第10話 事件後のお姉様会談……①
騒ぎが治められてから一時間が経過して全校学生達に下校が命じられたころ。
学園長室の主が不在の中、学園長代行として室内に留まり、全体の指揮を執っていた教頭先生の元に意識を取り戻したクラウス=グレイスが現れた。彼はこの度起きた騒動の首謀者が自身である事を告白し、ふらつきながらも深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
その様子を見ていた教頭先生は彼の身体を気遣い「身体を労わりなさい」と叱ったが、それでも彼はこれが今の自分に出来る誠意の示し方なのだと言って聞き分けることはなく、一貴族の端くれとして、この一連騒動を終わらせる事がケジメであり、そのためならどのような罰も甘んじると言う。その後、同じく被害に遭った彼の友人と戦士のおっさんが駆け付けて、「どうして目を離した」と一悶着あったが、このまま話が進んで行く事となった。
どうして俺が此処まで詳しく知っているのかと言うと、エステル達が運ばれて行った後直ぐ、戻って来たローレン教官に運ばれたからだ。
そのおかげで色々と知る事が出来た。
教頭先生のクラウスに行った質問は大まかに三つに分けられる。
――質問一:クラウスとエステルが戦う事になった経緯と理由。
これに関してはクラウスがエステルに語っていた事以上の情報がないため割愛させてもらう。
――質問二:
これはユーティスが用意をした物ではなく、クラウスが用意した物だったらしい。進級前の連休期間に訪れた王都の出店にあった代物で、その時はこのような使い方を考えてはいなかったそうだ。あくまで身を守るためのお守りとして、少々値が張ったが購入したとのこと。また彼の証言によれば、勝負を申し込む前に機能テストをしていたそうで、その時は正常に機能していた事を語った。
この証言に対して教頭先生がその方法を尋ねると、クラウスは首飾りを身に付けた自分に魔法をぶつけたと答えた。自分に当たる直前に、臆して無意識に加減する事の無いよう、魔法を反射する魔法:リフレクトミラーを付与する魔法薬を壁に塗って行ったのだと言う。
この説明を受けた時、この場に同席していた彼の友人とおっさんは若干引いていたが、その辺りから教頭先生の声色が少しだけ和らいだように感じたのは、おそらくクラウスが始めから対戦する相手の事を気遣っていた事だけは伝わったからなのだと、俺はそう解釈した。
――質問三:何故ユーティス先生に見届け人を頼んだのか。
最後と言われて尋ねられたこの問い対してクラウスは一瞬の躊躇を見せた後、バツが悪そうに答えた。初めはローレン教官に見届け人を頼む事を考えていたらしい。しかしローレン教官はDクラスの担当教師である以前に反省部屋(特別指導教室と呼ばれる場所)の元指導員。訓練としての模擬戦を行うというならまだしも、私的に戦いたいという申し出に頷いては貰えないと思ったそうだ。そうやって悩み、他の教員に頼む事を考えた始めたころ、偶然擦れ違った先生が彼女だったのだと言う。その後クラウスは首飾りの不具合を確認すると言う彼女の言葉を信じて差し出し、あの事件に繋がったのだと言う。
こうしてクラウスは自身が知りえる多くを語り、しばらくの自宅待機を命じられた。そして退出間際に俺が一番知りたかったエステルとユーティスのその後の事を聞いてくれたのだ。
どうやらあの後、エステルは魔法学研究煉と呼ばれる魔法を習う校舎の方へ運ばれたそうだ。全身にわたる軽度の火傷と出血の酷い右手の裂傷。その他ところどころに見られる擦り傷と青痣。魔力も底を突きかけていて、酷い衰弱状態に陥っているのだという。
そしてユーティスはと言うと、戦士技能訓練校舎の医務室で緊急治療が行われているらしい。エステルの怪力が原因か、魔法使いであるが故の打たれ弱さが原因か、その辺りは定かではない。ただ一つ言える事は、最後の最後に彼女は勝ちを確信して気を抜いてしまったということだ。おそらくその一瞬の油断が生死の境を彷徨う程の大怪我に繋がってしまったのだと俺は思う。
◇◇◇
クラウスの訪問から更に三時間が経過したころ。
度重なる報告と各所への根回しの指示に追われ、精神をすり減らしていた教頭先生の元にエルフ耳の眼鏡美人教師が現れた。その人物は、数日前に学食で出会った二人目のエステルのお姉様その人だ。
そしてまさかの彼女が、この学園の学園長先生だったのである。
外から帰って来たばかりにも拘らず、セフィリア先生は既に事件の事を把握していた。それどころか事件後の対応などの進捗も既に把握していて、教頭先生に「何人か連れて休憩をして来て下さい」と労う余裕まであった。
