第11章 潤い調査隊
お昼の終わりを告げる鐘が鳴り、彼女達のお昼ご飯が始まった。
その頃になると、名も知れぬ謎の女子生徒の姿はない。
彼女はあの後、此処に居ると見つかるからと言い残し、二人に取り分けようの小瓶を渡して颯爽と去って行ったのだ。
「結局、あの方は誰だったのでしょうか?」
お洒落な盛り付けの海鮮リゾットを前にクレアがやや心配そうに呟いた。
「……分かりません」
と、答えるエステルは巨大なステーキの切り身に噛り付く。
「無事だと良いですね」
それもどうなのだろうと俺は思う。
危険な目に合っているなら助けるべきなのかもしれないが、あの後直ぐ、少し離れたところから教師の怒声と彼女の悲鳴が聞こえて来ていた。
その事から察するに、彼女は何処かで悪さをして逃亡している最中だったのだ。
三人が一緒に居る時に見つかっていれば、二人も巻き込まれていた可能性すら考えられる。
そんな事は露とも考えないのか、エステルはクレアの言葉にうんと頷いた。
とにかく今は、一緒におやつを採って食べた仲として見ている様だ。
「あら?お二人共これからご飯ですか?」
そこにティリス先生がやって来た。
小さな歩幅でテクテクと二人の下にやって来た彼女は、
クレアの事をとても心配していた先生だから、もしかしなくてもエステルと一緒に居るクレアの話を耳にしてこの時間に合わせて来たのだろう。
「はい。先生も今日は遅いのですね」
「図書館の司書のお仕事に、副担任のお仕事。来年以降に雇う新任教師の研修スケジュールの作成。更には研究に、魔法学会で発表するレポートの準備。先生はとても忙しいんですよ。それに、お二人の検査をする準備もしなくてはなりませんからね」
「うっ、すみません」
「意地悪を言いましたが、あれはクレアちゃんだけのせいではありません。貴方の魔力量を見誤っていた先生達の準備不足でもあるんです。だから、余り気にしてはいけませんよ。それよりも、二人は午後から何をされるのですか?」
「……あっ、活動予定の提出。もしかして、そのために来て下さったのですか?」
「予約制の予定ならともかく、自由参加の学科訓練だから厳守される訳じゃないけど先週は事故があったばかりだから。参加したいけど遠慮して出来ないなんていう状態だったら、先生がお世話を焼いた方が良いのかな、などと思いまして……。でも今週は、二人で自由に活動してみるのもいいかもしれませんね」
エステルに友達が必要だと俺が感じている様に、クレアにも友達が必要だとティリスは思ったのだろう。
「でも、専攻科目が違いますよ」
「そんな物は些細な問題です。学園は確かに勉強をして身体を鍛える場所ですが、色んな事を経験する場所でもあります。なので、勉学ばかりに捕らわれず誰かと遊ぶ事も経験しなさい。と、いう訳なんだけど、エステルさんは今日の予定は決まっていたりしますか?」
「……クレアが元気になったので、潤いを探しに行きます」
「うん、良いと思うわ。その潤いというのが分ったら、ぜひ先生にも教えてね」
こうして二人は、午後も共に自由活動をする事に決めたのだ。
◇◇◇
目の前に、泣き崩れている女性がいる。
生徒でもなければ教師でもない。彼女はこの学園を裏で支えている事務員の人だ。
「ちくしょぉ!何が結婚だ!どいつもこいつも結婚結婚って浮かれやがってぇ!此方とて婚約直前に浮気されて、破談になったばかりよぉ!誰か良い人紹介しろぉ!」
彼女は手にしていた手紙を裂いてと叫んで以降、ちくせうと一度だけ呟いて、ずっと花壇の前で蹲っている。
その哀愁漂う背中を、二階の空き教室の窓越しに彼女達は見降ろしていた。
「これは、潤い?」
「目元は少なくとも潤んでいると思います。このご時世大変かと思われますが、婚活、頑張ってください」
二人が始めた潤い探しは開始早々から迷走していた。
