第13話 友達で神様な俺

 その夜、俺はまたエステルの世界にいた。

 どうやら俺の傍で彼女が眠っている時にのみ、こちらの側の世界に引き摺り込まれてしまう様になったらしい。本来であれば人の心を覗く行為に当たるこれはやめるべきなのだが、半強制的に此処に連れて来られてしまう以上、抵抗のしようがないと言えるだろう。

 ただ一つ懸念があるとすれば、俺がエステルに与えてしまう影響だ。人と話す事の出来る機会を喜ぶ一方で、俺と接触する事により考え方や行動に影響を与えてしまうこと。また昼間の様に暴走を起こしてしまうようでは問題だ。

 それでも俺はエステルに声を掛けられたら無視は出来ない。

 何せ俺達は友達になったのだから。


「どうなされましたか?」


 気が付けばエステルが俺を見上げていた。

 もうそこには虚ろな瞳で俯いていた幼女の姿はない。

 俺と関わった事が原因なのか、彼女はこの半日の間で成長を果たし、ぷにぷにとした幼女からスラリとしたロリッ娘に進化していたのである。

 変化はそれだけではない。

 身体の成長に伴い言葉遣いが丁寧な物へと変わり、手にしていたクレヨンが白墨チョークに変わっていた。相変わらず表情筋が生きてはいないが、この時点でかなりの素質を秘めた美少女である事が分かる。

 

「いや、こうやって誰かと話すのは久しぶりだと思ってさ」


 俺達はまた二人で絵を描いていた。

 今回のお題は身近にいた可愛い生き物。それで俺は犬を描き、エステルは六本足の胴の長い生き物を描いていた。しかし己の絵心の無さと下に映り込む思い出の色が相まって、何が何だか分からない生き物が俺達の手で生み出されている。


「それよりも、エステルは一体何を書いているんだ?」


「エステルはガウを書いています」


「ガウ?」


「ガウは初めてのお友達です。お姉ちゃんが何時もガウガウが来たよと言っていたので、エステルもガウと呼んでおりました」


 だからガウなのか。と、思うのと同時に気になる事が一つ。

 それはお姉さんが何時も言っていたと言うガウガウと言う呼び名。

 これは親が子に犬という存在を教えるために、犬の事をワンワンと呼ぶのと同じなのではないだろうかと。そう考えると、当時のエステルはとても幼かった事になる。

 俺の姿(箱)を正確に描いていたエステルが、グニャグニャとした歪な絵を描いているのはそれが原因なのかもしれない。


「ガウはどんな子だったんだ?」


 俺は話を続けて見る事にした。

 此処でやめるのは不自然だからと言うのもあるが、思い出を語る事で少しでもお姉さんを思い出すためのヒントが見つかるかもしれないと考えたからだ。


「とても食いしん坊さんでした。ガウはガウのお母さんと一緒にご飯を食べた後でも、エステルのご飯を食べてしまうのです」


「それは筋金入りの食いしん坊さんだな」


「はい」


 エステルは返事をすると視線を落としてしまった。

 視線の先にはガウの絵がある。

 本来であれば時間と共に忘れてしまう幼き日々を彼女は今思い出している。

 このままお姉さんの事も少しは思い出せればいいんだけど……。

 そんな僅かな期待を抱きながら待っているとエステルが頭を上げた。

 どうやら何か思い出せたようだ。


「ガウはお空を飛ぶのも得意でした」


「えっ?ガウ飛ぶの⁉」


 それは流石にちょっと想定外で驚いた。

 お空と言っている事から、跳躍ではなく飛行だと判断する。

 しかし六本足の生き物が飛行するとはどういう事なのだろう。


「はい。ガウは大きな羽をバタバタさせてお空を飛びます。疲れてしまった時はよくエステルの頭に乗って休憩をしておりました。エステルの頭はガウのお気に入りの場所の一つです」


 ここで更に新たな情報が入った。

 どうやらガウは大きな羽もとい翼を持っているらしい。

 六本足で更に空を飛ぶための翼。

 考えれば考える頭の中のイメージが歪に崩れていく。

 ガウとは一体何者なのだろう?

