第5話 帰宅

 耳長の美人教師と別れて食堂を後にしたのは、午後の授業が開始してから一時間半ほど経過した後のこと。既に多くの学生達は各々で選んだ技術を身に付けるため、各エリアに分かれている専門校舎もとい訓練場で汗水を流しているはずだ。

 それ以外に本校舎に残っている学生というのは見たところ、文字の読み書きや計算を学んでいる成績不振の下級生や、清掃のアルバイトをしている学生達ぐらい。

 しかしエステルは本校舎を出た後もどの施設に足を運ぶ事はなく、ローレン教官が立つ校門前へとやって来ていた。


「エステル」


 校門を抜けたところで早速ローレン教官からの声が掛かる。


「怪我は治っているかもしれないが身体にはまだダメージが残っている。今日は無理する事なく軽めに流せ」


 エステルの身体を気遣っての言葉だった。

 エステルは静かに「はい」と答え、学園周りの道を歩き始めた。

 総重量八十キロオーバーの荷物を担ぎながら、俺の体感で四五しごキロほどの外周を歩き続ける姿は、軽く流せと釘を刺されていたにも拘らず程度を越えた過酷な訓練。

 おかげで俺は校舎周りの景色を見せて貰えたわけなのだが、エステルの見た目が小さく華奢な事もあってやはり心配になってしまう。

 そんな俺の心配とは裏腹に、異世界人である彼女の筋力と持久力は並外れていて、約二時間掛けて二周を歩き切った彼女は疲れを感じさせる事なくケロッとしていた。

 その後少し休憩するかと思えばその様な事はなく、校門前に立っていたローレン教官にぺこりと頭を下げて学園から離れて行く。

 時刻は昼下がり。

 太陽が頭上から僅かに傾いたこの時間帯は、今朝と同じ道でも人の通り具合が違う。特に卸業者が多かった市場の辺りは近隣の奥様方の姿が多く、彼女達の世間話も聞こえて来る。


「来月家の旦那が辺境に派遣される事になったのよ。戦争、戦争って、王様はそんなに戦う事が大事なのかしら?」


「あんたのところはまだマシじゃない。ご近所の若旦那様、戦地に派遣されたそうよ。隣国の救援とはいえ可哀想よね」


「仕方がないわよ。エルドリアの方から仕掛けて来ているのだもの。アルガスが敗れたら次はこの国に攻め込んで来るわ。私、奴隷にされるなんて嫌よ」


「その話、私も旦那から聞いたわ。今、アルガスから逃げてくる人が後を絶たないんですって」


『戦争か……。やっぱりあるんだな』


 死んでるんだからと他人事ではいられない話だ。

 もしエステルが命を落としてしまったり、連れて行かれてしまうような事があったら、俺を拾う物好きなんて他にいない。


『とは言え、俺に出来る事なんてないよな』


 言葉にすると更に空しい。

 どうしてあの時、俺は倒木の上から跳ぼう等と考えたのだろう。

 あれから五年経過した今でもそう思わずにはいられない。

 どうにかして沈んだだ気持ちを切り替えたい俺は、町を少し離れて河川敷の堤防を歩くエステルに揺られながら川に視線を向けた。


『それにしても綺麗な川だな』


 流石は産業廃棄とは無縁に見えるファンタジーな世界である。

 テレビや写真で見るような透明度の高い水流がとても美しい。

 何時か此処で遊べたらなと考えながらぼーっと眺めていると、ほどなくして再び町の中に入って行く。そうして木々が生い茂る道の角を曲がったところでエステルが急に足を止めた。


『どうしたんだ?』


 不思議に思いつつ視界を正面に戻すと、教会に続く並木道の中に高級感漂う黒塗りの大型馬車が強引に入って行くのが見えた。

 どう考えても穏やかな雰囲気じゃない。

 それでも歩き始めたエステルを見て『ですよねぇ』と俺はぼやく。

 一日共に過ごして分かった事だが、エステルはマイペースで意外と豪胆だ。

 ゴブリンに襲われて目尻に涙を浮かべていた姿を思い返すと痛みや恐怖を感じていない訳ではないのだろう。それでも向かって行くという事は、次の展開が分からないのか、自分には関係の無い事だと割り切っているのか、何も考えていないのか……。


『どれもあり得るかも知れないけど、きっと違うな。この子の場合は他に向かう場所がないから危険があっても向かうんだ』


 町人からの視線や学園内の様子を見ていれば分かる。

 俺の目から見てもエステルは多くの人に嫌われている。その理由まではまだ分からないが、それは彼女自身が自覚している事でもあるのだろう。学食の順番待ちをするために、学食の入り口が見える中庭に座って人が少なくなる時間を待っていたのがその証だ。

