第9話 俺のチートは強かった件

 動かなくなったクラウスの上でエステルが不思議そうに首を傾げていた。普段のエステルでも見せる仕草だが、今の彼女が見せるそれは物心が付き始めたばかりの幼い子供の様に拙い。そんな彼女が、クラウスを揺さぶり、叩き始めた事で、この状態のエステルが如何に危険であるかを理解する事になる。


『まさかとは思ったけど、今のエステルは物事の分別がつかない子供と同じなんだ』


 あの暗闇の中で出会った彼女がそうであったように、精神年齢が実年齢に追いついていない事が原因なのだろう。だとすれば、今のエステルにとって重要なのは楽しいと感じる事をすることだ。その他は全ての物事は最初から無いのと同じ。後先考える事なく全力で、体力が尽きて眠たくなるまで異世界人の中でもパワフルな肉体を振り回す。当然、情緒が幼い彼女に相手の無事など考えられるはずもなく、意識を失って動かなくなればそれはお人形と同じという感覚。それとも虫を捕まえた気で居るのかもしれない。そう考えると叩いて変化を楽しんでいる彼女の姿が段々、虫の脚を引き千切って遊ぶ子供の様に見えてくる。


『やめろ、もうやめろエステル!』


 だから俺は叫んだ。

 この世界で生きている彼等に俺の声が届かない事は分かっても声を上げずにはいられなかった。このままではエステルが、ユーティスが言う通りのクラウス人間を脅かす怪物になってしまう。それだけは絶対に嫌だった。

 しかし俺の想いは微塵も届かない。

 そして出入り口付近に居るが野次馬たちも、手に付着した血を見て笑みを浮かべるエステルを前にして動けずにいる。


『どうすればいい?どうしたらエステルを止められる』


 もう一刻の猶予も無い。

 叩かれていたクラウスは鼻血を流していて口周りを赤く染めている。

 それは彼を守る魔道具の防壁が消えてしまっている事を意味していた。

 どうしたら。どうすれば。その言葉で頭が一杯になっていたその時何処からか男の声が聞えて来た。


「クラウス!お前何やってんだよ!おい馬鹿眼鏡!起きろよ!」


「待て。今近づくのは危険だ!」


 声のする方を見てみると、建物と出入り口の狭間で、エステルと同じ教室に居た背の高い細身の青年が教員だと思わしきおっさんと揉めていた。


「放せ、通してくれ!」


「落ち着くんだ。今のアレを刺激してはならん。目を付けられたら怪我を負うだけでは済まなくなるんだぞ。だから大人しくローレン先生の到着を待つんだ!」


「そんな悠長に待ったら彼奴が嬲り殺されちまう!あの野郎笑ってんだぞ!」


 青年が吠えたその時、通路に詰まっていた学生達が波打つのが見えた。後から来た学生達の中に野次馬根性丸出しで現場を覗こうと強引に入り込んで来ている者がいるのだろう。


「あ、おい待て!」


 人の波に押し出されたおっさんがバランスを崩てしまった事で拘束から逃れた細身の青年は、つんのめりながら駆け出して真っ直ぐエステルの方へと向かって来る。

 これはかなり不味い事態だ。

 彼を必死に止めていたおっさんが言っていたように、今のエステルは非常に危険だ。刺激するような真似をすれば忽ち標的にされてしまうだろう。


「テメェ何時までそいつの襟を掴んでやがる!」

 

 案の定、大きな声を上げて近付いて来る青年の方にエステルが頭を向けてしまった。


「笑ってんじゃねぇぞ!」


 青年が助走を付けた蹴りを放つ。

 だが彼の渾身の蹴りはエステルに当たる事なく空振った。

 ドサッと持ち上げられていたクラウスの上半身が地面に落ち、同時に青年の表情に戸惑いの色が映り込んだ。きっと彼の目にはエステルが消えた様に見えているのだろう。しかし視線を上げた直後、同じ視線の高さで笑っているエステルを見て彼の瞳は驚愕に見開かれた。

 そう、エステルは前後左右に身体を倒して避けるのではなく、青年の蹴りを跳び越えていたのだ。しかも腰を下ろしている状態からの二メートル以上のスーパージャンプ。狂気を宿したエステルの動きはもはや人間の動きではない。獣のそれか、はたまた怪物か。何方にせよ非常に危険な存在になり果てている。