 俺は一度情報を整理する事にした。

 今時点で判明しているガウの情報は四つ――子育てをする生き物で、雑食性で、空を飛ぶ、六本足の小さな生き物だということだ。


「……」


 ――うん駄目だ。全然分かんねぇ。


「…………なぁエステル、そっちから絵を見てもいいか?」


 結局どれだけ悩んでも応えに辿り着けなかった俺は、エステルの描いている絵こそ最大のヒントなのだと思い、彼女の絵を見せてもらうことにした。


「ん?……んん!」


 問い掛けに対してエステルは快く頷いてくれた後、フンスと得意気に鼻を鳴らしながら隣に座れと床を叩き、ガウについて色々と教えてくれた。

 まずは頭、犬のように口と鼻が前に出ている。

 口元はギザギザ、どうやらガウには鋭い牙があって噛り付いた物を絶対に放さないのだそうだ。

 そして六本あると思っていた脚の中心の二本は空を飛ぶための羽だったらしい。更にエステルの話しを聞いていると、ガウは地上に居る時は翼を折り畳んでいるそうで、その骨組みを俺が勝手に足だと思い込んでしまったのが六本足を勘違いした原因なのだと分かった。

 そして最後にガウの全体図だが、比較的胴が長く、這って動きそうな形状をしている。これは犬や猫などの哺乳類というよりは爬虫類………――。

 あれ?俺これ知ってる気がするぞ。


「……なぁエステル」


「ん?」


「もしかしてガウって、ドラゴンだったりする?」


「…………?」


 エステルからの返事はなかった。

 あれ?ドラゴンで通じなかったかな。と少し戸惑ったが、キョトンとして首を傾げているエステルの姿が全てを物語っていた。


「あーうん。そこまでは流石に分かんないか」


 エステルはお姉さんから”ガウガウ”としか聞いていないのだ。

 それが何だったのかと聞かれても分かるはずがない。

 例えばご近所の庭に何時も居た犬の犬種。再放送されないマイナーなアニメなど。幼き日々に経験した物事は記憶に残りづらい。覚えている人の方が稀だろう。おそらく大多数の人達はそうなのではないかと思う。

 ただ、成長と共に忘却されていく記憶の中に、心を病むほど大切だった姉の存在が混じってしまっていると言うのはとても残酷な事だ。


(何とかしてやれたらいいんだけどな)


