第10話 元気を貴方に
休暇日のエステルは心此処にあらずといった状態だった。
きっと彼女の瞳には、声を押し殺して泣いていたクレアの姿が映っているのだろう。
大好きなご飯をもそもそと食べて、何度も同じ場所の掃除を繰り返してしまう。
そんな状態だったエステルは、お昼のお祈りを行うニコルの姿を見て、懺悔室とは名ばかりのお悩み相談室に閉じ籠ってしまった。
聞き手の室内にはもちろん俺。語り手の室内にはエステルだ。
一見遊んでいる様にしか見えない光景でも、エステルは真剣なのである。
「潤いが足りない」
体感三十分ほど悩んで、やっと出したエステルの答えは何時もの謎の言葉だった。
だけどその意味を知っている俺はその言葉の真意を受け取る事が出来る。エステルが理解出来ているかどうかは別の話だ。
『そうだな』
無理をして取り繕いながら通っている彼女の姿は、誰が見ても学園生活が充実しているとは思わないだろう。先日の事故の事もある。このまま何も出来なければ、彼女の環境が更に悪くなって行く事は、容易に想像する事が出来た。
「……少し前の私と一緒。一人ぼっち」
『もしかしてエステルさん、俺を数えていますか?』
エステルの心の支えになってあげられていると言うのはとても誇らしく思うが、第三者から見たら彼女も孤独である。
だが、今の俺では彼女に言葉を届けられない。
どうすればいいのだろう。
悩んでいると、俺の背後の扉がそっと開いてニコルが入って来た。彼女は会話口の正面に鎮座する俺を見ると、中央に置かれた椅子を少し下げて腰を下ろす。
「クレア、何時も笑っていたけど寂しそうだった。潤いが足りてない」
その言葉で、彼女がどうしてクレアに執着しているのかを俺は知る事が出来た。
始めは無理をして取り繕っていると感じた程度だったのだろう。だけどその後、徐々に孤立して孤独になってしまった彼女の姿が、自分の姿と重なって見えてしまったのだと俺は思う。
もしかしたら、ご飯を貰った事も一つの要因なのかもしれない。
「……迷える子羊よ。汝に問います。潤いとは何か、その答えを得ましたか?」
ニコルの問いが返って来た事で一度は黙ったエステルだが、今はそれ以上にもやもやとしているらしい。しばらく小さな「んー」と唸り声が聞こえてきた。
「まだ分かりません。でも、クレアは潤いが足りてない」
「貴方は潤いの答えに気付き掛けているのですね。でも、その先の道が分からない。そういう時は自らの心に問うのです。相手を想う心こそ、生物に与えられた無償の愛。ヴィネストリア様は心を持って愛を振舞う、貴方の行いを見守っておられるはずです。きっと、大きな試練の中に含まれる、新たな試練に進む貴方を導いて下さることでしょう」
「新たな試練」
「その先に貴方が求める潤いの答えがあるはずです。今一度、貴方がどうしたいのかを考えて見なさい。そして行動に移しなさい」
流石はニコルだ。
たったあれだけの言葉から答えを出して、深く悩んでいたエステルの道を照らしてくれる。
常に一緒に居てあげられない彼女のためにも、俺が最後までエステルを見届けてやろうと強く思った。
◇◇◇
翌日の登校日。
案の定、クレアに声を掛ける者はいなくなっていた。
彼女がやって来るだけで、一週前のエステルの時のように教室内が静まり返る。
その中で唯一、例の黒髪女子が挨拶に来ようとしていたのが見えたが、何時も一緒にいる友人達に止められて複雑な表情を見せていた。
彼女達が止めるのも無理はない。
今は先週の事故と彼女の話しで持ちきりだ。
膨大な魔力を持っているのに魔法が使えない魔法科専攻の特殊な生徒。
仲が良いと教師に知られてしまえば、チームを組んでやって欲しいと言われる恐れもある。
それは見習いの仕事をする上で、評価とお金と命に係わる事でもあるのだ。
だからこればかりは仕方がない。
だが、彼女を一人ぼっちにしたりはしないとエステルは決めた。まだ行動に移してはいないが時間の問題であろう。
俺は静かに見守るだけだ。
本日の座学講義が終了してお昼の時間が訪れると、まだ教室内に多くの生徒達がいる中でエステルが動きだした。
ガタンと椅子の音を立てて立ち上がったエステルは、机の横に寝かせている棺に手を伸ばして背負い出す。
普段と全く違う動きを見せる彼女にクラス中の視線が集まっていたが、彼女は気にせず準備を済まして、暗い顔をしているクレアを見下ろした。
「クレア、一緒に来る」
「……え?」
朝の挨拶が何時もと同じ静かな物であっただけに、声を掛けられるとは思ってもいなかったのかもしれない。
そんなふうに思えてしまうほど、クレアは驚いた表情でエステルを見上げていた。
「クレアは潤いが足りない。だから一緒に来る」