「この!」


 それでも流石は冒険者育成校に通っている学生だ。吃驚して腰を抜かすわけでも錯乱して闇雲に攻撃する訳でもない。冷静にエステルが着地したところを狙って殴り掛かった。

 それでもエステルには当たらない。

 着地と同時に深く膝を折り畳んだエステルは、顎が地面に付きそうな高さから彼を見上げている。次の瞬間、驚異的な跳躍力で再びエステルが跳び上がった。


「うごぉっ⁉」


 小さな拳が青年の腹部に深く突き刺さり、一回り以上も大きな身体がくの字に曲がってすっ飛んで行く。そのまま二転三転と地面に転がり、更に滑って行った彼は、呼吸もままならない身体を捩ってもだえ苦しんでいた。

 とても無事とは言い難い。

 それでも俺は青年の胴体に穴が開いていない事に安堵していた。

 何せエステルのパンチは、肉薄とはいえゴブリンの身体を貫く程の威力がある。それがどれ程のものかなど想像もつかない。今分かる事はただ一つ、彼が地獄の苦しみを味わっているという事だ。


「きひひひ!」


 俺の小さな安堵はエステルの笑いで直ぐに掻き消された。

 次は何事かと視界のカメラを回すと、少し目を離していた隙に縄から手を離したエステルがクラウスの脚を掴んで振り回している。


『何してんのぉ⁉』


 それは駄目だ。マジでシャレにならない。

 誰でもいい、彼女を止めてくれ。

 そう声を上げようとしたその時、エステルがクラウスを放り投げてしまった。


『眼鏡ぇ!』


 百八十は超えているであろう高校男児が回転しながら空中を飛んでいる。しかもその進行方向に居るのは未だ苦痛に悶えている青年だ。命中すれば彼諸共、命中しなければクラウスが、重傷どころでは済まない事態となってしまうだろう。


「ぬおおお!」


 そんな危機的状況に置かれた二人の間におっさんが割り込んだ。


 ――ガガッ!


「ぐぬぅ‼」


 遠心力で振り回される手足を顔面に受けながらもおっさんはクラウスを受け止めてくれた。

 おかげで二人とも無事だ。

 しかしその代償として、今度はおっさんがエステルの目に留まってしまった。


「ふぅぅぅ……」


 どうやらおっさんも標的となる覚悟は決まっているらしい。そこに少し前まで見せていた頼りなさはなく、今は戦士の面構えでエステルに睨みを効かせている。そんな彼の身体が大きく見えるのは、きっとおそらくスキルによる効力なのだろう。

 しかし恐怖や危機感が欠落しているのか、それとも脅威と感じていないのか、エステルには余り効果が出ていない様に見えた。


「にひっ」


 寧ろ新しい遊び相手の登場にエステルはご機嫌だ。


「やはりこの程度では駄目か。やるしかない」


 小さな嘆息を一つ零しておっさんが訓練用の剣を構える。

 同時にエステルが跳び掛かりの体制を見せた。その時――


「ファイアボルト!」


 高々に突き通る声と共にエステルが爆発して地面に転げ落ちた。


 『は?』


 突然の事に驚き、視界のカメラを更にぐるっと回してみると、グラウンドの反対側でユーティスが此方に短杖を向けている。

 その姿に思わず絶句した。


『あの女、マジでふざけんなよ』


 その後沸々と怒りが湧いて来た。

 二人の対決に細工を施しただけでなく、クラウスを助けに来た彼等を囮に使って魔法を当てる機会を狙っていた事が許せない。


「ファイアボルト。ファイアボルト。ファイアボルト!」


 ユーティスが唱える魔法はとてつもなく早く、魔法を唱える度に立ち上がろうとするエステルが爆炎に飲み込まれていく。執拗に行われる魔法攻撃を前におっさんも驚愕の表情でユーティスの方を見ていた。

 

「ユーティス先生!極めて危険な状態とは言え、学生に何て事を!」


「学生だから何?あの小娘はエドルフよ!世界に厄災を招く怪物なのよ!生きている事自体が問題だと言うのになぜ分からない!だと言うのに、緊急時の対応マニュアルですって?そんなんて物が必要なくらいなら私がこの場で消し去ってやるわ!」


