第十話 火星


「火星へは、通常航行で三日ほどかかりますが、ワープ航法ならば一瞬で到着できます。いかがされますか?」

 端末少女の報告に、少年の心は躍る。

「ワープっ? あの、SF映画とかでよく見るヤツ? 本当に…ああ、出来るんだっけ!」

 問いながら、この肉体の記憶が染み出してきて、少し落ち着く。

「ワープは未経験だから、ぜひワープで!」

「了解いたしました、アルト様」

 主の命令を受けて、ネコ型航宙船が、ワープシステムを起動させる。

「引力のゴム紐ワープを行います」

「ああ、えっと…たしか、遠くの星々の微妙な引力を紐として捕らえて、ゴム紐みたいに引っ張ってワープ…だっけ?」

「はい。仰る通りです」

 染み出した知識の通りにしゃべったけれど、アルトの意識としては、何のことだかサッパリである。

「アルト様、念のためですが、シートへご着席ください」

「あ、は~い」

 メイン・コントロール・シートにはコハクが鎮座しているから、アルトはコ・パイロット・シートへと座る。

「それでは、ワープを開始いたします」

 船体の後方からエンジンの低い音が聞こえてきて、急速に高い音へと変調してゆく。

「な、なんか…」

 気持ち的に追い詰められてゆくようで、怖くもワクワクしていると、フロントウィンドゥの宇宙が変化を見せた。

 漆黒の宇宙から、想像すら出来ないほど遥か遠くで輝く無数の恒星たちが、光の糸を一瞬で、真っ直ぐに伸ばしてくる。

「うわ、何あれっ?」

「光学処理にて、肉眼では見えない引力を可視化した映像です」

 光の糸は四方八方から小判丸へと伸びていて、まるで、罠に捕らえられたエモノの気分。

「ゴム紐ワープに移行します。ワープ!」

 と言われた瞬間に、光の糸が引き寄せられたと思ったら何かに引っ張られる感覚がしたと感じたら一瞬で元の停止感覚。

「? あっ!」

 何がどうにかしたのかと思って、そして気づいた。

 さっきまでフロント・ウィンドゥの右側に見えていた白い月が無くなって、左側に赤い火星が見えている。

「ワープ終了です。船体、異常ありません」

「あれ…火星?」

「はい。到着いたしました」

 古典映画みたいに、数条と輝く光のトンネルを通り抜けるスピード感とかを想像していたら、全く違っていた。

「…到着…」

 一瞬で、景色とかがほんの少しだけ変わった。

 としか感じられない。

「…結構 ワクワクしてたんだけどなぁ…」

 科学の進歩とは、すなわち安心安全の進歩である。

「アルト様がお望みでしたら、次は十世紀ほど昔のワープ航法を再現いたしますが」

 まさに地球の旧世紀、大航海時代の荒れ狂う外洋を強引に突破するかのような、航宙初期のワープ航法なのだとか。

「…安全なの?」

「アルト様の御命だけは、お守りする自信があります!」

 つまり、命だけしか保証されないらしい。

「ビバ安全!」

 危険は、重犯罪者と戦う事だけで十分だ。

 窓の外の赤い星を眺めながら、問う。

「それで、あれが火星で、これからあそこに下りるんだよね?」

「はい。入星ステーションと コンタクトを取ります」

 モニターの端に、小さな宇宙ステーションが見える。

 ポツンと小さく見えるのは背景が火星だからで、実際は東西南北それぞれで数十キロはある、正方形な超巨大建造物だ。

 中央には上下に少しだけ高い管制センターがあって、全体は薄いウェファースのような造り。

 小判丸もそうだけど、重力制御が出来ているので自転する必要はなく、形も円形である必要もないのだ。

「あ、スペースコロニーだ」

 ステーションから離れた宙域で、円筒形の巨大なコロニーが回転している。

 食料などを生産する施設としてのコロニーは、重力制御ではなく、旧来の遠心力で疑似重力を発生させているらしい。

 そのほうが食料が美味しくなるとかではなく、単に生産コストの関係だ。

 アルトが、知識としては知っている惑星周辺を眺めている間に、コハクが入星ステーションとコンタクトを取った。

 モニターの隅に、管制官のお姉さんが、笑顔で映し出される。

『こちらは火星入星ステーションです。貴船のコードを、ご伝達ください』

「了解しました」

『確認いたしました。航宙船小判丸。船長はアルト・キミオ様で、間違いは御座いませんでしょうか?』