 出来る事なら取り戻してやりたい。

 その為に俺に出来る事は何だろうか。

 再び自分の絵を描き始めたエステルを見ながら考える。

 まだまだ始まったばかりだが、エステルには本当に救って貰っている。

 しかしだからと言って焦ってはいけない。

 こういう時は出来る事を一つずつ。堅実に歩を進めていくべきだ。

 だとすれば、遊んでばかりいる訳にもいかない。

 知らない事が多過ぎる現状を変える為にも、まずは情報を集めなければならないだろう。俺にはそれしか出来ないのだから……――。


「なぁエステル、絵とは全く関係ないんだけど聞いてもいいか?」


「ん?」


「結局エドルフって何なんだ?」


「……エステルにはわかりません」


「そっか、わかんないか」


「はい。エステルは、エドルフと呼ばれる人に出会った事がありません」


 その言葉がやはり引っ掛かってしまった。

 しかし此処でお姉さんの事を聞くのは流石に無神経が過ぎる。

 そうとなればエステルの信頼を損なわないために俺に出来る事はただ一つ、お姉さんの話題に触れないように極力避ける事だ。


「なら仕方が無いか」


 この話題を振ったのは少し軽率だったかもしれない。

 そう思い、終わらせに掛かる。


「神様は、エドルフを知りたいのですか?」


 だが、意外な事にエステルが続けて来た。

 外のエステルであれば会話が途切れるタイミング。そう思っていただけに少し驚いたが、それだけエステルが俺に心を許してくれているからなのだとと思い直す。


「知りたいかな。だってエステルに関係している大事な事だろ」


 このセリフは流石に少し恥ずかしかった。

 だけど自分という存在が悪だと思い込み、自分という存在に自信が無いこの子には、聞かせてあげなければならない必要な言葉なのだと思ったのだ。

 君は生きていても良いのだと。

 私達には貴方が大切な存在なのだと。

 保護者達の想いが俺の言葉に乗って無事彼女に届いてくれたらと、そう思う。


「ん……ぅん」


 四つん這いだった身体を持ち上げて小さなお尻をペタンと床に着いたエステルは、感情の置き場を探す様に紅い瞳を彷徨わせていた。

 戸惑い、困惑、それとも気恥ずかしさか。

 表情に変化がまるでなく感情の変化を読み取る事が出来ないが、座り込むエステルの姿は人形の様であり、小動物的でもあり、ただただ可愛らしい生き物だった。

 本当に何でこの世界の人々は彼女の事を嫌うのだろう。

 俺からしてみればエステルは、多少他の人より色白で、髪の毛が白く、目が紅いだけの女の子だ。地球にも肌の色による人種差別の問題が存在しているが、人の肌色よりも明確な特徴を持った異世界人たちがその程度の事で此処まで忌み嫌っている事に不思議でならない。


「……」


 いや、そもそもこの考えが軽率かもしれない。実際はもっと単純で、理由などないのかもしれない。少なくとも俺が短い人生で学んだ事は、虐めや差別と言った物は相手を見下して馬鹿にする意識の延長で発生するという事だ。学校の虐めなどはその典型的な例だと思う。被害者は必ず、肉体的または精神的に弱く、反撃してこない様な弱い立場の相手だ。

 しかし、だとしたら変だ。

 エステルの場合は少しだけ状況が異なっている気がする。

 エステルは周りの人間から軽視されている一方で、同時に恐れられてもいるのだ。

 それが明確に現れていたのは朝の登校時間のこと。

 廊下を歩くエステルに道を譲る学生達の構図だ。

 学生達の中にはエステルを小馬鹿にしてくる奴等もいたが、それでも嫌がらせにちょっかいを掛けて来る者は一人も居なかった。何よりも皆自分から道を空けていた。 そこがやはり不自然で、ただの虐めや差別問題として見るには違和感が付き纏う。

 そうなるとやはり考えられるのは……――


 ――……正気を失い、暴れ回っていた時のエステルの力。


 例えばの話し、通常の人間族は手先が器用で、エルフは魔法に精通し、ドワーフは生まれながらに戦士の素質があるといったファンタジー世界の定番がある様に、エドルフと呼ばれる人種にも特筆した能力が備わっていて、種族の固有能力としてあの力が存在しているのではないだろうか。

 問題は、彼等自身がその力を制御する事が出来ないということ。

 それで大昔に大きな問題を起こしてしまった。

 これならば人々がエドルフを嫌い、恐れていることの理由付けになる。

 全ては憶測の話し。

 全て俺の考えに過ぎない。

 俺はこれからエステルの日常を観察し、エドルフという人種の秘密に迫っていかなければならない。そしてエドルフが嫌われている本当の理由を探していく。

 それと同時にエステルの友達百人計画も進めていかなければ。

 目的を見失ってはいけない。

 こっちが本命だ。

 大切なのはエステルに向けられている周囲の評価を変えること。種族的に嫌われている理由を探すのは、根本的な問題を知る事に意味があると考えたからに過ぎない。

 友達が増えていく事で、周囲がエステルに向ける評価は確実に変わっていく。

 俺はそれを信じて、ここを目指していく。


「なぁエステル」


「ん?」


「友達作り、頑張ろうな」


「エステルは神様のお導きを信じております」


「俺が出来る事はアドバイスだけだぞ。頑張るのはあくまでエステル自身だ」


「はい。それでもエステルは神様を信じております」


 信頼が重い。と言うより妄信に近い。

 俺は全然立派な人間じゃないのに何が彼女をそこまでさせるのだろう。

 神様という呼び名に原因があるのだろうか。

 いや、そもそも何で俺が神様何て呼ばれれるんだ?