「本当に、本当にどうされてしまったのですか!貴方はもっと理性的で、利己的な、優秀な上級魔法使いアークメイジだったはずです。そんな一刻の感情で動くような人ではなかったはずだ!」


「煩い!煩い!煩い!何も知らないからそんな悠長な事が言えるのよ!この小娘が視界に入るだけで私がどんな気持ちでいたのか分かる?なんで皆平気なのよ!何で!どうしてこの化物と共存できるなんて思えるのよ!」


 おっさんのおかげで攻撃の手が止まり、ユーティスが感情を剥き出しにして悲鳴を上げている。

 彼女の過去に何かがあった事は明白だ。

 そこにエドルフという種族が深く関わっている事も……。

 だからと言って、エステルを攻撃する事が許されていいはずがない。


「……かむしゃま?かむしゃまぁ?」


 彼等が話しをしている最中、俺のところに口足らずなくぐもった声が聞えて来た。

 どうやらエステルは無事らしい。

 モクモクと上がる煙の方を見ていると、縄を掴んだエステルがのそのそと姿を現した。


「ふひひ。あーへが、あーへが、フャフャフャ」


 そしてユーティスの方を見ると先程までとは少し違った雰囲気で笑い始めた。

 彼女に何が起きているのか分からないままだが、エステルがユーティスにの標的を定めた事だけはよく分かった。


「っ⁉ファイアボルト!」


 此方に気付いて、再び放たれる光速の炎魔法。

 短杖の先がピカッと光を放った瞬間、白銀の髪を靡かせるエステルの背後で爆発が起こる。

 その後、一瞬の間があった。


「ファイアボルト!」


 ユーティスが再び魔法を唱える。

 同時にぴょんと跳ねるエステルの足元が吹き飛んだ。


「なっ⁉」


 一瞬で着弾する魔法が完全に見切られている。

 そんな事が出来るはずがない。そう言わんばかりの表情を浮かべるユーティスを見ていたエステルが、その顔が面白いと言うかのように口元を歪めて、挑発するように身体を左右に揺すり始めた。

 次を待つその姿がユーティスの癇に障ったようだ。


「やっぱりこの程度の威力では駄目ね」


 表情を歪めてエステルを睨みつける彼女は、忌々しいと言わんばかりに奥歯を噛み合わせ、魔力を練り上げる。


「轟け、走れ、火石の雨!ガンズフレイム‼」


 声を荒げながら構える短杖の前に、直径二十センチ程の橙色の魔方陣が浮かび上がた。それは次第に回転を始め、小さな火球を銃火器の弾丸の如く射出してきた。


 ――ドドドドド!


 戦争ゲームでも中々聞けない腹の奥底へ響くリアルな振動。細い線となった火の玉が高速で空間を走り抜け、着弾した地面を抉っている。拡散して向かって来る弾幕の数発を驚きの俊敏性を見せて回避したエステルは、縄を巻き付けた腕を引っ張って棺を起こすと裏側へと身を潜めた。


「そんな盾ぶち抜いてあげるわ!」


 魔方陣が徐々に縮小していく。

 それに合わせて拡散していた弾幕が収束して命中精度が高まっていく。

 だが、棺は火炎の弾幕を諸戸もしていない。

 傷一つ付かないまま聳え立っている。

 

『これは、もしかしなくてもいけるんじゃないか?』


 エステルの怪力と頑丈な俺の身体が合わされば切り抜けられないピンチではない。

 何より俺はこの子を一秒でも早く平穏な日常に返してやりたいと思っている。

 後はエステルがどう動き出すかだが…………問題はないみたいだ。

 今にも飛び出してしまいそうではあるが、攻撃の衝撃からテンポを測って機会を伺っている様に見える。


『よし。……行けエステル!俺を信じて突っ込め!』


 俺の声など聞えてはいないだろう。

 それでもエステルは俺の言葉と共に走り出していた。

 無数の弾幕の中に棺の大盾一つで真正面から突っ込んで行く。


 『さぁどうなる』


 此処からが正念場だ。

 クラウスとの戦闘で多大なダメージを受けているエステルは間違いなく消耗している。それだけでも持久戦は不利だ。そして何より懸念しなければならないのは、この暴走状態が何時まで続くのか分からないという事だ。急に正気に戻って足を止めてしまえば最後、ユーティスが繰り出してくる炎魔法の餌食になってしまうだろう。


