描いたマップの通りに広がっていく通路だけが、俺の心の支えだった。
角を曲がり、見えた。宝箱のある部屋だ。
べたり。
「――!?」
べたり。べたり。べたり。
音がする。前方の暗がりから音が……違う! 前方にあるのは闇じゃない。
雷鳴が一瞬、そいつから黒いベールを剥ぎ取った。
チビりそうになった。
広い廊下を完全に塞ぐように這いずっていたのは、黒い肉の塊だった。
何本もの不気味な手が、前に伸ばされては床や天井や壁をべたりと覆い、肉の本体を前へと引きずっていく。
ウソだろ……こいつ……魔王だぞ!?
魔王の第一段階。〈暗い火〉〈乾きの水〉〈古ぼけた風〉〈実らぬ土〉に〈閉ざされぬ闇〉を加えた〈五源天〉からなる肉のサナギ。
そうだった。こいつ、普段は玉座から動かないはずなのに、このバグの最中だけなぜか歩き回ってることがあるんだ。チクショウ、忘れてた!
べたり。べたり。べたり。
俺たちは角に張りついたまま動けなくなった。足音一つでも立てれば、あのおぞましいものに気取られてしまう。
くそっ、こっちに来るな……! あっちに行ってくれ!
曲がれ! そこを曲がって……いなくなれ!
俺の願いは神様に受理されたらしい。
肉のサナギは、知性をまるで感じさせない動作で、手前の角を曲がって闇の奥へと沈んでいった。
俺は逃げ出したい気持ちをぐっとこらえ、素早く宝箱のある部屋へと滑り込んだ。
重苦しい色味の宝箱を開けると、中には綺麗な布で包まれた長物。
「こ、これがコタロー殿の言っていた剣でありますか?」
「そうだ。でも、確認は町に戻ってからにしよう」
もう一つの宝箱を開ける。
中身は〈力の石〉。道具として使うと、味方単体を中回復する。使用回数は無限。最後の戦いでも重宝する便利アイテムだ。
〈力の石〉を荷物入れにねじ込むと、俺たちはすばやく部屋を出て、裏庭へと走った。
すでにマップがバグっているので、帰りはすぐだった。
こうして俺たちは無事、ラストダンジョンからの武器の奪取に成功したのだった。
精神的には、命のロウソクがマッハで縮むほどキツかったけど……。
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