第60話 頑張る

 綾崎さんを泣かしてしまったあの日から、俺は勉強を頑張った。


 気持ちよく、一緒に水族館に行けるように。


 そしてこれ以上、迷惑をかけたくないから。


 何より……少しでも、彼女に釣り合うために。


 俺に取り柄なんてない。


 なら、せめて勉強だけでも頑張る。


 期末で結果を出せたら……。






「お兄ちゃん!」


「うん?」


「ボーとしてたお!」


「ああ、ごめんごめん」


 手を繋いでるとはいえ、保育園の帰り道だ。


 事故なんかもあるから、気をつけないと。


「眠いお?」


「まあ……ね」


 最近は遅くまで勉強している。


 綾崎さんに教えてもらったことを復習したり、予習の時間を増やしたり。


 人よりできない俺は、それくらいしか方法がわからない。


「水族館はいつかな!?」


「大丈夫、もうすぐだからな」


「もうすぐっていつ!?」


「うんと……」


 今日は6月20日の水曜日で、確か6月23日の土曜日に行くはず。


「あと、三回朝が来たら行けるさ」


「あいっ! 楽しみ〜」


 鼻歌を歌いながら、手をブンブンする。


 水族館なら、最悪雨が降っても平気だし。


 もちろん、降ってないに越したことはないけど。


 そうすれば、イルカショーが見れるし。


「お姉ちゃんにも会えるお!?」


「ああ、会えるよ」


「わーい!」


 どうやら、今はバイトを頑張ってるみたいだ。


 意外と楽しくなって……あと、早く自立したいって。


 ほんと偉いよなぁ……俺も頑張らないと。






 夜になり、優香を寝かしつけたら……。


「よし、勉強するか」


「ふふ、頑張ってるわね?」


「まあ……ね」


「本当なら、もっと集中させてあげたいけど」


「大丈夫、やれるだけやってみる」


「……ほんと、男の子の成長ってはやいのね」


「はい?」


「今、すっごくいい顔してるわよ」


「そうかな?」


「これはこれは……息子は自覚したのかな〜?」


「な、なんのこと? とりあえず、勉強するから」


「じゃあ、無理しない程度にね」


「うん、わかった」




 部屋に戻り、勉強机に座る。


 どうやら、母さんにはバレバレらしい。


 俺が綾崎さんを好きだってことが。


「さてさて……ん? 綾崎さん?」


 スマホがなり、綾崎さんの名前が表示される。


「もしもし?」


『もしもし……今日も電話してみた』


「そ、そうだね」


『ん……特に用があるわけじゃない』


 あの日から、何故か毎日夜にかかってくるようになった。


 もちろん、嬉しいけど……あんまり眠くならないのが難点だよね。


 いや、この場合は助かると言った方が良いかもしれない。


「別に用がなくてもいいよ。今日もバイトだったの?」


『ん……今のうちに稼ごうかと思って』


「何かほかに欲しいものがあったりするの?」


 今までは、俺たちにお礼がしたいからって言ってたけど。


 ……なんか、隠してる気がする。


 萩原さんと二人で出かけたり……萩原さんが何やら俺に「お楽しみに〜」とか言ってくるし。


 自立したいってことを疑うことはないけど、それ以外にも何かありそう。


『ん……言わない』


「えぇ……それって隠してるってことでしょ?」


『ん……困った。どうしてバレたんだろ?』


「……ははっ。相変わらず、綾崎さんは面白いね」


『よくわからないけど……褒めてる?』


「うん、もちろん」


『ならいい……でも、言わない』


「わかった。じゃあ、もう聞かないよ」


『ん……それはそれで困る』


「どういうこと?」


『むぅ……私には難しい。萩原さんに聞いてみる』


「よくわからないけど……わかったよ」


『じゃあ、また明日学校で』


「うん、また明日ね。おやすみなさい」


『おやすみなさい……ありがとう』


 そこで通話が切れる。


「毎回ありがとうって言うけど、あれはどういう意味なんだろう?」


 俺と電話ができて嬉しいとか? ……いやいや、何を勘違いしてるんだか。


 「……まあいいや、とりあえずやる気出たし」


 気持ちを切り替えた俺は、勉強を始めるのだった。






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