「ところで、何で神様?」


「神様は神様なので神様なのです」


 理由に成っていない理由に俺の頭が回らなくなる。


「試しにさ、俺のことお兄ちゃんとか呼んでみない?」


 何故か虚無の視線が向けられた。

 何でこの子の視線はこんなにも深く突き刺さってくるのだろう。

 変態紳士の業界ではご褒美ではあるはずなのだが、俺には荷が重いようだ。


「……神様は神様なのです」


 身を屈めて再び絵を描き始めてしまった。

 良く分からないがどうしても譲れないものがあるらしい。

 子供ならではの考えなのか、エステルならではの考えなのか、話し始めたばかりの俺では判断が出来ない。

 しかしこの会話の中で新たな発見があった。

 それは、エステルは表情筋が死んでいる割に目は感情豊かだということだ。

 僅かな変化でしかないが、これでエステルの感情の機微が読み取れる。

 今はそれを知れたことが少しだけ誇らしい。


「ふっ、人生に無駄な経験などないということか」


 意味も無く自分に酔い、恰好を付けて笑う俺の姿をエステルが見上げていた。

 ジッと観察するような眼差し。

 その眼差しに秘められたエステルの気持ちは俺にしっかり伝わっている。


「どうしたんだ?何か聞きたい事があるんだろ。さぁ何でも聞きたまえ」


「神様は、エステルにお友達の作り方を教えてくださいます。ですが、エステルにお友達が出来たら、エステルは神様とお話する時間が少なくなってしまいます」


 エステルは俺の心配をしてくれていた。

 おそらく昼間、彼女に話しかけた俺が一人で寂しかったと口にしてしまった事を、このタイミングで思い出してしまったのだろう。

 本当に優しい子だ。


「心配するな。俺は神様なんだろ?まずは自分の事を考えな」


「んー……」


 納得していない目だ。

 無理もない。俺だって同じことを言われたらきっと納得しない。


「あ」


 すると突然、何かを閃いたエステルが黒く塗り潰された世界を走っていく。


「どうした?」


 背丈の割に意外と足が早い。

 そんな事を考えながら声を掛けるが、エステルは返事をせず、一度だけ俺の方を振り返ってから身を屈めると一心不乱に絵を描き始めた。

 顔を見なくても伝わる真剣な様子が気になって近付いて見ると、何故か彼女は物凄い速さで小さな俺を描き続けている。


「ちょっ、何してんのっ⁉」


「神様を描いています」


 話をしている間にも二体、三体、四体と、白墨を突き立てるように持っているとは思えない程の速度と勢いで棺に手足を付けた化け物が量産されていく。その多くが前回描いた四つん這いの俺の姿で、その姿は人の手足を持ったテカテカと黒光するようでもあった。


「神様が沢山、これで神様も寂しくない。嬉しい?」


 エステルが頭を上げた直後、地面に書いた絵が起き上がって動き始めた。


――カサカサカサカサカサカサ……


「ギャアアアアアア‼動いた⁉しかも手足の動きめっちゃはえぇ‼きめぇ‼」


「……今度はもっと上手に描く」


「させるかぁ‼こんなものはこうだ。ゆるキャラ的なオリジナルは一人で十分なのだ」


 表情筋が動いていないドヤ顔を見せるエステルには悪いが、縁起が悪く気持ち悪い事この上ない。俺は心を鬼にしながら逃げる絵を捕まえて、黒い部分を塗り消して己の分身を消していく。


「もっと描く」


 その行為が彼女に火を付けてしまったようだ。

 黒い空間の方へ横滑りしながら高速で手を動かして、次々と俺の量産を始めてしまった。


「へぁ⁉なにその動きっ?……止めて、これ以上俺を増やさないで!俺の居場所が盗られちゃう!アイデンティティーがなくなっちゃう!」


 結局俺はエステルに自分を生き返らせて欲しいとお願いする事が出来なかった。

 楽しそうなエステルの姿を見ていたらとても言い出せなかったのだ。

 それでも俺は焦っていない。

 少なくともニコルさんが俺の身体から神様の気配を感じていると言っているのだ。その中にはきっと俺をこの世界に連れてきた爺さんの気配もあるはずで、何れ俺の存在に気付いてくれる日が来るかもしれない。

 それまで俺はエステルの力になろうと思う。

 もうしばらくこの不思議な生活は続きそうだ。 



 *** 第一章 異世界の少女 完 ***



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転生した後にも死んだ俺~チートを貰っても死んだ俺は神様になって小さな世界を見守る~ 茶葉丸 @tyabamaru

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