 自分が孤立しているのに誰かに気を使うエステルが心配になる。


『何事も無ければいいんだがな』


 そう願いながら彼女の行く先を眺めていると、あっという間に教会前の並木道に辿り着いてしまった。補導された並木道は大きな車輪に掻き出された煉瓦が所々に飛んでいて、折れた枝が散乱している。

 綺麗な道だったのに酷い事をするものだ。

 更にその奥へと進んで行くと男性の怒鳴り声が聞こえて来た。


「何度も言わせるな!差し出せと言っている!これは国の命令だ!例えヴィネストリア聖教の尼とは言えこれ以上の邪魔は反逆行為とみなすぞ!」


「それでしたら尚の事、再三申し上げているはずです。先に提示する物がございますでしょう?それと貴方方は、今発した言葉の意味を理解して口にされておりますか?理解していないのであればお帰りなさい。今日だけは聞かなかった事にして差し上げます。さぁ、お帰りはあちらですよ?」


 並木道を抜けた先に停まる黒塗りの馬車の手前で足を止めたエステルは、敷地の端を通って迂回していく。

 そのおかげでようやく見えるようになった教会の入り口には、へたり込む老婆を挟んで、剣を手にした男を二人引き連れた身恰好の良い男と、指先から顔にまで黄金色の聖痕を宿したニコルが睨み合っていた。

 その姿は神々しく、見る者を圧倒する美しさを備えていて、とても優しい笑みでエステルを見送っていた人とは思えない程の迫力があった。


「ん?おい、そこの女!止まれ!」


 互いの睨み合いが続く中、男の一人がエステルの存在に気付いて足を動かした。


「フラッシュライト」


 途端、すかさず下ろしたままの掌を男に向けたニコルが呪文を唱えると、歩き出した男の目の前で小さな閃光が爆発する。


「ぎゃあああああ、目が!目がぁ!」


「誰が此処での自由を許すと言いましたか?これ以上は言いません。今すぐに帰って、貴方方の雇い主に愚かな選択をするなとお伝えなさい。それとも光を失う事をご消耗なさいますか?貴方方から敵対の意志を示した以上、私もこれ以上の容赦は致しません。これは脅しなどではありませんよ。さぁ、どうなされますか?」


 身体に浮かび上がる聖痕の輝きがより一層色濃く発光する。

 その姿は威嚇のようでもあった。


「ぐっ……つ、次はないぞ!我々にこのような事をしてタダで済むと思うな!」


 目を手で覆い蹲る男を立ち上がらせた二人は、見事な負け台詞と共に馬車に乗り込んで去って行く。

 その後姿を見届けて肩を竦めたニコルは座り込んだ老婆を起こして少し話をした後、エステルの元に歩いて来た。


「おかえりなさい、エステル」


「……ただいま戻りました」


 今朝と同じ優しい笑みを浮かべるニコルに淡々と帰宅を宣言したエステルは、抵抗する事無く彼女に抱きしめられていた。

 まだ二人の関係も良く分からない。

 血の繋がった親子でもなければ姉妹でもない事は明白だ。

 それでもニコルがエステルを大切にしている事だけは痛い程に伝わって来る。


「今日の学園はどうでしたか?」


「……魔物と魔力の関係と、他国との境界線や条約、貿易による国の発展を学びました。ご飯の前に、違法行為を咎められて資格の剥奪を言い渡されました。お昼はセフィリア姉様とご一緒でした。禿げ頭の頑固焼き、美味しかったです」


 今日の出来事を淡々と口にする。

 食べ物のこと以外に感想はなかったが、それでもニコルは優しい表情でエステルの話を聞いていた。だが流石に禿げ頭の頑固焼きが美味いと言われてもそれが何なのか想像が出来なかったようで、疑問符を浮かべているのが分かる。


「エステル。その、頑固焼きと言うものをまた食べたいですか?」


 相手への侮辱になりかねない言葉を避けながらニコルが問うと、エステルはしばらく沈黙した後、頭を上げて小さく「うん」と頷いた。

 たったそれだけの事にニコルは少女のような笑顔を見せた。


「どんなお料理なのかしら?」


「お肉。丸い。柔らかくて、お汁が沢山」


 エステルの拙い説明を聞きながら二人は教会に向かって歩いて行く。

 こうしてエステルの学園生活の一日が終わった。

 その晩エステルが寝静まった後。

 俺はニコルの手によってエステルが背負えるように新たな縄を追加されていた。

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