第4話 ミルネ冒険者育成学園②
――カラーン、カラーン。
学園の鐘の音が鳴り響くと二時間半にも渡る座学講義が終了した。
「本日は以上とする。昼の休憩を終えたら、各自専攻している技術を磨くための訓練所へと迎え」
お昼が過ぎた後は身体を動かす授業が始まるらしい。
手元の教材を閉ざしたローレンが一人先に教室を後にすると、学生達は次々と気を緩め、仲の良い友達と集まって和気藹々と談笑を始めた。そこからは各自のペースで食堂を目指して教室を抜けて行く。
こちらの世界でも年頃の学生達は俺の
『ま、廊下を走って教官に見つかったら怖いからな』
幾ら腹が減っていようがあの先生に捕まる方がずっと怖い。そんなリスクを冒すぐらいなら少し我慢するぐらいの方が良いと言ったところだろう。
それでも教室に残る必要がない以上、生徒達の足は徐々に教室から遠ざかって、ものの十分もしない内に教室内に残る生徒はエステルだけとなっていた。
そこでようやくエステルは席を立ち、棺を持ち上げて歩き出す。
食堂から持って来たであろうお盆を手に歩く学生達と擦れ違っても挨拶を交わす事も無ければ視線を合わせる事もなく、ただ静かに廊下を歩き、階段の前を越えて、廊下の突き当りにある職員室と書かれた扉の前までやって来た。
「失礼します」
室内に入ると多くの視線が入り口に向けられた。
俺はこの視線を知っている。生前に大きな喧嘩をして問題となった後から感じるようになった、面倒事を起こす生徒を鬱陶しがる教師の視線だ。
エステルに向けられる視線はその時に感じた物よりもずっと酷い。
『もう少し隠せよ』
非情に不愉快な空気に俺は不満を漏らす。
そういう感情を抱くが事を悪いとは言わないが、包み隠そうとしない態度が気に入らない。大人は、年頃の俺達がそういう視線を敏感に感じ取る事を理解するべきだと思うのだ。
だけどエステルは自らに向けられる視線を気にした様子を見せる事無く、目的の人物の元に近付いて行く。
「来たか」
椅子を動かして横を向くのは、つい先ほどまで教卓に立っていたローレンである。
「講義開始時にクラウスから質問を受けて答えたが、お前が参加したチームから虚偽報告があったのではないかとギルドから連絡が来た。その為、お前にも確認を行う」
「エステルは報告を行っていません」
「分かっている。ゼロス……捜索隊の副指揮官を務めた治安兵の男だ。あの男がギルドとの連絡役となって今朝報告書を持って来た。これから読み上げる。違うところは違うと言え。……まずお前達は、前回の仮試験に合格した有り合わせの四人に上級生を一人交えてチームを組み、ミルネ草原先の丘に向かったそうだな。そこで生肉を使い、魔物を呼び込む作戦にでた」
「違う。先輩の指示により、生肉だけでなくダークボトルを使用しました」
ローレンは眉間に皺を寄せながらメモを取る。
「……そしてゴブリンがやって来た。これは別クラスの三班が勝手に森に入って刺激したゴブリンの群れだと考えられる。それが臭いに釣られてやってきたのであろう。確認されている死体の数は大体二十八。部位の数が合わないところから見ても当日はもっと多かったはずだ。お前達はギリギリまで戦ったそうだな。その際に隊列から引き剥がされたお前が誘拐されたと聞いている」
「違う。彼等は最初に現れた五匹を物怖じせず倒した後、想定を超える群れの姿を捉えた時点で先輩から撤退の指示が入りました。ですが、先行する足の速いゴブリンの相手をせねばならず、退けている間に囲まれて、後方の数匹を倒して開いた道から逃げる用に指示が出たのです。皆様に続いてエステルも逃げようとしました。ですがその時、何方かに背中を服を掴まれて転んでしまったのです」
――バキッ……。
エステルが話しを終えるのと同時に、ローレンは手にしている筆を握り壊してしまっていた。
「という事は……二十もの数をお前が一人でやったのか?」
この人は怖いけど良い人だ。
多く教師が彼女を問題児として見ている中で、囮にされてしまった彼女のために怒ってくれている。
「神の導きのままに、あれはエステルに与えられた試練だったのです」
胸の前で掌を合わせるエステルは、光を閉ざした濁った瞳で柔らかく笑みを浮かべていた。見るからに普通の精神状態ではない彼女を前に、彼は「そうか」とだけ小さく呟いて、ため息交じりに視線を逸らす。
その後机の上にあった雑紙で汚れた手を拭い、新たに手にしたのは一枚の羊皮紙。
