芸人と涙

第15話 元宇宙人探偵、第二の依頼

 我が天外探偵事務所に現れたのは、背の低い腹の出た白髪混じりの前髪の最前線の後退が現在進行形な中年男性だ。

 小太りの体にきつそうなスーツを着ている。


「え! 嘘! 聖天しょうてん 坂太郎さかたろうさんですよね?!」

 アヤが口元に手をやり驚いた様子だ。そのリアクションを見て、おっさんは満足そうに笑った。


「そう! 我こそが! この聖天坂が生んだ喜劇王! 聖天坂太郎であーる!」

 あーる、と言いながら短い両腕で不格好なSの字をかたどる。

 おそらく、Shoten SakatarouのSなのであろう。誰なんだ、このおっさんは。


「誰だ。知らん」

 ド直球。このドヤ顔を見れば世間一般には名の知れた人物なのであろうことは予想がつくのに、あえてのド直球。いいよ、俺。俺はキライじゃないぜ? おっさんのドヤ顔ムカつくし。


「え……」

 おっさんの自尊心がたいそう傷付いたらしい。絶句している姿にアヤが慌てている。

「今坂太郎さんも言ってましたけど、聖天坂が生んだ喜劇王、聖天坂太郎さんですよ! 芸人さんです!」

「芸人?」


 ――売れてる芸人なら金持ってるか。

 いや、逆か。

 聖天坂が生んだと言っていた。なるほど、東大卒の芸人と同じか。芸人と言えば下積み時代は金がなくて苦労しているイメージだが、逆に金持ちしかいない聖天坂に住まうのに芸人というギャップで売れたんだろう。


 金が絡めばもう名探偵な、俺よ。

 金の匂いにその表情はまるでハンターのように眼光鋭く獲物を狙っている。


「どうぞ、おあがりください。しょ……? さ……? 金持ってる芸人」

 名前が覚えられないからと言って自分の中の分類で呼ぶんじゃない。


 応接セットへ聖天坂太郎を案内し、向かい合わせに座る。俺の隣には、アシスタントよろしくアヤが座った。


「改めまして、聖天坂太郎と申します」

 坂太郎が頭を下げる。前髪生え際の攻防が激しいのかと思ったが、つむじの攻防戦の方が激戦だな。

「変わったお名前ですね」

 36歳が言ったと思うと寒気がするが、見た目には15~16歳に見える分救いがある。


「ご依頼内容と報酬額は」

「え……ああ、はい。依頼したいのは、妻の浮気調査です」


 ――えー、何その現実の探偵の仕事の大半を占める依頼。絶対誰も死なないじゃん。クソつっまんねー依頼ばっかだなあ、オイ。


 コラ……殺人事件を心待ちにするんじゃない。誰も死なないことを不満に思うんじゃない、このド素人探偵。


 あからさまにブーたれる俺に、アヤが慌てて取り繕う。

「あ、あの、奥様が浮気をされていると?」

「そうです……愛する妻が浮気をしただなんて、とても信じたくない。だから、証拠が欲しいんです」

「まあ……」


 人気芸人が愛する妻の浮気疑惑を晴らすために依頼に来たというこのシチュエーション。恋愛脳的には大好物だろう。

 アヤが早くも目を潤ませている。


「あなたは今、愛する妻が浮気をしている、ではなく、浮気をした、とおっしゃいました。なぜ過去形なのですか?」

 おお、俺もそれが引っかかった。やるじゃん、表の思考~。

 だがやはり俺には及ばないな。しょせんは付け焼き刃。俺はさらに、浮気をしていた、ですらなく、浮気をした、という限定的なたった一度の過ちでもおかしくない言い方も気になった。


「それは……妻が浮気をしたのが、おそらく3年前だからです」

「はい?」

「3年前の冬に、妻が友人の結婚式に行ったことがありました。その時は特に何とも思いませんでしたが、今考えたら翌朝私が泊りの仕事を終え帰宅した時に出迎えた妻は結婚式に参列するために買ったワンピース姿のままだったし、妙に上機嫌でその日以来鼻歌なんかを口ずさむようになりました」

「え……要は奥様が朝帰りをされていたと? それだけのことがありながら3年も疑問に思わなかったんですか?」

「ま、まあ……私もいろいろと忙しい身の上なもので。でも、気付いてしまった以上は看過できない! 浮気の証拠をつかんでもらいたい!」


 場の空気が変わった。

 アヤも怪訝な顔になる。


「坂太郎さんは、奥様の潔白を信じていらっしゃるんですよね?」

「もちろんです!」

「証拠というのは……浮気をしていない証拠だなんて、悪魔の証明でもあります。ないものをないと証明するんですもの。浮気をした証拠ならともかく」

「ですから、徹底的に調査をお願いしたい! 絶対に証拠があるはずなんです!」

「……奥様の潔白を」

「信じています!」

 ようには見えねえな。浮気をした証拠を欲しているようにしか見えない。


 3年も前のただ1度の浮気の証拠が、なぜ今必要なんだろうか。


「では、確認します。依頼内容は浮気の証拠をつかむこと。よろしいですね?」

「はい! お願いします! 言い逃れできないような証拠を、ぜひ!」

「分かりました。奥様の名前は?」

「野口 真由美です」

 目を閉じ、頭の中の横長に細い四角に野口 真由美と入力する。


 検索条件と十分に一致する結果が見つかりません。


 ――……情報が足りない。完全に無名な完全なる一般人のようだな。

 これは調査が必要だ。

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