それが今から大体十五分ほど前の出来事だ。
そして今、彼女は俺の目の前に立っている。
威厳ある立派なマントを肩にかけ、指を顎に当てながら、眼鏡越しに鋭い瞳で俺を見ていた。
教頭先生がこの部屋を出た時からずっとこの調子だ。
「……確かめてみるか」
そんな彼女が一言だけ呟いて手を伸ばして来た。
――コンコン。
その直後、扉をノックする音が室内に響き渡る。
「パトリシアです。保護者のお方をお連れしました」
その後すぐさま聞こえて来る凛と透き通る女性の声。
何処か張りつめた声色は扉越しにでも緊張を伝えるものだった。
「どうぞお入り下さい」
伸ばし始めた手を引っ込めてセフィリア先生が告げると、開かれた扉の先にはやはりニコルさんの姿があった。普段のやんわり穏やかな雰囲気は微塵もなく、教会に押し寄せて来た男達を追い払った時に見せていた鋭利な気迫を放っている。扉を開けて道をあけた、育ちの良さそうなヴィネストリア聖教のシスターにも何処か緊張している様子が見られ、深く腰を折って頭を上げる気配すらない。
そんな重々しい空気の中、室内に入って来たニコルさんがにっこりと微笑んだ。
「お久し振りですね、セフィリア先生。こうしてお顔を見ながらお話をするのは半年ぶりになるのでしょうか?少し、お痩せになられましたか?」
だがその声色は、細められた瞳と同様に全く笑っていない。
見る者聞く者を畏怖させる迫力が今の彼女にはあった。
「そうかもしれません。学園開校以降何かと忙しくなりまして。貴方様は、お変わりなく安心致しました」
しかしセフィリア先生は飄々と余裕をもって返した。
その姿には何処か慣れのようなものを感じる。
二人共エステルからお姉様と呼ばれている人達だ。互いの性格や癖を把握している程に長い付き合いのあったとしても何ら不思議な事はない。
「……パトリシア先生。此処まで案内をして下さってありがとうございます。彼女とは二人だけでお話をしたい事がありますので席を外して頂けますか?」
「承知しました。廊下でお待ちしております」
言葉を交わす最中、ふいに視線を外したセフィリア先生がシスターに告げると、彼女は一度頭を上げた後、再び深く一礼をして退出していく。その姿を目で追って扉が閉ざされたのを確認した途端、ニコルさんの表情から笑顔が消えた。
「随分と遅いお帰りでしたね」
「これでも知らせを聞いて大急ぎで帰って来たのですよ」
「事情はパトリシアからお聞きしました。周辺地域への協力を要請するための学園活動の説明会の場に軍が介入をして来たそうですね」
「ええ。そのせいで明日に予定されていた会合が今日に早まってしまって、先週の置き去り事件に関わった学生達の事情聴取の場に同席する事が出来なくなってしまいました」
「それでローレンを向かわせたのですね」
「最高責任者の私が学園を離れてしまう以上、責任者代理人の教頭先生には学園に留まって居て頂かなくてはなりません。しかも本日聴取を受けた子供達はローレンが請け持つ教室の子供達です。余程の事情がない限り、彼が出向かないというのは責任を放棄したと捉えられてしまうでしょう。それは彼の名誉に傷を付けるだけでなく、協力関係にあるギルドや治安隊との今後の関係に歪を作る要因になり兼ねます。しかし結果としてエステルを危険に晒し、出遅れる形となってしまった事は事実。貴方にもあの子にも、本当に申し訳なく思っております」
そう告げてセフィリア先生が深く腰を折った。
そのまましばしの沈黙が流れ、何時までも頭を上げないセフィリア先生にニコルさんが言葉を掛ける。
「……頭をお上げください。私は謝罪の言葉を聞きたいのではありません」
「分かっているわ。それでも、こういう事はしっかりと姿勢で示さなくてはなりません。私はこの学園の長であり、貴方は被害に遭われた生徒の親御さんなのですから」
「…………貴方に言われると皮肉に聞こえます」
「この件は貴方も同意したじゃない」
八つ当たりの様にも聞こえるこの一言にセフィリア先生はとても困った表情を見せていたが――――「でも、頭は冷えたみたいね」と、ニコルさんの変化を感じ取って知的な笑みを浮かべていた。
セフィリア先生のその一言で改めてニコルさんを見てみれば、先程までの迫力は鳴りを潜め、不満を露わにムスッとしている。エステルの前では絶対にしないであろう少し幼く見える態度。それが彼女達の関係を表しているかのように見えた。
「さて、何からお話をしましょうか」
「……あの女は何者ですか」