「吹き上げろ大地の血流。イラプション!」


 弾幕が収まった直後、エステルが進行する手前の地面が熱を帯びて膨らみ始めた。


『っ⁉下からだと、不味い!』


 このまま前進したら足元を吹き飛ばされてしまう。

 そう考えてあたふたとしていると、エステルは「きひっ」笑い、棺を地面に突き立ててしがみ付いた。そのまま身体を預けながら棺の角を使って器用に回転し、地面から吹き上がる炎と小さな礫がギリギリ届かない側面を回っていく。


『す、すげぇ』


 心配は杞憂に終わった。

 マジで凄い。本当にとんでもない身体能力を見せつけてくれる。


「化け物め……。いい気になるんじゃないわよ!」


 楽し気に口を開いているエステルとは対照的にユーティスは凄く悔しそう。

 短杖の先をヒュンヒュンと振って次の魔法の準備を始めた。


『ん?まさか此奴』


 その姿を見ていた俺はある事に気付いてしまった。

 ユーティスの呼吸が上がっている。

 足元もしっかりと地面を踏みしめていて何処か重たそうだ。


『行ける。行けるぞエステル。あの女は足に自身が無いんだ』


 もしくは体力と持久力がない。

 学生達を囮にして距離を取ったのも、突撃しか出来ないエステルに対してその場で応戦し続けるのもそれが理由なのだろう。

 

「ファイアーボール!ブレイズ!フレイムバースト!」


 大きな火球を弾き、火柱のトンネルを滑り抜け、爆炎の中を一切の躊躇なく突き進む。大きな一撃が一度だけエステルの足を抑えたが、彼女の歩みを止めるまではいかない。

 距離にして残り約二十五メートル前後。

 普段ならあっという間の距離ではあるが鈍足なエステルにはそれなりの距離だ。だがこの距離を詰められればエステルの勝率がぐんと上がるだろう。


「……によ、何なのよ!あり得ない!何なのよそれは!私は天才と謳われた上級魔法使いアークメイジよ!何で突進しか出来ない馬鹿が私の魔法で止まらないのよ!」


 悔しさと焦りでヒステリックな声を荒げるユーティスが、身体に浮き上がる聖痕を今まで以上に強く発光させている。


「瞬く夜空の輝きよ!我が呼びかけに答え彼の地に来たれ!」


 ユーティスの響く声と共に巨大な魔方陣がエステルの前方の地面から空に向けて連結して伸び上がる。


『これはもしや、此奴自爆覚悟か』 


 気を付けろの言葉も出す余裕がない程の危険を感じたその瞬間、吹き付ける風がユーティスが空に掲げる短杖を切断した。それにより杖の先に集められていた力が弾けて巨大な魔方陣が空に溶けて消えていく。

 エステルの上から視界を外して周囲を見渡すと、おっさんに身体を支えられているクラウスがこちらに手を伸ばしているのが見えた。


『あいつ、マジか』


 この土壇場でやってくれた。

 勝負の邪魔をされた彼の怒りは本物だったのだ。

 ユーティスもクラウスの存在に気付いたらしい。


「ガキ共が、天才を舐めるんじゃないわよ。杖が無くたって、ファイアボール!」


 掌から放たれた火球が棺に当たって爆発する。

 目暗ましと一瞬の足止め。それでタイミングを計り、ギリギリまでエステルを引き付けたユーティスは、側面に回り込んで聖痕の光が浮かび上がる手を伸ばした。


「小娘一人殺すぐらい訳ないのよ!ファイアボール!」


 先程の火球よりも一回り大きな、バスケットボール程の大火球がエステルの頭を飲み込んだ。

 爆炎と共に煙を上げてエステルの身体が横に傾いていく。

 だけど俺は心配はしていなかった。

 なぜならこの時、俺はエステルの勝利を確信していたからだ。


『ぶちかませぇ!』


 エステルは倒れない。

 歩幅を広げて地面を力強く踏みしめている。

 旋回する足が土を抉り、身体と棺を振り回す力を込めている。


「なっ、何でっ⁉」


 倒れず動き続けるエステルを前に、勝利を確信していたユーティスの表情が瞬く間に凍り付いた。


「はあぁぁぁ」


 呼吸をするために大きく開かれた口の中から血と共に零れ落ちるのは、割れた緊急自動障壁オートプロテクションシールドの首飾り。瀕死となるダメージを自動的に激減し、使用者を生かす特殊な防護魔法が掛けられた装飾品だ。

