第3話 ミルネ冒険者育成学園①

 数秒だけ映り込んだ風景は何だったのだろう。

 あれから何度試しても今見ている景色が切り替わる事はなかった。考えられる事があるとすれば爺さんが救済処置だと言っていたスキルだが、それが未だに何であるか分からない。死んだら教えると言っていた癖に、姿を現すどころか未だ連絡の“れ”の字もなし。此処は教会なのだから交信でも出来ないかと思っていたのだが、それすら無駄に終わっている。

 

『やっぱり祭壇の前じゃないと駄目なのか?』


 俺が壁を向いて考え事をしている間に目覚めたエステルは、朝の仕度を済ませた後に棺を壁に立て掛けて祈りを捧げている。


「神様。今日も一日、エステルをお導き下さい」


 どうやら彼女にとって俺は神様からの贈り物という認識らしい。

 どうしてその考えに行きついたのかまでは分からないが、俺と向き合ってくれると言うのは希望が持てる。何時の日か俺の存在に気付いてくれたらと思うのだ。

 お祈りを済ませたエステルは俺を持ち上げて歩き出した。

 あの部屋に置いて行かれると思っていただけに意外な展開ではあったが、色んな物を見せて貰えるのはありがたい。このまま彼女が何を始めるのかを見ていようと思う。


「エステル、おはようございます」


 礼拝堂に出てくると優しい笑みを浮かべたシスターのお姉さんことニコルさんが立っていた。昨夜も驚く程に綺麗な人だと思っていたが、朝日が差し込む明るい室内では顔立ちもはっきりとして見えて、昨夜以上に輝いて見える。


「ニコルお姉様、おはようございます」


「あれから一晩経ちましたが、お身体の調子は如何ですか?」


「問題ありません」


 エステルはそれだけ答えると足早にニコルの横を通り抜けた。

 それ程までに急いで向かった先は離れにある物置小屋。

 彼女はその中に置かれた縄を持ち出して立て掛けた棺に巻き付けていく。


『んースキルの判定が分からん』


 どうやら俺の身体はこれも彼女の攻撃として認識しているらしい。おかげさまで縛られていても窮屈な感触は無かった。寧ろ擦れる縄がこそばゆいと感じる様な気がする。


『もしかしたら他者から与えられる影響を全て無効にしているのか?』


 もしそうであれば動けない俺は何をされても無敵である。それは即ち、蘇生の魔法すらも無効化してしまう可能性があるということだ。


『……そ、そんなわけないよな?』


 当然答えてくれる人はない。

 黙々と棺を縛り続けるエステルを眺めながら、俺はスキルの選択を誤った後悔に苛まれる。

 結局、エステルは朝食も摂らずに黙々と棺を縛り続けていた。

 どうやら持ち手の無いこの棺を運びやすくするために持ち手が欲しいらしい。


「エステル、ご飯を食べないのですか?」


 朝を告げる鐘が鳴り始めると、少し遅れてパンを入れた籠を持つニコルが物置小屋を覗き込んだ。

 未だに響く鐘の余韻。天上を見上げていたエステルは手を前で組んでお祈りをすると、籠からパンを二つ掴んで口の中に押し込んでいく。


「フゴフゴフゴ」


 そして、頬を膨らませながら言葉ではない声を発した。

 その後の二人は言葉を交わす事無く、教会の出入り口である並木道を歩いて道路まで出て来た。


「……気を付けてね。行ってらっしゃい」


 見送りに来たニコルの心配した表情が妙に印象深く、俺は彼女が見えなくなるまで後ろを見ていた。

 棺を大事に抱えるエステルと共に俺が見る風景も移動して行く。

 町から少し離れた教会と並木道を後にし、民家の並ぶ通りには立ち寄らず、人が少なく見晴らしの良い川沿いの堤防をしばらく歩いて、階段を下って大通りの中に中に入って行く。