「はい」

 入星申請のデータそのものは光回線で伝達されているらしく、音声での確認までのタイムラグは全くない。

「船長…アルト・キミオ…!」

 コハク以外からもそう呼ばれると、生前とは全く違う環境にいるんだと、あらためて実感をする。

 そして、本当に宇宙に出たのだなぁとも、実感したり。

『火星本星の、第七宇宙港・六八番ゲートへの着陸を許可いたします。それでは、火星をお楽しみください』

 ニッコリ笑顔で通信が終えられると、ネコ型航宙船は、火星の大気圏に突入をする。

「アルト様、これより 火星へと着陸いたします」

「あ、うん!」

 摩擦熱で真っ赤に燃える小判丸。

 とか想像していたら、全然違った。

 航宙船はゆっくりと、火星の引力に引き寄せられつつ速度を調整して、まるで羽のようにフワりフワりと優雅に、火星の地面へと近づいてゆく。

 特に衝撃とか振動とかもなく、まるで生前の新幹線みたいに、静かに安定して、宇宙港へと着陸をした。

「着地完了です」

「そう…」

 きっと、このシークエンスも十世代前とかあって、船そのものが激しく揺れる。とかも再現できるのだろう。

「想像しただけで船酔いしそうだ」

 宇宙港の滑走路に着陸をした航宙船は、エレカのように半重力で、誘導灯に導かれつつ、指定された接岸ポイントへと到着。

「接岸完了。アルト様、火星への上陸が可能となりました。申請の際に検閲などはパス出来てますので、このまま中央シティーへ向かう事が出来ます」

「ご苦労様。で、まずはギルドへ向かうワケだよね」

「はい。ギルドにて、重犯罪者捕獲人として登録をいたします。その際は、アルト様の生命保険的な手続きもありますが、指名手配犯の一人でも確保できれば。十分な程度の金額です」

「命を担保に、か…。まあ、他にないもんね」

 アルトはコハクを連れて、航宙船から接続ゲートを通って入星管理を潜って、火星の都市へと足を踏み入れた。

「おおお…ここが。火星…!」

 初めての、地球以外の惑星。

「なんか地球と 変わらなくない? っていうか、むしろ…」

 地球の景色よりも、時代感が昔な気がする。

 中央シティーなのにビルの高さは地球の三分の一程度だし、昼間とはいえ煌めくような窓明かりもない。

 全体的に薄汚れている感じもするし、シティーの人々も、少し疲れているようにも感じられた。

「…火星、元気なし?」

「現在は、まだこのような心情なのでしょう。記録によりますと、火星の人類による第三次・対地球連邦独立戦争が火星軍の敗北により終結したのが、三年ほど前です」

「ああ…だからみんな、まだ疲れているのか。それにしても…」

 敗戦した割には街が綺麗だ、とも感じる。

「大きな戦争というよりは、一地方のデモ鎮圧に近い規模のようでしたので。地球連邦も火器を搭載した独立軍の宇宙船のみを撃退したようですし、火星本星には、被害はなしと、記録されております」

「なるほど…ああ、解ってきた」

 肉体の記憶が、染み出してきた。

「独立運動ばかりに注力してるから、火星の経済は発展が遅れていて…それで、地球よりも数世紀くらいイナカに見えるんだ」

 しかも火星独立軍は、地球本星に対する不満の受け皿という性格もある。

「つまり、本音では地球からの独立なんて考えていないけれど、反地球連邦を掲げている限り、ある程度の人心は集まるから、経済的にも立場的にも安定していられる。って事か」

 と、流石に小声で話す。

「アルト様の御考えの通りです。人類にとって必要不可欠な非効率性、と言えましょう」

「なるほど…」

 犯罪者の心理を独学とはいえ学習していた生前の公男から見れば、地球と火星の関係はまさしく、人間そのものを表している。

 と感じた。

「で、ギルドだけど…コハク、場所わかる?」

「はい」

 笑顔で水先案内をする、女中の端末少女。

 愛らしく控えめなその姿だけど、特別に妙な注目を浴びる事もない。

 ステーションから十分ほど歩いた裏通りに、少し暗い感じの、ギルド火星支部があった。


                       ~第十話 終わり~

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