 俺がこの飾りの存在に気付いたのはエステルがふにゃふにゃと喋っていたあの時。そして確信に変わったのがファイアーボールによる目暗ましの中でエステルが深く息を吸った時だ。

 これを彼女が手にしたのは、おそらくクラウスの頭を地面に押さえ付けていた時だろう。あの時クラウスは、エステルにやられながらもユーティスの動向を見ていて、どうすればエステルを引き剥がせるかを考え、誰を敵として誰を生かすのかをあの状況下で決断し、どうやってか装飾品のチェーンを切って、首飾りに魔力を補充しながらエステルの口の中に捻じ込んだのだろう。

 結果として、小さな犠牲を増やしはしたが彼の作戦は上手く行った。

 エステルはそれが必要な物だと理解していたのか吐き出す事は無く、一時的に気を失ったクラウスに興味を失って新たな標的に突っ込んで行く。

 彼の選択は、自分自身とエステルの命を守る事に繋がったのだ。


 ――ドゴン!


 勢いよく振り回される棺に押し潰されたユーティスが撥ね飛ばされた。

 浮き上がった身体は地面に叩き付けられた後も何度も転がって、遂にピクリとも動かなくなってしまう。


「アハハハハハハ!アハハハハハハハハハハ!アーハハハハハ!」


 静まり返ったエリアの中でエステルは棺を立てて高笑いを上げていた。

 その後は三日月の笑みを浮かべて、動かなくなったユ―ティスの元に歩き始める。


「聞こえない、聞こえない。貴方にはきっと神様の声は聞こえない。だって、だって神様はエステルを見ているのだもの。エステルだけを見ていて下さるのだもの。貴方じゃない。貴方なんかじゃないの。だからエステルの方が良い子なんだよ」


 ぶつぶつと呟きながら歩くエステルはユーティスの前で立ち止まった。

 しかしユーティスは転がったまま動かない。

 途端、ご機嫌だったエステルの表情がスンと冷めて、その濁った視線を唖然とする野次馬に向け始める。


「ふふふ、まだいる。まだ……。ねぇ神様ぁ、見ていて。エステルを見ていて、もっともっと良い子になるから。んふふふ」


 戦いは終わったはずなのに彼女はまだ止まらない。

 次の標的が自分達に向いた事を悟った学生達が悲鳴を上げて逃げ出そうとしている。


「奥の奴早く行け!」


「道を空けろよ!奴がこっちに来るって言ってんだろ!」


 だが通路は人が詰まっていて避難が進まない。

 広がりを見せる混乱の火種と喧騒。

 慌てふためく彼等の姿がエステルにはとても面白く見えるらしい。

 ご機嫌に、無邪気な笑みを浮かべながら彼等の方へと歩み始めた。


「ライトニング!」


その時、掠れた声と共にか細い稲妻がエステルの肩に触れてジッと音を上げた。


「何処を、見ている」


 静電が走って来た方角を見てみると、罅割れた眼鏡を抑えたクラウスが、もう片一方の手をエステルに向けてかざしていた。

 その傍らに先程までいたまで居たおっさんの姿がない。よくよく見てみると転がっていた青年の姿も無かった。だとすれば、そう思いクラウスを中心に辺りを見渡してみれば、おさっさんは意識を失っている青年を担いで出入り口とは反対側の壁際の方へと移動している。こちらの様子を伺うその姿からはクラウスへの心配が張り付いていた。

 おそらくあの優等生は、この事態を招いてしまったのは自分だから時間稼ぎをするくらいの責任は取らせて欲しいとでも言ったのだろう。


『無茶だ。本当に殺されるぞ』


 見るからに満身創痍のクラウスでは、とてもじゃないが今のエステルの相手が出来るようには思えない。ある程度の距離を取って青年を降ろしたおっさんもクラウスの元に駆け出しているが