 すると、突然多くの視線を感じた。

 棺を持ち歩いているのだから奇異な視線も当然だと思っていたが、町の人々から向けられる視線は彼女を嫌う敵意に満ちている。

 当然エステルに声を掛けようとする人はおらず、それどころか彼女の姿を見ると家の中に入って扉を閉めてしまったり、間違っても声を掛けられない様に顔を背ける人までいた。

 あからさまな住民の態度の理由を知りたくてもこの辺り一帯には幽霊の姿はなく、また歩き続けるエステルに連れて行かれているだけの俺は知る事もできない。

 もやもやとした気持ちを抱えながらしばらく揺られていると、町並みを抜けた先に彼女の目的地が見えて来た。

 それはとても広大な土地を使った大きな施設。


 ――《ミルネ冒険者育成学園》


 エステルの通う学園だ。

 昨夜兵士さんが捜索に来た時に話していた事を思い出して、俺はなるほどと納得した。彼女達は半人前だから有事の際には町の兵士が動くのだろう。

 だが、腑に落ちない点もある。

 昨日のあれが学園の課外活動なら教師は何をしていたのだろうか。


『いや、元の世界と同じように考えるのは駄目だな』


 少年の記憶から十五歳は成人の扱いを受ける事を知っている以上、自己責任が問われる事も多いのだろう。何だか複雑な気分だ。

 そんな風に俺が頭を悩ませている間にも、エステルは長い道を越えて建物の中に入って行く。校内には既に多くの学生の姿があって、廊下や教室で友人達と談笑に耽っていた。

 しかしその中でエステルだけが異質な存在感を放っていた。

 その理由は簡単で、エステルだけが彼等とは違い制服を着用していない。

 周りの学生達は皆、赤色のブレザーのお洒落な制服を身に着ている。

 気崩したり、装飾品を付けてお洒落をしていたりする者もいるが、彼女ほど浮いている訳ではなかった。


「おい、あれだろう?ゴブリンに凌辱まわされたって言う」


「そうそう、何時も人形みてぇぼーっとしてるんだよ。行為の時ぐらいは違ったりしてな」


 男子生徒達の下世話な話が聞こえてくる一方で


「おい、クラッシャー・エステルだ」


「昨日連れ去られたって聞いたから死んだと思っていたが、流石はクラッシャー・エステル。巣穴の内部からゴブリンどもを皆殺しにしたらしいぞ。巣穴に連れ込まれた奴も殺られたらしい」


「嘘⁉こっわぁ~」


「教会の裏組織から派遣された執行人って噂は本当なの?」


 何だか噂が独り歩きしてとんでもない事になっているらしい。

 だけどその前に一つ言わせて頂きたい。


『クラッシャー・エステルって何ぞ?』


 当然その問いにも答える者もおらず、彼女は二階の端にある教室に入って行く。

 結局エステルは誰とも言葉を交わさないまま、窓際の最後尾の席に座って瞬きの一つもせず前を向き続けていた。


◇◇◇


 結局、クラッシャー・エステルについては何一つ分からないまま学園の授業が始まった。教室の教卓に立つ男は、如何にも軍人といった具合の長身で筋肉隆々な強面の男。昨夜エステル捜索隊の指揮を務め、家まで送り届けてくれた大柄の男ローレンである。


『一応教師側も動いていたんだな』


 出来ればもっと早くとか、同伴の扱いにするべきとか。色々と言いたいところはあるが、その事実が知れただけでも良かった。

 そんな事を考えていると……――。


「おい、カーチス。立て」


 ドスの利いたローレンお声が静かに教室内に響いた。


「座学の時間に置いて、後方の注意を阻害する恐れがある髪飾り、および耳飾りの類は身に着けるなと言ってあると思うが?つい先日の連絡事項だ。よもや忘れたと言う訳ではあるまい」


「し、失礼しました!」


 一睨みでお調子者に見える男子生徒が勢いよく立ち上がり、その場で耳飾りを外してポケットの中に納めた。


「次は罰を与える。以後気を付ける様に」


「は、はい!」


 背筋を正して敬礼する彼は「着席」と言われて大人しく座った。


『お、おうぅ……おっかねぇ』


 他のクラスの事は分からないが、このクラスの担当教官であるローレンはかなり厳しそうな人である。そんな彼はすぐさまエステルに視線を向けた。


「エステル、立て」


「はい」


「制服はどうした?」


「…………」


「どうしたと聞いている」


 エステルへの問いかけも厳しい物であった。

 しかし威圧的にも見える彼の態度の理由を考えてみれば納得もできる。

 此処は冒険者と呼ばれる遊撃隊を育成するための軍事学園のような施設だ。人を簡単に傷付けてしまえる物を持って歩く事が許される立場にある。だからこそ規律を守る様に個人個人に強い自制心を持たせなければならない。

 故に注意も厳しい物となるのだ。


「…………」


 だが、無言を貫くエステルの態度は一貫して変わらず、これが私の正装ですと言わんばかりに一切動じる事なくローレンと視線を合わせ続けていた。


『凄いなこの子』


 先の男子学生が一睨みでピアスを外していたのに対し、エステルはまったく物怖じしていない。俺だったら先の学生のようになっていただろう。断言できる。

 そんな彼女がようやく口を開いた。


「洗ったら縮みました。ローレンは知っているはずです」


 ローレンはその態度を前に、それはもう大きな溜息を吐いた。

 その仕草だけで彼女が常習犯である事が分かる。


「……そう言う事を聞いているのではない。何時になったら替えを用意出来るのかと聞いているのだ。まぁいい、この話はこれ限りとする。授業が終わったら職員室に来なさい。昨日の件で話がある」