自分とクレアには潤いが足りていない。それは分かったらしいのだが、何故そう思ったのかエステルは分かっていなかったのである。
その為、二人は色んな場所を探し歩いて人間観察を続けている。
だが、その観察する対象が色々とおかしいのだ。
No.1 桂が回転している教頭先生。
この学園の教頭は、冒険者育成校にしてはやや似つかわしくないようにも見える何処にでもいそうな普通の小父さんだ。表情は柔らかく優し気で、体型はやや小太り気味。ガーデニングが趣味なのか、花壇の前でスコップやジョウロを手にしている姿をよく見かける。
だがしかし、この日廊下を歩いている教頭先生は一味違った。
頭に被せている桂が絶妙にズレていたのである。
それだけではない。廊下の開けた窓から入り込む微風を受け流す様に、歩く教頭先生の頭上で、桂が器用に回転していたのである。
更にその上に蝶々が止まり、メリーゴーランド。
全く桂の異変に気付く様子が見受けられない教頭先生の姿と、クルクル回る蝶々の姿に、驚いて目を丸くしていたクレアは目を逸らして笑いを堪えていた。
No.2 薔薇の花弁が吹き荒れる中で服を脱ぐナルシストな先輩。
教頭先生が過ぎ去った後、彼女達は本校舎の二階と三階を繋ぐ踊り場を見上げていた。そこに設置された姿見の前で、ポーズを決める己の姿に賛美を送る顔立ちの整った男の先輩がいた。
それだけならただ頭のおかしな先輩で終わったが、彼は一味違う。
貴金属でも身に着けているのかと言う程に、窓から差し込む光でキラキラと輝きを放つだけでなく、彼の周囲にだけ薔薇の花弁が舞っているのである。例え三階フロアから何者かが薔薇の花弁を撒いていたとしても、踊り場までは届くまい。それどころか彼の横には開けた窓がある。風の魔法で送ったとしても、花弁が綺麗に舞い落ちる事は無いはずなのだ。
どうなっているのかと疑問に感じたその時、更に驚くべき事が起きた。
瞬きの時間さえも許さぬ速度で、自らを褒め称えていた先輩が
それは脱衣と言うよりも脱皮と呼ぶのにふさわしく、衣服の方が我々は必要ないとばかりに宙に舞ったのだ。そして秘部を隠す様に後光が差しているのである。
その姿を前に、花弁の不自然さに頭を悩ませていたクレアは唖然として思考を停止してしまっていた。
数秒後、学生会の誰かが三階からやって来たため、二人はその場を離れたのである。
No.3 治安維持兵のイケメンお兄さんと背後の恐ろしい女達。
世にも珍しい物を見た美男子の脱皮を目撃した二人は、この後恐怖に震え上がる事になる。
それは本校舎の出入り口の前で起きた。
午後の訓練時間にしては珍しく、ローレンが校舎内にいる事に不思議がっていた彼女達の前に、治安維持兵からの依頼書を持って来た爽やか系イケメンお兄さんがやって来たのだ。
彼はローレンの事を大隊長と呼び、とても慕っているのが見て取れる。
問題はそこではない。問題は、彼の背後で愛想を振り撒いている二人の女性だ。
どう見ても一般人で、冒険者でもなければ治安維持兵士ではない。
その事をローレンが訊ねると、彼は最近よく合うんですよと笑っていた。
更に話を聞いていると、毎日朝昼晩と出会うだけでなく、作り過ぎた夕食を持って来てくれるのだという。
笑いどころではない。完全にストーカーである。しかも職場どころか住所まで特定されてしまっているらしい。
話しを聞いてそこそこゾッとしたところで、彼女達に恐怖が降り掛かった。
イケメンお兄さんが女達から視線を外した途端、女達は隠れて見ている二人に向かって射殺すような血走った瞳を向けて来たのである。
瞳孔の開いた瞳でぼそぼそと小さく口を動かす女達の気持ち悪さと、強烈な殺意にクレアが小さく悲鳴を上げて引っ込んだ。
ローレンがいなければ、間違いなく声を掛けられて襲われていた事だろう。