「貴様の相手はこの俺だろうがぁ!」


 それ以上に早くクラウスが声を荒げた。

 同時に黒焦げた縄が千切れて棺がバタンと地面に転がった。

 その瞬間、エステルの顔から表情が消えた。呆然と立ち尽くし、この世の終わりを見たかのような絶望的な表情で転がった棺を見下ろしている。

 すると突然、エステルが力なくペタンと地面にへたり込んだ。


「…………して。……して?エス……が、……子……ら?」


 俺にもよく聞き取れない声で、俯いたエステルはボソボソと呟いている。

 その言葉を聞こうと彼女の傍に寄って見ると、見開かれた瞳は揺れていて、大粒の涙が頬を伝って零れ落ちていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。悪い子でごめんなさい。もっと良い子になるから。良い子になるからぁ。うわあぁぁぁぁ、あああああ」


 その涙は止まる事なく溢れ続け、遂にエステルは子供の様に泣き始めた。


『エステル。もういいんだ。もう嫌な奴は居なくなったから』


 今のエステルは情緒不安定で怖くはあるが、それ以上に汚れ傷付いたその姿が余りにも可愛そうで、とても見ていられなかった俺は声を掛け続けた。

 しかし声は届かず、エステルも泣き止まない。

 クラウスもおっさんも突然泣き喚きくエステルを前に立ち尽くしていた。

 するとこそへ、何か大きな物が空から落ちて来た。


『今度は何だよ⁉』


 大きな音に驚きつつ、次から次へといい加減にしてくれよと思いながら何かが落ちてきたクラウス達の方を見てみると、そこにはクラス担任のローレン教官がいた。


「そこまでだエステル。俺の声が聞こえるか?」


「ローレン先生‼」


一体何処から落ちて来たのかと俺が驚いている一方で、気を張り詰めていたおっさんの表情が綻んだ。心なしか涙ぐんでいる様に見える。


「ローレン先生、申し訳ございません。この度の騒動の責任は俺に」


「クラウス、話は後だ。ダイアン先生、彼と共に避難して下さい」


「分かりました。ご武運を」


 おっさんがクラウスに肩を貸して離れていく。

 その後姿を見届けた後、ローレン教官は再びエステルに語り掛けた。


「エステル、俺の声が聞こえているか?」


「良い子に、良い子にならなくちゃ。良い子に、エステルは良い子に」


 しかしローレン教官の声も届いていない。

 エステルは以前「良い子になる」と譫言のように呟いている。

 それでも彼は語り掛け続けた。


「落ち着くのだエステル。ゆっくりでいい。俺の声を聞け。お前はずっと良い子だった。それは俺が良く知っている。お前はそう在り続けてきた。だから大丈夫だ」


 普段とは違う、諭す様な優しく声でかけ続けていると、エステルが鼻を啜りながら頭を上げた。その瞬間、見えていないはずの俺を見上げて


「ぁ……神様……」


 安堵の表情を見せたエステルは気を失って倒れてしまった。


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 おまけ○○紹介


 ・ファイアボルト

 光速の火炎弾を打ち出す炎の下級魔法。

 直線の射程が長く威力が低い。軌道を目で追えない事から命中させるには修練が必要で、下級魔法の中でも扱いが難い。しかし使いこなす事が出来れば隙の少ない優秀な速攻魔法。炎魔法を得意とする魔法剣士なんかが好む傾向がある。


 ・ガンズフレイム

 小さな火球を高速で射出するガンフレイムと呼ばれる炎の下級魔法を、ユーティスが改良した炎の中級魔法。一発一発の威力は低いと思いきや、速射性の高さから火力は申し分なく、特に対人戦に置いては圧倒的な力を誇る。

 魔力の燃費こそ悪いが、その性能の高さから魔導書の製作が見込まれている。


 ・イラプション

 地面を抉りながら炎が噴き出す炎の中級魔法。


 ・ブレイズ

 激しく燃える炎を設置する炎の下級魔法


 ・ファイアボール

 火球を作り出して放出する炎の中級魔法。操作が難しい炎魔法の中でも非常に扱いやすく、熟練の魔法使いでも良く多用する。

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