「はい」


 ローレンはエステルを座らせると同時に鋭い眼光で彼女の横に置かれたを見ると授業を開始した。


「授業を始める前に新学期最初の課外活動の結果を伝える。此処Dクラスの成績は最下位だ。未だ教師の同伴なしで課外活動を許可されていない生徒が多い故、この結果は妥当な物だと言えるだろう。各自実践を通じて理解したと思うが、たかがガード見習いの仕事だと侮って挑んだ馬鹿がどれだけいる。仮資格を得て教師の同伴が無くなった事を良い事に規則を破り、勝手に森の奥まで入った生徒がいるようだが、お前達も噂で聞いている通り、その者達の中には一生背負う傷を負った者すらいる。お前達もそうなりたくなかったら魔物との争いがお遊びでは無い事を理解しろ」


 三十人程いる教室には空席が七つ。つまりはそういう事なのだろう。

 空気が引き締まり、大きな返事が教室に響いた。

 その後ローレンはそれぞれの表情を見渡して授業を始めるために教材の本を広げると、如何にも優等生なオーラを放つ眼鏡のイケメン君が挙手をする。


「発言の許可を与える」


「グループごとの成績を教えて頂きたいのですが」


 声もイケボである。クッソ羨ましい。


「それに関しては明日以降の発表となる。チーム四の供述にギルドが再確認を申し出ている」


「……承知しました」


 優等生の眼鏡君は小さく舌打ちを鳴らした後、一瞬だけエステルを睨みつけて席に座った。只ならぬ雰囲気だ。


『お嬢さん。君、彼に何をしたのだね?』


 色白なエステルの顔を覗き込むが、虚空を眺めている彼女からは無を感じる。


「さて、前回はこの国テルシア王国の歴史を語ったが、今日は問題が発生した野外活動の後という事で、魔物と魔獣の知識について復習から入る。では、その二つを語るに上で欠かせない物がある。答えられる者は?」


 ざっと多くの生徒が一斉に手を上げる中、エステルは相変わらず綺麗な姿勢のまま前を見ている。


「クラウス、答えろ」


 選ばれたのは先ほど質問した眼鏡のイケメン君だ。

 名前も格好良くて狡い。


「空気中に漂う魔力です。空気の循環が悪くなると魔力は淀み変質する。その結果、魔力は形を得て魔物となりします。また、その淀みに強く影響を受けた獣が魔獣と呼ばれる存在へと変化します」


「よろしい。今話したように魔力の淀みは魔物を生み出す。だが、我々には魔力が必要だ。それは何故か……エステル、答えて見ろ」


 指名されたエステルはスッと席を立った。


「……魔力とは、生命のエネルギーであるマナの別称だからです」


「そうだ。我々が生きている限り魔物との闘争は続く。この闘争が終わってしまったら我々の世界は滅んでしまうと言っても過言ではないと言われているほどだ。お前達が目指す冒険者は過酷な土地を探索する役割の他に、民間の遊撃隊ガードとして魔物と戦う仕事がある。軍が動けない小さな物事を解決し、町を護る治安維持兵の管轄以上の範囲の物事を行い、様々な形で人々の生活を守る役割を担うのだ」


 ローレンの授業はとても分かり安かった。

 居眠りをしそうな生徒は直ぐに質問を投げかけられ、答えられなければもう一度その説明が始まる。

 進行は遅いが、話を聞く生徒達に深く知識を植え付けるための授業。

 そんな授業を彼等は二時間半に渡って続けていた。



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おまけ○○紹介


・聖職者の衣(理)

 大きな輪に三輪を入れた紋様を記した、ヴィネストリア聖教の聖職者が纏う衣。生地は厚めでとっても丈夫。縁を結ぶ地女神の信徒という事もあり、少しお洒落なデザインとなっている。女性の信徒が多い。


・ミルネ冒険者学園の学生服

 紅いブレザーとシックな黒の長ズボン、またはハーフスカートをセットにした学園指定の制服。ブレザーが目立つ紅色なのは、武器を帯刀する事がある学生である事を町人に示す他、有事の際に大人達が判別しやすくするためでもある。そのため生地はとても頑丈でやや分厚め。また学生達が普段から着用しやすい様に、内生地がシルク製であるため並みの服より着心地が良い。やや高価な品ではあるが、学生全員に支給されている衣装であるため、貧しい家から通う学生でも着用する事が出来ている。

但し、二着目からは実費。多少の学割が効く。



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