「そうね。直近の事件から遡って話していきましょう。この度エステルの命を狙った教員の名はユーティス=メテルディア。現二十八歳の魔法歴史学を担当している教師です。齢十五にして世界各地の魔法使いたちが集う大陸魔法協会に入団し、三年という短い期間で上級魔法使いとして認められた屈指の天才。その後どういう経由があったのかは知らないけれど、テルシアの王宮魔法使いとなり、魔法学研究員の考古学者として古代語の解読に力を注いでいた。そんな彼女の推薦者は彼女の直属の上司に当たる魔法学研究課の元責任者アルベルト=ベルナール。政界では強い発言力を持っているけれど、政治にまるで興味がないのか議会を無断欠席する事も多く、出席していたとして意思表示を行わない事で有名な人です」
「元、ですか?」
「ユーティス先生が王宮を離れる時期と合わせるように現役を退いているのよ。ま、ユーティス先生がどういう思想を持っていたのかは彼の話しに関係はないのですが、彼女がテルシアに来た経緯などを知っているかもしれないので、近い内に尋ねようかと考えております」
「現状犯行の動機は不明のままだということですね」
「そうね。だけど一つだけはっきりしている事があるわ。それは彼女がエドルフを嫌っていたということよ。以前その態度が気になったから話をした事があるのだけれど、その時は「仕事に私情は挟まない」なんて、否定にもならないはぐらかし方をしていたわ。同時に「そこまで馬鹿になれない」とも言っていたわね。少なくともあの時の彼女は、一時の感情で事を起こせるような人には見えなかった」
「……人は中々生き方を変えられないと言いますが、意見は簡単に変えられる生き物です。当時がどうであれ、今日エステルの命を狙ったことは事実」
「そうね」
「あの女をどうするつもりですか?」
「治安隊に預けます。何とか一命を取り留めたみたいですが、それでも非常に危険な状態である事に変わりありません。おそらく管轄の病院へ運ばれるかと」
「……そうですか」
「やはり不満ですか?」
「不満がないと言ったら嘘になります。あの女は私の大切なエステルの生命を脅かしました。絶対に許す事など出来ません。本当ならば我々で身柄を拘束し、徹底的に調べ上げるべきだと思います。しかしその様な事をしてしまえば、エステルはより恐れられる存在となってしまいます。それは我々が望む未来ではありません。……後程、彼女が運ばれた病院は教えて下さい。奉仕活動を行う際は私が共に同行しているとはいえ、極力あの子を近づけたくはないので」
「承知したわ。治安隊に情報開示の許可を貰っておくわね」
「はい。お願いします」
「次に教会に押し寄せてきた男達のことですが、結論から言うと逃げられました。我々の初動が遅れてしまった事が原因ですが、それでも彼等が利用していた馬車の確保には成功しております。馬車は西の牧場を超えた先にある林道の中で車輪が破損した状態で発見されました。そこから幾つか分かった事がありますのでそのお話を。――馬車の内装から、馬車の持ち主は行方不明となっていたジュリア=ラーフィン伯爵令嬢が当時利用していた物と断定。現在座席に付着していた血液が調べられておりますが、彼女のものである可能性が非常に高いとされています」
「……そうですか。彼等に感じた違和感はやはり正しかったようですね」
「文面の所々みられた含みの部分ですね。聞かせて貰えますか?」
「明確な物はありません。勘の様なものです。立ち振る舞いや語り口、それと表情の些細な変化が、この国の貴族より大陸の人の仕草に似ていると感じたのです。……これは推測ですが、おそらく彼等は大陸からエステルを攫いに来たのではないでしょうか?私も直近の報告書に目を通して知ったばかりですが、現在大陸の方ではエドルフ狩りが行われているそうなのです。ここ数年の間に奴隷商の間でエドルフの価値が爆発的に向上している事が原因ではないかと」
「その手の話しに精通した輩がエステルの噂を聞きつけてやって来たと……。なるほど、可能性としては高そうですね。エステルは精神が幼く不安定ではありますが、健康的で清潔で教養があります。それだけで最上級の売値が付いてもおかしくはありません。少なくともエドルフ愛好家なる変態は、エステルを非常に高く評価しておりました」
「彼等は王命を語りました。余程の無知か、追い詰められでもしない限り、軽々しく口に出来る言葉ではありません。少なくともこの二点だけで愛好家の手先ではないと言えます」
「まぁ相手が何者であるにせよ、この件は既に伯爵家の娘が被害に遭っている可能性が非常に高い。ただの人攫い未遂の事件として終わらせる事は出来ないでしょう。それでも一応、貴方の名義で国に意見書を提出して置くのが良いかと思います」