相も変わらず、何を言っているのか全く理解出来ていないだろう。
それでも誘っている事だけは伝わるはずだ。
「……良いのですか?」
「はい。一緒に潤いを探して下さい」
差し出された手を見て綺麗な瞳が潤んだのが見えた。
伸ばされた手をしっかりと握ってクレアを立ち上がらせたエステルは、クラスメイトを自前の圧で押しのけながら教室を後にする。
廊下でも、ゲッと露骨にエステルとの遭遇を嫌がる失礼な生徒がいたが、これも物の見事に無視。
そのまま歩き続けたエステルは食堂の入り口を確認する事無く、クレアを連れて本校舎の玄関を抜けて行く。
「あの、ごめんなさい」
「ん?」
「私のせいで、その、エステルさんまで皆さんに」
どうやら廊下ですれ違った学生達の反応が自分を嫌がっての物だと思い込んでしまっている様だ。
思い上がりも甚だしい。
『エステル、否定して差し上げなさい』
「皆、エステルが怖い。だから皆嫌がる」
「……エステルさんはお強いのですね」
「エステルも潤いが足りない。でも、神様が付いてる。だから怖くない。潤いが見つかれば、クレアもきっと怖くない」
「その、潤いとは、何ですか?」
「分かりません。でも、皆持っています。だから一緒に探して欲して下さい。クレアはきっと潤いが分かる。でもその前に、まずは元気になる」
疑問符を浮かべるクレアを連れてエステルが向かった先には、二階建ての酒場の様な建物があった。
此処には始めて来るが何の建物なのかはもうわかる。此処は
本校舎と少し距離があるのは、此処には罠機材が置かれている他、弓場などが備わっているからである。
だけどまだお昼休みが始まったばかりで建物に入る事は出来ないはずだ。
彼女は何処に行くつもりなのだろう……。
「こっち」
エステルはクレアの腕を引いて、建物の側面を歩いて裏側にある広場に出た。
仕切りとして作られた柵から広場を眺めつつ、更に奥へと進んで行く。
そうして辿り着いたのは、広場の奥にある小さな林だった。雑草の類は余り自生しておらず、しっかりと手入れされている。此処ももしかしたら何かの練習に使う場所なのかもしれない。
彼女達が怪我をしない様に見守るばかりだ。
「こ、此処で何を?」
「おやつを採ります。甘い物を食べて元気になる。……これじゃない」
樹を軽く叩き、耳を付けて、上を見上げる。
これじゃないを繰り返して、周囲に自生している樹を一本一本確かめていく。
そうしてお目当ての樹を見つけたエステルは、今まで以上に時間を掛けてじっと上を見上げていた。
草は青々としているが、木の実や果実が実っている様には見えない。
本当に彼女は何を探しているのだろう。
俺がエステルの探し物の答えを探せないでいると、彼女は棺を降ろして樹を登り始めた。とても器用に、それも随分と成れた様子で、手を掛ける枝が少ない樹をよじ登って行く。
『落ちるなよ』
そう思っていた矢先、三メートル程進んだところでキューッと音を立てながら滑り落ちて来た。
どうやらこの樹の幹は滑るらしい。
特に人の手が届かないところは傷も少なくツルツルとしていて光沢が見える。
それでもエステルは諦めずに登り始めた。
滑っては落ちて、滑っては落ちての繰り返し。
聖職者の衣は樹の幹に付いた砂埃やらなんやらで汚れても、気にすることなく上り続ける。その度にクレアがハラハラして表情を変えるのが可愛らしかった。
「こらぁ!そこで何をしている!」
「ひぃぃ、ごめんなさい!あああの!」
背後から聞こえてきた声に振り返ると、吃驚して目をぐるぐるとさせているクレアの奥に、悪童のような笑みを浮かべた赤毛の女子生徒が立っていた。
適当に後ろで括った髪に、動きやすさを重視した半袖短パンの冒険服。その見た目からも盗賊科の生徒である事が分かる。
「冗談冗談。この時間はまだ誰も来ないよ。でも、何でそんなに頑張って登ろうとしてるの?」
人懐っこそうな笑みを浮かべる女子生徒が二人の元まで歩いてくると、樹の幹にしがみ付いたまま振り返っていたエステルは再び上を見上げた。
「あれ」
「ん?どれ?」
女子生徒も上を見上げる。
「あの瘤」
『瘤?』
エスエルの言葉を聞いてそれらしき物を探してみると、七メートル程の高さにある枝分かれした幹の間に瘤があった。
「あー結構高いね。あれ取れるの?」
「採れる。あれ美味しい」
「只の瘤にしか見えないけどなぁ」
赤毛の女子生徒はじっと上を見上げるエステルと、話に参加出来ずにお腹の前で手を合わせているクレアを見て、一人で納得して頷いた。
「提案。美味しいなら僕が取って来てあげるよ。変わりに僕も食べさせてもらっても良いかな?」
「……全部は駄目」