その後彼女達はローレンが見ているにも関わらず、何処からともなく取り出した包丁を互いに突き付け合っていたが、二人は身の危険を感じて撤退したため、その後どうなったのか詳細は彼等にしか分からない。
そして現在が四人目のターゲット。
幸せな便りを受けてブチギレ塞ぎ込んだ事務員の女。
他のターゲットと比べるとインパクトに欠けるターゲットだが、クレアは静かに手を合わせて彼女の成功を祈っている。
これ等で分かる事があると言えばただ一つ。
この町には個性豊かな人がいるなという事ぐらいだ。
『良く付き合ってくれるよ、ほんと』
他に行き場所がないというのが根元の部分にあるのだと思われるが、それでもこんな訳の分からない調査を真剣に取り組んでくれるクレアの優しさには脱帽である。
『まぁ、面白くないと言ったら嘘になるけどな』
次はどんな癖の強い人を見つけてくれるのか、俺は少しだけ楽しみにしている。
それはクレアも同じなのかもしれない。
そう思えるほど、この短い時間の中で彼女は色んな表情を見せてくれていた。
何一つ潤いに繋がるヒントを見つける事が出来なくとも、この自由活動は二人の距離を着実に縮めてくれていたのだ。
このままもっと交流を深めて、二人が好き勝手に言い合える友達になる事が出来たら、きっと二人の学園生活は楽しい物に変わっていく事だろう。
俺はそれを期待している。
「……むっ……こっち」
突然エステルが何かを感じ取った。
この突発的な行動にさえクレアはもう驚く事は無い。
動き出すエステルに置いて行かれる事無く空き教室を出ると、魔法科校舎に続く渡り廊下を途中で抜けて、本校舎の側面の影へと向かってく。
そこから建物の裏側を覗き込むと、焼却場の脇に下級生と思われる線の細い美少年がいた。
「クッキー、また駄目だったよ。どうしてこう上手く行かないんだろう。僕はただ、友達が欲しいだけなのに」
彼は足元にいる真ん丸な茶色毛の兎に餌を与えながら愚痴を零していた。
だが兎は少年の手元の餌しか見ておらず、餌を強奪して彼の手を蹴り払った後、一目散に逃走してしまう。
真ん丸な見た目に反して凄まじい瞬発力である。
「あの、エステルさん?あの方の気持が凄く良く分かってしまうので、とても胸が痛いのですが」
呆然と座り込む少年の姿にクレアが困り顔を見せながら頭を引っ込めた。
「潤って……ない?」
「ないと思います。潤っているのは瞳だけで、流れているのは心の涙です。あの方も、わたくしと同じ様に上手く立ち回れていないのでしょうか?」
「ああーもうぅ!何うじうじしてるのよ!」
「そうですわ!貴方様には私達がいるじゃありませんの!」
「お、お前は堂々としていればいい。な、何か困った事があった時は、私が何とかしてやる!」
クレアが心を痛めて心配を口にした途端、奥の焼却炉側から女子生徒が現れた。
ツンデレ幼馴染風下級生。お嬢様系下級生。武闘派系下級生の三人の他にも、メイドさん、幼女っぽいのが追加でその場にやって来る。
いじけていた美少年は、クラスにいる見た目だけエロゲ系少年とはレベルが違う、本物のハーレム少年だったのだ。
一人を除いてムチムチとした彼女達が出現した瞬間、クレアの瞳から光が消えて表情が凍り付く。
「……友達が、いない?……ドコガ?心配して探しに来て下さるその方々は何ですか?お友達ではないのですか?友達ではないなら何ですか?己の欲望を満たすための肉奴隷か何かですか?そうですか、そうですよね?そうに決まってる。そうでないならそのスカートの短さは何ですか?そのおっぱいが零れ落ちそうな衣装は何ですか?スリットが深過ぎる気がするのですがそれパンツ履いてますか?肌に張り付くピチピチなその衣装は何ですか?なぜ皆そんなに露出しているのですか?何時でも竿を突っ込んで下さいという意思表示か何かですか?それとも本当に友達では無くて、ギラギラした目で寄って来る男性の方々みたいに、顔が可愛くて竿が立派だからと身体目当てに寄り集られているだけとかそういう」