「そうですね」
「それでは最後、一週間前エステルが置き去りにされた事件について。エステルが所属していたチーム四班。その兼任役を務めていた上級生のケヴィン=ガハラットがダークボトルを使用し、押し寄せてきたゴブリンの群れから逃れるためにエステルを置き去りに帰還した件。調査の結果、あの騒動がダークボトルの扱い方を誤った事故ではなく、意図的にエステルを狙った計画的犯行であった事が明らかとなりました。犯行の動機はお金です。彼の自白によれば、仲良くなったギルドの冒険者に連れて行ってもらった如何わしいお店で女遊びに嵌ってしまい、借金をするほど女に貢いでしまったらしいわ。だけど理由が理由なだけにご両親に仕送りの催促をする事も出来ず、更には友人達にも断られてしまって困り果てていたところ、お店の女から取引を持ち掛けられたそうです。学園に通うエドルフを痛い目に合わせてやれ、とね」
「その女というのは」
「貢いでた女とは関係のない従業員よ。今は雲隠れして行方不明。フランシスと名乗っていたみたいだけど、おそらく偽名でしょうね。性的な接待をするお店では本名とは別の名を使う事がよくあるのよ」
「そうなのですか?」
「防犯の意識だったり、罪悪感を紛らわせるためだったり、別の自分になり替わる為だったり」
「此方も足取りは追えそうにありませんね」
「そうですね。ですが今回の件、冒険者が学生を唆したと思われる事を危惧したのかギルドはかなり重たく受け取ってくれているわ。その女に関して足取りを追ってくれているみたい」
「そういう事でしたら期待せず待ちましょう」
「そうですね。此処までで質問はありますか?」
「騎士団の行動をどう見ておりますか?」
「ユーティス先生の事件に関与しているのではないかと疑っているのですね。そのお気持ちはよく分かります。かく言う私も報告を受けた時は講演の真っ最中で、彼等の舐めた態度に疑いを持って居りました。しかし後ほど冷静になって考えてみれば彼等がエステルの命を狙う利点がありません。寧ろ彼等はエステルに死なれては困る側の人間です」
「……そうでしたね。だとしたら、どうして強引に説明会への参加を表明して来たのですか?」
「最近、敗戦が続いて前線が押しやられている事はご存じですか?」
「はい。エルドリアの勇者と唯一まともな交戦が行えていた黒騎士隊の数が減り、対処が間に合わなくなってしまっている事が原因ですね」
「そうです。とは言え、戦っているのは黒騎士隊だけではありません。その他エルドリアの勢力から彼等を護るのは現在交戦中の国々の兵士達です。何処の国も終わりの見えない闘争に疲弊しております。その不満が隣接していない国々へと広がりつつあるのです。これを放置していれば連合国の内部分裂は必須。そこで彼等は学生達に目を付けました」
「テルシアは島国ですからね。供給出来る物資も少なければ、運搬にも時間が掛かってしまう」
「何よりその費用が膨大です。それならば物資と共に人を動かした方が早い。要は学生達の派遣を打診して来た訳です」
「どうするおつもりですか?」
「どうするも何も、当然お断りさせて頂きましたよ。将来的に軍隊への入団を希望している子供達が居るのは事実ですが、この学園は戦える民間人を増やす事によって国の防衛力を高めるために設立された施設です。その意図を改めて説明して納得して頂きました」
「では、変わりにどのような条件を飲んできたのですか?彼等が強引にやって来たということは、何らかの条件を通す算段があってのことでしょう」
「そう睨まないで頂戴。騎士団員を数名程学園に教師として招く。その条件を受け入れて来ただけよ。名目上は若者達の騎士団に対する認知度を上げて将来の選択肢を広げてもらうこと。本音は私達の監視と特定の生徒の調査。後は学生のスカウトと言ったところかしら」
「彼等にしては真っ当な事を言いますね。とは言え、差別意識の強い人が来てもらっては困ります」
「直近にユーティス先生のが起こした事件を知ってしまっただけに私もその辺りを危惧しました。現段階の話し合いでは、”私達が提示する条件に見合う人材であれば”と条件に一文を挟んで双方納得という形を取っております。この話は後日詰める事になっているから、貴方から意見があれば来月までに連絡を頂戴」
「……学園の運営には関わらないつもりでしたが、今回の様な事があっても困ります。意見をまとめておきましょう」
「よろしくお願いします」
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