「流石にそこまで欲張ったりしないよ。そもそもどうやって食べる物なのかもわからないのに。どうする?僕ならあのくらいは余裕だけど」
「……分かりました」
「交渉成立だね。この辺りの樹は時々現れる猿が登れない様に、お兄ちゃんが古い幹を剥がしてるんだよ。見ての通りこの樹の幹はツルツルで登れないからね。登るには知恵を使わなきゃ」
そう言って彼女が腰に下げる雑嚢から取り出したのは縄付きの分銅だった。
「本当は鉤縄の方が良いんだけど、傷痕なんて残したらお兄ちゃんにバレちゃうから、しかたがない、ね!っと」
ヒュンと飛ばされた縄が四メートル程の高さにある太枝に絡みついた。
グッと引っ張って、少しぶら下がり、安全性を確認した彼女はロープ一本でスルスルと昇っていく。そうしてあっという間に最初の枝の上に身体を乗せた。
『凄いな』
身体の重みを感じさせない姿は猿のようである。
その後も危なげなく登っていき、あっという間に瘤のある枝に辿り着くと、緩やかに揺れる枝をしっかりと掴んで彼女は地上を見下ろしていた。
「これどうやって採るの?」
「根元から折る」
大きな声では決してなかったが、じっとエステルを見下ろしていた赤毛の女子生徒は納得した様子で頷いた。きっと口の動きを読んだのだろう。
「お、おお?」
上下左右に瘤を動かそうとしている彼女が不思議な反応を見せ始めた。
そしてしばらく見ていると、瘤がボコりと取れた。
「ああ、なるほどね」
大きな瘤を手に秘密を知った彼女は、その後も器用にロープを巻き付けた枝まで降りて来る。
「落とすよ」
エステルが頷いたのを確認して彼女は瘤を投げ落とした。それを受け止めた時に、俺もようやく瘤の正体に気が付いた。
『樹液の塊だったのか』
黒ずんだ表面の隙間に見える黄金色が木々の隙間から差し込む光を反射している。
「で、それはどうやって食べるの?」
ロープを回収してぴょんと危なげなく跳び下りてきた赤毛の女子生徒が、じっと樹液の塊を見下ろすエステルの手元を覗き込んだ。
「表面は駄目。お腹を壊します」
「うん、僕もそう思う。でも、触った感じ凄く硬いんじゃない?刃物じゃ切れそうにないよね。やっぱり湯煎して、濾過した後にしか食べられないのかな?」
「んーん。割る」
そんなまどろっこしい事はしない。
そう言わんばかりに大きめの石を見つけて来たエステルは、転がっている棺の上にハンカチを敷いて樹液の塊を置くと、両手で持ち上げた石を振り下ろした。
余すところまで食べるではなく、食べられる場所を食べるという原始的な発想だ。
「むん」
エステルの強い力で叩き付けられた樹液の塊は簡単に割れて潰れた。そこからは片手で持てる比較的綺麗な石を使って、汚れの強い表面を削り落とし、食べられるように解体していく。
そうして残った中央付近の綺麗な部分を食べるらしい。
「これ、食べられるのですか?」
「食べられる。シュガリーツリーの蜜は美味しい」
二人の視線が集まっている事に気付いたエステルは、私に続けとばかりに一欠けらを摘まんで口に運んだ。
ガリ、ガリ、バキッ、ボリボリボリボリ、ヌチャヌチャ……
流石はエステル、逞しい子である。
一切躊躇する事無く、粉砕機のような音を鳴らすエステルの姿を見ていた赤毛の女子生徒も、比較的小さな欠片を口に入れた。
「ちょっと苦味があるけど、
「長持ち。でも、ちょこっと苦いのは中々溶けないから味に飽きたらぺってする」
「飲み込んでも大丈夫と」
うんと頷いたエステルはクレアを見上げた。
「え、えっと、い、頂きます。……あむ。……本当だ、甘い。それに、余り硬くない。弾力があって、とろけています」
「グニグニでとろけるのは一番美味しいところ。きっとこの辺り」
「じゃあ僕もっと……うん?おお!これ、さっきと全然違う。想像していたよりもずっと甘いかも」
「……苦い。先ほど良いところを食べたせいで余計に苦味を感じます」
林の中で女子生徒が三人しゃがんでいる光景は何ともシュールな光景ではあったが、クレアの表情が一目で分かる程に明るくなった。
やはり甘い物の力は偉大である。
『よかったよかった』
エステルの元気付け作戦は、謎の助っ人の出現のおかげで大成功したのであった。
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おまけ○○紹介
・シュガリーツリー
蜂蜜とメイプルシロップを混ぜて割ったような味の樹液を出す異世界の樹。冬になると糖度を上げて凍結を防ぐため、樹自体がほんのりと甘い香りを漂わせる。害虫を退けるため、その表面はツルツルと滑る。
・カメロップ
異世界のべっこう飴の名称。
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