ぶつぶつと呟くクレアの暗黒面を俺は見た。
光を失った瞳で呟くクレアの言葉からは、憎悪や殺意に似た感情が入れ交じっていた。あいつ等は何を言っているのだ、と、言葉にしなくても伝わるような怒気を全身から放つ彼女は、白く綺麗な掌に骨の筋が浮き上がる程に強く壁を握っている。
その殺意の波動を受けた彼女達の中で、勘の鋭そうなメイドさんだけが表情を凍り付かせた。
「気付かれた。クレア、此処から離れます」
「え?あ……はい」
エステルに服を引かれて我に返ったクレアは、顔をやや赤らめて大人しく従った。
背後からはエッチなトラブル宜しくのバタバタとした声が聞こえてくる。
どうせ手を引かれた少年が、胸に飛び込んだだけに飽き足らずにパンツに顔を埋めたとかそういうあれだ。
『わかってるんだからね!』
羨まけしからん少年に俺も嫉妬の念を送りながらエステルに引っ張られて行くと、二人は彼等に追いつかれる事なく、学園敷地の中心にある噴水付きの広場に辿り着き、そのまま木陰の下にある長椅子に腰を下ろす。
「はぁはぁはぁ……すみません、取り乱してしまいました」
『そうだな』
「うん」
濁す事もフォローする事もないエステルの率直な返事に、クレアが少し委縮する。
だが彼女は直ぐに持ち直して、誤魔化す様にわざとらしい咳を一つ零した。
これも今日の成長と言えるだろう。
「あの、今更なのですが、確認をしませんか?」
此処で初めてクレアから手案が来た。
「確認?」
「はい。潤いとは何か、その答えを明確な物とするために情報を纏めるんです。今日エステルさんと共に行動して分かった事は、潤いは過去の物でも、現実にある物ではないということ。即ち、物質ではないと言う事です」
「はい。潤いは水ではありません」
「どうしてその考えに至ったのですか?」
「水に潜っても潤いを感じられなかったからです」
一見理解不能な自殺未遂行為にはどうやら意味があったらしい。
もう少し心休まる物でお願いしたいところである。
「なる、ほど?……では、今日見て来た方々の事を思い返してみましょう。まず、桂が回っていた、教頭先生」
「……潤いが少し足りない」
「ぜん、ンン。花びらをまき散らしていた先輩」
「潤っています」
「学園に治安維持兵舎からの依頼書を持って来たお兄さん」
「潤っています」
「その背後にいた、恐ろしい方々」
「……難しい。でも、潤っています」
「あれで潤っているのですね。残りは、潤っていない事務員の方と……まぁいいでしょう」
ハーレム少年の目撃は、クレアにとって余程気に入らない出来事だったらしい。
先程の事を完全になかった事にした彼女は、瞳を閉ざして深呼吸を繰り返す。
「私の考えを聞いて頂けますか?」
「はい」
「潤いとは、他者から見た幸福なのではないかと思うんです」
「良く分かりません」
「つまりですね。エステルさんが、あの人は楽しそうにしているなと感じたら、潤っているという判断になるのではないか。という事です。今のわたくしはどうでしょうか?今日はエステルさんと共に時間を過ごせて、楽しかったと感じているのですが」
「……んー、クレアはまだ潤いが足りない。でも、後少しだと思います」
「後少しと言う事は、わたくしの考察も間違ってはいないという事になるのでしょうか?続けてお聞きしたいのですが、エステルさんは潤いは何処にある物だと考えているのですか?」
「学園。潤いは学園の中にある。でも、人が持っています」
謎かけの様な問題に、二人は頭を悩ませながら色付き始めた昼下がりの空を見上げるのだった。
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