それをエステルに差し出した上で言葉を続ける。
「諦める事無くよく抗った。しかし、早朝からミルネ草原近隣の農地から魔物による被害届が少なくとも六件は寄せられている。この件が無関係だと言い切るのは難しいだろう。必死に戦って逃げて来たお前には悪いが、Dクラス所属のチーム四に参加したお前にも罰を言い渡さなくてはならない。異論はないな?」
「はい。ダークボトルの無断使用及び、後処理を疎かにする事は国の法に反します」
返事をしたエステルは平時の物静かな女の子へと戻っていた。
「理解しているなら結構だ。エステル、お前にも仮資格の剥奪を命じる」
「はい」
衣服の中から革製の学生証手帳を取り出して、中に挟まれた記章をローレンに手渡した。彼はそれを受け取って机に置くと、再度エステルを見る。
「聞くのが遅くなってしまったが、あれから身体の状態はどうだ?何処か痛む個所はあるか?」
「ありません」
「そうか、ならばよい。但し今日一日は派手に動くな。午後の鍛錬は軽く流す程度にして置け」
「はい」
「何か質問はあるか?」
「……エステルは制服を着用しなくても良いとセフィリア姉様は言いました」
「それがお前の安全のためだと言う事は俺も理解している。だが、事情を知らぬ者達には特別扱いを受けている様にしか見えないだろう。それではお前自身の立場も、俺の立場も悪くなる。あれは周りに公平に扱われていると示すための茶番劇だ。今後しばらくは何も言わない。理解してくれたか?」
「はい」
「話は以上だ。此処までご苦労だった」
「失礼しました」
エステルは棺を担いで職員室を後にした。
◇◇◇
職員室を出た後のエステルは、昇降口を出た直ぐの木陰の下でぼーっと過ごしていた。何をする訳でもなく、窓から見える食堂の入り口をじっと眺めているだけ。
結局エステルが食堂の扉を潜ったのは、町にお昼を告げる教会の鐘と、訓練の準備を促す学園の鐘が聞えて来てからの事だった。
その頃には学生達が更衣室に向かって移動を始めており、広々とした学生食堂には数えるほどの人しか残っていない。
そして一つ分かった事がある。
移動している間に廊下に張り出された掲示板を見て分かったのだが、どうやら午後に行われる訓練は生徒の自主性に委ねられているらしい。それぞれに専用の校舎があり、どのような知識を学び訓練を行うかを選ぶ事が出来るという事だろう。
その為、一部の施設の授業では事前予約なども行われていた。
『面白い学園だな』
生前兄から大学について聞いた事があったが、割とそれに近いのかもしれない。何方にせよ朝から夕方まで学校に通っていた俺としては新鮮な学園だった。
サボる事はもちろん、学園内での評価に係る貢献点なるポイントを貯めるために上級生と共にギルドの依頼に出かける者や、生活費を稼ぐために購買の手伝いなどの簡単な依頼を熟すアルバイトをしに行く学生など、様々だ。
「ようやく来たな」
厨房カウンターの前で裏返った木札を眺めていたエステルの前に、禿頭で筋肉隆々な、大柄な料理人が近付いて来た。
流石は冒険者育成校。料理人ですら滅茶苦茶強そうである。
「……今日は、もうないのでしょうか?」
「見ての通りだ。大体売れちまった。今年の新入生は食いやがる。身体が出来始めているって事なんだが、俺とした事が見通しが悪かったらしい」
木札に書かれたオートミールの文字を眺めていたエステルは「むぅ」と唸った後、厨房に立つ坊主頭の料理人に視線を戻した。
「AランチとCランチの間。大盛りでお願いします」
キランと表情筋の乏しいエステルの目が光ったのが見えた気がした。
「おう、待ってな。大盛り賄い一丁!」
「「「「大盛り賄い一丁!」」」」
どうやらエステルのややこしい注文は、裏メニューの合言葉だったようだ。
ラーメン屋の如く掛け声が飛び交う厨房の奥を覗き込むと、注文を受けた料理人が影分身でも使ったのかと言わんばかりに瓜二つな四人組が振り返り、それぞれに無駄のない動きで調理を始めるというなんとも不気味な光景が広がっていた。
『この世界にテレビがあれば間違いなくカメラが来るな』
三つ子の経営者が運営する料理店がテレビに映っていたぐらいだ。バラエティー番組で取り上げられてもいいレベルだと思う。
そんな事を考えて数分程待っていると、エステルの前に鉄板焼きの巨大な肉塊が置かれた。
「「「「「へいお待ち!禿げ親父の頑固焼きだ!」」」」」
そのネーミングは如何な物だろうか?
そんな事を思いつつ、目の前に置かれたその料理を見て俺は内心滅茶苦茶驚いていた。何せそれは日本でも大人気なハンバーグだったからだ。
『まさか異世界に来てまで見る事になるとはな』
量は多く、見た感じ五百グラムはかるくありそう。それに加えて大盛りのサラダと大器の卵スープにコッペパンが三つ。更に焼きプリンまで付いている。
正直、俺では食べきれない程の量だ。
『エステルさん、ちょいと食べ過ぎではありませんか?』
先に食堂の端に向かい棺を壁に立て掛けて小走りで戻って行ったエステルは、料理を手に歩いて来た。
「主よ。今日も糧を頂ける事に感謝致します」
早く食べたいという気持ちが先走っているのかお祈りが結構雑である。
(それでいいのか聖職者)
そんな事を思う俺の目の前で彼女はハンバーグを食べ始める。
肉を詰め、サラダを詰め、パンを詰める。
『おいおいおいおい』
今朝の食べ方を見ていてもしやと思ったが彼女はハムスター女子だった。
口から物が跳び出すよろしくないハムスター女子ではなく、己の頬袋を熟知した熟練のハムスター女子。己の強みである童顔な小顔を使い熟して己の品を護りつつ、可愛さを引き上げている姿こそ正しくそれだ。
それにしてもよく伸びる。
『ふ、完敗だぜ』
よろしくないハムスター男児だった事もある俺には到達出来なかった高みに彼女はいた。
「あら、美味しそうな物を食べているね。メニューにあったかしら?」
大人の女性の声に視界をぐるりと回してみると、知的な釣り目と尖った耳が特徴的な美人女教師が近付いて来た。
その風貌は何処か憧れの先輩に似ていて思わず見惚れてしまう。
「同席してもいいかしら?」
微笑む女教師にエステルはこくりと頷く。
その後ゴクッと喉を鳴らして口の中の物を胃に納めたエステルは、女教師が机に置いたオートミールを見ながら答えた。
「……日替わり裏メニュー。禿げ親父の頑固焼きです」
「また自虐ネタが酷いわね」
ボソッと呟くエステルの言葉を拾って優しく微笑む女性からは、彼女を蔑む視線は感じられない。
「学園に関しては誰よりも詳しいつもりでいたのだけど、これは一本取られたわ。裏メニュー何てどうやって知ったの?」
「……何もない日にオートミールを注文したら、アドニスとブライアンが大食らいにはそれだけじゃ足りないと言ってお昼ご飯を分けて下さったのです」
「それで知ったのね。良い事を聞いたわ」
上機嫌に机の中心に置かれたティーポットに手を伸ばした。
「あら、空じゃない」
蓋を開けて確認した女教師は、掌に青色の聖痕を浮かべながらティーポットの上に手を掲げた。
「クリアウォーター」
言葉と共に魔方陣が出現して綺麗な水が零れ落ちる。
「貴方もいる?」
「お願いします」
どうやら透明度が高いだけでなくそのまま飲む事も出来るらしい。
しかもティーポットは専用の台に置いて備えられた赤い宝石のような突起に魔力を流すと、物の数秒で沸騰させる優れモノだ。
異世界の魔法超凄い。
この世界に来て見る魔法はどれも凄く優れているように見える。
こんな素晴らしいものが庶民感覚に使われる便利な物であって良いのだろうか。
否、良いのだろう。なんたって此処は剣と魔法の異世界なのだから。
「昨日の報告は流石に肝が冷えたけど、どうかしら?新しいクラスには馴染めてる?」
「はい。空気のように馴染んでおります」
「それは馴染んだとは言わないわね」
再びハムスタ―化するエステルを前にして女教師は困り顔を見せて微笑んだ。
「口元にソースが付いているわよ」
ハンカチを取り出した女教師はエステルの顔を拭う。
その姿は母親の様でもあり、年の離れた姉の様でもあった。
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おまけ○○紹介
・ダークボトル
魔物や魔獣の血肉と魔石の粉末を加えてあれこれと調合した危ない薬。魔力を宿した甘く生臭い悪臭は、この臭いを嗅いだ魔物や魔獣を興奮させて引き寄せ寄せる。
・クリアウォーター
空気中に漂う水精を呼び集めて清んだ水を流す水の中級魔法。精密な魔法操作が要求されるため使い手は少なく、とても重宝されている。
・冒険者の仮資格章
冒険者ギルドが最低限の能力を認めた証としてもらえる記章。
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